旧東海道を歩く(四日市宿→石薬師宿→庄野宿)【その1】 | まのっちゃお! season3

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真野恵里菜&カントリー・ガールズ&神社巡りが大好きブログ

去年の11/3は、旧東海道を歩いてきました

 

今回は、三重県の四日市宿から庄野宿まで、西へ進む旅

 

 

まず、四日市宿の近くにある、諏訪神社からスタート

 

 

旅の安全を祈って、先へ進みます

 

 

諏訪神社の前にあるアーケード街

 

四日市宿から、東海道はアーケード街を進みます

 

 

朝早いからか、ほとんど人がいませんねー

 

アーケード街を真っすぐ歩いて行くと、大通りに出ます

 

 

ホントは真っすぐ行きたいところですけど、横断歩道がないので迂回

 

 

って事で、アーケード街から真っすぐ続く道に合流

 

 

しばらくすると、大宮神明社(おおみやしんめいしゃ)や、

 

 

日永神社(ひながじんじゃ)がありました

 

 

そして、この日永神社には、追分道標というのがあります

 

 

この先に、日永の追分という、東海道と伊勢街道の分かれ道があるんですけど、その日永の追分に立てられてた道標みたいです

 

 

近くには、日永一里塚跡がありました

 

 

しばらく歩くと、大きな松の木があります

 

 

東海道名残りの一本松というそうです

 

 

そして、道なりに真っすぐ進んで行くと、国道1号線に出て、

 

 

1号線を歩いて行くと、鳥居が見えました!

 

 

ここが、先ほど説明した日永の追分

 

 

ここが、東海道と伊勢街道との分かれ道になってます

 

道標も立っており、「右京大阪道」「左いせ神宮道」、

 

 

「すく江戸道」と書かれています

 

 

いつか、伊勢街道を歩いて、伊勢神宮まで行ってみたいですねー

 

ここには、お水取りができる場所があり、水を汲んでる人が後を絶ちませんでした

 

ちょっとの隙をついて、写真撮影カメラキラキラ

 

 

日永の追分を後にして、東海道を歩いて行きます

 

 

すぐに分かれ道があり、アプリによると、この辺りに、「日永まんじゅう」という名物を売る店があったそうなんですけど、ネットによると、何年か前に廃業しており、現在は買えなくなっちゃいました汗

 

 

この建物だったのかな~という建物が、現在は英会話教室(だった記憶)になってました

 

もっと早く来てれば食べれたのに~と思いながら、道を左に曲がります

 

 

旧道って、めっちゃ道が細いあせる

 

 

しばらくすると、小古曽神社(おごそじんじゃ)がありました

 

 

道なりに進み、右へ曲がり、左に曲がります

 

 

すると、堤防が見えました

 

 

昔はここから真っすぐ橋が架かってたみたいです

 

 

って事で、古地図アプリを使ってみると…

 

 

赤が現在の場所、黄色が今の国道1号線、青が旧東海道

 

100年ほど前までは、昔の橋が残ってたんですねー

 

すぐ横の、現在の橋を渡って行きます…けど、

 

 

橋の向こう側に行きたいので、地下道を通って、反対側に出ます

 

 

橋の左側を歩いて行くと、スギ薬局が見えます

 

 

このスギ薬局から、左に曲がります

 

 

すると、杖衝坂の看板がありました

 

 

道なりに進むと、また杖衝坂の看板があり、左に曲がります

 

 

そして、ここが杖衝坂

 

 

写真じゃ分かりづらいけど、めっちゃ急な坂ガーン

 

 

倭建命(ヤマトタケルノミコト)が、東征から帰る途中、「私の足はもう、三重のまがり餅の様に腫れあがってしまい、ひどく疲れてしまった」と言って杖を衝いて歩いたそうです

 

この事から、三重県という名前が付いたと云われてるそう※諸説あり

 

ここは、以前来たことがあります

 

以前の記事はコチラ

 

松尾芭蕉も、旅の途中で落馬しちゃったんだとかびっくり

 

で、この坂が何度あるのか調べたくなって、急きょ角度が測れるアプリを入れて測ってみました

 

すると…

 

 

13.6度!

 

まぁ、この角度がどれだけ急なのか、基準がよくわからないけど、とにかくすごい道です

 

 

杖衝坂を上がると、倭建命が足の止血をしたという場所、血塚社(ちづかしゃ)がありました

 

 

そして、近くには、采女(うめね)一里塚跡があります…が、

 

 

石碑は、この先のガソリンスタンドの横に立てられてるみたい

 

で、先へ進み、1号線のガソリンスタンドの横を見ると…あった!

 

 

この道、何十回も車で走ってますけど、全然気づかなかったあせる

 

 

そして、1号線沿いに、豊富稲荷神社(とよとみいなりじんじゃ)があったのも、今まで全然気づかなかったですダウンダウン

 

 

豊富稲荷神社をあとにして、1号線をずーっと歩いて行くと、鈴鹿市に入り、ここから1号線を外れて左に曲がります

 

 

が、すぐ1号線に合流

 

 

ここを1号線の向こう側に進みたいんですけど、横断歩道がないので、近くの地下道を歩いて反対側に出ます

 

 

1号線を歩いて行くと、すぐ分かれ道があり、ここを右に曲がって1号線を外れます

 

 

ここを右に曲がると、江戸から数えて44番目の宿場、石薬師宿に到着アップアップ

 

 

石薬師は、歌人の佐佐木信綱(ササキノブツナ)の出身地なんだそうで、道には、ずーっと佐佐木信綱の短歌が掲示されてました

 

 

昔ながらの家も残っています

 

 

途中、鳥居があったので先へ進んでみると、

 

 

大木神社(おおきじんじゃ)がありました


 

大木神社の近くには、本陣跡があります

 

 

そして、しばらく歩いて行くと、南町橋という橋の跡がありました

 

 

近くの説明を見て見ると、「徳川家康の思案橋」と書いてある

 

 

徳川家康は、明智光秀が本能寺の変を起こしたことを知り、三河へ一旦帰ろうとしていた時、この橋の上で、どうやったら三河へ安全に着けるのか?と考えた橋みたいです

 

 

先へ進むと、擬宝珠(ぎぼし)のある橋がありまして、

 

 

この下を1号線が走ってます

 

 

橋を渡ると、石薬師寺の案内板があり、

 

 

坂を下って行くと、石薬師寺がありました

 

 

元々、石薬師宿は、昔は高富村と言っていたそうで、高富山瑠璃光寺石薬師寺から名前を取って、石薬師宿となり、お寺の名前も、西福寺(さいふくじ)から石薬師寺になったそうです

 

 

 

そして、歌川広重が書いた浮世絵に、この石薬師寺が描かれています

 

 

同じような構図で撮ってみたカメラキラキラ

 

 

近くには、御曹子社(おんぞうししゃ)があります

 

 

石薬師寺の辺りで、石薬師宿は終わりです

 

 

【その2】へ続く…