茨城「おまえらさ、いつまでもいつまでも調子ん乗ってんじゃねーかんな?」

栃木「ああ? 目ェ見て謝れ!」

群馬「ごめんねごめんね~って、ローカルな芸人のネタはよせ。若者はだれも知らんだろ。……茨城、まずは理由を聞こうか」

 

 飲み屋らしきところに、県の形の顔をした3人が集まって、喧々囂々していた。

 ちなみに私自身は現在、群馬県民である。

 

茨城「いや、だれが見ても明白だろ。数字はウソをつかんよ。北関東のトップが茨城である理由は、まさに人口1位(北関東では)の茨城県民287万が、そう決めたからだ」

栃木(194万)「……群馬よりは上だし」

群馬(193万)「……微差だろ。だいたい、なんで人口で決めんだよ」

 

茨城「逆に訊くが、それ以外の決め方があるか? この民主主義国家で」

群馬「数を誇る愚民の集団か。むしろ民度を疑うね、田舎の民よ。より都会的に洗練されている、という理由によって1位は決めるべきだと思う」

栃木「いいこと言うね、群馬。……ホッホッ。宇都宮市の人口は52万ですよ。住みよい街ナンバーワンですよ。中核都市ですよ」

 

群馬(ニヤリと笑う)「それだ。群馬には、前橋、高崎。中核都市が2つもある」

栃木(ギクリとする)「宇都宮……のみ」

茨城(目を閉じる)「…………」

 

群馬「え、茨城さん、どうしたん? 中核市ないの? 栃木もたった1個?」

栃木「……い、言っとくけど神奈川パイセンだって、中核市は1個しかないからな」

茨城「その代わり、政令指定都市が3つもあるが」

 

 中核市は人口20万以上の都市で、全国に57ある。

 政令指定都市はそのさらに上位互換で、全国に20しかない。

 札幌、仙台、名古屋、京都、大阪、福岡といった、そうそうたる「大都市」のことだが、なんとそのうち3つが神奈川に集まっている。

 

群馬「神奈川か……なにしろ戦闘力375万の横浜市があるからな。茨城県民が総がかりでも勝てんぞ。さしずめ都市王子ベジータだな」

栃木「だけどカカロッ東京、おまえがナンバーワンだ。世田谷区だけで93万だぜ……」

茨城「そのくらいにしておけ、戦闘民族の話は。県民より多い市民とか区民ってなんだよ。俺たちは、ふつうの地球人の1位を決めればよいのだ」

 

群馬「……だな。北関東1位の話だもんな」

栃木「そうそう。うちら地球人じゃん。地球人の1位を決めようぜ」

茨城「で、栃木はチャオズ(餃子)ってことで、1位はないな」

 

栃木「天さん逃げてー! って、なんだよそれ! 名前をよく見ろ、名前を。栃の名を冠する、地球人最強のクリ……いや、トチリンとは俺のことだ」

群馬「若干うまい。茨城はヘタレのヤムチャって感じかな」

茨城「じゃあ実質1位じゃん。クリリンは鼻がないし、天津飯は目が多いし、チャオズはキョンシーだろ。まともな人間はヤムチャだけだ」

 

栃木「人間のトップじゃなくて、地球人のトップだよ!」

茨城「人間じゃないことは認めるのかよ。まあ、どう考えても茨城が地球人……じゃなくて北関東1位だ。天下の副将軍・水戸藩が道を通ったら、どう考えても下に~だろ」

群馬「待て待て、トップをとるって話なら群馬に決まってる。何人の総理大臣を輩出してると思ってんだ」

 

茨城「ちっ、史上まれにみるバカ首相どもの話か。天才的な風見鶏の中曽根はともかく、あとはクズじゃん」

群馬「おまえそれ群馬の飲み屋で言うなよ、刺されるぞ」

栃木「国定村の忠次の国は野蛮だな。考えてみりゃ総理大臣なんて、ヤクザの親分みたいなもんだからな」

 

群馬「おかげで道路だけは立派……って、なんか民度低い感じだなおい」

茨城「在任期間より人数が多いってのは、恥知らずのショートリリーフが多い証拠だよ」

栃木「冷めたピザを二千円札で買う感じの人とかいたよね」

 

群馬「ブッチホンは謀殺説もあるくらいだから、意外にがんばってた可能性もあるぞ。まあ俺も政治家はきらいだから、擁護はしないが」

栃木「しないのかよ。まあとにかく、北関東に本物の「都市」はないかもしれん。どう考えても田舎だし。地域ブランド調査の結果も……」

茨城「悲惨すぎる……言うな」

 

 北関東の3県が、47都道府県の魅力ランキングで、茨城47位、栃木46位、群馬45位という結果を出したらしい。

 悲惨すぎるので、彼らはその件には触れないことにした。

 

群馬「しかたない、ちょっと本気出すか。おまえら、うらやましくて泣くから言わないでおこうと思ったけど、群馬には「ぐんまちゃん」いるからな。どうだ、うらやましいか」

栃木「まだ言ってんのか、そんなこと」

茨城「どうせズルしたんだろ。ゆるキャラとか、組織票を動員できるナチス・ドイツみたいな自治体が有利に決まってるからな」

 

 ちなみに、現在のぐんまちゃんは2代目で、本名は「ゆうまちゃん」であることは、あまり知られていない。

 初代のぐんまちゃんは、ただの馬である。

 

