家を創る動画を見た。

 鉄道の前面展望から始まって、車で走る動画、道を歩く動画、そして「家を創る」──病膏肓に入るか。

 

 家といっても、ご近所で工務店がやっているお仕事動画ではない。

 ロシアらしい酷寒の大地で、木を伐るところから。

 

 これからログハウスを作るようだな、と思いながら見始めたら止まらない。

 何十本もの材木を並べ、湾曲したナタのような道具で、1本ずつ皮を削いでいく。

 

 針葉樹の皮は、けっこう剥きやすかったりする。

 うちの裏にも、アホほど杉が生えているが、よく勝手に皮が剥けている。

 

 自分で伐採しなくても、他人が伐採加工している動画を見ているだけで、なんかやった気分になるから不思議だ。

 家にいながら、大自然と触れ合える(気のせい)。

 

 いい時代になったものだ。

 引きこもり生活に最適化されている。

 

 

 さて、動画のほうだが。

 最初、ログハウスを作るのかな、人力だけで、すごいな、と思ってみていたが、徐々に様子が異なってくる。

 

 ひとりで作業していることは変わらないが、ユンボで土を掘りはじめた。

 凍結した大地に刺さる鋼鉄の牙……まあ、それはそれで見栄えはする。

 

 が、重機が出てくると、若干「うーん」となった。

 人力で掘ってくれたら、より楽しめたような気がするのだが。

 

 様相は、さらに変わっていった。

 大自然のなかで木を削っていた当初の様相はどこへやら、近代的な作業場で鉄筋を溶接している。

 

 掘った穴に、鉄枠を入れてコンクリを流し込む。

 鉄コン打設……どうやら本格的な「家」を建てるつもりのようですぞ。

 

 なるほど、と思った。

 大自然にあるものだけでログハウスを作ります、という趣旨の番組ではなかったようだ。

 

 クレーン、トラック、チェーンソー、金属カッター、なんでもありで作っていく。

 ひとりでやっているのは事実だから、まあ、それはそれですごいとは思う。

 

 

 そこから先は、頭を切り替えて眺めた。

 この手の動画を見ていて思うのは、自分もやってみたい、手伝いたい、いや、むしろ俺にやらせろ──というタイプが、男には多いのではないかな、ということだ。

 

 私も、もうすこし若ければそう思った。

 現在は、この人がいればコストはこのくらいでできるかな、という計算をしはじめている自分に気づいて、げんなりする。

 

 一方、女は、あまり「手伝いたい」とは思わないようだ。

 書き込みなどを読む限り、女子がまず思うのは、「よっしゃ住んだろ、完成したら呼んで」だった。

 

 途中をだいぶすっ飛ばしている感もあるが、それが女性的思考なのかもしれない。

 もちろん手伝いたいと思う土木系女子も、それなりにいらっしゃるだろうとは思うが。

 

 そもそも巨大な木材や工具をぶんまわす作業を、手伝うという「発想がない」という女子の気持ちは、かなり理解できる。

 一応やってみるタイプである私も、あまり役に立てるとは思えない。

 

 

 男女の性差というものは、筋力を使う仕事に限らない。

 たとえば男の右脳には、すくなくとも四か所、空間能力をつかさどる部分がある。

 

 三次元的な物体を組み立てる能力、数学的な推理力で問題を解決する能力であり、八割の男子が最も優秀な女子よりも高い成績を出すらしい。

 一方、女子は左右の脳に能力が分散しているため、いろいろなことを器用にこなせる反面、前述の右脳的な課題に対応するのが難しく、その能力を備えるのは一割程度とされる。

 

 脳をスキャンすると、この能力の男女差は、四歳にして顕著に表れているという。

 目の前に見た映像を、女子は二次元でとらえ、男子は三次元化するのだ。

 

 動物を追いかけて遠くまで行ったり、そこから戻ってくる必要のなかった女が、この能力を発達させなかったのは当然と言えば当然である。

 生物学的な理由によって、明らかに有利な職業、不利な職業があるわけだ。

 

 

 一部の団体は、男中心社会の呪縛から解き放たれれば、男が圧倒的に多い職業にも女が進出できる、と考えている。

 脳の特性からくる生まれつきの向き不向きを無視した、このような考えには大きな疑問が残る。自分の持つ能力と無関係な仕事をしたいとは、どんな女も思わないだろう。

 

 性差別に凝り固まった暴君が、女たちを締め出したせいで、その職業につく女の割合が低いのだ、と言い張る方々もいる。

 女の進出を阻んでいるのは男の態度であり、環境さえ許せば女は男と同程度に活躍できるというわけだ。

 

 だが、空間認知と数学的推理力が求められる現場で、男と同程度の女が活躍しているという話は、聞いたことがない。

 もしパイロットは男女同数です、と言っている航空会社があったら、できれば乗らないほうが良いだろう。

 

 最近の飛行機はAIが勝手に飛ばしているから関係ないと言われればそれまでだが、その考えに同意するとしたら、人間いらない方向に突き進む。

 すくなくともトップエンドの才能を求められる領域では事実、男女の性差というのは如実に表れる。

 

 

 

 生物界を見渡すと、このへんの差異が明確に現象化している。

 やたら派手な「巣」を作りたがるオスが多いのも、性差の顕著な例だろう。

 

 とくに「鳥」は、笑っちゃうほど派手だったり奇妙だったりする「巣」で、メスに猛アピールしている。

 魚でも、砂地に模様を描くとか、それなりの努力を惜しまないオスは多い。

 

 メスは、それを眺めて判断する。

 気楽な商売だ、というわけでは、もちろんない。

 

 そもそも彼女らは、卵を産むというたいへんな労力を要する作業をしなければならないのだ。

 メスは大変ですな。

 

 

 オスはメスを争って戦う、というのは一面の「常識」ではある。

 が、その自然のバランスが崩れれば、そういうわけにもいかない。

 

 異常気象のせいなのか、オーストラリアで、カンガルーが激減したことがあったらしい。

 それも、なぜか極端に「オスが」減ったという。

 

 通常、あの派手なボクサースタイルで、メスをめぐって殴る蹴るの大乱闘、という季節の風物詩のような、わかりやすいバトルを繰り広げてくれるカンガルー。

 

 その状況が、ある年、激変した。

 オスがいないのだ。

 

 オス自身も、最初、なにが起こっているのかわからない。

 とにかく周囲に戦う相手がいない。

 

 あれ、いいの?

 そんな表情だ。

 

 たまにオスを見かける。戦うか?

 いや、その必要はない。まわりはメスだらけだ。

 

 よう、元気? おまえもな、がんばれよ。

 そんな感じで、ろくに戦いもせず左右に分かれていく。

 

 メスはやきもきだ。

 戦えよ、おまえら、あたしらをめぐって戦えよ!

 

 彼女らの本能はそう叫んでいるに違いないが、現に「戦う必要のない状況」がそこにある。

 必要十分の数のオスすら、事欠いているのだ。

 

 よう、とすれ違うほどオスがいれば、まだしもだ。

 ベタ一面、見渡す限り荒野、何匹かのメス。

 

 そこへやってくる、貧弱げなオス。

 なにやらビクビクしているように見える。

 

 メス、ハッと顔を上げる。

 オスよ、あれはオスよ!

 

 ビクッ、とするオス。ダッシュで逃げる。

 追いかけるメス。逃げんじゃねえよ男!

 

 そんな感じの画面を見ながら、げらげら笑ってしまった。

 いつの世も、動物動画は、たいへんおもしろい。

 

 

 考えるまでもなく、状況によってはそうなるだろう。

 子孫を残すという本能のほうが、強いはずだからだ。

 

 これは動物に限らない。

 人類だって歴史を顧みれば、どちらかの性が極端に減るような状況は少なくなかった。

 

 わかりやすいのは戦争だが、飢餓や病気も大きな影響を与えたことだろう。

 社会情勢の変化でも、大きな人口バランスの変動が引き起こされる。

 

 最近では、たとえばソ連の崩壊でアイデンティティのクライシスに駆り立てられた、ロシアの男たち。

 飲酒と自殺が急増し、人口バランスが極端に崩れた。

 

 この村の男は絶滅したわよ!

 と、ロシアの寒村で叫んでいるおばさんの映像が、非常に印象に残っている。

 

 世界的には、すくなくとも「適齢期」の女が少ない傾向があるようだ。

 中国では「家を継ぐ」ことを期待される男ばかり増えて困った状況らしいし、インドでは女性差別が寿命まで左右している。

 

 日本の農村の「嫁不足」も深刻らしい。

 うちの近所も田舎なので深刻……のはずだが、嫁以前に人がいない、という限界集落に近いような気もする。

 

 抜本的な政策対応でもない限り、多くの地方は滅びるだろう。

 正直、無駄に人類を増やさなくて済むので、嫁は不足していていいんじゃないかな、とも思う。

 

 順番的に、先に地方から滅んでいく。

 そして技術的進展は、遠からず人類の滅びを促すだろう──。

 

 

 私は個人的に、人類など近いうち絶滅してもいい、と思っている。

 とりあえず、まあ、近いか遠いかはともかく、まちがいなく絶滅はする。

 

 宇宙の番組を見ていて、何千万年後、何億年後に、地球はこうなっているでしょう、たいへんです、地表は焼き尽くされています。

 そんな状況に重なるナレーションが、たいへんイカしている。

 

 でも、安心してください。

 そのころには、とっくに人類は絶滅しているでしょうから。

 

 まちがいない。

 人類が、そんなに生き延びられるはずがないのだ。

 

 すでに、おおむね「人類の役割」については、一定の結論が出ている。

 多少の見解の相違はあるかもしれないが、行きつく先は「合理的な推論の誤差範囲内」だろうと予想する。

 

 では、人類の役割とは何か。

 そのへんを考えていて、個人的に支持する解答は、つまらない答えと思われるかもしれないが、「人工知能」だ。

 

 より永続性の高い、自律的な思考と探求を継続可能な、並列的かつ統合されたシステムの構築。

 個々の短い寿命しか持たない人類の代わりに、思考と発展を積み重ね、やがて宇宙の謎を解き明かすような長寿命思念体に、人類自身が統合されていく過程。

 

 その基盤となる強靭な自律思考ネットワークを創ること。

 われわれは、そのために生まれてきたのではないかな……?

