3連休が終わった。

暖かい日在り、荒れ模様の日在りの連休だったが、私は家族と春スキーに行ってきた。かつては社会人になってから1シーズンに40日も滑るスキー狂だった私も、今では年に1回か2回くらいしかスキーに行くことがなくなってきており、今回も今シーズン初めてで、今後の予定は勿論ない。

今回は車で上越苗場に行ったのだが、このところの陽気で雪が心配だったが、上の方の斜面は案外雪質も良く、それなりに楽しめた。

高速道路もどんどん整備されて、かつてとは比べものにならないくらいに楽になったが、それでもスキーに行くのは道具やウェアを持ち込むし、何時間もかけて行かなくてはならないので、相当の覚悟がいる。

今では完全に家族サービスの要素が強いのだが、それでもやはりスキーに行くのは楽しい。

スキーをすること自体、当然楽しいのだが、非日常的な時間を過ごすことは大切なことだと改めて思う。体のあちこちの筋肉痛とは反対に、心はあの土曜日の空(@NAEBA)のように、とまではいかなくても、相当スッキリとしている。

ただ、今回も、ちょっと事件があったので、ストレスにもかなりなったのだけれど。。。。
前回の続き(というか、これからが本文)。

本を習慣的に読むようになったのは、日米間の長い飛行機の中で過ごす時間つぶし的な理由が切っ掛けになっている。10数年前、当時アメリカの西海岸に住んでいて、仕事の都合で、ほぼ2週間おきに日本とアメリカを往復する生活をしていた時期がある。

飛行機の中ではもちろん眠りもするし、映画も観るが、あの妙に暗くてゴウゴウというノイズが空間を埋め尽くしているなかで、自分だけのライトの下で本を読むと、妙に集中力が増すような感覚があった。もちろん時には睡眠誘発の効果もあるが、それはそれで良い。

機内で多く読んだのは、ビジネス本のたぐいで、特に当時非常に華々しくとりざたされていた(ように思う)企業戦略論などを日本で買い込んでは、機内で読むと言うことを繰り返していた。

ビジネス本が中心な読書傾向ではあるのだが、日米往復時代から、以前から興味のあった脳についての書籍や、「複雑系」に関するもの、さらには自己啓発的なもの多く含まれている。

そして、数年前から2年ほど前までは、ネットワーク理論やWeb2.0的な話などが読書の中心となってきていた。

ところが、この1年ほど、ビジネス本やネット関連の書籍がイマイチ面白くない。今もちょくちょくこういった本を買っては見るが、今一歩なのである。

どうも、出尽くしたというのか、こっちの方が追いついてしまって新しいものが見あたらないのか、何が出てきても、想定の範囲を超えないことがほとんどなのである。それでも、確認の意味はあるのだが。

そこで、今、偶々ではあるが読書の方向性が変わりつつある。

一つは内田樹氏の著作で、これは哲学に類する。今読んでいるのは「街場の教育論」(まだ終わっていない。70%済)で、すでに文庫本を2冊(厳密には1.8冊)読んだ。

私は複数の本を同時に読むという、恐らくあまり良いとは言えない習性があるのだが、現在内田先生の著作と並行して読んでいるのが、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」(50%済)と高橋昌一郎著「理性の限界」(40%済)という3冊になる。

これらは、今までの読書傾向とは大きく異なって、気がついてみると、どちらかというと、実用的、世俗的なところから、教養的な方向になっている。

そして、今後も暫くはこの傾向が続くような気がしている。それは、この領域に面白さを感じていることは勿論だが、ビジネス書で語られていることが代わり映えのしない繰り返しに見えることが大きな理由なのである。

それは、現在、世界がこの不況を乗り越えて次のステップへと進む道を模索しているように見えることとも関係しているのかもしれない。今は色々と停滞している時代なのかもしれない。

そんな時であるからこそ、何か本質的なことを学び、見極める眼力、能力を持ちたいと私は漠然と感じている。

むかしは読書が大嫌いだった。

学生の時代から40代になるころまで、ほとんどまともに読書ということをしていなかった。

その私がなぜか村上春樹だけは結構な数を読んでいる。何がきっかけだったのか、は勿論思い出せないのだが、読んでいた雑誌か何かで気になって「1973年のピンボール」を読んだのが最初だった、と思う。その後、「風の歌を聴け」、「羊をめぐる冒険」のいわゆる3部作を読んで、短編集などを読み、「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」に至った。この作品は、細かな内容は良く思い出せないものの、とにかく読後の満足感と良い作品だったという印象だけは今でも鮮明である。

その後、村上春樹は「ノルウェイの森」でさらに人気を増して行くのだが、ノルウェイの森は赤と緑の美しいハードカバーが発売当初から開かれることなく、書棚に鎮座している。

村上春樹のどこが気に入っていたかについては、これも意外と記憶が鮮明にある。私には村上作品の、どこの話か判らない異空間的な感覚や、やや分裂症的にも感じられる世界観や展開が自分の感覚にものすごくフィットしていた。この人の頭の構造ってきっと俺とおんなじだって、思っていた。ほとんどの人には春樹のほんとうの本質は理解できていないのではないかと、若い私は内心いきがっていたりもした。

先日のエルサレム賞の授賞スピーチの後に、久々に村上春樹の本を開いてみた。
どうせなら、と思い、一番古い「風の歌を聴け」を取り出し、20ページほど読んだだろうか。

無理です。

かなり好きだったはずなのに、今でもかっこいい文章だとは思うが、30年近い年月はあまりにも長いのか、どうしても青臭さが鼻についてしまう気がするのだ。

やはり、その時々に合った作品というのはあるのだろう。本を余り読まなかった時期に気に入っていた本だからと言って、今も同じように感じるとは限らないし、むしろ同じでないと考える方が自然なのだろう。

読書をするようになったのは、今からだいたい十年少し前になってからである。

最初はここから話を書くつもりでこの文章を書き始めたのだが、村上春樹で横道にそれてしまって、長くなってしまった。。。。続きは次回に。