おはようございます、ひでちぇろです。

本田晃一さんのブログ、いつも救われます。
皆様にもおすすめです。
自分も、自分の取説を作ってみます。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

演奏の上達について

いくつか記事を書いていくつもりです。

 

一回目の今回は、

上達の「目的」についてです。

 

演奏で上達していくと、

上達と共に目的も成長していく、

という話をしていきます。

 

 

 

ご存知の方も多いと思いますが、

心理学者アブラハム・マズローが提唱する、

「欲求の5段階説」というのがあります。

 

晩年に一つ加えて、実際は6段階です。

 

下位の欲求が満たされると、

欲求がどんどん上位に変化していきます。

箇条書きにしてみると以下の通りです。

 

1.生理的欲求

食欲、性欲、睡眠欲など、

動物としての根源的欲求です。

 

2.安全の欲求

生命の危険を回避しようとする欲求です。

 

3.所属と愛の欲求

家庭、会社など集団に属し、

そこで良好な人間関係を得たい欲求です。

 

4.承認の欲求

自分の能力などを人から認めてもらいたい、

尊敬されたいという欲求です。

 

5.自己実現の欲求

自分の世界観に基づいて、

あるべき自分であろうとする欲求です。

 

6.自己超越の欲求

見返りを求めず、自分を忘れて、

目的のみに没頭する状態です。

 

 

 

この中で、1~4の、

生理的、安全、所属、承認は、

足りないと不満が生じ、

得られたら満足して消えていくもので、

欠乏動機と分類されます。

 

5~6の、

自己実現、自己超越は、

成長動機に分類され、

 成長そのものでも満たされて、

自律的に飽くなき追求をしていく感じです。

 

欲求5段階説の話が長くなりましたが、

演奏の上達との関連について説明します。

 

1.生理的欲求と2.安全の欲求は

演奏とは関係がないので割愛します。

 

3.所属と愛の欲求は、

例えば、演奏団体に所属して、

音楽仲間がいて満足できるという状態です。

 

仲間がいないと寂しいので、

音楽仲間ができて満足できる訳です。

 

自分も、高校時代などに、

弦楽部の部活や地区の高校でのオーケストラの活動で、

生まれて初めて、

音楽関係の人脈ができて嬉しかったのを思い出します。

 

しかし、

ここで満足されている方を見かけると、

演奏上の向上心がそれほどでないことも多く、

楽しさが制限されてしまっていて、

少し残念な感じがします。

 

4.承認の欲求は、

人に認められたい、尊敬されたいという欲求です。

 

音楽でいうと、

あの人楽器がうまくてカッコイイ!

と言われたりしたい、

という欲求です。

 

自分にも、

そういうことを言われ始めた頃がありました。

 

大学2~3年生の学生オケの頃です。

この頃はそれで若干有頂天になったりして、

井の中の蛙そのものという感じでした。

 

 

そして、ここから先が、

自律的に成長する、成長動機の領域です。

 

5.自己実現の欲求、

 

自分の場合は、

20代後半に、

バッハの無伴奏チェロ曲を録音しては、

自分で聴いて演奏を向上させようとしていた頃が、

該当するかもしれません。

人にどう言われるか関係なく、

ひたすら「音楽」を

より深く表現したい気持ちだけで弾いていました。

 

6.自己超越の欲求は、

さすがに自分の中に経験がありません。

巨匠と呼ばれる方々の世界でしょう。

音楽の神を体現したかのような状態ですね。

チェリストでいえば、

カザルスとかロストロポービッチのような

レベルかと思います。

 

こんなふうに、

演奏レベルの上達に合わせて、

欲求の段階=目的もレベルが上がって行きます。

 

 

 

ここで、

欲求の段階が上がって、目的も成長する

と言ったときの「成長」とは、

どんなものでしょうか。

 

私がこのブログを書くにあたって、

 

神は成長と愛を感じる為に、

自分を分離させて宇宙を創った、

 

ということを大前提としています。

 

これに照らし合わせると、

 

神の愛を理解する方向で

本当に成長していたら、

 

幸せと感じると思います。

 

 

上達の方向が存在理由に

かなっているということです。

 

かすかな、幸せ感を道しるべに、

日々練習を積み上げですね!

