三宅八幡宮の次は、崇道神社(すどうじんじゃ)に行ってきました
一の鳥居の横には、伊多太神社(いたたじんじゃ)の社号標と、
太政官ナントカ…小野毛人ナントカ…と書かれた石碑がありました
小野毛人(オノノエミシ)とは、天武朝の官僚で、遣隋使の小野妹子(オノノイモコ)の子
その小野毛人のお墓が境内で発見され、墓誌は国宝に指定されてるそうです
っていうか、天武朝って何?
一の鳥居をくぐり、長ーい参道を歩いて、
二の鳥居があり、
続いて、三の鳥居
階段を上がると、
拝殿と本殿があります
御祭神は、早良親王(サワラシンノウ)
785年、早良親王は、藤原種継(フジワラノタネツグ)の暗殺事件の首謀者として逮捕され、淡路に流される途中、無実を主張しながらも絶食死。その後、都に悪疫が流行し、早良親王の祟りと噂され、その怨霊を鎮める為に、崇道神社が創建されたそうです
境内には、社号標にもあった、伊多太神社がありました
御祭神は、伊多太大明神(イタタダイミョウジン)
上高野最古の神社と伝わるそうです
他に、小野妹子と小野毛人が祀られてる小野神社(おのじんじゃ)
この小野神社の横に、行者の滝があり、
その横に、小野毛人のお墓に行ける道がありました
行ってみようと思ったけど…
その他にも境内社がありました
参道の途中に、五味藤九郎(ゴミトウクロウ)の碑というのがありまして、
どんな人かと調べたら、高野村への水路を作って、農業の発展や住民の生活に多大な恩恵をもたらした偉人だそうです
崇道神社の御朱印