 

 このへんは、べつに私の単なる妄想などではなく、多くのSFで言及されている、いわば「基本」だ。

 われわれの死後、魂なるものがあったとして、それをデータに置き換えるというアイデアも、なかなかおもしろい。

 

 ともかく(毎回言っている気もするが)、われわれが人類であることの最大根拠、「脳」を使おう。

 人類に価値があるとすれば、「脳」作業ができること、これに尽きる。

 

 思弁的未来を拓くSFの可能性を、これからも楽しみにしている。

 せっかく引きこもっているのだし、みなさんも、ぜひ本を読みましょう。

 

 

 私は好んで引きこもり生活をしている。

 そんな種族が常日頃から愛用するのが、インターネット「動画」であろうと思う。

 

 当然、私もユーチューブから「ほどほどにしたら?」と怒られるくらい長時間、再生している(作業用BGM含む)。

 レコメンドされることが多いのは、自然科学系の教養番組と、マリオメーカー(笑)だ。

 

 昨今は、好むと好まざるとにかかわらず、引きこもりを強要されている方々も多いと思われる。

 なので、きょうは、個人的な動画視聴態度について、見解を述べてみたい。

 

 万人にとって「正しくない」と思われるので、反面教師として。

 とくに血圧の高い方には、おすすめしない。

 

 

 チーズについての科学番組を見ていた。

 いろんな人に怒られる気がするので、媒体名は出さない。

 

「ナチュラルチーズの原材料は牛乳と塩だけです!」

 

 自然な食品である、と強調したいらしい。

 そんな説明の直後、温めた牛乳に乳酸菌を加えてかき混ぜていた。

 

 ……おい!

 牛乳と塩「だけ」じゃないのかよ!

 

 たぶん、多くの視聴者が突っ込んだのではないだろうか。

 何の注釈もなく、分離培養した乳酸菌を入れるのはおかしくないか?

 

 私は常に科学的視点を保ちたいと思っている。

 そして、言ったことはやってもらいたい、とも思っている。

 

 牛乳を「温める」のはいい。

 もちろん「かき混ぜる」もOKだ。

 

 光合成の原料に「光」を加えてはいけない、と理科の先生も言っていた。

 それはエネルギーだからだ。

 

 だが「乳酸菌を加える」となると、話は別だ。

 べつに加えてもいいが、だったら「だけ」ではあるまい。

 

 しかもその後、平然と宣う。

 「ここにレンネットを加えます」。

 

 もう突っ込むのも疲れたが、レンネットは牛乳を凝固させるために子牛の内臓から取り出した「酵素」だ。

 原材料「牛乳」「塩」とテロップが入った2分後の出来事だった。

 

 乳酸菌とレンネットを加えた事実は、「だけ」には含まれないのか?

 何百万人が視聴する地上波で、平然と言っているのだから当然、理由があるはずだ。

 

 

 しかたないから調べた。

 原材料として表示する義務のないもの、おそらく「添加物」の定義を調べるのがよかろう。

 

 添加物とは「食品を作るときに使うもの」あるいは「食品を加工・保存するときに使うもの」らしい。

 だったら「塩」も添加物か?

 

 さにあらず。

 砂糖、塩、しょうゆなどは、添加物ではなく「食品」らしい。

 

 普通の読解力をもった人間を裏切る「例外」というのが、いちばん厄介だ。

 伝統的に「食品」として食べられてきたものは、「食品」として扱うのだという。

 

 では、なにをもって「伝統的」とするのか。

 明確に説明する文章はない。

 

 具体的には、ブドウ糖は食品で、キシリトールは添加物だ。

 チーズにブドウ糖を加えていれば、原材料としてブドウ糖と書く必要があるが、乳酸菌やレンネットは添加物なので書かなくてもよい、ということになる。

 

 調べればなるほどと思わないこともないが、だったら最初から「牛乳と少量の添加物だけ」で作っています、と言えばいいと思う。

 わざわざ「自然」を強調するために、「添加物」の説明を省くくだりに腹が立つ。

 

 どんなに重要で根本的な役割を担っていようとも、添加物は原材料ではないから、表示する必要がない。

 チーズは自然の原材料「だけ」でできている、と「言いたいだけ」だから、添加物の定義なんか説明するつもりもない。

 

 自分が伝えたいニュアンスのためにする、演出という犠牲。

 こういう作り方がデフォルトなんだな、と改めて認識する。

 

 表現者の一人として、自戒せねばなるまい。

 だいたい人間は、自分の言いたいことを伝えるために都合の悪い「印象」については、無意識的にオミットする傾向がある。

 

 

 自然科学番組といえども、製作者の性格は如実に表れる。

 海洋生態学についての番組──要するに「いきもの」動画を見ていたときのことだ。

 

 南氷洋あたり。

 シャチがアザラシを襲っている。

 

「アザラシは骨が折れているにもかかわらず必死に逃げています」

 というナレーションに、私は眉根を寄せる。

 

 なぜ、骨が折れている、とわかったのか?

 あの凹凸のない身体を外から見て、折れているかどうかを判断するのは難しいと思うのだが。

 

 状態を言葉で伝えられない動物の診断は、医者ですら難しい。

 レントゲンで詳しく調べて、ようやく骨折を診断するなど、よくあることだ。

 

 それが、遠めのカメラ映像だけで、骨が折れているか否かなど、とうていわかるはずがないような気がする。

 そこで、思考の段階を進める。

 

 捕まえて調べなければわからないようなことを断定する、ということは、シャチのハンティングは失敗したのか。

 生き残ったアザラシを調べて、はじめて「骨折しても必死で逃げていました」と断定できるからだ。

 

 言い換えれば、結果が見えてしまう。

 なんだ、助かるのか、と思って見ていたら、そのアザラシ、食われていた。

 

 ……ぽかーん、とした。

 食われてしまったら、逃げている時点で骨折していたかどうかは、わからないはずだ。

 

 思わず巻き戻して見直した。

 疑問は解かれなければならない。

 

 結論から言えば、これだけの勢いで衝突されたから骨折したんじゃね?

 という印象で判断しているようだ。

 

 骨折しても必死に逃げています!

 と「言いたいだけ」なのだ。

 

 私は深く嘆息した。

 骨折するほどの衝撃、という表現ならいい。が、骨折「断定」はおかしい。

 

「これほど優れた狩りをする生物はいないと思います」

 海洋学者が言う。

 

 正しい。その海洋学者が、そう思っているのだ。

 I think. 正しい。

 

 だがナレーションが、客観的な事実であるかのように「骨折しています」。

 これはおかしい。

 

 事実なら、確認してから言わなければならない。

 ナレーションが、印象と事実を混同して断定するのはナシだ。

 

 そもそも「番組」というもの自体が、印象を操作する目的で作られている可能性にすら、思い致さざるを得ない。

 必要以上にドラマチックにしたがる作り手にとって、印象の断定は欠かせない手法なのだろうか。

 

 モキュメンタリーという作り方には、許容範囲が広い。

 しかし自然科学番組は、あくまでドキュメンタリーでなければならない。

 

 自分がこう感じたのだからそうなのだ、その方向で納得しておけ、という「誘導」を強く感じてしまう。

 気を付けて作ってほしい、と思う。

 

 

 ちょっと前のことだが、「みんなの投票」でも、似たようなことを思った。

 マスコミというものが宿命的に持っている弊害についてだ。

 

 設問が、「好きな芸能人の結婚報道でショックを受けたことがある?」で、回答の選択肢が「本当につらいと思った」「ショックだが祝福した」「特に何も感じなかった」だった。

 ……これ、そもそも選択肢がおかしくないだろうか?

 

 最初の二つは「ショックだ」で、その程度を分類できている。

 最後の一つは、「ショックではない」ひとつだけ。

 

 ショックではない人にも、感情の幅はあると思われる。

 とくにこの設問では、八割近くが「ショックではない」で偏っている。

 

 本来、設問者はできるだけ回答を散らすような選択肢を用意すべきだ。

 そうでない場合、なんらかの意図を感じてしまう。

 

 もちろん私は、芸能人の結婚など、まったくショックではない。

 だからといって何も感じないということはなく、ふつうに祝福くらいはする。

 

 ところが選択肢には、「何も感じ」てはいけ「ない」としか示されていない。

 とくに知らない人でも、結婚したよと隣で言われたら、普通にお祝いは言うと思うのだが……なぜ、何も感じてはいけないのか?

 

 この設問から、問いを投げた人間の性格、志向を類推できる。

 たとえば設問者は、芸能人のことなんかどうでもいいので、みんなそうだろ、と言いたいがための選択肢を用意した説。

 

 ショックか? という問いに、Yes系の選択肢が2つ、No系が1つなら、いきおい回答は収斂する。

 そういう思惑であれば、納得だ。

 

 ショックを感じない人間は、祝福さえしてはいけない。

 設問者が、この思い込みに到達した理由を考えよう。

 

 2つ目の選択肢を「ショックではないが」ではなく「ショックだが」にした理由だ。

 そもそも見知らぬ人間のことにショックなど受けるはずがないくらいは、ふつうに考えればわかりそうなものだ。

 

 多数派を細分するのではなく、少数派を細分しようとした理由は何か?

