コメをネタに、ブログを書いてみた。
シャリだけの寿司、いかがですか?
昨今、令和のコメ騒動を眺めていて、ふと思う。
もうそろそろいいんじゃないですかね、農民さんや。
まず日本という国土に、そもそも水稲は向いていない、と認めよう。
もちろん先人の努力が世界最高のコメを生み出したことは事実だし、水量や土質などの点で最適な土地があることもまちがいない。
だが日本全体として、山がちで狭小な国土に、水稲が最適解では断じてない。
日本だけに閉じた回路では成立しても、世界に広げたら不成立なのだと、認めよう。
そんなことは、たぶん縄文人も知っていた。
だから水稲が移入されても、即座に生産作物として取って代わるということはなかった。
部分的に、徐々に拡散していき、最終的に「聖域」まで成り上がった。
そのような「神話」が生み出されたのは、いつか。
厳密にある瞬間を指定はできないが、弥生時代、律令時代、江戸時代と重要な段階はいくつかあった。
なかでも重要なのは、やはり戦後の農政だと思う。
縄文時代の昔から、ちょっと賢い人間にはわかっていた。
コメは「選択肢のひとつ」でいい、と。
しかし、いまだにコメは日本人の魂、瑞穂の国、安全保障の中核、といった情緒的なワードが濫用されている。
もちろん言葉を狩るつもりはないし、好きなことを言えばいいのだが、彼らの言葉の使い方は正直あまり好みではない。
我田引水、自己中心、牽強付会、自分勝手、彼ら自身の目的の「ためにする」ワーディング。
すべての宗教、多くの為政者、組織の「ために」正解のポジショントークは、それを客観視できる人間ならわかると思うが、そうとう気持ちがわるい。
もちろん非合理的なものを全廃しろと言うつもりは、さらさらない。
そんなことをされたら、私という人間も早晩排除される。
多少のイレギュラーは、「個人」なら許されてほしい。
問題は「組織」が「腐ったとき」だ。
場末の居酒屋で、農家のおっさんが好きなことを言うのはいい。
ナントカ協同組合の幹部として発言するのはよくない、という話。
すでに相当数まで減っている農民さんが、これ以上職人さんたちの利益にぶら下がる構造には、そろそろ終止符を打っていいんじゃないか、と思う。
補助金を受け取ったり価格カルテルしたりする一方、コメ価格を1年で2倍に上げる。
それを高いとは思っていない、と人々の怒りをあおるJAの発言、行為の数々。
農協さんのあまりにも愚策すぎる行為については、たびたび炎上しているとおりだ。
もちろん異常な利権を守る側が、正常化を求める側に対抗するのは当然である。
むしろ異常性をあえて示し、自分たちだけではどうしようもなくなった組織を解体してもらいたい──と思っていたふしすらある、と希望的には思っている。
認めよう、この国に、コメは向いていない。
私もここ20年ほど炊飯器を使っていないが、なくても平気だ。
縄文時代にはなかったし、来世にあるかも疑問だと思う。
一時的に、たまたま手元にあるだけで、すべては流れ、変わっていく。
私の肉体を構成する元素もすべて、数年で入れ替わるし、数十年後には新陳代謝も停止して全額返済し、無に還る。
だったら好きなことをするか、それとも「ちょっと考える」かだ。
私はたまたま、ちょっと考えるタイプだった。
たとえば炊飯器や聖域を捨てて、どうするか?
反対ばかりして代案がないのはよくない。
中長期の話になるが、これからは垂直農業の時代だと思っている。
狭小な面積を最大利用し、付加価値の高い産業で固める。
ヨーロッパの一部の国でもやっているが、日本はさらに踏み込める。
そもそも百年前は、その土地はあなたのものではなかった。
急速な近代化で奪われた山とか海の大部分を、自然や動物たちに返してあげたらいい。
自然、他民族、隣人を「征服」し、「ぶんどる」ことに全存在を傾けてきた人類。
そろそろ「撤退」し、「返済」をはじめるべきだと、個人的には思う。
自然のすべてに神が宿ると考える日本人なら、その土地が自分のものではないことくらい、理解しやすいはずだ。
たまたま使わせてもらっているだけで、あの世までもっていくことはできない。
もちろん「手放す」ことが大きな抵抗をもたらすことは理解する。
人間自身でそれをするのは、戦勝国が謝るくらい難しい。
だから宇宙人でもAI(ASI)でも、より上位の文脈から肘でつついてもらう必要がある。
そんな気がする。