だんだん、気持も春から初夏に・・・・
今は、私の人生にとって、ものすごく最高にどん底なのかもしれません。
1989年 22歳 大学卒業後 NASへ就職 一年たつか経たないかで、会社の中で働くのが性に合わないと見切り、すっぱろやめました。
どうもエアロやスイミング。。。事務作業。この事務作業がどうしても嫌いでした。あと、上司やほかのインストラクターとの関係もしんどかった。からだも酷使し、腰痛がひどく、何度もぎっくり腰に。私は、どうも、仕事は自分のペースで進めるのがいいと、フリーの道へ。
すぐに仕事はみつかったものの、ディーガム養成に行きながら、キャリアを積んでいきました。
でも、私の中にあるのは、いつか結婚して、子供を産んで家庭を作ること。
家は厳しくそうすることが女性の人生だと教えられていたので、それが当たり前でした
実際、何度もお見合いをしていました。
そんな、なか、今の主人と知り合う。特に特別な感情はなかったものの、強い押しと早く家を出たいという気持ちで、ここで思い切ってすぐ結婚。反対された中の結婚式で、質素なものでした。でも、なんとも思わなかった・・・結婚するときに実際はいろんな問題があったものの、明るい性格なのか、すぐ別れてもいいなと気軽にいました。なんとかなると・・・
1992年 24歳で結婚
家が厳しくてできなかったことをしたくて、アメリカや海外へ数回。
1995年 27歳で第一子出産
1999年 31第二子
2002年 34歳で第三子
子育てを前面に大事にし、無我夢中で育てていた。
毎日は、ハードであったが、サラリーマンの主人の将来が見えていることになんだかむなしい感覚もありつつ、家を楽しむためにパンや料理、テーブルコーディネートを習い、日々の生活を充実させ、ライブスタイルを確立しようと前向きでした。
2004年 36歳
幼稚園の友人がピラティス教室をはじめ、そこに通う。
2005年 37歳
その友人の誘いで、またエアロビクスの代行に入ることに・・・自信がなかなか持てないながらもエアロの楽しさに気づく。
その友人ともめ事があり、人間関係に幻滅し、自分のことを頑張ろうと。仕事を始める。その時に、「どうせするのなら、トップレベルで仕事をしていきたい!まわりの主婦に教える仕事ではなく、スポーツクラブで教えて、トップレベルでどんどん活躍する」と主人に宣言。
しかし、エアロは、体力的にもカリスマ性もない、流行りに付いていけないと、違う方向性に。ピラティス養成コース、ルーシーダットンのコースに参加。
ルーシーダットンで、トップを目指そうとがんばっていたのだが、利権争いや指示していた先生のいろんな変化について行けず、悩んでいた時に・・
2006年 37歳 井上トキ子さんの中級エアロ指導のコースに行くことに。これがきっかけとなり、エアロの指導に自信が付き、オーディションを受け、仕事を増やす。
2007年 40歳STOTTマット認定 ピラティスstudio MOMOで働き始める
2009年 42歳STOTTフル認定合格
2011年 44歳 エアロビクスができることに感謝を持ち、出来る今にがんばろうと、 ピラティスを減らし、こちらにシフト。
2012年 45歳JAFAのエグザミナーに挑戦。親友と出会う。エアロビクスが楽しくて、レギュラーも18~20本 毎日があわただしく、その中でからだを調整するのに、ピラティスが効果的だと感じた。が、エアロをやるのは今しかないと信じ、エアロをがんばっていた。
2013年 46歳5月に初リミニ。(できないと思うことをやると決めて)
メッツビジネスセミナーに参加
2014年 47歳スタジオオープン リミニ2回目
2015年 48歳 親友と決別
ピラティス学ぶために、海外へ(PMA,NY.トロント)
2016年 49歳
現在はピラティスが自分の中でムクムクといろんな意味で、割合を締めて来ている。
これが望むものなのかどうかは、別として、
人生の中で、仕事・・・ということに関して、考えを変える時期に来ていた。
そのために、メッツの梅村さんには本当に良いタイミングで出会うべくして出会ったのだと
信じています。感謝してもしきれません。
ありがとうございました。
トップレベルで仕事をしていくこと・・・
仕事を再開するとき、
これが、最初に決めたことでした。
これは、私の決心でした。今でも、おぼえています。
かならず、これをまもる。なにが、トップレベル?って?それは私が決めます。
そう、私の中で納得できる仕事がしたかったんだ・・・・
私は自分のおもったことを思い通りにしてきた。自分の力で。
人のことは何も出来ないけど、自分の思ったなりたい自分へは必ずなれる・・・
というか、なる!