群馬「はああ!? 言っとくけど群馬には世界遺産あっからな(富岡製糸場)」

栃木「それならうちもある(日光東照宮)。引き分けだな、群馬よ」

茨城「……死ね(茨城に世界遺産は見つかりませんでした)」

 

群馬「新幹線も走ってっから(上越・北陸新幹線)」

栃木「うちもあるある(東北・秋田・山形新幹線)。やっぱ交通は大事だよね! 茨城、息してる?」

茨城「……おまえら、大事なこと忘れてんよ。おまえらにはあるはずのない、最高に貴重なもんが、茨城にはあんだよ。「海」っていう、すばらしく貴重な大自然遺産がな! え? おまえら内陸の僻地に、「港」ってもんがあんのか? おう、こら、おう!」

 

群馬「…………」

栃木「…………」

茨城「霞ヶ浦あんのか? 地球は水の惑星なんだよ。水を制する者は星を制するんだ!」

 

群馬「……温泉あるよ、うち。伊香保、草津、万座、水上、いくらでも湧いてる。星はともかく、列島は山の神が守ってっから。山こそ日本だから」

栃木「うちもあるよ温泉、一応。鬼怒川、那須、塩原。まあ温泉については、昔から別府と草津は別格とされてるから、そこは認めるよ。スーパー銭湯しかない茨城よりはマシってことで」

茨城「……大企業あっから! 世界の日立ふしぎ発見だから!」

 

群馬「ヤマダ電機で売れるもんを作れ」

茨城「K’sに買いに来い」

栃木「コジマのほうが安い」

 

茨城「おまえら、納豆食わなくて生きられんの? 日本の健康を支えてるの、うちらだから」

群馬「……こんにゃくの入っていないおでんが食えるのか、貴様ら」

栃木「それは食えるけど。主食は餃子でじゅうぶんだし」

 

茨城「文化も担ってっから。研究学園都市あっから。つくば科学万博は世界に発信されたから」

群馬「それこそいつの話だよ」

栃木「エキスポ85のステッカー持ってたなー」

 

茨城「TXは秋葉原直通だから。言っとくけど東京にいちばん近いの(北関東では)俺だから」

群馬「そーいうとこ、チバラギ似てるよな。自分に自信がないから、東京におんぶにだっこって感じ」

栃木「それな。千葉なのに新東京国際空港とか東京ディズニーランドとか東京ドイツ村とか、どこだよと」

 

茨城「千葉ディスんなよ、てめーら、ダサイタマにへばりついた腰ぎんちゃくが」

栃木「おまえ、埼玉センパイをナメると、体育館の裏呼ばれんぞ」

群馬「内陸国ナメんなよ。灼熱のフェーン現象で燃やされるからな」

 

茨城「だから、千葉埼玉問題はやめろと。……でっかい神様いっから、うちとこ。牛久のヤバい大仏さん、世界一だから」

群馬「高崎にも山の上に観音さまいるぞ、一応」

栃木「どっちも新しすぎる。日本最古の大谷観音にはかなわんでしょ」

 

群馬「たしかに大谷石の千手観音は見るべきだが、古さでいえば、われらが岩宿遺跡は図抜けておるぞ。なにしろ旧石器時代だからな」

茨城「山のほうだから残ってるだけだよ。沿岸部は縄文海進で洗われちまったからな。そもそもうちらは、過去より未来を見てんだよ。つくばの先端教育には未来が詰まってるわ」

栃木「教育ってことなら、うちとこ中世から熱心でしたぜ、足利学校あるし」

 

 しばらく顔を見合わせていた3人は、疲れたように嘆息した。

 群馬が軽く腕をまくったが、喧嘩腰ではなかった。

 

群馬「……もうジャンケンで決めようぜ」

栃木「なんだそりゃ」

茨城「ヤクザの国だからギャンブルで決めたがるんだろ」

 

群馬「人口あたりでいえば、パチンコ屋が多い1位は鹿児島らしいぞ」

栃木「鹿児島、高知、鳥取、宮崎、長崎、秋田……なんだよ、田舎ばっかだな」

茨城「パチンコ以外に娯楽がないんだろ。じゃあ、ひとりあたりのパチンコ台が少ないほうが上ってことにするか。パチンカスの少ないほうが、いい国に決まってるからな」

 

群馬「待て、調べるから。……くそ、北関東では群馬13位、栃木15位、茨城16位だ」

栃木「僅差じゃん。なんだかんだいって団子状態ってのが、モヤッとすんな」

茨城「しょせん北関東か。その中途半端さが、むしろ恥ずいわ」

 

群馬「……きょうのところは引き分けってことにしないか」

栃木「めんどくさいからもういいよ、それで」

茨城「おとなの対応をしてやんよ。いいぜ、引き分けな」

 

 そして3人は、西と北と東に別れて歩き去ったとな。

 めでたしめでたし。

 

 そんな夢を見た。

 北関東1位は、あなたの心のなかにいます……。

 

 私はしばらくマーケットのカスリで暮らしていた人間なので、引退した現在も、惰性で経済ニュースをよく見る。

 で、情報サイトの「ジモティー」がマザーズで株式公開も初値つかず、2日目に2.3倍で寄り付いた、というニュースをボーッと眺めていた。

 

 ……そういえば、洗濯機の調子が悪い。

 表示では30分で済むところ、なぜか1時間たっても終わらない。

 

 2010年製造なので、10年モノだ。

 使えるのは7年です、と本体のシールに書いてある。変なことを書くな、パナソニック。

 

