前回の続き(というか、これからが本文)。

本を習慣的に読むようになったのは、日米間の長い飛行機の中で過ごす時間つぶし的な理由が切っ掛けになっている。10数年前、当時アメリカの西海岸に住んでいて、仕事の都合で、ほぼ2週間おきに日本とアメリカを往復する生活をしていた時期がある。

飛行機の中ではもちろん眠りもするし、映画も観るが、あの妙に暗くてゴウゴウというノイズが空間を埋め尽くしているなかで、自分だけのライトの下で本を読むと、妙に集中力が増すような感覚があった。もちろん時には睡眠誘発の効果もあるが、それはそれで良い。

機内で多く読んだのは、ビジネス本のたぐいで、特に当時非常に華々しくとりざたされていた(ように思う)企業戦略論などを日本で買い込んでは、機内で読むと言うことを繰り返していた。

ビジネス本が中心な読書傾向ではあるのだが、日米往復時代から、以前から興味のあった脳についての書籍や、「複雑系」に関するもの、さらには自己啓発的なもの多く含まれている。

そして、数年前から2年ほど前までは、ネットワーク理論やWeb2.0的な話などが読書の中心となってきていた。

ところが、この1年ほど、ビジネス本やネット関連の書籍がイマイチ面白くない。今もちょくちょくこういった本を買っては見るが、今一歩なのである。

どうも、出尽くしたというのか、こっちの方が追いついてしまって新しいものが見あたらないのか、何が出てきても、想定の範囲を超えないことがほとんどなのである。それでも、確認の意味はあるのだが。

そこで、今、偶々ではあるが読書の方向性が変わりつつある。

一つは内田樹氏の著作で、これは哲学に類する。今読んでいるのは「街場の教育論」(まだ終わっていない。70%済)で、すでに文庫本を2冊(厳密には1.8冊)読んだ。

私は複数の本を同時に読むという、恐らくあまり良いとは言えない習性があるのだが、現在内田先生の著作と並行して読んでいるのが、福岡伸一著「生物と無生物のあいだ」(50%済)と高橋昌一郎著「理性の限界」(40%済)という3冊になる。

これらは、今までの読書傾向とは大きく異なって、気がついてみると、どちらかというと、実用的、世俗的なところから、教養的な方向になっている。

そして、今後も暫くはこの傾向が続くような気がしている。それは、この領域に面白さを感じていることは勿論だが、ビジネス書で語られていることが代わり映えのしない繰り返しに見えることが大きな理由なのである。

それは、現在、世界がこの不況を乗り越えて次のステップへと進む道を模索しているように見えることとも関係しているのかもしれない。今は色々と停滞している時代なのかもしれない。

そんな時であるからこそ、何か本質的なことを学び、見極める眼力、能力を持ちたいと私は漠然と感じている。