死 | ☆ 占い師・画家…人間のようなもの ☆

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画家・伝説の魔術師☆ 相馬 英樹 の愉快な毎日♪

どうも、相馬英樹と言う名の神様です。

知らない人は知らない神様なので、自己紹介しときます。

私の神様としての役割をゆるっと説明すると、『死』を司る神様、所謂、『死神』です。 

2022年近影です。
53歳で、魚釣りとか好きなオッサン死神です。

今回は『死』について、死神である私が思うところをまとめて、というか覚書というか…

何ちゅうか本中華…

明日の私自身の糧になるかどうかはともかく…書き残しておこうと思います。

あなたたち人類の生活の中で、どんなに目を逸らそうとしたって、死ぬまで追いかけてくる『死』。

『死』というのは、私達の生活とは切っても切りきれないテーマであり、生きれいれば、必ずぶち当たる壁である訳です。

さて、質問です。

あなたが生まれた瞬間、何が始まりましたか?















そうです。













『死』へのカウントダウンです。

『死ぬ』と『生きる』は同義語です。

『死ぬ』の対義語は『死なない』です。

わかりますか?

やれやれ、単なる人類にとっては甚だ面倒臭いお話しで申し訳ありませんm(_ _)m 

が私のような神様にしてみれば、ごくごく普通〜のお話でございます。

…死…それは現象であり、結末であり、結論、終わりであると同時に、

経緯であり、段階であり、時には、そこから始まる何かがあるかも知れません。

まあ、そもそも生きていると誤解している人類が『死』について考えるなんて言うこと自体、本来はナンセンスなのであります。

アタマの悪い人々に言わせれば
そんな事を考えている暇があったら…

ちゃんと勉強しなさい。
ちゃんと働きなさい。
お役目を果たしなさい。
時間がもったいないから、別のことに使いなさい。
…だそうでございます。

クソ喰らえでございます。

(※今更ですが、この文章はフィクションです。) 

たしかに『死』について考えても、思考の中では何の答えも出ず、解析したところでどこにも辿り着きやしないことぐらい、死神である私も熟知しています。

そもそも『生きる』ということ自体が、当たり前のようでいて、決してそう容易いことではないのも熟知しています。

私は死神である前に神様なので、そういう単なる人類の感性はちょっと良くわからないんですが、自分が一所懸命ガンバってる時に、ダラダラしてるやつだとか、脳天気で場違いな行為で邪魔したりするとイライラする感覚ってあります?

その感じに似てます。

人類にとっては、それぞれが自分なりに生きてるだけで十分大変な中で、段階としてまだ迎えていない『死』と向き合う余裕を持て余している事自体が、目障りなのでしょう。

でも逆に私には、多くの人類が人生の中で躓く金や人間関係・家庭環境・家族関係などといった諸問題については、それが問題であると認識をすることも理解することも甚だ難しい訳です。

そんな人が言うことは私にとっては相馬の耳に念仏、どうでも良い陳腐で次元の低いテーマなのです。

そんなくだらない事で悩んでる暇があったらカニでも喰ってプールで泳いでなさい。

と言うしかないのです。

さて、前置きはこの位にして、さっそく本題の『死』について語りましょうか。

つまりは『死』だなんて言う面倒なテーマを出してしまい、こうして真正面から向き合ってみようとしている訳ですが…

そうすると『死』は、たちまち幻想や誤解、難題や憧憬へと姿を変え、それをどうにか解析しようとする私の精神を揺さぶり、フリーズさせてしまうのです。

あれ〜?

またいつもの持病が…

これは『死』の死業(しわざ)ではなく、私という死神一個人の中で起こっている事です。

う〜む何だか書いてる途中でどうでも良くなってきたぞ〜面倒くさくなってきたぞ〜眠くなってきたぞ〜どうする〜どうしよう〜

すまぬm(_ _)m

寝るぞ〜。

じゃあねばいP〜おやすみ。