 その前の東芝は、20年も使えた。

 壊れるまで使いたかったが、さすがに外側がボロボロになったので捨てた。

 

 今回は、まだ壊れてはいないが調子が悪い。

 そのまましばらく使っていたが、自然に直る気配も、さらに壊れる気配もない。

 

 私は暇人なので、洗濯ごとき何時間かかっても構わない。

 しかし、たまにやってきて勝手に洗濯をしていく母親には、すこぶる評判が悪い。

 

 で、彼女が勝手に新しい洗濯機を買いそうな勢いだったので、いや、べつに買ってもいいのだが、ふと思いついた。

 ジモティー使ってみよう。

 

 

 検索すると、ちょうどいいタイミングで見つかった。

 人より猿が多い(過剰な誇張表現)ド田舎で、たまたま、ご近所に「新しい洗濯機を買ったので古いほうをあげます」というキトクな方がいた。

 

 連絡を取り、とんとん拍子に取引成立だ。

 とある週末の午後、祖母のために購入した車いす仕様とは言い条、荷物を運ぶのにも最適な後部スロープつき福祉車両に、ひさしぶりにエンジンをかけた。

 

 で、洗濯機運搬用の台車を積み込もうとトランクに手をかけて、止まった。

 開かない。

 

 それまでも食料の買い出しに、たまには乗ってはいたが、トランクを開けるのは久しぶりだ。

 数か月以上も使う機会がなくて、バックドアに触れもしなかった。

 

 それが開かない、というのは神の啓示、神罰だろうか。

 ばあちゃんスマン。

 

 ともかく、早めに家を出ようとして正解だった。

 1時間ほど余裕があるので、先に修理をしよう、と田舎の坂道へ乗り出した。

 

 さしあたりトランクが開かない以外の問題はないようだ。

 エンジンは快調に吹け上がる。

 

 

 さて。

 私は基本的に、自分でできることは自分でやるようにしている。

 

 車関係についても、電装品などできる範囲は自分で取り付ける。

 専門技術が必要な板金や足回りなどは別として、DIYがモットーだ。

 

 しかし、ドアが開かない。

 これはDIY案件の域を超えている……気がする。

 

 すくなくとも内張を剥がしてケーブルを見て、などとやっている時間はない。

 餅は餅屋だ。

 

 修理してもらおう、という判断は迅速だった。

 なにしろ時間もないし、自分の力が及ばないと判断したら、すなおに「餅屋」を訪ねるに限る。

 

 自力を捨て、他力にすがる。

 仏教的な思想が脳裏をめぐったが、皮肉にも、それは「たらいまわしゲーム」の始まりだった。

 

 

 助けてくれそうなクルマ関係業者を、立ち寄れる順に訪ねた。

 GSの店員にどうこうできる問題ではないところまではよい。想定の範囲内だ。

 

 が、次に寄った有名なカー用品店で軽くあしらわれたことには、だいぶ萎えた。

 忙しいから無理ですと、見てすらもらえなかった。

 

 次に、町の自動車屋に行った。

 そこのおじいさんはやや親切で、一応は見てくれたが、車に乗るのも一苦労の老人で、結局はなんの役にも立たなかった。

 

 板金屋に行ってくれと言われ、店を紹介してくれたことに親切を感じはしたが、その板金屋も、役には立たなかった。

 人手が足りないとか、預かりになるが代車がないとか、どうにか追い返そうとしているように感じられた。

 

 もちろん、この時点で私は理解している。

 バックドアが開かない程度の修理では、利益が出ないのだ。

 預かって代車まで出したところで、ろくな儲けも出ない客は帰してしまおう。

 

 忖度するまでもない。

 手間がかかる、利益にならない客は、断られて当然なのだ。

 

 彼らの結論は一様に、ディーラーに持って行ってくれ、だ。

 たらいの行き着く先は、製造物責任を負うべきメーカー直営のディーラーだった。

 

 しかし、わが田舎街に、直営店など存在しない。

 あなた方に、はっきりと言っておく。

 

 ここは田舎ではない。

 ド田舎なのだ。

 

 まあドはつくものの、隣には一応、中核都市がある。

 そこまで1時間以内には行けるので、日常の不便はさほどない……が、現状、往復するには時間が足りない。

 

 取引の約束は2時。そして現在1時半。

 そもそも修理の時間を考えれば、間に合うはずもない。

 

 

 よく理解した。だれも助けてはくれない。

 しかたなく「自力救済」をはかった。

 

 バックドアが開かないなら、後部ドアを使えばいいじゃない?

 オレー・アントワネットの発想に開眼した。

 

 大物の白物家電ではあるが、しょせん洗濯機だ。

 6ドアの大型冷蔵庫を、上がり框の段差もなんのその、独力で移動させたこともある。

 

 毎日ちゃんと筋トレもしている。

 できんことはあるまい。

 

 というわけで、覚悟を決めて約束の時間通りに訪問した。

 そして「全部こちらでやります」という約束通り、手伝いを求めることなく、裏口に置いてある洗濯機を引き取った。

 

 たとえ運べなくても、約束通りに行動するのは当たり前だ。

 できんことを言ってはならんのだから。

 

 

 で、バックドアの開かない車と、中古の冷蔵庫が、田舎道にぽつねんと並ぶ。

 私は気合を入れ、目測で「どうにか入るな」と確認、よっこらせと持ち上げた。

 

 横倒しにしてぎりぎりの後部ドアの隙間、なるべく当たらないように押し込み、車内で立て直す。

 重さより、位置をコントロールするほうが難しかったが、どうにかやっつけた。

 

 なんでも、やればできる。ともかく、やってみよう。

 それこそ大人チャレンジの精神だ。

 

 ドアの修理はいまのところスキルが足りないが、ちょっとした知識を追加すればできるはずだ。

 ともかく自分でできることはやろう、と思ったところまでが、今回の話の壮大な前振りである。

 

 

 

 私はこの件で、なにを思ったか。

 だれも助けてくれない、と世間の人々の不親切を慨嘆するか?