他人は関係ない人だった・・・と今、感じています。
ひでこ
今は、私の人生にとって、ものすごく最高にどん底なのかもしれません。
1989年 22歳 大学卒業後 NASへ就職 一年たつか経たないかで、会社の中で働くのが性に合わないと見切り、すっぱろやめました。
どうもエアロやスイミング。。。事務作業。この事務作業がどうしても嫌いでした。あと、上司やほかのインストラクターとの関係もしんどかった。からだも酷使し、腰痛がひどく、何度もぎっくり腰に。私は、どうも、仕事は自分のペースで進めるのがいいと、フリーの道へ。
すぐに仕事はみつかったものの、ディーガム養成に行きながら、キャリアを積んでいきました。
でも、私の中にあるのは、いつか結婚して、子供を産んで家庭を作ること。
家は厳しくそうすることが女性の人生だと教えられていたので、それが当たり前でした
実際、何度もお見合いをしていました。
そんな、なか、今の主人と知り合う。特に特別な感情はなかったものの、強い押しと早く家を出たいという気持ちで、ここで思い切ってすぐ結婚。反対された中の結婚式で、質素なものでした。でも、なんとも思わなかった・・・結婚するときに実際はいろんな問題があったものの、明るい性格なのか、すぐ別れてもいいなと気軽にいました。なんとかなると・・・
1992年 24歳で結婚
家が厳しくてできなかったことをしたくて、アメリカや海外へ数回。
1995年 27歳で第一子出産
1999年 31第二子
2002年 34歳で第三子
子育てを前面に大事にし、無我夢中で育てていた。
毎日は、ハードであったが、サラリーマンの主人の将来が見えていることになんだかむなしい感覚もありつつ、家を楽しむためにパンや料理、テーブルコーディネートを習い、日々の生活を充実させ、ライブスタイルを確立しようと前向きでした。
2004年 36歳
幼稚園の友人がピラティス教室をはじめ、そこに通う。
2005年 37歳
その友人の誘いで、またエアロビクスの代行に入ることに・・・自信がなかなか持てないながらもエアロの楽しさに気づく。
その友人ともめ事があり、人間関係に幻滅し、自分のことを頑張ろうと。仕事を始める。その時に、「どうせするのなら、トップレベルで仕事をしていきたい!まわりの主婦に教える仕事ではなく、スポーツクラブで教えて、トップレベルでどんどん活躍する」と主人に宣言。
しかし、エアロは、体力的にもカリスマ性もない、流行りに付いていけないと、違う方向性に。ピラティス養成コース、ルーシーダットンのコースに参加。
ルーシーダットンで、トップを目指そうとがんばっていたのだが、利権争いや指示していた先生のいろんな変化について行けず、悩んでいた時に・・
2006年 37歳 井上トキ子さんの中級エアロ指導のコースに行くことに。これがきっかけとなり、エアロの指導に自信が付き、オーディションを受け、仕事を増やす。
2007年 40歳STOTTマット認定 ピラティスstudio MOMOで働き始める
2009年 42歳STOTTフル認定合格
2011年 44歳 エアロビクスができることに感謝を持ち、出来る今にがんばろうと、 ピラティスを減らし、こちらにシフト。
2012年 45歳JAFAのエグザミナーに挑戦。親友と出会う。エアロビクスが楽しくて、レギュラーも18~20本 毎日があわただしく、その中でからだを調整するのに、ピラティスが効果的だと感じた。が、エアロをやるのは今しかないと信じ、エアロをがんばっていた。
2013年 46歳5月に初リミニ。(できないと思うことをやると決めて)
メッツビジネスセミナーに参加
2014年 47歳スタジオオープン リミニ2回目
2015年 48歳 親友と決別
ピラティス学ぶために、海外へ(PMA,NY.トロント)
2016年 49歳
現在はピラティスが自分の中でムクムクといろんな意味で、割合を締めて来ている。
これが望むものなのかどうかは、別として、
人生の中で、仕事・・・ということに関して、考えを変える時期に来ていた。
そのために、メッツの梅村さんには本当に良いタイミングで出会うべくして出会ったのだと
信じています。感謝してもしきれません。
ありがとうございました。
トップレベルで仕事をしていくこと・・・
仕事を再開するとき、
これが、最初に決めたことでした。
これは、私の決心でした。今でも、おぼえています。
かならず、これをまもる。なにが、トップレベル?って?それは私が決めます。
そう、私の中で納得できる仕事がしたかったんだ・・・・
私は自分のおもったことを思い通りにしてきた。自分の力で。
人のことは何も出来ないけど、自分の思ったなりたい自分へは必ずなれる・・・
というか、なる!
他人は関係ない人だった・・・と今、感じています。
ひでこ