 

 

上達と共に目的も成長する話でした。

 

それでは。

こんばんは、ひでちぇろです。

今日は、題名の通り、代理のチェロトップで、
マーラーの7番を弾いてきました。

やはり、テンポがしっかりせず、
先走ってしまう人が多かったですね。

曲の世界観、重みとかを
しっかり自分の中にインストールできてない音が、
あちこちから聴こえました。
まだ練習不足かもしれません。

自分は余裕ができてきたので、
トップ席から、
自分の音楽を発信しまくって、
非常に楽しかったです。

やはり、オーケストラの、
音の洪水の中に身を置くのは楽しいですね。

写真はFBで自分の後ろ姿がアップされていたので、
切り取ってきたものです。


それでは。




ようこそ、ひでちぇろブログへ。

 

 

今回は、

 

恋愛と音楽は似ている、

「恋愛を音楽に生かそう」

です。

 

恋愛で見た大事なものが、

音楽に生かせるんじゃないかという話です。

(一度書いてみたいテーマでした)

 

 

恋愛とは、

動物としての人間に天から与えられた、

子孫繁栄プログラムです。

 

人間の恋愛の場合は、

これに加えて、

彼岸を思い出す回路が含まれています。

 

彼岸を思い出すというのは、

 

分離された自我が、

神と一体だった頃を思い出し、

また神と一体になりたいと思うことです。

 

 

 

音楽もまた、

彼岸を思い出す回路であり、

プログラムです。

 

この「彼岸を思い出す」部分が、

恋愛と音楽が共通するポイントです。

 

この両者は、

寂しい自我の孤独を解決しそうな何か、

を持っています。

 

そして、この感情と上手く付き合って行動できれば、

より物事をうまく運べます。

 

図式的に書くと、

 

異性

↓ 

好きという感情 

感情の向こうに大切な何かを感じる

↓ 

行動

↓ 

結果

最初に戻る

 

の繰り返しです。

 

音楽でも、

 

音楽

音楽が心地よい

その向こうに大切な何か

行動(演奏、聴く)

結果

最初に戻る

 

 

と、

 

感情だけでなく、

「大切な何か」を感じながら行動するのが特徴です。

 

 

 

ここで、私の例ですが、

 

20代後半の頃、

恋愛も仕事も全くうまくいかない時期が有りました。

 

 

恋愛感情が非常に強かった

(つまり、すごく好きになった)

のと、

 

仕事は仕事で本当に死にたくなるくらい適応できず、

非常にきつい状態でした。

 

しかしながら、

社会に適応できず、

恋愛で求めても得られなかった、

彼岸で一体だった何かを求める自分に、

一条の光が差し込みます。

 

それが、バッハの無伴奏チェロ組曲でした。

 

人生の感情が凝縮された様なバッハは、

その時の自分にすごくぴったりだったんですね。

 

当時の高名なチェロ奏者のバッハの無伴奏チェロ組曲のCDはほぼ入手し、

 

自分でも1番から6番までの全曲を、

3年くらいかけてカセットテープ(古い!)

に録音したりしました。

 

恋愛感情で始まって、

いつのまにかバッハの無伴奏チェロ組曲に没頭していました。

 

このころから自分の演奏にも、

多少ながら深みが出来始めたと思います。

 

また、この時に自分で得た感覚から、

音楽と恋愛ってすごく近いところにあるものだなと、

感じる様になりました。

 

 

 

ここで、

私がよくこのブロブに書いている、

神は「愛」による「成長」の為に宇宙を創った。

という観点からも考えてみます。

 

ここでいう「成長」とは、

神の愛の領域に近づくこと、

神を感じる空間がどんどん深く高く広くなっていくことです。

 

恋愛感情というのは、

これの初心者レベルというか、

疑似神の愛かもしれません。

 

しかし、恋愛感情で知ることのできる、

「何か大切なもの」を、

 

音楽という芸術の方面から突き詰めることで、

心の中の神を感じる空間がどんどん広がるのではないでしょうか。

恋愛を入り口にして、

心の深いところに入っていくかんじです。

 

そしてどんどん深くに入っていくと、

「感謝」によって神の空間が広がります。

 

神のおかげをどれだけ祝福できるかという世界になってきます。

 

求める恋愛を入り口に、

彼岸を見て、

最後は感謝する。

 

という恋愛と音楽による成長ストーリーです。

 

 

神を知るように、

 

異性にも、音楽にも、

 

感謝とリスペクトを持って接することで、

 

演奏者としても、

 

人としても成長できるということです。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!