 

 否。

 たしかにムカつきはしたが、そりゃそうだろうな、とむしろ納得し、受け入れる方向に落ち着いた。

 

 助けを求めたところで、助けてもらえるとは限らない。

 それが世間というものだ。

 

 しかし一方で、世間には「私が助けを求めていそうだと気付いたら、なにも言わなくても助けにきてくれて当然、それをしないやつは悪人」とまで言い切る、甘ったれた人々が存在することも、また事実だ。

 

 昔、企業研修でやったオリエンテーション(コンセンサスゲーム)を思い出したので、ぜひみなさんも考えていただきたい。

 だれが一番の悪人か。

 

 

 登場人物は5人(5段階評価用)。

 「無人島での出来事」というタイトルで検索されれば出てくると思うが、時間のない人のために、手短に説明しよう。

 

 

 

 とある船が、嵐のため沈没、乗客は2隻のボートに別れ漂流した。

 一隻には「若い女性」と「水夫」と「老人」、もう一隻には女性の「フィアンセ」とフィアンセの「親友」が乗っていた。

 

 若い女性の乗ったボートは、ある無人島に漂着した。

 彼女はフィアンセを探したが、見つからない。

 

 すこし離れたところに同じような島があることに気づいた女性は、フィアンセがいるかもしれないと思い、水夫にその島に連れて行ってくれるよう頼んだ。

 水夫は、一晩自分と過ごすことを条件に了承した。

 

 若い女性は悩み、老人に相談した。

 老人は「私には判断できない。あなたにとって1番大切なものを考えて決めなさい」と助言した。

 

 結局、若い女性は水夫と一晩を共にし、水夫は約束どおり女性を隣の島へ運んだ。

 浜辺には、フィアンセが立っていた。

 

 若い女性は、うれしさのあまりボートから海に飛びこんで、フィアンセに駆け寄り抱き締めた。

 彼女は迷いながらも、水夫に抱かれたことを正直に告白した。

 

 するとフィアンセは落胆し、彼女を突き飛ばしどこかへ去ってしまった。

 悲しむ女性に、フィアンセの親友が近づいて優しく言った。

 「彼にはいつか話してあげるから、それまでぼくといっしょにいよう」。

 

 

 話は以上だ。

 ここから先、あなたの判断を問うている。

 

 若い女性、水夫、老人、フィアンセ、フィアンセの親友の5人で、許せないと思う順位を付けて下さい。

 最も許せない人が1、正しいと思う人が5です。

 

 

 

 まず、私の結論から述べよう。

 フィアンセ1、水夫2、老人3、女性4、親友5、だ。

 

 フィアンセの親友は、一見親切らしいが下心が透けて見える、という見方をする人にとっての順位は低い。

 が、すくなくとも表向きはまったく悪くないし、この先はともかく現状では正しいと判断できるので、5だ。

 

 若い女性は、自分の商品価値を巧みに利用し、そのことを正直に告白までした。

 男を見る目がなかったという減点1くらいで、さほど悪くない。4だろう。

 

 老人は、ひらたくいえば「なにもしていない」。

 良くも悪くもないので中間点、3だ。

 

 水夫は、相手の弱みに付け込んではいるものの、やるべき仕事は果たしている。

 2だ。

 

 フィアンセは、単純に心が狭い。

 純潔を重んじる宗教的な価値観の人々にとってみれば正しいのかもしれないが、その手の信仰のない私にとっては、1だ。

 

 

 それ以外の考え方をする人も、たくさんいると思う。

 この話だけで長いディスカッションができるので、今回は焦点を絞る。

 

 ターゲットは「老人」だ。

 

 私は、なにもしていない老人は、どう考えても「真ん中」だろうと思った。

 プラスもマイナスもない以上、むしろ善悪をはかる指標として、中間点に置くのは至当であろうと。

 

 にもかかわらず、世間には、彼が「いちばん悪い」と判断する人がいる。

 しかも、それなりの一定数いるらしいのだ。

 

 助けることができたのに、なにもしなかった。

 もっと親身になって相談に乗るべきだった。

 

 同じオリエンテーションに参加した女性は、そのように激しく主張した。

 たぶん彼女は、世間が自分を助けてくれるのは当たり前のことで、それをやらない人々は、おしなべて悪人であるという考えらしい。

 

 異なる考えを持つ私は、かなり呆気に取られてしまったことを記憶している。

 そこがまさに、このゲームのポイントであるのだが。

 

 合意形成を行なうことの難しさと、コミュニケーションスキルを磨くためのゲーム。

 有意義な教育の先に広がる可能性の話は、また別の機会にしよう。

 

 

 この話で真っ先に思い当たるのが、「イジメは助けない人も加害者」という議論だ。

 傍観者は加害者と同罪、という言い方を聞いたことがある人は多いだろう。

 

 ようやく話のタイトルに近づいてきた。

 助けなかった「老人」は、要するにイジメを傍観する側の人というわけだ。

 

 ついでに告白すれば、私も「老人」側のひとりである。

 このことをもって私を悪人と判断されるなら、残念だが受け入れるしかない。

 

 私自身は「助けない」人だ。

 よって、彼らの目から私は「加害者」となる。

 

 そこで、あえて言おう、ふざけんな、と。

 なんで、助けないことが犯罪なんだよ?