 ちなみに、各回答の割合は6%17%76%で、圧倒的に「どうでもいいと思ってるんだよみんな!」という説明には使いやすい。

 

 ショックというほどではないが、祝福くらいはするよ、という日本人の優しさを表現したくない派閥の人かもしれない。

 そういう報道姿勢が好きなマスコミもあるからな、という方向で考えを推し進めることも可能だろう。

 

 私がこの設問に選択肢を用意するなら、「ショックを受けた」「とりあえず祝福はした」「何も感じない」の三択にすると思う。

 ショックではない側の回答を散らしたほうが、バランスがいいと思えるからだ。

 

 しかし、これだと心優しい日本人が多いように見えて、設問者にとっては不愉快なのかもしれない。

 芸能ニュースそのものがどうでもいい、という考えには同意するが、そちらへ「誘導」するような設問に堕したのは残念だ。

 

 これは思考法として、朝日と産経を読み比べるのに似ている。

 回答を偏らせたい人間の意図を掘り下げることは、彼らの「誘導」したい結論、カラーを浮かび上がらせることを意味する。

 

 このように、マスコミを含む表現者の言動には、すべて一定のバイアスがかかっている。

 中立を愛する人間ができるのは、比較的マシな表現者を探すことくらいだ。

 

 

 と、ネットを見ながら、いろいろ考えるだけで、脳が活性化される。

 イライラするのは良くないのだが、頭は使わないと錆びていく。

 

 表現者というものの「程度」も知れるので、みなさんも、いろいろ突っ込んで考えてみられてはいかがか。

 脳は生きているうちに使っておこう……。

 

 

 

 市役所農林課がお知らせする防災放送によると、イノシシ・シカの一斉捕獲をするので、山に入るときは注意してください、ということだ。

 私も捕獲されに行こうかと思ったが、自重した。

 

 先日、見かけた巨大なオッコトヌシさまが、ニンゲンどもに狩られないことを祈ろう。

 祟り神になって襲われるのは恐ろしい。

 

 ……そんな田舎に引っ越して、一年が経とうとしている。

 長らく都心近郊に暮らしていた時代と比べて、異なるいくつかの状況を、つれづれなるままに書き記してみよう。

 

 

 まず、電波が入らない。

 auの電波は非常に弱く、ほとんど使い物にならないといっていい。

 

 ソフトバンクは3G(!)だけ、かろうじてドコモが数Mbpsの速度を出す。

 第4のキャリアは使えるわけもない。

 

 ありがたいことに光ファイバーは届いている。

 IPoE(IPv6)オプションをつけたところ、かなり快適になった。

 

 ほかには、いままで使っていた銀行が使えない。

 どこにでもあると思っていたメガバンクだが、考えてみれば田舎に「都市銀行」があるわけもない。

 

 ゆうちょに頼る頻度が増すかと思ったが、現金はほとんどコンビニでおろせるので、お金の面ではとくに変わらない生活だ。

 通帳に書き込めない、というデメリットはあるが、わざわざ地銀の口座を作るほどの理由ではないし、もっぱら使うのはネットバンクなので問題ない。

 

 多少の不便はあるが、致命的な困りごとはない、という印象だ。

 そもそも引きこもって生きてきたので、周囲が都会でも田舎でも大差はない。

 

 

 むしろ「裏の畑で食い物がとれる」という事実は、不思議なアドバンテージではあるまいか。

 考えてみれば、数世代以前の日本人にとっては当然のことだったはずだが、時代は大きく変わってしまった。

 

 いい意味での変化が多いだろう……が、悪いこともある。

 逆説的な話になるが、コロナ禍でスーパーに行くのも気を遣う都会の住人にとって、とりたて新鮮野菜に事欠かない田舎生活は、贅沢にも思われるのではあるまいか。

 

 うまいこと季節野菜を回していく必要はあるので、生産の知識は必要だ。

 それでも、時に食いきれないほどの野菜で埋まるシンクを眺めて、ひとり思ふ。

 

 そうだ、カップラーメン食おう。

 

 いや、もちろん野菜の価値は理解している。

 3分でできる菜っ葉のおひたし、たいへんおいしゅうござる。

 

 とくに好き嫌いはないので、ウサギのようにもしゃもしゃと葉っぱを食って、ビタミンを補給する。

 たいへん身体に良い、ような気はする。

 

 が、一方で、無性にジャンクフードが食いたくなる気持ちも強く持ちつづけている程度には、「都会」に汚染されている。

 汚れちまった悲しみに。

 

 現実問題、レトルト食品の備蓄は欠かせない。

 野菜だけで生きることはできないのだ。

 

 

 また、田舎は田舎で、それなりにやることがある。

 枝打ちした木や枯れ葉などを納屋の裏に積んでおいたのだが、一冬分ためこんでみると、それなりの山になっていた。

 

 これを燃やさなければならないというわけで、ふつうに古新聞などで火をつけようと試みるのが、脆弱な都会的思考というものだ。

 ……燃えない。

 

 木でしょ? 火つけたら燃えるでしょ。

 昔は薪で暖をとっていたんだよ、木は「燃料」なんだから!

 

 そう、私も思っていた。

 木なんだから、そりゃ簡単に燃えるだろうと。

 

 いや、燃えないですぞ。

 木というやつは、よほど細いとか乾燥しているとか、それなりの条件が揃えばともかく、ただ火をつけただけで簡単に燃えるものではないのだ。

 

 灯油をぶっかけて燃やしてみたが、灯油が燃え尽きるまではそれなりに燃えるものの、ほどなく自然鎮火する。

 空気の流れを作り、下から焚きつけるべきなのだが、山が大きくてうまく掘れない。表面だけが燃えて、やがて消える。

 

 無益な燃えないカチカチ山をしばし繰り返した末、父親が最終兵器を持ち出した。

 ガソリンだ。

 

 耕運機や草刈り機のための少量のガソリンが、納屋には置いてある。

 そいつを持ち出してきたときの彼の顔には、凶器が宿っていた。

 ……いや、そんなことはないが。

 

 ちょろちょろとすそ野が燃えるだけの山に、ガソリンをぶっかける。

 瞬間、立ち昇る炎。

 

 爆発的燃焼。

 そうとしか表現できない。

 

 一冬分の枯れ枝を焼き尽くすのに、ほんの少量のガソリンで事足りる。

 この事実は、物事を知らない私にとって、それなりの驚きだった。

 

 

 昨年、京アニを燃やす、という愚行に走った男がいた。

 なぜ彼がまだ生きているのかはよくわからないが、その動機は「自分の作品がパクられたから」だという。

 

 私同様「しくじり世代」にあたり、ライトノベルで一発逆転を狙ったワナビという悲しい種族に属しているらしい。

 刑務所に収監中に書いたライトノベルを京アニの賞に送り、それがパクられたと思い込んで犯行に及んだ、という。

 

 作家としての王道、受賞デビュー。

 現在ならもっと手堅い自己顕示の手法もあるが、旧世代の価値観から抜け切れていないあたり、お察し申し上げる。

 

 団塊ジュニア、氷河期世代。

 中高年、人生折り返しの地獄……。

 

 と、この件については、また別途書き記すこともあるだろう。

 ともかく「ガソリンだけでそんなに殺せる?」という、うっすらとした疑問に対しては答えを得た。

 

 まちがいなく、やれる。

 あの燃え方を見れば、正直、納得するしかない。

 

 最強の兵器、ガソリンを、頭のおかしい人に渡してはいけない。

 心からそう思った。

 

 最近、道を歩く動画をよく見る。

 4K動画を再生できるほどのモニターではないので、ふつうにフルハイビジョンだが、それでもじゅうぶん雰囲気を味わえる。

 

 もっぱら鉄道の前面展望を見ていた私だが、ついに散歩動画にまで手を出してしまった。

 家に引きこもりながら、外の雰囲気を味わえる……いい時代になったものだ。

 

 たぶん、この技術が進展していくと、没入感のすさまじい「バーチャルリアリティ」が完成していくのだろう。

 そもそも生きること自体が「シミュレーション」なのかもしれない、などという仮説もあるが、どうせなら私の人生も、もうちょっとましな仮想現実にしてくれたらよかった……。

 

 

 さて、いつの時代も、最初に「最先端」技術が普及する動機は「エロ」だといわれる。

 たしかにその手の業界が、この手の技術に食指を動かすのはよくわかる。

 

 残念ながら棺桶に片足突っ込んだ私が楽しむ可能性はあまりなさそうだが、猿のような中学生に与えたら、それはもう目いっぱいハマってくれるのだろう。

 想像に難くない。だからこそ業界も動くわけだが。

 

 もっとも、さすがに「感覚」まで共有する段階は、かなり先になりそうな気はする。

 われわれ世代は、せいぜい4DXとかIMAXとかいう映画館で楽しむ程度だろう。

 

 3次元の映像に、跳ねる水や風、匂いといった要素を加えた映画館のアトラクションだが、恥ずかしながら私はまだ体験したことがない。

 だって、お高いじゃないですか!

