豊受大神社の次は、皇大神社(こうたいじんじゃ)に行ってきました
元伊勢三社の一つで、元伊勢内宮とも呼ばれているそうです
社号標のある階段を上ると、すぐ鳥居があります
鳥居をくぐり、長い階段を上って、
しばらくすると、参道の中央に、麻呂子(まろこ)スギと呼ばれる杉の木がありました
『聖徳太子の御弟(おとうご)麻呂子親王が、丹後国与謝郡河守庄三上嶽(たんごのくによさぐんかわもりみうけがたけ)に棲む英呉(あご)、軽足(かるあし)、土熊(つちぐま)という3人の凶賊を追討された時に、当社に詣でて御手植えになったのが3本杉といわれています。もとは3本杉でしたが、落雷等で枯死し、今は1本となっています。』【皇大神社公式HPより】
ちなみに、この話は、『麻呂子親王の鬼退治』という鬼伝説になっているみたいです
さらに階段を上って行くと、しめ縄がされている池があります
さらにさらに階段を上って行くと、御門神社(みかどじんじゃ)があり、
その横には、『カネのなる石』というのがありました
小さい石で、平べったい石を叩くと、甲高い音が鳴ります( ゚Д゚)
この近くに、古墳のような小高い山がありました
参道に戻り、奥へ進むと、黒木の鳥居があり、
鳥居をくぐると、拝殿と本殿があります
御祭神は、天照皇大神(アマテラススメオオミカミ)
『伝承によれば、第10代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまでお祀りされていた倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)をお出になったといわれます。まず最初に但波(丹波)へお遷りなり、そのご由緒により当社が創建されたと伝えられています。皇大神は、当地に4年お祀りの後、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(西暦紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになりました。』【皇大神社公式HPより】
拝殿の左右には、脇宮と呼ばれる社殿があり、右側には、天手力雄命(アメノタヂカラオノミコト)が祀られ、
左側には、栲機千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト)が祀られています
他にも、本殿を囲むように、たくさんの境内社がありました
中でも、ひと際立派な岩長姫命社(イワナガビメノミコトシャ)や、
ちょっと離れた場所に、天龍八岐龍神社(てんりゅうやちまたりゅうじんじゃ)がありました
全部で、80以上の境内社があるみたい
他に、神楽殿もありました
龍灯(りゅうとう)の杉と呼ばれる御神木
なんと!樹齢2000年!
皇大神社の御朱印