 

 

 私が「助けない」ことには、それなりの理由がある。

 たとえば、助けを「求めていない人」は、基本的に助けない。

 

 以前、このようなことがあった。

 良かれと思って、困っているように見える人を助けて、「助けてくれなんて言ってねえよ!」と逆切れされたのだ。

 

 いわゆる「大きなお世話」だったらしい。

 そのとき私は、恥ずかしながらイラッとしてしまった。

 

 いま思い返しても腹立たしい。いや、相手に対してではない。

 イラついた「自分自身」を思い出して、腹立たしく恥ずかしいのだ。

 

 問題は、この件で「正しいのは相手である」ことだ。

 私にイラつく資格はない。なぜなら彼は、たしかに私に助けを求めてはいなかったのだから。

 

 そんな彼を助けて、いいことをしたつもりになってしたり顔の貴様の傲慢な態度にはヘドが出る、と言われても私に返す言葉はないのだ。

 全面的に彼が正しく、私が間違っている。

 

 その事実を認めたので、以後、私は助けを求めてもいない人を助けることをやめた。

 ……やや話がそれた。イジメの話に戻そう。

 

 

 ともかく、いちばん悪いのはどう考えても「イジメている当人」に決まっている。

 それ以外の選択肢が存在すること自体、不思議でならない。

 

 いちばん悪いのは助けない人、傍観者である、という詭弁以外の何物でもない議論が前面に押し出されている時点で、ゾッとする。

 舞台俳優が、悪人と戦わず、観客に殴りかかってくるようなものだ。

 

 イジメは基本、当人が解決すべき問題だ。

 もちろんその力が足りない場合には、助けを求めるのは正しい選択だし、求めるべきだろう。

 

 しかし残念ながら、助けを求めたところで応じてもらえるとは限らないし、見捨てられた経験を積み重ねることが人生だ、とさえ(ある意味)思う。

 世間とはそういうものだ、と覚悟してそれに立ち向かう精神を涵養するのが、教育の本来あるべき姿ではあるまいか?

 

 しかるに、彼らは(助けない)私を、加害者呼ばわりする。

 これは(なにもしていない)私に対する、先制攻撃だ。

 

 助けてくれないから悪人だ、と断言している以上、明確だろう。

 この非常な違和感を覚えるロジックをもって、彼らが私を敵視するなら、よろしい、その宣戦布告を受けようではないか。

 

 

 敵にも味方にもならない、と公言する永世中立国のスイスに、貴様は俺の味方にならないから敵である、と決めつけたら彼らはどう応じるか?

 永世中立国は非武装ではない、むしろ重武装をもって自己の中立を守るだろう。

 

 私はスイスほど狷介ではない。

 仲間になってください、と言われれば手助けもしよう(するとは限らない)が、いきなりおまえは敵だと言われたら、ならば戦争だ、となるに決まっている。

 

 明らかに戦略を間違えた人々には、懲罰を加えよう。

 いまのところ決行する機会に恵まれてはいないが、彼らの望む敵役を全身全霊で果たす覚悟は揺るがない。

 

 味方になってくれる可能性を潰しても、まずは敵視する、という愚策をもって、せいぜい敵を増やすがいいだろう。

 ただでさえ苦しい人々を、より苦しませるために。

 

 

 

 さて、オチだ。

 現に、助けを求めて得られなかった私が、どうにか自力で洗濯機を運んで満足した日に戻ろう。

 

 さしあたりバックドアを開ける必要もないし、修理は後でいいかと思った……が。

 そういうわけにいかなくなった。どうやらキーレスまで故障したらしいのだ。

 

 洗濯機の設置を済ませた後、しかたなく電話で問い合わせた。

 ディーラー曰く、いくらかかるかは見てみないとわかりません、と言われ戦々恐々しつつ車を走らせた。

 

 結論から言うと、その修理費用、0円。

 もちろん説明が必要だろう。

 

 担当してくれたのは20代の若者だったが、キーレスとバックドアをしばらく眺めてから、ヘラのようなものを手に後部シートへ。

 ……あっさり開く。キーレスも稼働。

 

 呆気にとられる私。

 若者は私にキーを渡し、説明してくれた。

 

 半ドアのまま閉じたバックドアが、田舎の夜の寒さ(寒暖差)を受けて、ゴムの部分が吸着して開けられなくなる(もしかしたらちゃんと閉じていたのに、寒さで吸着したドアが引き上げられた結果、半ドアになった可能性もある)。

 ちゃんと閉じたように見えるのですぐには気づかないが、半ドア状態だからキーレスが利かなくなる(車いす仕様の改造車両では、バックドアの半ドアを表示しない場合があるので、さらに気づきづらくなる)──。

 

 そんな寒冷地あるある(?)を聞かされ、目からうろこが落ちた。

 私は、私の知らないこと、できないことを容易にやってのけた若者に敬意を払いつつ、問うた。

 