 

 

今回は、

音楽を創る上では、

論理的な思考より、物語的な思考力が大事、

というテーマです。

 

 

 

医学の診療の世界では、

患者さんを診療する時の考え方に、

論理的思考と物語的思考の2種類があるそうです。

 

論理的思考は科学者のような、

病気の原因を突き止める為のロジカルな思考です。

 

一方、物語的思考の方は、

患者の訴える苦しみを、

自分の人生に置き換えて、

全力で感じようとするような考え方です。

 

確かに、

身体だけでなく

メンタル部分も含めて両方見てもらいたいですよね。

 

 

そういえば、

世の中では人を、

文系、理系と分類ることが良くありますよね。

 

あれも、文系が物語的思考、

理系が論理的思考で、

世の中には両方必要なものですね。

 

 

ここで、音楽の話に移ります。

 

例えば、アマチュアオケでの論理的思考というと、

 

・音程が悪い。4:5:6の長三和音に適合していない箇所を抽出して修正

 

・某パートがpの指示に合わせず音が大きいので音量を下げてもらう

 

という感じです。

 

パフォーマンス維持の為の修正点指摘、

短所是正にぴったりです。

 

 

一方、アマチュアオケでの物語思考だと、

 

・寒いロシアに住んでいたチャイコフスキーの音は、もっと重々しく

 

・ウインナワルツの三拍子は、踊りの要素を入れて

 

・自然に囲まれて青春を過ごしたプルックナーのこのフレーズはもっと雄大に

 

 

という風で、

全く違う世界です。

 

音楽では、

にゴールとか目的は明らかに物語的思考の方です。

 

論理的思考は、

クオリティを高める為にそれを支えるものであることが分かります。

 

今日言いたかった主旨はそんなところです。

 

 

ここで、物語的思考についてもう少し深堀りします。

 

なぜ、物語的なものがより大切なのかです。

 

なぜ、宇宙があり、

銀河があり、

地球があり、

海や大地があり、

生命があり、

人間が存在するのか。

 

という、

「存在のなぜ」から導き出せるというのが、

私の見解です。

 

宇宙を創った存在を「神」と呼ぶとします。

 

「神」は、成長楽しむために、

自分を分離させて、

「神」であることを一度忘れた分身を創りました、

 

それが「宇宙」です。

 

そして、「宇宙」が神の「愛」を養分にして、

少しづつ「成長」します。・

 

「神」はこの「成長」を楽しむために、

万物、宇宙を創った。

 

というのが私の考え方のベースです。

(検証不可能なので、永遠に仮設ではありますが)

 

宇宙の目的を、

「成長」を楽しむこととした場合、

 

芸術の目的は、

これを「思い出す」ことです。

 

そして、「成長」という名の「真理」は、

物語思考力によって語られる訳です。

 

「真理は物語る」とは、

偉大な心理学者、河合隼雄さんの言葉でもあります。

 

物語的思考が根幹なので、

論理的思考も常に物語思考に奉仕したものでなくてはならず、

一人歩きしない様にすることが大切です。

 

曲の物語そっちのけで、

正しい音楽を追求しても本質から外れているという訳です。

 

 

世の中、論理的思考が優勢の様に見えますので、

音楽に限らず、

少数派だからこそ、的思考を大事にすることが、

逆に武器になるものと思います。

 

 

 

ということで、

論理的であることも大切ですが、

 

音楽を創る上では、

物語的思考が大切というお話でした。

 

 

それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログです!

