6/12は、名古屋市緑区の桶狭間神明社(おけはざましんめいしゃ)に行ってきました
鳥居をくぐり、坂道を上りると、
境内の中央に、神楽殿があり、
神楽殿の奥には、拝殿と本殿があります
御祭神は、天照大御神(アマテラスオオミカミ)
桶狭間という場所は、1340年代の南朝の落武者によって開拓されたと伝わり、桶狭間神明社は、その人たちの心のよりどころとして創建されたそうです
桶狭間といえば、桶狭間の戦いですけど、今川義元(イマガワトシモト)の家臣、瀬名氏俊(セナウジトシ)が先勝祈願をした時、奉納した酒樽が、神社のお宝として保存されてるんだとか…
また、拝殿の前には、尾張4代藩主の徳川吉通(トクガワヨシミチ)が知多巡幸の時植えた杉の枯木があります
境内には、境内社がありました
他に、境内には、盃状石(はいじょうせき)という、盃の形をした石があり、
説明文が見えなくなってますけど、再生や不滅のシンボルとして作られてるみたいです
そして、桶狭間の戦いの中心地となった場所が、ここから歩いて行けるみたいなので行ってみました
徒歩5分ほどの場所にある、桶狭間古戦場公園
この公園、おけはざま山の本陣から追われた今川義元が、服部小平太(ハットリコエヘイタ)と毛利新介(モウリシンスケ)によって打ち取られた最期の地と云われてるそうです
なので、公園内には、今川義元のお墓があります…けど、本当のお墓なんだろうか?
公園内は、風雑な形をしており、
どういう公園?と思ってよく見たら、桶狭間の戦いの場面をジオラマ化してるそうで、
公園内を散策すると、桶狭間の戦いをプチ体験することができます
公園の隅に、義元公首洗いの泉というのがありました
織田軍に攻められ、討ち死にじた今川義元の首を、この泉で洗ったと云われてるそうです
その泉って、これっぽいけど、1986年まで湧き出ていました、って書いてあるって事は、現在はもうないのかな?
この泉は、人工的に流してるんですかね?
そして、湧き出る水の勢いで、水汲みの桶がクルクル回っている様子を見て、桶廻間(おけはざま)と呼ぶようになり、現在の桶狭間という名前になったそうです