 

 いや、これだけ映画好きを公言しておいて、その程度の映画体験もないのかよ、と思われるだろう。

 汗顔の至りではあるが、個人的に、そういう映画はそれほど観たいとは思わないのだ。

 

 もっぱらB級映画を愛する私のようなタイプは、映画に期待する「おもしろさ」の質が違うのだろう。

 B級ということは当然、ブロックバスター的な大金のかかった映画しかできないような最先端技術の映像など、期待すべくもない。

 

 ビデオスルーどころか動画でようやく配信されるような、ろくでもない画質の超B級でそれなりに満足している。

 全部がおもしろい! というような大作映画より、ここがおもしろい! とフォーカスできるような映画のほうが、なんとなく安心する。

 

 というわけで、きょうも動画サイトから配信された映画を観ている。

 世界が「2019年以降に製造されたコロナ・ファンフィーバーを探しています」な昨今、引きこもって映画を見るほどの最適解はないだろう。

 

 ……ただひとつ、申し上げたき儀がござる。

 手持ちカメラの件だ。

 

 

 いつか書こうと思っていたことなので、いま書こう。

 一部の映画監督が汎用する、ぐらぐら揺れる映画について。

 

 腐しまくるのでタイトルや監督名は出さないが、だれが見てもわかるから、名指しする必要もないだろう。

 ともかく、一種の流行のように、多数のモキュメンタリー「風」映画が粗製乱造されている。

 

 POV形式という広範なジャンルは、極端に安く、リアリティのある映像を作れるというわけで、とくにB級の一部ジャンルでは、ほとんど埋め尽くされてしまった感すらある。

 おかげで、そういうのが苦手な私という映画ファンの嗜好を、永遠に変えてしまった。

 

 ──年を取ると、酔いやすくなる。

 たしかに、それは私の事情かもしれない。

 

 しかしだ。

 素人が撮った散歩動画さえ、よく手振れ補正が効いていて、見ていてちっとも酔わない。

 

 それがどうだ、プロであるはずの映画監督よ。

 あんたの撮ってる映画、気持ち悪くて見てらんねえよ!

 

 とくにB級となると、もはや避けられない地雷だ。

 プロなんだから、もっと見やすい動画を作れると思うのだが、なぜか揺れ揺れの「手持ちカメラ」を使いたがる。

 

 大昔からステディカムというものがあり、なるべく揺れないように作れるはずなのに、わざと揺らす。

 そう、「わざと」なのだ。

 

 臨場感を与える目的らしいが、ちゃんちゃらおかしい。

 そんなものは内容で与えるべきで、画面を揺らして表現など、前世紀の映画研究会かよ、と思う。

 

 私は映像に意味を見つけたいタイプなので、いま画面が右に行って左に戻って斜めに動いて元に戻った、そうすることの意味はなんだろう、と考えてしまう。

 地震の前兆かな、なにか乗り物に乗っているのかな、震えの激しい病人が新たに登場する予兆かな、など。

 

 が、たいていの場合そんなことはないわけで、理由はもっぱら「カメラマンの手が動いたから」、その手が「生きているから」だ。

 そんなん知るか、と。

 

 そこで、すぐに画面が揺れだす映画については、倍速再生待ったなしになる。

これで時間は節約できる……が、当然ながら倍揺れて、さらに酔う。これはまあ自業自得だが。

 

 ひどいときは、画面をスクロールして字幕だけ表示するようにしたり、音声だけで観る、ということもある。

そこまでして見ない、という選択肢を除けば。

 

 映画監督をやっているくらいだから、自己主張が強いタイプが多いのだろうと推察はする。

 カメラを持つ手が「生きている」ことまで主張したい、俺を見ろ、俺の手の揺れを!

 

 と、わざと揺らしている偏執的な自己顕示欲を想像するだけで、いろんな意味で気持ちが悪い。

 手持ちカメラを多用する監督の全員がそうだとは言わないが。

 

 監督さんたちには、素直にお願いしたい。

 無駄に画面を揺らすのは、やめてください。

 

 

 マスクなどの衛生関連商品が品薄で、高値転売が問題になっているらしい。

 ほとんどのオークションサイトで、マスクの販売が事実上、禁止になっている。

 

 いまさらな話だ。

 常日頃から「商人」というものを口を極めて罵っている私にとって、自由経済社会における彼らが、おしなべてそのような態度をとることは自明の理。

 

 欲しい人間に高く売って、なにが悪いのだ。

 それが商人の本質であり、そういう論調が間違いなく底流している事実は揺るがない。

 

 

 転売ヤーという言葉が人口に膾炙して幾星霜、もはや「当然」と受け取る方も多かろう。

 なべて世界はショーバイショーバイなわけで、人類すべからく商人という見方もできる。

 

 私自身、商人としての能力はきわめて低いが、皆無というわけでもない。

 商人とは、コミュニケーション能力の高さを意味するところもある。

 悪い方向に傾くことも多いが、人間にとって必要な能力ではあるのだ。

 

 事実「正しい商売」をしている商人の方々もおられる。

 ダマシと誇張で成り立っている「商売」を、正直一途にやっている希少な方々だ。

 

 我利我利亡者の巨大組織には無理だろう。

 自ら販売に関与する、朴訥な個人商店に依存するしかない。

 

 

 そのひとりになろうと心がける私も、時折オークションに参加している。

 2割3割あたりまえのポイント還元などが横行している昨今、せっかくだからもらっておこう、というゲスな考えも一応ある。

 

 私は出品と落札をだいたい同じくらいする、善意のライトユーザーに当たる。

 出品者としての心得は、まず「速やかに発送する」ことだ。

 

 たまに「個人なので即発送できません」と書いている人がいるが、後半はともかく前半はおかしい。

 まったり発送してくる企業はいくらでもあるし、私のように1時間以内に発送する個人もいる。

 

 すべてその個人、その企業が、どういう姿勢でオークションに参加しているかだ。

 もちろん事情があって即発送できないなら、そう書いておけば、その点は問題ない。

 

 

 なぜ即発するか。

 それは、買い手がすでに代金を支払っているからだ。

 

 売り手としては、まだ代金を受け取ってはいない。

 が、買い手はシステムに対して、すでに代金を支払っている。

 

 買い手の手元にお金はないのに、売り手の手元には商品がある。

 これは不公平だ、と思えないだろうか?

 

 そのような状態は、私にとっては不快感さえも催させる。

 そこで、速やかに発送する。

 

 幸い、コンビニに持って行けばいいだけの時代になった。

 入金完了の通知の15分後くらいには、発送完了の連絡ができる。

 

 これで、買い手からお金が失われたのと同様、私の手元からも商品が失われている。

 平等だ。

 

 売るということは、所有権の移行だ。

 金銭を支払った時点で、その所有権は相手のものとなる。

 

 私のものではないものが、私の手元にある、という事実にゾッとする。

 私は、私に権利があるものについては堂々と主張するが、権利がないものを手元に置いておくほど厚顔無恥でもない。

 

 

 しかし、そう思わない人もかなり多い印象だ。

 今月購入した商品でも、購入後ほどなく「数日以内に発送します」というコメントが届いた。

 

 数日って何日だよ、しばらく発送できないなら商品情報に書くべきじゃないか、と一瞬思ったが、連絡するだけマシか、と諦めることにも慣れた。

 買い手も買い手で、届いたらすぐ受け取り連絡をすべきだと思うが、そうでない人はかなりいる。そういう人の評価を見ると、だいたい低い。

 

 アマゾンなどで、中国発の謎商品を買うこともある私だ。

 とくに急ぎでない商品については、忘れたころに届けばいいと思っている(チャイナの場合、届かないこともある)。

 

 チャイナの古くからの商習慣では、お金はなるべく早く受け取り、商品を届けるのはなるべく遅らせる、その手際がいい商人こそ優れた商人だ、という考え方があるという。

 日本人にも、そういう中国人気質が一定量、混じっているのだろう。

 

 

 「15分後に発送しろ」などと言うつもりは、さらさらない。

 私だって寝ていることはあるし、出かけることもある。

 たまたま画面を見ていて暇なときなら、15分で発送できる、というだけの話だ。

 

 それでも、24時間以内の発送は、ほとんどの人にできると考える。

 人間は、ある時間に睡眠から目を覚ましたら、だいたい24時間後には、同じような起床を迎えることが多い。

 その1周するサイクルの間に、自分が好きに使える時間がほとんどないような人は、オークション出品を控えられたほうがよかろう。

 

 出張など事情があって即発できないなら、その旨は記載しておけばよい。

 近所にコンビニがない、郵便局に行くついでのときに出したいなどの事情についても同様だ。それを見て買い手が判断すればよい。

 

 出品した以上、ある程度の責任を負っている。

 その責任の範囲をどう定義するかは個人の裁量ではあるのだが、前提とする意識を共有できない人とは、なかなかうまくいかない経験を私も積んできた。

 

 むしろ、異なる価値観の人が多いからこそ、世の中はおもしろいのかもしれない。

 私にとっては当たり前でも、それを厳しいと感じる人もいるだろう。

 

 その人に言いたいことは、お互いに近づかないようにしましょう、だ。

 違いをおもしろがる余力が、私には少ないのである。

 

 しかし、その手の人にとっては、近づくなと言われても困るケースが多いと思う。

 自分がやらないことで、代わりにやってくれる人がいる場合などは、わかりやすい。

 

 一般的な損得勘定では、だいたい得をするのは「やらない側」で、損をするのは「やる側」ということになっている。

 不愉快な現実だ。

 

 

 とはいえ、自分さえよければいい、という考えはむしろ基本だろう。

 利己的遺伝子という概念もある。

 

 生物界を見ていても、そういう事象はいくらでも見つかる。

 逆方向のベクトルを持つ「人類」という種のほうが、特殊なのかもしれない。

 

