蕎麦は、蕎麦切り(現在のように細長く切って食べるようになったのは江戸の頃から)で食べるようになる以前は、蕎麦がきとして食していたんですよ。


今でも時々田舎のお爺ちゃんやお婆ちゃんなどが食しているのを見かけるが、蕎麦粉に熱湯をかけ混ぜ合わせねりあげた素朴な蕎麦がきを、生醤油、味噌などで食したようで、中には釜あげにし、団子や、木の葉のように成形し鴨汁などセレブに食したりもしたようですよ、、、。


蕎麦きりは、江戸末期の明治初年の頂点には、藪そば系、一茶庵系、永坂更科系が君臨していたようです。


それぞれ、蕎麦の挽き方、汁(つゆ)のあんばい、薬味、猪口(ちょこ)、蕎麦の盛り方、それぞれ工夫され仕事をしていたの。
だからこそユンケル代わりに食した職人たちは、仕事をしているお店には敬意を払い食した筈です。


そばがユンケル代わり?


出職(でしょく)、つまり出かけていって仕事をする職人さんは、午後の3時に仕事を終えて、帰ってから風呂屋で一風呂浴びて、さあ、ちょっと可愛いあののところへ妓遊びに行こうか?というときに食する、いわば精力剤のようなものだったのです。




生粋の江戸育ちが語る江戸のよもやま話-蕎麦




さて“でぇく(大工)の留さん”の行動パーターンを一席伺います。


出職の職人さんたちは、出かけた先の職場で朝食、十時のお茶、昼食、三時の“お八つ”、(八とは、午後の3時頃のことです)をいただいてその日の仕事は終わり。


棟割り長屋1DKの我が家に帰っても待っている女(ひと)もいない、、、


「ひっと風呂浴びて、中(吉原)へでも行こうか?」


「ああサッパリした、、、」あいつが「おまえさん」なんて首永く~して待ってるにちげねぇ、、、
グズグズしちゃぁいられねぇ、、、鮨でも二、三貫つまんで素っ飛んでいっこっと、、、


行くと「おまえさん、随分とお見限りじゃない。脇にイイ子でも出来たのかい?悔しいね。」なんて
俺の腿のあたりをツネルヨ、、、てな具合にモテるように観音さんにお賽銭上げて、、、と、


「あの野郎俺に、ぞっこんにちげえねぇ、、、(独り言)」なんちゃって、、、


客は来もせでまた来ると云い、、、嘘と嘘との化かし合い、、、


まことに俗な色里のお噂もちょうど時間となりました、、、またのご縁を楽しみに、、、















本日訪れた店は、初めてのお店。
横浜は元町の日本茶専門店、茶倉(さくら)。

玉露、煎茶、ほうじ茶、玄米茶、抹茶がそろっている。

今回いただいたのは手焼きほうじ茶の和菓子セット。

ほうじ茶ってのは、自分で簡単に作れる。

基本は茎茶だが、煎茶でも番茶でもなんでもいい。
もらったお茶でしまいっぱなしでそのままになってるお茶を取り出してきてもいいね。

自分の飲む1杯分を、フライパンで弱火で炒る。本当は焙烙(ほうろく)という茶器を使うんだが、そんなのなくても手持ちのフライパンでOK。できればお茶を炒る専用の小さなフライパンをひとつ用意しておくとなおいいね。

部屋中にほうじ茶の香ばしい香りが満ちてくる。変な芳香剤よりよっぽどいい香りだな。

そして炒りたてのほうじ茶の香りもまた格別。
炒りたてのあつあつに湯をそそいでOK。

お客様へのおもてなしにも、大変喜ばれる。


最初は煎茶とともに、お饅頭を出して。

その後炒りたてのほうじ茶と、お茶請けは何にしようかな?ってお客のことを考えながらあれこれ悩むのもまた楽しいね。



生粋の江戸育ちが語る江戸のよもやま話-茶倉


浅草の天ぷら屋と言えば大黒家。

客を客扱いしない店だが、それが浅草流。
「気に入らなかったら来なくていいよ。」ってなもんだ。

タレがしっかり染み込んだ天丼は、子供の頃から慣れ親しんだ味。
ここの天丼を最高においしく食べるにはちょっとコツがいる。

決して海老天丼なんか頼んじゃいけない。

海老、きす、かき揚げが乗った天丼、それに八丁味噌を使ったぬた、おろししょうがの乗ったとろりとしたかき玉わんをセットで頼むのが通。

普通のぬたって言うのは白味噌を使うけど、ここのは八丁味噌を使っている。
初めて出された客はぎょっとする。なんだかわからない真っ黒いものがでてきたぞと。
しかし、その日に仕入れた新鮮なまぐろとちょっとあぶったネギ、わかめが甘味のある八丁味噌とあいまってなんとも言えず天丼と合う。

そこにさっぱりとしたおろししょうがの乗ったかき玉わんをすする。

単品だけじゃ甘辛く感じる天丼も、このぬたとかき玉わんがセットになると、どんどんすすむ。


ところで八丁味噌と言えば徳川家康。
戦国武将の出身地には味噌の名産地が多いのはなぜか?
それはまた今度のお話。