今日は、
オケの演奏で自然を感じることが大事、
っていう話です。


この前の日曜日に、
住居が長崎から横浜に戻って初めて、
チェロのトップ席に座って、
マーラーの交響曲第7番を演奏しました。

代理ながら、
トップ席は2年半ぶりくらいした。

今回はその時に感じたことを文章にしました。

チェロのトップという役割は、

他のパートトップと並んで、
指揮者のメッセージを受け取って、
音のメッセーに変換して、
他の奏者と共感して音楽を作ることと、

低音楽器の要として、
下支えすることです。

ひさびさにトップ席でやってみて、
音楽を作るというより、
身体の中を音楽が駆け抜けていく感じが、
非常に心地よかったです。

なぜウン十年も続けられたか、
改めて分かりました。

アマオケで音楽を作る楽しさを、
再度実感しました。


また、
2年の長崎生活で自分の感覚にも
変化がありました。

弦楽器の周りのみんなの拍の感じ方が、
余裕がなくて、
デジタルで、
豊かさが足りない(貧相)なと、
関する様になっていました。


長崎では、
人間関係が少しゆるいのと、
いつも山と海が見えているせいで、
平地は狭いながら、
穏やかな環境にいたんですよね。

また、その日演奏していたマーラーなんかは、
作曲の時だけ大都会ウィーンを離れ、
大自然の中の、
湖のほとりに作曲小屋を作り、
自然に囲まれた状態で作曲していたわけです。


自然から離れて
本来ウエットな情感が干上がっている、
まさに心を亡くすと書いて「忙しい」
街の人たちの音楽だなと感じました。

クラシック音楽の演奏には、
愛情、ゆとり、うるおいが必要だなと思います。

演奏時に感じた小さな違和感を、
記事にしました。

この小さな違和感もまた大切にして、
今後も活動します。

それでは。 
ひでちぇろです。

明日は、オケの初合わせ。
しかも、
急きょマーラー7番の
チェロ代理トップなのです。

とにかく、練習あるのみ。

しっかし、
ホントにいい曲ですねー。

また感想書きます。
それでは、では~。
ようこそ、ひでちぇろブログへ!

