4/19は、旧東海道を歩いてきました
今回は、浜松宿から見付宿までの東へ向かう旅
いつもは、2区間くらい歩くんですけど、今回の浜松宿から見付宿までは、約15キロ
東海道の宿場間は、大体10キロ弱が多いんですけど、さすがに1区間で15キロは長い距離なので、2区間はやめて、無理せず1区間だけにしました
前回の終了地のファミマからスタート
ファミマの前の道を西に進むと、馬込橋があり、
その先に、木戸東門跡があったので、正確には、この辺までが浜松宿みたいです
東海道を歩き、
しばらくすると、馬込一里塚跡がありました
真っすぐ東海道を歩いて行くと、左手に鳥居がありました
ごしん表参道と書いてあるけど、「ごしん」ってどんな意味なんだ?
すぐそこに神社があるのかと思いきや、結構遠い
10分くらい歩いた所に、蒲神明宮(かばしんめいぐう)がありました
伊勢神宮の様に、内宮と外宮があります
こちらが内宮
そして、こちらが外宮
この外宮の鳥居、伊勢神宮別宮の月讀宮(つきよみのみや)から拝領された鳥居みたいです
蒲神明宮の御朱印
蒲神明宮を後にして、東海道へ戻り、しばらく歩くと、子安神社(こやすじんじゃ)があります
この交差点を右に曲がると、
今度は、六所神社(ろくしょじんじゃ)がありました
松並木が並んでる道を歩いて行くと、
八柱神社(やはしらじんじゃ)があります
この道を右に曲がり、
すぐの場所に、安間一里塚跡がありました
ずーっと真っすぐ道を歩いて行くと、突き当りに神社があるのですが、
この辺りは中野町というみたいで、東海道の丁度真ん中にある事から、その名がついたと云われています
突き当りの神社は、六所神社(ろくしょじんじゃ)です
この六所神社の横に階段があり、
階段を上がって行くと、天竜川に出たー!
昔は、船で渡ってたみたいですが、明治天皇がここを渡る時、船を並べて、その上に板を並べて渡られたそうです
この近くには、明治天皇が休憩されたという場所が残っていました
せっかくなので、河川敷を下りて、天竜川の近くまで行ってみます
川幅が広いですねー
今から向こうまで橋を渡って行きます
アーチ状の橋を渡るのかを思いきや、隣にも橋がある
アーチ状の橋は、天竜川橋といい、車専用の橋みたい
隣の橋は、新天竜川橋といって、歩行者も歩けます
先が見えない
天竜川の中心辺りに、こんな物が…
浜松東警察署管轄と磐田警察管轄の境界線
という事は、磐田市に入りました~
こういう橋の上で、警察の管轄が分かれてるのを見ると、踊る大捜査線で、川の上に死体が浮かんでる時に、対岸の管轄同士で、「そっちの管轄だ」とか言いながら、長い棒で死体を突っついて譲り合いをしてたのを思い出す
ちなみに、この天竜川辺りで、東海道の丁度真ん中らしい
もし京都からちゃんと歩いて来てたら、半分終わった頃なんですねー
約1キロの橋を渡り切り、河川敷を川上の方へ行くと、天竜川渡船場跡の石碑がありました
【その2】へ続く…