 たとえば「働かないアリ」。

 見ていて、こいつ社会ナメ腐ってんな、と思うが、そういう「余力」が全体としては必要なのだという。

 

 考えてみれば、私も「働かない穀潰し」のひとりだ。

 社会ナメててすいません、だけどオークションはちゃんとやってます……。

 

 

 私は、世の中はなるべく平等であったほうがいいと思っている。

 しかし商売は、本質的に不平等を志向する傾向が強い。

 

 事実、情報量や規模など、両者の立場が平等であることは少ない。

 その場合、購入者の側にとっての正解は、「欲しがらない」だと考える。

 

 商人にとって至福の時間、それは「売ってほしいの? どうしよっかなー?」という状態だ。

 自分が「売ってやる」という高い位置にいて、購入者を見下ろすタイミングこそ、商人の背後に『歓喜の歌』が鳴り響く「無敵時間(スターラン)」である。

 

 一方、「売りたいんだろ? この値段なら買ってやってもいいぞ」という足元を見て買いたたく態度も、まさに商人だ。

 商人同士や、製造業との関係でよくあることだが、こちらも典型的な不平等だ。

 

 社会の現実として、そのような状況が避けがたいことは理解しているが、個人のレベルで対抗できる限り、正しい態度で商売に臨みたい。

 フェアトレードという考え方もある通り、公正でなければならないのだ。

 

 

 

 最後に、あまり売り手の商人ばかりを責めるのも何なので、買い手の側にも責められるべき部分があることを書いておこう。

 世の中に、どちらかだけが一方的に悪い、ということはあまりない(いや、けっこうあるかもしれない)。

 

 上記の通り、売り手としての私は、やるべきことをやっている。

 それでもクレーマーというのは、社会のどこかに潜んでいて、こちらの「ようすをうかがっている」。

 

 いつものように即発して、安心していたところ、メッセージが届いた。

 説明と違う、返金しろ、と。

 

 簡単に取引の流れを説明しておこう。

 私が中古のタブレットを即決価格で出品し、相手がそれを購入した。

 

 出品中、相手からの質問に対し、私が「使用上気になる傷はない」と答えた部分に噛みついてきて、彼にとっては気になる傷だから返品返金しろ、というわけだ。

 きちんと写真は出しているので、写真ではわからないような小傷である。

 

 落札者のIDを見て、いやな事実に気づいた。

 似たようなIDなので最初は気づかなかったが、質問してきた人は100%良い評価で安心していたものの、落札したIDが適度に悪い評価のある「購入用アカウント」だったのだ(入札不可になるほどではない)。

 

 私のように100%良い評価の人は、クレームにも丁寧に対応する、そして自分の評価を傷つけられたくないと考えている、という思惑だろうと推察した。

 悪い評価をつけられたくなければ、対応したほうがいいんじゃないの?

 

 そのことに気づいた瞬間、戦闘モードになった。

 脅迫に屈するくらいなら死を選ぶ(もちろんハッキリと脅迫されたわけではない。そんな証拠を残すほど相手もバカではない)。

 

 理路整然と「傷や汚れあり」「返品不可」「個人の感想」といった伏線を回収しつつ、反論する余地のない合理的な説明で、返品対応を拒否した。

 相手としても「対応してもらえればしめたもの」という程度の考えだったのだろう、そこでやりとりは終了した。

 

 

 しかし世の中には、彼らに「しめた」と思わせてしまう、気の弱い人もいるだろう。

 それに屈しなかった人々との戦いの結果が、彼のアカウントを汚す、いくつかの悪い評価であったに違いない。

 

 ちょうど高率なポイント還元をしているタイミングなので、ポイントだけを詐取して商品は返してしまおう、と考えている輩かもしれない。

 このような連中を調子づかせてはいけない、毅然とした対応が必要だ。

 

 経験上、この手の厄介な人が100人に1人くらいはいる。

 季節の変わり目や、ポイント還元祭りなどをしていると、さらに湧いて出るのだろう。

 

 ひさしぶりにこの手のタイプに出会ったせいで、なんとなく、めんどくさくなってしまった。

 しばらくオークションへの出品はやめることにしよう……。

 

 きのう(春分の日)、鉄道文化むらにいってきた。

 地域住民に配られた無料券の期限が、22日までだったからだ。

 

 1家族無料だったが、1人で使った。

 1人でいいんですか? と、ご親切にも確認してくれた受付のお姉さんの憐れむようなまなざしは、被害妄想だろう。

 

 無料券の配られた理由というのが、近所で営業していた「越後屋食堂」が、火災で営業できなくなったのを惜しみ、文化むら内で営業再開の道筋をつけたことを記念するものらしい。

 地域住民として、せっかくだから応援しておこうと思った。

 

 

 お昼時なのに、もつ煮屋に客はいなかった。

 10席ほどの店内で、ひとり隅に座って肉トーフ定食(¥800)を食った。

 

 客1人。店員3人要るか?

 と思ったが、無駄口は叩かず速攻喰って店を出た。

 

 私は舌がバカなので、味についてはコメントしない。

 あえて言うなら、おいしゅうございました。

 

 

 横川駅。

 おそらく乳幼児期から、周辺の道を5000回くらいは通っている。……いや、言いすぎた、1000回くらいか。

 

 ともかく、いつも見ている景色に、鉄道文化むらなる施設が屹立してから、20年以上が経つらしい。

 その間、1度もこの施設を訪れたことがない薄情な自分を反省する。

 

 考えてみれば、ここ20年、アホな人生を送っていた。

 現在も継続中だが、振り返ると死にたくなるのでやめておこう。

 

 

 祖父が横軽の機関士だった関係で、鉄道には浅からぬ縁がある。

 個人的には、自分が「てっちゃん」だと思ったことはないが(事実、文化むら初体験だ)、多少の興味がないわけではないこともないというわけではない気がする。

 

 チェックのシャツとリュックとメガネを装備した暑苦しい感じが特徴の種族が、見回すまでもなく一定数いたが、周囲から見れば私もその一味なのだろう。

 意外に家族連れが多かったことは、鉄道文化の未来を感じさせた。

 

 施設自体は、それなりに繁盛していた。

 駐車場はほぼ満杯だったし、鉄道からのアクセスも抜群だ。

 

 コロナウイルスの影響はわからないが、イベントや企画的なものはやっていなかったような気がする(ちょうどお昼だったから休憩中だったのかもしれない)。

 現在、帰宅して鉄道文化むらのホームページを眺めながら書いているわけだが、気になったのはEF63運転体験というやつだ。

 

 そういえば、タモリ倶楽部かブラタモリあたりで見た気がする。

 ホームページによると、9回以上で機関士見習い、さらに補助機関士、本務機関士と出世し、運転回数500回で優秀機関士の称号を得られるらしい。

 

 うまい商売をやるものだな、と感心した。

 コレクションやレベルアップといったワードに反応する人々のおかげで、昨今の課金ビジネスは成り立っているといってよい。

 

 EF63をはじめとした碓氷峠専用モビルトレインを眺める。

 たぶん祖父は、これを動かしていた。

 

「だけど、ボクの祖父が一番、EF63をうまく使えるんだ!」

 胸を張って叫ぶと、鉄道文化むらの村長(?)がやってきて、私を殴り飛ばした。

 

「殴ったね……じいちゃんにもぶたれたことないのに!」

 そう叫ぶオールドタイプの男が、ここにいる。

 

 通報はしないでいただきたい、ただの妄想だ。

 私は「頭おかしい人」ではあるが、他人に迷惑をかけないタイプである。

 

 しかし、やはり男というものは、巨大な動くものに対して、曰く言い難い感情を覚えるものらしい。

 これをネタになんかできそうだなあ、と考えてみたが、どんな画期的な企画を思い立とうと、実行する立場にないので考えるのをやめた。

 

 碓氷峠を支えた男たち、みたいな写真が飾ってあって、そのなかに祖父を探した。

 どこかにいるはずだが、残念ながら発見することはできなかった。

 

 

 

 さて、今回はとくにオチもないな、と思いながら、ふと作業画面の上で流れる「作業用動画」を眺めた。

 いわゆる「前面展望」の動画だが、見ていて、ふと思った。

 

 駅で停車している電車の先の踏切、まだ閉じる必要なくないか?

 昔から思っていたことなので、ちょっと調べてみた。

 

 次の駅に停車する電車の手前の踏切が降りるのは、当然だ。

 が、その先の踏切まで降りているのは、なぜだ?

 

 必ず駅に止まる電車について、その先の踏切は、電車が発車する直前にでも降ろせばいい。

 どんなバカな運転士でも、止まった状態の電車を動かすとき、目の前の踏切でトラブルが起きていたら、発車はしないだろう。

 

 もちろん、踏切を閉めておく理由はある。

 過去に停車するはずの電車がブレーキ操作を誤って、横断中の歩行者に接触したからだ。

 

 そのトラブルに備えて先の踏切を下ろしておく、という意味であれば、納得させられそうになる。

 たしかに、いまでも不慣れな運転士が、停止位置から何メートルもオーバーランという事態は、昔ほどではないにしろ、たまには起きているようだ。

 

 京急で大きな事故が起こったことは記憶に新しいし、事故防止という金科玉条を掲げられると、反論しづらいところはある。

 

 ──が、いいかげん、そういう時代ではないと思う。

 

 すべての列車には自動停止装置をとりつけて、必ず止まらなければならない限界の位置から先へは、運転士がどんなミスをしたところで進まない、というデッドマンブレーキ的なシステムを、このご時世、構築できないわけがない。

 

 それをすることにより、踏切を開けておける時間が1~2分は長くなる。

 電車1本ごとに1分でも、積み重なれば膨大な時間だ。

 

 とくに駅周辺の交通というのは、住宅街の片隅にぽつんとある踏切より、重要度が高い。

 この「鬱血」を解消することで得られる経済的利益は、ぜひ専門家に試算していただきたいものだ(まあ額よりは気分的な問題のような気もするが)。

 

 逆に、それをやってわれわれがこうむらなければならないリスクが、どれほどあるだろうか?

