龍野神社の次は、野見宿禰神社(のみのすくねじんじゃ)に行ってきました
龍野神社の隣にある神社です
ちょっと薄暗く、狭い山道を歩いて行きます
途中には、力水というのがありました
この神社の御祭神は、相撲の神様と呼ばれており、数々の力士がここを訪れ、ここで身を清めていったんだと思います
ちなみに、ここにある「力水」と刻まれた石は、第44代横綱栃錦の直筆だそうです
水を飲むと力が湧いてくるのか?と思いきや、飲めません
しばらく山を登ると、鳥居があり、
更に登って行くと、
休憩所というか、展望台というか、そんな場所に着きました
ここには、こんな看板がありまして、
童謡の『赤とんぼ』って、兵庫県揖保郡龍野町(現在のたつの市)出身の三木露風(ミキロフウ)が作詞したそうなんですけど、全然知りませんでした
そして、展望台をあとにして参道を歩いて行くと…
めっちゃ急な階段が
ここまででも、結構な山道歩いて来たのに
でも、鳥居が見えるので、これが最後!頑張って登りますよ~
途中、芸妓の玉垣と書かれた場所がありまして、
この階段の玉垣を見てみると、
いろんなおねえさんの名前が刻まれています
たくさんの芸妓さんが、お金を出し合って奉納したんでしょうねぇ
そして、階段を上がりきると、鳥居…の中に扉が付いてる場所に到着
こちらの扉の中にある紋章は、出雲大社の宮司さんを務める千家氏の家紋なんだそうです
どうやらこの場所、小高い山の山頂になってるみたいで、周りを歩いて行く事ができます
ちなみに、周りには、多くの力士の玉垣があるのですが、パッと見、知ってるのが大砲だけでした
そして、正面からは見えなかったのですが、扉が付いている鳥居の後ろに、野見宿禰神社の本殿がありました
御祭神は、野見宿禰(ノミノスクネ)
垂仁天皇(スイニンテンノウ)の命により当麻蹴速(タイマノケハヤ)と日本で一番最初に相撲をし、相撲の神様と呼ばれており、朝廷に仕えていた野見宿禰が、出雲国に帰る途中に、この地で亡くなったと云われてるそうです
その死の知られを報じられた出雲の人々がこの地を訪れ、河原の石でお墓を作り、その石を運ぶ時に、たくさんの人が「野に立つ」姿から、「立野」と呼ぶようになり、この地名の「龍野」になったと伝わります