名前をつけることは、とても大切な行為である。

うちの会社に、もうすぐお子さんができる人がいる。彼にとっては、恐らくどんな名前にしようか、ということはかなり切実な課題であるのだと思う。(それなのに、いつぞやの飲み会では、彼の息子(なぜか、その時は息子だと言うことになっていた。)の命名権をめぐってジャンケンをしていた輩がいたような記憶が、、、、)

今回の話は、その命名の話ではない。

言うまでもなく、人はことばをつかってコミュニケートし、意志の伝達をおこなう。それぞれの言葉の持つ意味に共通の認識があるからコミュニケーションが成立する。図を使って意思疎通を行うこともあるが、図の中のパーツにも名前を付けないと、後から言葉でのやりとりができなくなるので、図の上にも名前は例えAとか(乙)とかいう記号であっても必要だ。

ところが、私たちが仕事で扱っている案件を構成するパーツの多くに前例がなく、適切な名前がついていない。そういったことが実に多いのが、我々の仕事の特徴だと言っても良い。

なので、諸君!仕事の早い段階で名前をしっかりとつけよう。仮に名前があったとしても、きっちりと確認しよう。人や組織によって、同じ言葉に対しての意味が違うのが「ふつう」だと認識したほうがいい。

話を戻すと、この、まだ名前のないモノに名前を付けるときに重要なのが名前をつけるセンスだと思っている。できれば、説明しなくてもそれが何を指すのか分かるものが良いわけだし、直感的にすぐに分からなくても思い出せるものが良い。

それが理想だが、これが中々簡単なことではない。これまで色々な新しいプロジェクトを立ち上げたり、新しいシステムを構想したりしてきたが、立場上私が名前を決めることも多くあった。だが、残念ながらネーミングのセンスの良さを余り褒められたことはない。

知っている人も多いように、リブリカの社名を決めるときに、どれだけ私が悩み続けていたことか。社名は意味や目的がまた少し違うと思うが、名前を付けることで苦しむことが少なくない。


ネーミングに関してもう一つ思うのは、音楽や映画、本などの、タイトルのことである。特にいつも非常に気になってしまうのが、海外作品に付けられる「邦題」だ。

前のエントリで取り上げた「成功ルールが変わる!」は、原題が「KARAOKE CAPITALISM」で、サブタイトルに「『カラオケ資本主義』を越えて 」と小さく書き添えている。確かにいきなりタイトルが直訳の『カラオケ資本主義』では何のことを言っているのか判らないかもしれないが、かといって、「成功ルールが変わる!」が優れているかというと、ほかのビジネス本に比べてどうなのか、と思ってしまう。私なら、『カラオケ資本主義』に「!」と「?」くらい付けて、「なんじゃそりゃ?」って思わる作戦を採るだろう。「成功ルールが変わる」はサブタイトルだ。(こうすれば5万冊は多く売れたハズ!!)

私が史上最悪の邦題だと思っている本が「数学的にありえない」である。その原題は「Improbable」で、ベストセラー「ダビンチコード」にもひけをとらない非常に良くできたサスペンス小説だという評判だ。サスペンス小説ですよ!

この「数学的に~~」というタイトルを観て、ミステリアスだとか、どきどきするようなサスペンスを期待する人はまずいないし、普通は読む気が萎えてしまう。

その点「ダビンチコード」は上手い! 日本人は横文字に弱いし、聞いたことがありそうな単語で意味不明な外来語はある意味非常に有効だ。いっそ、この本もタイトルは「インプロバブル」にすれば、あれだけ面白い内容だっただけに、日本でもヒットしたかもしれないと、思い出すたびにいつもそう考えてしまう。

でも、「インプロ・バブル」って読まれちゃうのかもな~ ^^;

ある意味、前回エントリの続きです。

前回考えたWeb2.0も含め、個人の重要性が増してきているというのが、現在の世の中の大きな潮流であることは間違いないようだ。(かの会社の社長も昨秋のカンファレンスでキーワードとしてパーソナル化を主張されている。)

個人重視に向かう商品、サービスの中で、インターネットが果たす役割は非常に大きい。個人が参加するブログやSNSなどの所謂CGMはネット利用の個人化だし、今まで手に入りにくかったモノがネット経由で手に入ることがロングテールだし、オークションもネットならでは実現している。データベースの活用もユーザーに個人的な個別のサービスを提供することが目的の一つだろうし、何よりも満足のいくユーザーエクスペリエンスを提供するということは個人に向かったサービスの流れを直接示している。