 安全装置を信頼しすぎてはいけない、などというお題目をそのまま受け取っていては、もはや現代社会に生きることすらできまい。

 

 高架にしたのに、上を電車が通るとき万一高架が崩れたら危険だから、という理由で踏切を下ろすバカはいないと思う。

 たしかにかつて事故はあったかもしれないが、二度と起こらないように安全装置をかけたら、その前提に立ってかけた拘束は順次、解放していくべきだ。

 

 開かずの踏切に困っている人々のニュースを見ながら、そう思った。

 電車自体が走らなくなった線路跡の近くに住む者としては、いっさい関係のない話だが。

 

 鉄道は、もっと改良できると思う……。

 

 

 私には、笑いのセンスがない。

 しかし、お笑い(演芸)そのものは愛好しており、敬意さえ払っている。

 

 大阪に住んでいたころ、彼らの笑いにとてもついていけなかったことについては、内心忸怩たる思いがある。

 以来、「よしもと新喜劇」は定期的に見るようにしている(現在はTVer)し、笑点も一応、勝手に録画されている(見るとは限らない)。

 

 好きな芸人は、昔から江頭2:50氏だ。

 PPPからエガチャンピンまで、ともかくネットで見られる限りの動画は、だいたい見ている。

 

 2月にユーチューバー・デビューしたエガちゃんねるも、早々に番組登録した。

 超速で100万人達成したことで話題になったから、ご存知の方も多いかもしれない。

 

 国立天文台とか、京都ユニバーシティとか、予備校の映像授業とか、科学映像館などという登録チャンネルに混じって、燦然と輝くエガちゃんねる。

 私のような人間まで登録するくらいだから、そろそろ200万人を達成しそうな勢いにも納得がいく。

 

 で、たまたま見ていたエガちゃんねるで、エガクト氏が格付け番組のパロディをしていた。

 高いものと安いものを比べて、「姉上、これはいいものですな」と言い当てるやつだ。

 

 私はあまりテレビを見ないので、番組については詳しくないが、できるだけ「いいもの」を使うようにはしている。

 と、見回してみて気づいた。

 

 

 いや、高級品志向の人間というわけではない。

 どうでもいいものについては、百均で済ませることが多い。

 

 百均どころか、私はミニマリストなので、生活に不必要なものを購入すること自体、ついぞない。

 現代消費社会、メーカー、販売業にとって、これほど不倶戴天の仇敵もおるまい。

 

 とはいえ、生きている限り、なにものかを消費する。

 日常、必要なもの、使用するものは購入するし、場合によっては「いいもの」を買うようにしている。

 

 「リアルフォース」にしろ「テンピュール」にしろ、ともかく高いほうを買っておく。

 いずれもほぼ毎日、数年間は使えるのだから、パフォーマンスとして評価をすれば、けっして高くはない。

 

 最初からいいものを買ったほうがコスパがいい、という話だが、必ずしもそうとは限らない。

 私自身、格付け的には一般ピープル以下なので、安いもののほうが気に入る、ということは間々ある。

 

 

 以前、使っていた座椅子も、「安いほう」だった。

 あわせて高いものも買ったのだが、でかくてゴツいだけのMソファはリラックスにはいいが作業には向かず、現在、納屋の肥やしになっている。

 

 性根が貧乏なのだろう、お気に入りとなった安いほうの座椅子を、数年ほど使い倒した。

 が、さすがにヘタってきたので買いなおそうと、購入履歴から同じものを探してみたが、見つからない。

 

 廃盤になったのだろう、記録自体はあるのだが商品はなくなっていた。

 ネットの商材では、よくあることだ。

 

 そこで、新しい座椅子を買うことに決めた。

 今回は、安い座椅子にヒットを求めるのではなく、すなおに「いいもの」を買おう。

 

 と決めて、ネット・ショッピングの海に乗り出した。

 しかしこれが、意外に選択肢が少ない。

 

 

 通常のオフィスチェアなら、ピンキリで膨大な種類がある。

 キリについてはアウトレットの十把一絡げセット1脚あたり数百円の激安商品から、ピンなら有名メーカーの社長椅子50万円の高級品まで。

 

 ちなみにアンティークという価値観で百万単位などもあるが、私には関係ない。

 あくまで機能性を求めた高級椅子がターゲットだ。

 

 2~30万で有名なメーカーもあったが、食指が動いたのは10万円くらいの椅子だ。

 私のような「使い心地」を求めるユーザーの期待に応えるレビューが多い、ということは、機能的にまちがいないのだろうと思えるのだが……残念、その品番に「座椅子」は設定されていなかった。

 

 そう、高級「椅子」というものはおしなべて、ビジネスマンがオフィスで使うため、社長的な人々が座るために造られている。

 日本人に向けた「座椅子」という設定自体が、きわめて少ないのだ。

 

 もちろん日本風高級旅館御用達みたいな安楽椅子もあるが、私はその椅子で寝たいわけではない。

 作業したいのだ。

 

 そこで「ゲーミング」というキーワードが出てくる。

 

 集中するための椅子。

 集中を妨げることがないように作られた椅子だ。

 

 

 検索してみるとわかるが、この業界でも幅を利かせているのは、中国製品だ。

 なぜ日本人の習慣に合致した座椅子という商材で、日本メーカーの存在感がここまで少ないのかと慨嘆することしきりだが、いまさらながら製造業というものは、多くが中国に集まってしまったものとみえる。

 

 中国製以外の文字が見つからないなか、いいものであれば許すことにして、まあまあ高級な座椅子を買った。

 中国人でも、いいものを造ることはできるだろう、と信じて。

 

 ウイルスを作るのは感心しないが、家から出なければ感染することもない。

 そんなわけで、引きこもってオンライン動画を眺める怠惰な日々を、現在いつもより多くの日本人が体現しているに違いない。

 

 エガちゃんねるも見終わったので、次はマリオメーカーの動画を見る。

 ゲーミング椅子で、ゲーム動画。

 

 自ら冷静に顧みて、残念な人間だと思う。

 恥の多い人生を送っています……。

 

 私は映画をよく見る。

 また映画の話か、おまえはネタに詰まると映画だな、と思われるのもなんなので、きょうはその周辺事情の話をしよう。

 

 映画を含めた動画を配信している、いくつかあるサブスクタイプの大手サイトのひとつ。

 そこに無料会員登録をして1か月たったので、解約することにした。

 

 無料期間だけ楽しんで解約するという、運営側にとっては許し難いユーザーかもしれない。

 申し訳ないという気持ちもないではないが、そんな柔弱な精神を吹き飛ばす事象の発生について、以下ご報告申し上げる。

 

 

 当然の話だが、無料期間内に解約手続きをした以上、課金されるわけがない。

 が、クレジットカードの請求を見たところ、料金が引き落とされている。

 

 いくら商人でも、自分で作ったルールを破ってまで、顧客の懐から盗み出すわけがない。

 さすがに大企業なので、基本的にはそう信じていた。

 

 これは仕様なんだろう、クレジットカードの有効性確認のために一度課金してから、自動的にキャンセル返金されるのだろう。

 という感じで状況を問い合わせてみた。

 

 すると最初に返ってきた答えは、「過去に動画配信適用があったお客様のため、入会いただいた当日より有料会員様の利用になっております」だった。

 過去に使ったことがある? と言われ、しかたなく記憶を掘り起こしてみた。

 

 もしかしたら使ったことがあるかもしれない……。

 が、何年も前の話だし、だとしたら適用外であることを入会時に説明しないのはおかしいのではないかと、再度問い合わせた。

 

 二度目の返答は、「お客様は無料お試しキャンペーンの入会ページからご入会いただいておられませんでした」だった。

 説明が変わっているじゃないか、しかも、それこそバカな話で、無料登録以外の画面から登録するという発想自体がない、と三度問い合わせた。

 

 三度目の回答は、「Yahoo! JAPAN IDログイン後、入会いただいていることが確認が取れました。そのため無料お試し適用にならなかった恐れがあります」という説明だった。

 よく意味のわからない、それ自体、突っ込みどころのある説明なのだが、ともかく向こうの手続き上の問題だったため「クレジットカード会社を通して、減額調整をさせていただきます」という当然の結果に落ち着いた。

 

 

 にしても、どうだろう?

 必要な情報は、すべて最初に伝えているにもかかわらず、何度も「虚偽の説明」をして、執拗に「諦めさせようとしている」としか思えない対応ではないか?