今日は、自分で書いていても耳が痛い、
「音程」の話です。


音程に正解なし。
だから、合わせに行くべき。
ただし、ここぞという所では、
自分で創って周りを引っ張る必要もあり。

ということです。



音程に正解なしというのは、

全く答えがないということではなく、
ルールが複数あるということです。

音程を決めるルールが「音律」です。

音律については、
このブログでも何度か書いていますし、
ご存知の方も多いでしょうが、
私の捉え方ということで説明してみます。


まず、「ピタゴラス音律」。

紀元前の哲学者、
ピタゴラスが考案したもので、
5度づつ音をずらしてすべての音を作ります。

全音広め、半音狭め、ミとシが高めで、
音階やメロディが美しい、
主張するのに適した音律です。



次に、「純正律」。

ドミソ、ソシレ、ファラド
の主要三和音が美しく響くためのものです。

ハーモニーに特化しています。

純正律信者はオケにも結構いそうですが、
音階で見ると、
全音が広かったり狭かったり、
半音広めで全音との差(コントラスト)が
つきにくいなど、
欠点もあります。

協調するための音律です。



そして、「平均律」。

12個の半音をすべて等間隔に並べたものです。

大きな欠点はありませんが、
他の音律の長所にはかないません。
現代音楽の12音階音楽は得意です。
鍵盤楽器に向いています。

折衷案的な音律です。


オーケストラ、
特にアマオケでは、
楽器ごと、個人ごとに、
みんな違う音律、音程をイメージしています。
バラバラなスタート地点です。

そこから、
人種の違いくらい遠い、
違う楽器同士で、
障害乗り越えて音程を合わせます。


しかも、技術に自信のないアマオケで、
どうやって音程を合わせたらよいのでしょう。

元々、各人の精度がいまいちなので、
ゴールくらいは共有したいものです。

その答えらしきものを、
あるバイオリニストが書いた本で発見しました。

それは、

クリスチーネ・へマン著の
「弦楽器のイントネーション」
という本です。

弦楽器での音程の作り方を書いたものです。

アンサンブルにおいては、

メロディの音はピタゴラス音律で作り、
他のパートはメロディの音にハモるように、
純正律的な三和音を作るのがもっとも美しい。

と、書かれていました。

これだと、2種類の音律の長所を、
両方同時に満たせます。
オイシイとこ取りです。

言い方を変えると、

主人公(メロディ)は、
一番個性を発揮(ピタゴラス音律)し、

周り(和音)が、
協調(純正律的)してあげる。

のが一番美しい。

ということです。


縁起の網の目の縮図である
オーケストラにおいて、

自分の役目を理解して、
音程を共感と共に創っていくこと。

これによってできるのが、

「シンフォニー」であり、

「交響楽」です。


音程に正解なし。
だから、いざという時以外は合わせにいくべき。

それが、美しいハーモニーへの最短距離。




献身的なつもりが、
練習不足でオーディションが破壊的にならない様、
注意したいと思います。

それでは。
ようこそ、ひでちぇろブログへ。



「ワインは五感で楽しむ。」

という言葉を、
たまたまネットで見つけました。
プロのソムリエの言葉です。

ワインを楽しむにも色々な要素があり、

色、
ラベル、
注ぐ音、
香り、
味、
のど越し、
残り香

さらに、

飲みに行く予定をしてから、
行くまでの期間や、

飲んだ後ワインが身体の一部になるまで、

ワインを飲みながらの会話、

と、
トータルで人生の経験として、
自分の中に残るものすべてを含めて、
「ワイン」である、

そして、五感を楽しませる事が、
もっとも大切、

という主旨の言葉でした。


人生の経験として、
自分の中に何かが残る、
上質な体験を作るのが、
ソムリエのミッションなのですね。


ソムリエ視点でアマオケ見るとどうでしょうか。




まず、
オーケストラの演奏会でも、
五感は大切です。

チケットのデザイン、
ホールの見た目と空気感、
演奏者の見た目、
ロビーの飲み物、
パンフレットの文章、
演奏そのもの、
同伴者との会話
等々、

チケットをもらってから、
演奏が思い出になるまでを
上質な体験にするのは、
開催側からは大変そうですが、
しかし、ワインに似ている感じもします。



また、
違った見方をしてみます。

ワインを私なりに定義してみます。

土地の恵み=神の恵みを、
人間の手でワインとして蒸留などの加工で、
純度を上げてさらに発酵させ、
最後にソムリエのコーディネートで、
上質な神の恵みの体験として、
昇華させたのが「ワイン」です。

これと同じ見方をオーケストラにたとえると、

作曲家が神から与えられた、
フレーズやハーモニーを、
作曲家が楽譜に落として曲の形にして、
演奏者によって演奏される過程で、
上質な体験が得られるものに昇華されたものが、
「オーケストラ」です。



→ワインや楽譜の物質

→コーディネートや演奏などの供給する行為

→受け手の上質体験

と、非常に似ています。


聴きに来ていただくお客さんが
チケットを受けとるところから、

会場に来て、
演奏会を聴いて、

そのあと、出演者や同伴者と会話したりして、
帰宅し、

さらに音楽がその人の血や肉に染み込んでいく。

という風に、

演奏会を、

来てくれる人の貴重な体験の場ととらえ、
イメージを豊かにして演奏することで、
なにか、
演奏で伝わるものもあるかもしれませんね。

そのイメージを役立てる為にも、
まずは練習ですね。


それでは。

ようこそ、ひでちぇろブログへ!!

 

 

アマオケの作法、今回は、

 

一人一人が「成長」できているか?

 

が大事という話です。

 

 

「成長」といっても、

それほど難しい話ではありません。

 

 

しっかり練習して、

準備することが成長になるというような話です。

 

 

例えば、

譜面を良く読んで、

ちゃんと個人で練習して、

合奏にちゃんと出席すること。

 

これを続けるだけでも、

必ず成長します。

 

また、

周りのみんながそれをやっている団体だと、

準備するのが当たり前という気持ちになれます。

 

これに対して、

練習せず妥協して適当に演奏している人が多いところでは、

個人の成長速度も遅くなります。

 

譜面というか、

音楽作品を「消費」しているだけとなります。

 

 

 

現在、私が定期的に出ているアマオケは、

少しでもいい演奏をしようという人が多い感じです。

 

なので、自分も一生懸命になりやすいし、

成長しやすいです。

 

 

 

一方、

行かなくなったアマオケは、

人間関係は悪くはないけれど、

まあまあ、楽しければいいよね、

っていう雰囲気が漂っています。

 

自分の成長にならないので、

どこにもたどり着けない感じがして、

続かなくなります。

 

音楽によって、

深い世界と繋がるだけでなく、

 

自分は成長を欲しているんだな、

ということが、

活動を続ける中でも分かってきました。

 

アマオケなり、

何らかの趣味の活動において、

 

「成長」をキーワードにすると、

 

そこに身をおくべきか、

続けるべきか、

所属している団体はどうなっていくのか。

 

などが見えてくると思われます。

よろしければご参考とされてください。

 

それでは。