世界が終わるはずだった7月の終わり、巨大津波のフェイクニュースが流れていた。

 だまされるやつがいるのか、と思える程度の品質だったが、一応注意が促されていた(津波ではなく虚偽情報について)。

 

 われわれはすでに、フェイク映像が容易に生成されることを知っている。

 だから「まず疑う」癖がつきはじめている。

 

 結果、ディープフェイクは、いまのところそれほど破壊的な影響をもたらしていない。

 むしろ現在の最大損害は、疑いが常態化し、政治的説明責任が機能不全に陥ることのほうかもしれない。

 

 いぜんとして深刻なのは、チープフェイクのほうだ。

 安価、迅速であり、責任回避が容易。

 

 ダストシュートのように流されていく情報のゴミが、心のどこかに汚染をこすりつけていく。

 だからXが、イラッとするSNSナンバー1の不名誉を獲得したのだろう。

 

 不確かな情報の拡散に、約半数のユーザーが腹立ちを感じている。

 プラットフォームの性質上しかたないのかもしれないが、選挙が終わってからアカウントを凍結したところで、あまり意味はない。

 

 とくに虚偽確認の時間がすくない投票日直前は、フェイクニュースがあふれるらしい。

 その宣伝の目的が奈辺にあるか、われわれは立ち止まってよく考えなければならない。

 

 

 では(事実上)選挙がない国なら、フェイクは存在しないのか?

 もちろん、そんなことはない。

 

 むしろ中国人のほうが、とくに政府を「信じない」ことにかけては上手だ。

 世界中の経済学者も、中国政府の発表はほとんど信じていない。

 

 資本主義国を凌駕する規模と強度で、じつにおもしろい「宣伝」が、党本部を主体に延々とくりひろげられている。

 国家の「威信」をかけたとき、彼らは伝統的に「フェイク」をかます。

 

 

 若いころ、小学校の社会科だったと思うが、なにやら中国産のビデオを見せられた。

 共産主義国がどういうものかを教える感じだと思うのだが、日教組に属する左巻きが選んだビデオということで、いろいろと示唆的だった。

 

 当時小学生なので、細かい突っ込みどころはよくおぼえていないが、鮮明におぼえていたシーンがある。

 農民がこぎれいな「ジャケット」を着て農作業をしていた──。

 

 うちの親はサラリーマンだが、じいちゃんは国鉄退職後、裏の畑で農業をしていたので、どんな格好で農作業するものかは理解している。

 そんな結婚式に行くような恰好で農作業しねえだろ、とは小学生でもわかった。

 

 いま思えば、中央が派遣した撮影班が、できるだけきれいな格好で作業しろと指示したのだろう。

 現実を無視した理念に走りがちな連中なので、一張羅で作業する、という不可思議な現象をそのまま撮影し、我が国はパラダイス、と宣伝する役に立つと信じたに違いない。

 

 バカじゃねえの、と思われるのが関の山だと、客観的な想像力があれば気づくと思う。

 が、理念や信仰に偏った人々にはわからない。

 

 

 40年も昔の話なので、最近ではそんなことはないでしょう、なんて思っていたら。

 中国発のキャラクターが世界で大人気、という番組を見つけた。

 

 コンテンツビジネスでも中国はすごいんだ、という主張らしい。

 コンテンツ王国の日本にとっては、新しいライバルが現れた、中国を侮ってはいけない、という文脈で番組は進められていた。

 

 そんな、世界で大人気だというキャラについて、司会がコメンテーターに意見を求める。

 すると中国研究者の先生、「そんなキャラ聞いたことないですね」と、にべもない。

 

「え、でもニュース流れていますけど」

「どこが言ってるんですか?」

「〇〇(中国の政府系メディア)です」

「そういうことですね」

 

 瞬間、もうひとりの中国人コメンテーターが吹き出していた。

 中国の理想と希望を垂れ流す国営メディアの実情を知っていれば、もう笑うしかないのだろう。

 

 こうして身内にまで笑われている中国政府は結局、なにがしたいのか?

 フェイクを垂れ流しつづければ、いずれそれが真実に塗り替えられるとでも信じているのか?

 

 そうではない。彼らはただ「愚か者だけが信じ」てくれればよく、すべからく人間は愚かだから自分たちが率いるのだ、という立場の正当化なのだろう。

 なぜなら「党は無謬」だからだ──。

 

 40年前と、ちっとも変わってないんだな、と感じた。

 共産党(無謬性のドグマ)はこのあたり、徹底している印象だ。

 

 

 ひと昔まえに見た北朝鮮発のビデオは、さらにおもしろかった。

 彼らの「宣伝」も、なかなか大時代的だ。

 

 ものが豊かで大混雑のデパートみたいなものがわが国にはある、と主張したいらしいが、行きかうだれも荷物を持っていない。

 全員、エキストラだからだ、ということを瞬時に見抜かれていた。

 

 彼らはなぜか「すぐバレるウソ」をつく。

 それはつまり、ウソをウソと見抜くような賢い人間を相手にしていない、という意味でもある。

 

 

 他人を笑ってばかりはいられない。

 戦時中の日本には大本営発表という忌まわしい時代があったし、戦後だって似たようなものだ。

 

 当時から(すくなからずいまも)、なぜか「欧米が正解」みたいな意見、主張が多い。

 冷静に考えれば、アメリカがそれほど理想的な国のわけがないのだ。

 

 奴隷制に立脚し、他国民を大量虐殺している国。

 神さまが言葉で世界をつくったと信じ、陰謀論で動くうそつき大統領が君臨する国。

 

 的確に弾劾できないのは結局、どこの国も庶民は「バカにされている」からだ。

 じっさいバカだからしょうがない、と認めざるを得ないのは、現に存在するメディアによって証明済みなのだろう。

 

 それでもバカは、徐々に減っている。

 今日よりマシな明日を信じて、考えながら生きていきたい。