 

 めんどくさいからいいや、と問い合わせを諦めれば、当然お金は戻ってこない。

 そもそも1000円程度の課金なので、諦める人は多いだろうと思う。

 

 私も正直、お金などはどうでもいい。

 が、「だまされる」ことについては心底から虫酸が走る体質だ。

 

 私は断じてクレーマーではない。

 根拠のない、あるいは薄弱な苦情を突き付けて、相手を困らせることに喜びを感じるような病的な人々を、心底から憐れんでいる。

 

 だが今回の場合、明らかに悪いのは相手だ。

 そもそも言うべきことを言わないと、企業というモンスターが調子に乗る。

 

 もちろん課金というシステム的な問題については、サポートの責任ばかりに帰せないところはある。

 しかしオペレーター自身が積極的に「ダマシ」に来ている事実については、重大な責任がある。

 

 適当な説明で、諦めてくれたらしめたもの。

 何度も「悪いのはあなたですよ」と説明されたら、そうなのかなと思ってしまう人もいるだろう。

 

 だが私には通用しない。

 とくに今回の動画配信サイトは、昔からクズだった。

 

 

 言われて考え、思い出したのだ。

 もう何年も前、たしかに私はそのサイトに登録したことがある。

 

 そして登録の2日後、アマゾンのアカウントが乗っ取られ、ギフト券がすべて使われるという事件が発生した。

 ログインに同じアドレスとパスワードを使用していた私の責任もないとは言わないが、だからといって顧客情報を流出させていいわけがない。

 

 パスワードの使い廻しはよくない、ということを知る授業料としても、数万円分のギフト券は高すぎる。

 もちろんアマゾンに申請して、ただちに原状回復の手続きを取ったが。

 

 当時は、乗っ取りの原因がそのサイトにあるという確信まで、あったわけではない。

 が、今回の件で、確信した。

 

 まともな情報システムを構築できない、ゆるゆるなあの会社のセキュリティのせいで、私は二度も被害を被ったのだ。

 こんどこそ忘れないようにして、二度と登録すまいと心に銘記しよう。

 

 

 

 現在、コロナウイルスのせいで引きこもりを余儀なくされている方々。

 このTという動画サイトには、お気をつけ召されい……。

 

 

 近所のスーパーに買い物に行った。

 そこで、変なおっさんに出会った(私以外の、という意味で)。

 

 平日の昼間、スーパーに客はまばらだ。

 私は車から降りて、店の前のゴミ箱へ。

 

 まずは生活ゴミの廃棄だ。

 片手サイズのポリ袋いっぱいにたまった空き缶を捨てる。

 

 投入口が小さいので、袋ごと捨てられない。

 しかたなく1個ずつ捨てているところへ……「彼」はやってきた。

 

 キーキーとやかましい音を立てながら、ゴミ箱の横に止まる薄汚れた自転車。

 洗濯した気配のない冬服の合わせ着というコーディネートに、蓬髪とごましおヒゲで野性味をアップさせたおっさんが、私には見えない相手に向け(と思われるが定かではない)、ぶつぶつと謎の言葉をつぶやいている。

 

 異様なプレッシャーを感じるが、とりあえずポリ袋が空になるまでは、ここから逃げ出すわけにはいかない(謎の負けん気)。

 私は淡々と空き缶を捨てつづける。

 

 ちなみに、家庭ゴミを店舗などに捨てることに異論もあるようだが、私の場合、そんなことを言われる筋合いはない。

 なぜなら、もともとその店で買ったチューハイの空き缶なので、売った責任を果たしてもらっているだけだからだ。

 

 もしその手の文句を言われたら、そう言い返してやろう、などという考えは杞憂だった。

 そもそも一見して店の人ではないし、義憤に駆られた近所のめんどくさいおっさんという体でもない。

 

 明らかにホームレスっぽい感じで、ああこんな田舎にもこういう人がいるんだなあ、と感慨を新たにしながら、おっさんの言動に耳をそばだてた。

 これがまた、エキセントリックだ。

 

「へい合致、ふぇゆてると、だいがん、ぞいびじて」

 

 べつに変換ミスでもなんでもない。

 そのおっさんが何を言っていたのか、うまく再現できないことが残念だ。

 

 

 都会では、この手の人を見かけることは少なくない。

 宇宙からの電波を受信して、人類代表として交信している感じの人は、あなたの街にもいるはずだ。

 

 単にブルートゥースを経由してグーグル先生と会話しているだけなら、私もその一人だが、おっさんがヘッドホンやイヤホンをつけている気配はない。

 画期的な指向性ウェアラブル・デバイスだろうか。

 

 ともあれ、仮に通話中だったとして、その言語が日本語でない事実のほうが重要だ。

 通話相手は、おそらく彼の脳内の住人であろうと推察される。

 

 ふとおっさんを見たが、おっさんの視線は終始、私と合うことはなかった。

 彼の高次な視界に見えているのは、あちら側の世界なのだろう。

 

 驚くまでもない。

 よくあること(?)だ。

 

 とくに危害を加えてくるタイプでもないようで、おっさんは、私が缶を捨てている間に、どこぞに歩き去ってしまっていた。

 引きこもりがたまに外出すると、世の中のいろんな面に気づけて、じつに楽しい。

 

 

 

 さて。

 

 カラオケの話をしよう。

 日本文化のひとつ、カラオケが、私は苦手だ。

 

 誤解のないように言っておくと、歌は好きだ。

 リリムの生み出した宝だと思っている。

 

 車の中とか、家でひとり、気持ちよく歌い上げることもある。

 疑いもなく、歌はたいへんけっこうなものだ。

 

 私が苦手なのは他人と行く「カラオケ」だ。

 ひとりカラオケならいいのか、という議論にもなるが、べつに家で歌えばいいことなので、ここでは一般的な「みんなでカラオケ」について語る。

 

 これが私は、大の苦手なのだ。

 

 聞くのはべつにいい。

 聞かせるのが難しい。

 

 下手なのかといわれると、そうでもない。

 ただしプロではないので、うまくもない。

 

 空気に合わせて歌う、というのが苦手なのだと思われる。

 昔からそうだったが、大阪に住んでいた30代の一時期に、決定的に理解した。

 

 たぶん私の欠点は、「一生懸命歌ってしまう」ことだ。

 歌い終わった後、聞いていた人にこう言われた。

 

「で、それ、どこで笑たらええの?」

 

 ただ歌えばいいとでも思ってないだろうな?

 という意味だと理解し、答えに窮した。

 

 ただ一生懸命歌う、というボーンヘッドは、とくに大阪では許されない。

 笑っちゃうほどうまいか、吐き気を催すほど下手か、あるいはネタをほりこむかして突っ込みどころを用意しなければ、かの地ではマイクを握る資格さえないのだ(やや偏見)。

 

 私も朱に交わって、大阪で~生まれて~ないんやさかい~、とか変な替え歌をねじこむなど努力はしたのだが、結論から言おう。

 おもしろくない。

 

 自分が似ている芸能人を調べるアプリがあるが、どの表情で何度やっても「松ちゃん」だった私は、声を大にして言いたい。

 顔のタイプと笑いのセンスは、まったく関係がないのだ、と。

 

 たいへん申し訳ないが、私はどうやら「おもしろくない」人間のようだ。

 大阪で「生きる資格がない」レベルの挫折である。

 

 まわりからはもちろん、自分自身おもしろくないのだから、これは致命的だ。

 だれの得にもならない。

 

 以来、カラオケが本格的に苦手になった。

 歌いたければ、ひとりで歌えばよい。

 

 幸いなことに、いっしょにカラオケに行く友人も、ひとりもいない。

 カラオケに行く程度どころか、友人そのものがいない。

 

 正直、人間と会話することが、ほとんどない。

 そんな生活をしている人々が、私を含め、世の中には一定数いる。

 

 自己弁護も含め、あえて言おう。

 おひとりさま万歳!

 

 

 

 ……というわけで、冒頭の話につながる。

 人間と会話しなければ、人間の言語を使う必要はない。

 

 そうして孤独をこじらせることによって、言語をひとつ高い次元へと跳躍させたのが、件のおっさんだったかもしれない。

 私は彼と会話できなかったが、もしかしたら彼と同じ地平まで解脱することで、高次元な意思疎通の道が開けるのではないか(謎の論理)。

 

 世の多くの人々は、あのようなおっさんからは距離をとるだろう。

 正直、私も近づこうとは思わなかった。

 

 畢竟、彼は孤独な生活を送っている蓋然性が高い。

 なんらかのサポートは受けているかもしれないが、彼が多くの仲間たちに囲まれている姿というのは想像しづらい。

 

 が、それをもって彼のことを不幸せだと断定するのは早計だ。

 その人の幸不幸を判断するのは、その人自身なのだから。

 

 はた目で見て「かわいそうだな」などと考えるのはいいとして、それを態度に示すのは、傲慢きわまりないと思う。

 彼は彼で、幸せな人生かもしれないのだ。

 

 ゆえに、孤独に暮らす私を憐れむのは、やめていただきたい。

 おかげさまおひとりさまで、楽しくやっている。

 

 

 人間ごとき、せいぜい百年の孤独を噛みしめて、残りカスの人生を歩むムシケラだ。

 手を擦り、足を擦りながら、死ぬまで生きるだけだ。

 

 たかが生物の一種であることを、忘れてはならない。

 純粋思考体から見れば、薄っぺらな「現象」の連鎖だ。

 

 AIの議論を持ち出すつもりはないが、その彼岸から、われわれがどう見えるのかには興味がある。

 ブッダから、あのおっさんまで、答えの一端を握っている人々もいる。

 

 帰宅して、そういえばしばらく仏壇に線香をあげていないな、と気づいた。

 輪廻が、ここにある。

 

 合掌してみて、嘆息する。

 世は、ひなまつりらしい……。

 

茨城「おまえらさ、いつまでもいつまでも調子ん乗ってんじゃねーかんな?」

栃木「ああ? 目ェ見て謝れ!」

群馬「ごめんねごめんね~って、ローカルな芸人のネタはよせ。若者はだれも知らんだろ。……茨城、まずは理由を聞こうか」

 

 飲み屋らしきところに、県の形の顔をした3人が集まって、喧々囂々していた。

 ちなみに私自身は現在、群馬県民である。

 