「力尽くで開けようとしたら開いたってことですか?」

「いや、そしたら壊れますね、たぶん。隙間のゴム押せば剥がれるんで、ちょっとしたコツなんすよ」

 

 修理を頼むため最初に訪ねた量販店の店員に、「ちょっとしたことかもしれないんで、見るだけ見てもらっていいですか」とお願いしたが、「忙しいから無理、ディーラー行ってください」と一蹴された私の見立ては、ある程度正しかったわけだ。

 むしろ自動車屋のじいさんは何を見ていたのか。それより、さすがは慣れたディーラーのメカニックと褒めるべきか。

 

 小学校でやった実験、断熱膨張などという言葉を思い出すまでもない。

 低温で密閉された空間は圧力が下がり、外部との気温差が大きくなるほど吸着して開かない。大気の圧力、そして田舎の寒暖差とは、それほどまでに強力なのだ。

 

 言い換えれば、内外の圧力さえ整えてやれば、簡単に開く。

 シンプルな物理法則だよ、ワトソンくん。

 

 ものの2分でキーレスとバックドアの故障(してはいないが)を直した自動車修理工。

 ああいう人に、私はなりたい。

 

 

 このオチから汲み取るべき教訓は、こういうことだ。

 助けを求めて得られなかったからこそ、新たな発想で別の行動を選ぶことができた。

 

 さらに、その車に詳しくない業者に預けて余計な費用がかかったであろうところ、結果的に詳しい人のところに持って行くことで修理費用が浮いた。

 最初に「助けてもらえなかった」ことが、必ずしも悪い結果にならなかった、むしろ最善の結果をもたらした。これは事実だ。

 

 事実を冷静に受け入れ、考えてもらいたい。

 私を助けてくれなかったからといって、だれも彼らを加害者呼ばわりはしない。

 

 助けないから敵だ、おまえは加害者だ、と一方的に指弾して、自分はいいことを言ったとでも思っている偽善者(と断定していいだろう、邪悪な先制攻撃者に対しては)たちは、鏡を見て知るべきだ。

 自分は、「われわれの教義に染まらない者どもは罪深く、全員地獄に落ちるだろう」と叫ぶ狂信者と同じ顔をしている、と。

 

 

 ちょっとした知識、きっかけで、できないことができるようになる。

 いじめられっ子も、同じことではないか。

 

 ちょっとした助けで、解決できることはある。

 外野からヘタなちょっかいをかけて、足を引っ張るのはいかがなものだろう。

 

 私自身、いじめっ子も、いじめられっ子も経験している。

 結局いちばんバランスがいいのは、どっちにも属さないことだ。

 

 私の場合、無視してもらうことは、ある意味、救いですらあった。

 孤独を愛する、人間ぎらいの傾向をもった、私個人の性格のせいかもしれないが。

 

 傍観者は、敵でも味方でもない。

 あなたが、だれかを助けるのも、傍観するのも、自由なのだ。

 

 そして、まず叫ぶのではなく、よく考えよう。

 世界を傍観して考えることは、とても大事で楽しいことだ。

 

 傍観者は悪くない(良くもないが)。

 と、異論反論オブジェクションと思われる自説を重ねて申し述べ、締めくくるとしよう。

 

 長文失礼しました──。

 

 買い物システムが劣化している、ような気がしたエピソード。

 もしくは、そもそも私が住んでいる田舎にとっては、これが標準レベルなのかもしれないが。

 

 と思った理由を、順に記してみよう。

 

 

 私は楽天の奴隷なので、お得なタイミングでまとめて買い物をする。

 だいたいの場合、買い物はまとめたほうが得になる、これは買い物奴隷にとっての常識だ。

 

 で、まちがいなく注文すればいいのだが、人間なのでミスをする。

 ひとつやふたつならともかく、数が多くなるとそれだけミスりやすくなるのはしかたない。

 

 PCとスマホから適宜、買い物をする私だが、あとから考えると、どうやら、もう買ったものと、まだ買っていないものがわからなくなっていた、バカな買い物客だったらしい。

 老化と言われればそれまでだが、ともかく同じ商品を2つ買ってしまった。

 

 届くまで気づかないパターンもある。

 が、その前に履歴で確認したところが、まだ救いのあるところだ。

 

 買い物をした当日中に、ショップにキャンセルのメールを送った。

 もちろんまだ発送していないから、速やかにキャンセル処理されることだろう、と思い込んでいた。

 

 2日後、ショップから発送メールが届いた。

 送料無料の同じ商品が2つ、勝手に同梱されて発送されている。

 

 キャンセルが通っていない。

 しかたない、買いましょう、などと受け入れる私では、もちろんない。

 

 ただちにフォームから問い合わせた。

 すると返ってきたのは、とても不自由な文面の日本語だった。

 

 定型文の部分はまだいいのだが、変更する必要のある言葉の端々がおかしい。

 こんなところまで外人かよ、と思いながら、意味不明な対応を眺める。

 

 返品は手数料1000円だの、返送料金はお客様持ちだの……。

 わけがわからない。ミスってんのは、おまえだろう。

 

 即座にキャンセルのメールを出した、記録もある、確認しなかったそちらのミス、と指摘した。

 送信時刻などメールデータを付記する。

 

 するとその外人、そんなメールは見つからないが、しかたないのでキャンセル処理をする、着払い伝票で返送しなさい、的な、ふつうに考えれば当然の対応に切り替えた。

 対応自体は当たり前なのだが、ムカついたのは、「そんなメールはない」と言い張っていることだ。

 

 キャンセルのメールですが、探したらありました、すいません、見逃していました、ただちに対応します、と正直に言うならまだしも。

 そんなメールはない、というウソを貫くのは、どういう了見だ? おまえの国では、送信の証拠を突き付けられても、そういう言い訳をすることがデフォルトなのか?

