日本武尊の死の彷徨ルート巡り【その2】 | まのっちゃお! season3

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当芸野の次は、海津市の『杖つき坂』




当芸野からここまで歩いてきた日本武尊は、急な坂道に出くわしてしまい、杖をつかないと上れない坂だったので、坂の名前が杖つき坂となったそうです


現在は、坂を上って行くと民家になってます



次に向かったのが、多度町の『尾津』


この尾津という場所、かつて東征の途中で食事をした時に、一本松に立てかけた太刀を忘れてしまったのですが、再び戻って来ると、そのまま太刀が残っていた…という場所


その時、日本武尊は『尾張に 直に向へる 一つ松あはれ 一つ松 人にありせば 衣著せましを 太刀佩けましを』という歌を詠んだそうです


で、その太刀を忘れた場所の候補地が、なんと3ヶ所もあるそうで、とりあえず全部行ってみることに…


まず、小山地区にある尾津神社



次に、戸津地区にある尾津神社



次に、草薙神社(尾津神社)



実は、小山地区と戸津地区の尾津神社には、それらしい事が書いてある物がなく、ごく普通の神社だったんですけど、この草薙神社にはそれらしい事が書いてあるんですひらめき電球



日本武尊尾津前御遺跡と書いてある


さらに、鳥居の左右にはこんな石碑がひらめき電球




さらに、境内に入ってみると、太刀を立てかけてたという松が残ってました




網戸がさてれてて、中がよく見えなかったんですけど、確かに枯れ果てた木がありました



3つの候補地…


素人目で見ると、ここが一番それらしい気がしますけど…一体どこなんでしょうねぇ


それぞれの神社の詳しいレポートは、また後日…



次に向かったのが、四日市市にある『杖衝坂』





ここも海津市の杖つき坂と同じように、杖をついて歩かないと上れないような急な坂道になっているので、名前が杖衝坂となったそうです


実際上ってみると、確かにかなり急な坂道あせる


松尾芭蕉も、ここで落馬したんだとか



一般的には、海津市より、こっちの杖衝坂の方が有名らしい



この杖衝坂を上りきった場所に、『血塚社』というのがあります



日本武尊は、ここで足の出血を封じたそうです


鳥居をくぐると、祠がありました



この杖衝坂辺りは、東海道になってるみたいです



つづく…