この個人の時代、パーソナル化の時代ということは色々な方面で言われていて、ずいぶん前に読んだ「成功ルールが変わる!—「カラオケ資本主義」を越えて 」 ヨーナス リッデルストラレ (著)、シェル・A. ノードストレム (著)、中山 ゆーじん (翻訳) が主張するメインテーマも個人主義である。

この本の原題は「KARAOKE CAPITALISM」で、これを直訳すると「カラオケ資本主義」となる。ここでカラオケというメタファが使われているのは、カラオケでは個人それぞれが主役となって、自分の好きな歌を選んで歌っているところを見て、今後のビジネスがそういった個人主義に向かっていることを説いているのだ。

そう言った意味で、フォネックスが参画した「JOYSOUND Wii」のプロジェクトがカラオケだったことは、偶然にしても面白い。
今までの家庭用カラオケは基本的にパッケージ化されていて、選べる曲は固定していて限定的になってしまう。特に日本のカラオケファンはカラオケボックスで常に最新曲を次々に歌いこなして行く。それにカラオケは一般に広く親しまれているエンタメで、歌いたい曲も個人それぞれで非常に幅広い。とても固定した少ない数の曲数では本当のカラオケとは言えないのだ。

そこで登場したのが、私たちが提案したサーバー配信型の通信カラオケをWiiで実現してしまう方法だった(と、ちょっと自慢)。

「カラオケ資本主義」が今の世の中の呼び名にはなっていないようだが、どうやら思っていた以上に時代の流れに見事にハマったモノだったのかもしれない。

Web2.0という言葉を聞かなくなった。

つい2年ほど前にはあれほど聞いたり本や雑誌で見た言葉を発する人がめっきりいなくなってから、もう結構な時間が過ぎているような気がする。実はこのところ、この手の話題を私自身が余り追わなくなっていたので、気にもしていなかったが、ちょっと考えてみようと思う。

そもそもWeb2.0の定義がちゃんと理解されないままトレンドの流行語的に扱われてしまったので、流行モノらしく表舞台からは消えていったようだが、それ以降何かが変わってしまったのかというと、そうではなく、インターネットやWebの世界は今もWeb2.0のフェーズにあると考えた方が正しいと思う。

Web2.0論議が華やかしき時代に、もうすぐWeb3.0が来る、なんて物知り顔で言っていた方がいたけれど、どうしたのだろうか。

Web2.0の解説を今更もう一度やる気にもならないが、幾つかのキーワードを思い出すことから始めてみよう。

代表的なキーワードが「ロングテール」。これについては少し述べたいことがあるので、いつか別のエントリで語りたいとも思っているが、ロングテールは今もまだまだネットの世界では有効な現役である。そもそも、ロングテールはスケールフリーのネットワークと在庫の無いデジタルコンテンツやアマゾンのように在庫が実質的に無視できる流通方式が検索によって結びつけられて出来たような現象だから、現役なのは当然だろう。

次に思いあたるキーワードは「ユーザー参加」 これは、ブログやSNSでもうあたりまえ。

そして、「永遠のβ」・・・またバージョンアップですが、何か?

そう、Web2.0はあたりまえのモノになっているということだ。

そこで、ちょっと気になってきたので、2年ほど前に買った本を引っ張り出してきて、見直してみた。

Web2.0の7つの原則:
1.プラットフォームとしてのWeb
2.集合知の利用
3.データは次世代の「インテル・インサイド」
4.ソフトウェア・リリースサイクルの終焉
5.軽量なプログラミングモデル
6.単一デバイスの枠を超えたソフトウェア
7.リッチなユーザー経験

なんだか、懐かしい言葉のようだが、今見直しても意味深い。そして、気がつくのは、今となってはすごく当然と言えば当然のことを言っているのである。すごく本質的なことなのかもしれない。だとすれば、これらは流行モノではないということだ。

今の世の中のネットで、これら総てが既に満足されているかと言えば全くそんなことはない訳だから、まだまだこの方向でビジネスを成功させることは十分にできる訳だ。

しかし、ふと全然別の企業の名前が頭に浮かんだ。今の100年来の不況といわれる状況下でも営業利益を過去最高益を更新してしまう例の会社のビジネスは、なんとこのモデルとはかけ離れていることだろうか。もちろん、Webビジネスの会社ではないから、当たり前かもしれないし、Web2.0の公理がネット以外では通用せず、他の成功要因が存在するという証拠でもある。

ただ、個人が個人をどんどん主張できるようになり、多様な商品があふれ、ワガママになるに連れ、ユーザーとして満足のできる質の高い「ユーザーエクスペリエンス」を提供するということが真の価値であり、成功の要因であるということは共通しているように思えるのである。