茨城「いや、だれが見ても明白だろ。数字はウソをつかんよ。北関東のトップが茨城である理由は、まさに人口1位(北関東では)の茨城県民287万が、そう決めたからだ」

栃木(194万)「……群馬よりは上だし」

群馬(193万)「……微差だろ。だいたい、なんで人口で決めんだよ」

 

茨城「逆に訊くが、それ以外の決め方があるか? この民主主義国家で」

群馬「数を誇る愚民の集団か。むしろ民度を疑うね、田舎の民よ。より都会的に洗練されている、という理由によって1位は決めるべきだと思う」

栃木「いいこと言うね、群馬。……ホッホッ。宇都宮市の人口は52万ですよ。住みよい街ナンバーワンですよ。中核都市ですよ」

 

群馬(ニヤリと笑う)「それだ。群馬には、前橋、高崎。中核都市が2つもある」

栃木(ギクリとする)「宇都宮……のみ」

茨城(目を閉じる)「…………」

 

群馬「え、茨城さん、どうしたん? 中核市ないの? 栃木もたった1個?」

栃木「……い、言っとくけど神奈川パイセンだって、中核市は1個しかないからな」

茨城「その代わり、政令指定都市が3つもあるが」

 

 中核市は人口20万以上の都市で、全国に57ある。

 政令指定都市はそのさらに上位互換で、全国に20しかない。

 札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡といった、そうそうたる「大都市」のことだが、なんとそのうち3つが神奈川に集まっている。

 

群馬「神奈川か……なにしろ戦闘力375万の横浜市があるからな。茨城県民が総がかりでも勝てんぞ。さしずめ都市王子ベジータだな」

栃木「だけどカカロッ東京、おまえがナンバーワンだ。世田谷区だけで93万だぜ……」

茨城「そのくらいにしておけ、戦闘民族の話は。県民より多い市民とか区民ってなんだよ。俺たちは、ふつうの地球人の1位を決めればよいのだ」

 

群馬「……だな。北関東1位の話だもんな」

栃木「そうそう。うちら地球人じゃん。地球人の1位を決めようぜ」

茨城「で、栃木はチャオズ(餃子)ってことで、1位はないな」

 

栃木「天さん逃げてー! って、なんだよそれ! 名前をよく見ろ、名前を。栃の名を冠する、地球人最強のクリ……いや、トチリンとは俺のことだ」

群馬「若干うまい。茨城はヘタレのヤムチャって感じかな」

茨城「じゃあ実質1位じゃん。クリリンは鼻がないし、天津飯は目が多いし、チャオズはキョンシーだろ。まともな人間はヤムチャだけだ」

 

栃木「人間のトップじゃなくて、地球人のトップだよ!」

茨城「人間じゃないことは認めるのかよ。まあ、どう考えても茨城が地球人……じゃなくて北関東1位だ。天下の副将軍・水戸藩が道を通ったら、どう考えても下に~だろ」

群馬「待て待て、トップをとるって話なら群馬に決まってる。何人の総理大臣を輩出してると思ってんだ」

 

茨城「ちっ、史上まれにみるバカ首相どもの話か。天才的な風見鶏の中曽根はともかく、あとはクズじゃん」

群馬「おまえそれ群馬の飲み屋で言うなよ、刺されるぞ」

栃木「国定村の忠次の国は野蛮だな。考えてみりゃ総理大臣なんて、ヤクザの親分みたいなもんだからな」

 

群馬「おかげで道路だけは立派……って、なんか民度低い感じだなおい」

茨城「在任期間より人数が多いってのは、恥知らずのショートリリーフが多い証拠だよ」

栃木「冷めたピザを二千円札で買う感じの人とかいたよね」

 

群馬「ブッチホンは謀殺説もあるくらいだから、意外にがんばってた可能性もあるぞ。まあ俺も政治家はきらいだから、擁護はしないが」

栃木「しないのかよ。まあとにかく、北関東に本物の「都市」はないかもしれん。どう考えても田舎だし。地域ブランド調査の結果も……」

茨城「悲惨すぎる……言うな」

 

 北関東の3県が、47都道府県の魅力ランキングで、茨城47位、栃木46位、群馬45位という結果を出したらしい。

 悲惨すぎるので、彼らはその件には触れないことにした。

 

群馬「しかたない、ちょっと本気出すか。おまえら、うらやましくて泣くから言わないでおこうと思ったけど、群馬には「ぐんまちゃん」いるからな。どうだ、うらやましいか」

栃木「まだ言ってんのか、そんなこと」

茨城「どうせズルしたんだろ。ゆるキャラとか、組織票を動員できるナチス・ドイツみたいな自治体が有利に決まってるからな」

 

 ちなみに、現在のぐんまちゃんは2代目で、本名は「ゆうまちゃん」であることは、あまり知られていない。

 初代のぐんまちゃんは、ただの馬である。

 

群馬「はああ!? 言っとくけど群馬には世界遺産あっからな(富岡製糸場)」

栃木「それならうちもある(日光東照宮)。引き分けだな、群馬よ」

茨城「……死ね(茨城に世界遺産は見つかりませんでした)」

 

群馬「新幹線も走ってっから(上越・北陸新幹線)」

栃木「うちもあるある(東北・秋田・山形新幹線)。やっぱ交通は大事だよね! 茨城、息してる?」

茨城「……おまえら、大事なこと忘れてんよ。おまえらにはあるはずのない、最高に貴重なもんが、茨城にはあんだよ。「海」っていう、すばらしく貴重な大自然遺産がな! え? おまえら内陸の僻地に、「港」ってもんがあんのか? おう、こら、おう!」

 

群馬「…………」

栃木「…………」

茨城「霞ヶ浦あんのか? 地球は水の惑星なんだよ。水を制する者は星を制するんだ!」

 

群馬「……温泉あるよ、うち。伊香保、草津、万座、水上、いくらでも湧いてる。星はともかく、列島は山の神が守ってっから。山こそ日本だから」

栃木「うちもあるよ温泉、一応。鬼怒川、那須、塩原。まあ温泉については、昔から別府と草津は別格とされてるから、そこは認めるよ。スーパー銭湯しかない茨城よりはマシってことで」

茨城「……大企業あっから! 世界の日立ふしぎ発見だから!」

 

群馬「ヤマダ電機で売れるもんを作れ」

茨城「K’sに買いに来い」

栃木「コジマのほうが安い」

 

茨城「おまえら、納豆食わなくて生きられんの? 日本の健康を支えてるの、うちらだから」

群馬「……こんにゃくの入っていないおでんが食えるのか、貴様ら」

栃木「それは食えるけど。主食は餃子でじゅうぶんだし」

 

茨城「文化も担ってっから。研究学園都市あっから。つくば科学万博は世界に発信されたから」

群馬「それこそいつの話だよ」

栃木「エキスポ85のステッカー持ってたなー」

 

茨城「TXは秋葉原直通だから。言っとくけど東京にいちばん近いの(北関東では)俺だから」

群馬「そーいうとこ、チバラギ似てるよな。自分に自信がないから、東京におんぶにだっこって感じ」

栃木「それな。千葉なのに新東京国際空港とか東京ディズニーランドとか東京ドイツ村とか、どこだよと」

 

茨城「千葉ディスんなよ、てめーら、ダサイタマにへばりついた腰ぎんちゃくが」

栃木「おまえ、埼玉センパイをナメると、体育館の裏呼ばれんぞ」

群馬「内陸国ナメんなよ。灼熱のフェーン現象で燃やされるからな」

 

茨城「だから、千葉埼玉問題はやめろと。……でっかい神様いっから、うちとこ。牛久のヤバい大仏さん、世界一だから」

群馬「高崎にも山の上に観音さまいるぞ、一応」

栃木「どっちも新しすぎる。日本最古の大谷観音にはかなわんでしょ」

 

群馬「たしかに大谷石の千手観音は見るべきだが、古さでいえば、われらが岩宿遺跡は図抜けておるぞ。なにしろ旧石器時代だからな」

茨城「山のほうだから残ってるだけだよ。沿岸部は縄文海進で洗われちまったからな。そもそもうちらは、過去より未来を見てんだよ。つくばの先端教育には未来が詰まってるわ」

栃木「教育ってことなら、うちとこ中世から熱心でしたぜ、足利学校あるし」

 

 しばらく顔を見合わせていた3人は、疲れたように嘆息した。

 群馬が軽く腕をまくったが、喧嘩腰ではなかった。

 

群馬「……もうジャンケンで決めようぜ」

栃木「なんだそりゃ」

茨城「ヤクザの国だからギャンブルで決めたがるんだろ」

 

群馬「人口あたりでいえば、パチンコ屋が多い1位は鹿児島らしいぞ」

栃木「鹿児島、高知、鳥取、宮崎、長崎、秋田……なんだよ、田舎ばっかだな」

茨城「パチンコ以外に娯楽がないんだろ。じゃあ、ひとりあたりのパチンコ台が少ないほうが上ってことにするか。パチンカスの少ないほうが、いい国に決まってるからな」

 

群馬「待て、調べるから。……くそ、北関東では群馬13位、栃木15位、茨城16位だ」

栃木「僅差じゃん。なんだかんだいって団子状態ってのが、モヤッとすんな」

茨城「しょせん北関東か。その中途半端さが、むしろ恥ずいわ」

 

群馬「……きょうのところは引き分けってことにしないか」

栃木「めんどくさいからもういいよ、それで」

茨城「おとなの対応をしてやんよ。いいぜ、引き分けな」

 

 そして3人は、西と北と東に別れて歩き去ったとな。

 めでたしめでたし。

 

 そんな夢を見た。

 北関東1位は、あなたの心のなかにいます……。