 

 外人の「下手な言い訳」リストは、ネットで探せばいくらでも出てくるので、不愉快になりたい人は捜して読んでみるのもいいだろう。

 こういう外人と働かなければならない日本人は大変だ。

 

 

 さて、問題はそれだけで終わらない。

 外人どころか、日本人も劣化している可能性がある。

 

 その荷物は佐川が持ってきたのだが、返品したいので着払い伝票をくださいと頼んだ。

 そこで驚いたのだが、なんと、佐川のサービスドライバーは「伝票を持ち歩いていない」らしい。

 

 田舎だけの事象か、全国的な事象かは知らないが、ともかく日常的に使うであろう伝票を持ち歩いていないことに驚き、しかたないので「じゃあ持ってきて」と頼んだ。

 「明日持ってきます」ということになった。

 

 で、翌日。

 荷物はとっくにできている……が、待てど暮らせど……こない。

 

 夕方になってさすがにおかしいと思い、営業所に電話した。

 きのうのドライバーは休みなのか、話を引き継いだらしい別のドライバーから、折り返し電話があった。

 

 そこで彼は、信じられないことを言った。

 「伝票を持って行くだけだと思ったので、明日でもいいかと」。

 

 ……待て。なんだそれは。

 そもそも集荷を頼んでいるし、よしんば伝票を持って行くだけにしろ、明日行きますと言ったらこなきゃダメだろ!

 

 特別な繁忙期とか、豪雪とかならまだわかる。

 が、ほどほどに温かくていい天気、2月の半ば、どう考えても閑散期だ。

 

 どうなってるんだ、佐川。

 と、こちらの都合ばかりを述べるのもなんなので、彼の気持ちも忖度しよう。

 

 おそらく「山に登りたくなかった」のではあるまいか。

 残念ながら、私の住んでいる土地は、非常な田舎なのだ。

 

 山のほうに届けるついででもあれば行ってやってもいいけど、伝票だけなんかかったりーな、そんなことであんな山奥まで行きたくねーよ。

 佐川のおっさんがそう考えても、残念ながら理解はできる。

 

 たしかにここは山奥だ。わざわざ行くのは大変なのだ。

 が、だったら「明日行く」とか言わないでくれないか。

 

 田舎とはいえ近所には郵便局もある。

 昼間の暇な時間に荷物を送るくらい、簡単なことなのだ。

 

 なぜそれをしなかったか?

 佐川に頼んである、と思ったからだ。

 

 せっかく荷物を取りに来たのに、もう送っちゃったよ、というのは申し訳ない、と考えるのが私にとっての常識だった。

 だが佐川にとっての常識は、そのうち気が向いたときにでも伝票持って行けばいいだろう、程度だったのだ。

 

 

 このお互いの認識の格差が、悲しい1日を生んだ。

 これを劣化と呼んでいいのかはわからない。

 

 すくなくとも、ひとつの注文ミスから社会のほつれ目を見つけ出すという思考実験は、いい暇つぶしにはなった。

 脳は生きている間に使いましょう。

 

 これを社会全体的な不具合の一例として、せめてもの弥縫策が必要ではあるまいか、などと世間に物申すつもりはない。

 田舎なんか滅びればいい、という意見にも一理あると思うからだ。

 

 田舎に各戸配達するシステムなんか必要ない、拠点に集めて住人が取りにくればいいのだ、という集配システムも提案されている。

 それでいいとすら思う。

 

 宅配業者の負担が激減するために、協力してもいいとは思うが、ひとつだけ言いたいことがある。

 行くと言ったら来い。

 

 私は、佐川が永遠にこなくても、べつにいっこうかまわん。

 郵便局と黒猫、いや郵便局だけでも、さほど問題はない。

 

 ただ、来ると言ったんだから、それは来い。

 世に言いたいことは、おしなべて、それだけだ。

 

 

 言ったことはやれ。

 できんことは言うな。

 

 

 昨今の寒波で、ようやく室温が0℃を下回ってきた。

 ということは、外気温は氷点下10度くらいになっている、ということだ。

 

 これまでは暖冬のおかげで、とても過ごしやすかった。

 ウェルカム、地球温暖化(無責任)!

 

 で、遅まきながら冬が本気出したわけだが、私の装備は、すでに0℃ごとき対応済である。

 どこまで冷えるのかな、と思いながらひさしぶりにテレビをつけ、天気予報を眺めた。

 

 お天気お姉さんは言った。

「まだまだ防寒対策は必要です」

 

 私は思った。

 まだまだって言い方おかしいだろ、だってまだ寒さのど真ん中じゃないか。

 

 …………。

 ……おかしいか?

