筒井城が築かれた時期は不明であるが、

筒井城は近鉄橿原線の筒井駅より東北に位置していた。

比較的規模が大きく、筒井の集落を囲む形で筒井城があった。

残念ながら筒井城は、織田信長の命令で取壊しされてしまっている。


大和の盆地では平城ながら、目立つ城であった。

その主である筒井氏は大神神社の大神氏の一族といわれている。

戦国時代に入ると興福寺の勢力が衰退とともに台頭してきた

豪族であった。城主筒井順昭はこのとき、越智氏や木沢氏を破り、

筒井家の全盛期といっても良い時期であった。


奈良盆地はその地形的特徴から夏は非常に蒸し暑く、

冬は底冷えする寒さである。

道龍が順昭に目通りを許されたのは暑い夏の日であった。


順昭の印象は若くてひ弱な僧、そんな武将らしからぬ

イメージであった。この手で本当に殺生をしたのか、

信じられぬ思いであった。


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「この度は大儀である。余に帰順を申し出ているようだな。」

「はっ、片岡郷の奥平弥次郎泰政でございます。

拙僧も御旗下にお加えいただきたく、

お目通りをお願いしたしだいでございます。」

「ふむ、帰順することは喜ばしいことであるが、

そちが越智や木沢の一党でないことをどう証明するか」

(こやつはわしを試しておるな…、さぁどうしたものか)

「どうした、答えぬか」

「ははっ」

「昨今、風の噂で聞いた話では木沢の残党どもが、

近隣の村々を襲っているようじゃ、それには民も困っているようじゃ。

わしの権威にも傷がつくというものじゃ」

「は、では恐れながらお許しをいただければ

木沢氏の残党共を拙僧の配下ともども討ち滅ぼしたく思います。

その件にて身の潔白を証明したく、如何でございましょうか」

「好之、如何かな」

順昭は側に控えていた森好之に問うた。

後に島清興や松倉重春らとともに「筒井の三家老」と呼ばれた一人である。

「泰政よ、主の忠誠の証を確認すべく、当方の手のものを送るが

よろしいかな。如何でございましょうか、御館様」

「ふむ、では津川景時にその役目を任せよう、よい泰政」

「ははっ」

(なかなか、厄介なことになりそうじゃて…、政忠に相談するかの)


片岡郷にて、

「政忠、思っていたより宮仕えは大変じゃぞ、どうじゃ、木沢の残党の動きは」

「はっ、木沢の残党どもは信貴山の麓である王寺近辺に居を構えているようです」

「人数は」

「百人程度かと」

「百人…、思っていたより多いな。数では勝てぬか…」

「一知恵要りますな」

「そうよな」

物思いにふける道龍の考えを打ち切るように

赤子の泣き声が響いた。

「元気でございますな、さすがは殿の御子でございます」

「虎丸(道龍の嫡男、後の泰方)か、元気なことは心強いわ、

あやつが元服するまでにはわしもひとかどの武将になりたいものじゃ」

「ははっ、まだ商売人の気が抜けませんからな、若旦那は」

「若旦那はやめよ」、道龍は苦笑いした。


さて、その晩、主従は夜通しで議論することになる…


第三話:主従の考え 」に続く


1Q84 BOOK 1

一面が青緑で緑の海に囲まれた地に人々の営みを見ることができた。

「美しいな」、壮年といっていい男は言った。

「確かに美しい土地です、京にはない美しさがありますな」と青年は答えた。

現在の大阪府と奈良県の県境にある信貴山の山頂に彼らはいた。


壮年の男の名は奥平弥次郎泰政、

今は出家して奥平道龍と周囲には名乗っている。

元々は近江の出、とも京の生まれとも言われるが

実際のところは本人もわかっていない。

年のころ、十五を越えた頃には生家の商売を助けるために、

各地を諸方するようになった。

そのとき、出会ったのがこの青年、岡部政忠であった。

当時は青年ではなく、少年と言っていい年であった。

彼の生まれた村は甲賀にあり、忍術を生業としていたが、

その村が敵対する勢力に攻められ、彼の両親や兄弟も殺され、

追われていたところを道龍に助けられた。

行く当てを失った政忠は道龍に仕えるようになった。


商人の次男として生まれた道龍は商売よりも剣術に興味をもち、

いつしか一端の剣術使いとなった。

襲われていた政忠を救ったのもこの剣術のおかげである。

瞬く間に襲撃者であった忍者三人を切って捨てた。


「後悔しているか、私についてきて?」、道龍はいった。

「ははは、若旦那様には商人は似合いませんや」

「わしは夢を見たいのじゃよ、自分の力でな」

「…」

「いつかきっと、この地をわしの都にする」

道龍は商人の暮らしに飽き足りず、戦国の世に生まれた漢として

夢をみるようになった。

主従、二人とも無言で山を下り、大和(現奈良県)に入った。


代々の大和の守護は興福寺が務めるようになっていたが、

応仁の乱の頃から、筒井家が台頭するようになった。

兄弟で争った畠山家の争いが大和の国人衆も二つに分かれて、

争うようになった。

筒井家は筒井城を地盤に越智氏や十市、箸尾、木沢、柳本氏と

大和の覇権争いをしていた。

1545年に十市遠忠が死去すると筒井順昭の大和の制圧に成功する。


彼ら主従が大和に入ったころはこの頃であった。

主従はかつて、聖徳太子の牧場があった地といわれる

片岡のあたりに居を構えて、田畑を耕すようになった。


最初は主従二人の生活であったが、

もともとの商才で吉野の薬を販売したり、

京の特産品を大和でうるなど、

瞬く間に財を築くようになり、50人ほどの家来をもつようになった。


国盗りの地盤は固まったことに道龍は満足していた。


第二話:筒井家への帰順 」に続く


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意外かもしれませんが、

日本製の子会社に「四国コカ・コーラボトリング」が

あります。


当時の飲料の販売形態は自販機販売で、

その設置は会社同士のお付き合いや顔の広い人間との

人脈が最も重要です。

そのため、いわゆる名士とされるような企業が

飲料会社を所有している場合があります。


昭和38年に四国コカ・コーラは十條製紙株式会社

(現日本製紙)の多角化事業の一環として

四国飲料株式会社として100%子会社として誕生しました。

東証2部、東証1部へと上場する中で

持ち株比率は54.93%となっていました。


しかし、昨今の四国地方の消費低迷によって、

収益が悪化したため、日本製紙の100%として、

事業へのテコ入れを実施することがきまりました。


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 日本製紙グループ本社は15日、東証1部上場の

四国コカ・コーラボトリングを10月1日付で完全子会社化する

と発表した。四国地区の清涼飲料の消費低迷などで収益が

悪化しており、日本製紙グループ本社が経営をテコ入れする。


 事業会社の日本製紙が保有する四国コカ株54.93%を

持ち株会社である日本製紙グループ本社が18日付で

取得する。10月1日付で四国コカ株の残り45.07%

を株式交換方式で取得し、完全子会社化する。

 四国コカの普通株1株に対し日本製紙グループ本社の

普通株0.39株を割り当てる。四国コカは9月25日付で

上場廃止になる見通し。四国コカは08年12月期の

連結売上高が543億円、純利益は1億4500万円だった。

(NIKKEI NETより)

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日本製紙:2330円(2009/7/10)

四国コカ:918円(2009/7/10)


両社の株価価格を見極め、

上手く利ざやを稼げるかどうかがカギですね。


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