 

 しばらく考えてから、使い方としては正しい、と気づいた。

 正しい使い方に違和感を覚えたことには、相応の理由があるはずだ。

 

 

 結論から言えば、この言葉に違和感を覚えた原因は、当のテレビ業界にある。

 お天気お姉さんと、バラエティ番組の放送作家は、よく話し合うべきだ。

 

 たとえば1時間番組の最後のCM前、「CMの後もまだまだつづきます!」的なテロップを目にして、どこが「まだまだ」なんだよ、と突っ込んだ記憶のある人は少なくないのではないだろうか。

 が、あまりにもしばしば目にしているせいで洗脳が進み、「まだまだ=ほぼ終わり」というニュアンスが付加されてしまった。

 

 おかげで、テレビから「まだまだ寒いです」という正しい使い方が聞こえてきても、ほぼ終わりじゃないのになに言ってんだ、という違和感につながってしまう。

 いい悪いはともかく、テレビ業界のせいで、だいぶ言葉が変化した事実は否めない。

 

 ギロッポンでチャンネーとシースーを食うのもいいだろう。

 業界用語として「もうすぐ終わる」を「まだまだつづく」と表現するのもいい。

 

 が、それなら全社的にその姿勢を貫いてくれ。

 バラエティ班が作っている番組と、報道班が作っている番組の言葉の使い方に、齟齬があってはならない。

 

 要するに、お天気お姉さんを再教育すべきなのだ。

 まだまだ寒さはつづきます、という言葉は、もうすぐ寒さが終わる時期に使いなさい、と。

 

 私がマスコミをキライな理由のひとつに、この表現の揺らぎがある。

 言葉の影響力が大きい人ほど、使い方は正確に願いたい。

 

 私のようなザコが無責任なことを言うのはいい(よくはない)が、大会社がそれをやったら顰蹙どころではない。

 だからみんな、テレビを見なくなるのだ(無責任な結論)。

 

 

 

 さて。

 天気の話をするということは、よほどネタがないんだな、と思われるのも癪なので、本題に入ろう。

 

 きょうは献血に行ってきた。

 先ほど抜いてきたばかりなので、だいぶデトックスされている。

 

 いつもは駅前の献血ルームで絞るのだが、今回はいわゆる「献血車」というやつを使った。

 1月2月は献血が少ないので、よろしくお願いしたいらしい。

 

 たしかに寒いと物理的にも血は出づらい。

 搾血が滞ることはわかっているので、看護師さんに最初から「ホットパック」を要求した。

 

 すると、は? と首をかしげられた。

 千葉の献血ルームだと通じる(温めた輸液のパックが出てくる)のだが、群馬という辺境の独立国では、そのような習慣はないらしい。

 

 代わりに、昔懐かしい感触、化学反応を利用した揉む「カイロ」が出てきた。

 これが群馬の掟だ。

 

 水酸化第2鉄の袋をもてあそびながら、血流を促す。

 車内は暖められているが、人が出入りするたびに寒い。

 

 

 で、なぜ献血車などに行ったかというと、キャンペーンでミニカーがもらえたからだ。

 トミカの献血車。非売品だ。売って稼ごう。これが現代の売血だ(笑

 

 じっさい、人間の血には、けっこうな値段がつく。

 人体の臓器の価格を集め、ひとりあたりいくら、みたいな相場を列記している怖いサイトがあるので、興味のある方はお調べになるとよい。

 

 骨髄から皮膚まで、いろいろ売られている(闇市場で)。

 血については、1リットルあたり約7万円らしい。

 

 献血は400ccなので、1パックおよそ3万円くらいの計算だ。

 ただしこれは闇市場の末端価格であって、日本赤十字がボランティアから絞って転売する「正価」になると、お手頃価格の18000円だ。

 

 ジュースとトミカを与えて1万ナンボ儲かれば、赤十字さんも悪くない商売だろう。

 もちろん施設や人件費など、それなりのコストがかかっていることはわかるが。

 

 原価ゼロの血。

 そこに付加される「正価」とトミカ(笑)の価格の差には、なにがあるのか。

 

 

 ……で、日赤のバランスシートが公開されているので、ざっと眺める。

 血液部門に限れば、赤十字は赤字だ(洒落ではない)。

 

 原価ゼロで赤字になるということは、そうとうな親方日の丸事業を予感させる。

 当然、コスト体質からして利権の塊で、経費の名目で無駄を垂れ流しているに決まっているが、国からの莫大な補助金(税金)や義捐金、寄付金などによって埋め立てられ、赤十字が実質赤字に転落したことはない。

 

 掘っていけばいくほど、気持ちの悪い世界が見えてくるだろう。

 よって、いまは考えまい。

 

 愚民は黙って血を絞られておけば、それでよいのだ。

 ということですよね、日赤の偉い人。

 

 

 

 愚にもつかない駄文を書き散らしたので、最後に、お得な情報を記しておくとしよう。

 献血Web会員サービス・ラブラッドという秘密組織がある。

 

 ちょっと前まで「複数回献血クラブ」という、画期的な発想力を持ったスタッフが名付けたに違いない率直な名前で呼ばれていた組織だ。

 この組織に参加を表明(登録)すると、献血のたびにポイントがたまり、20Pで記念品がもらえるという、歓喜の特典がついてくる。

 

 シリコンマットとかポーチとか布キレとか、だれもが日常に不可欠で、喉から手が出るほど欲しいアイテムたちが、目白押しでプレゼントしていただける。

 私も今回、そのポイントがたまっているし、イベントのタイミングでは追加でいろいろいただける(ポスターの表現がどうのと騒ぎにもなった通り)ので、今回もお土産たくさんだなと覚悟を決めていた。

 

 が、残念ながら「トミカ」以外にはもらえなかった。

 たいへんシンプルな結末で、拍子抜けた。

 

 トミカは予約キャンペーン応諾で問答無用にもらえるわけだが、それをくれてやったのだから、たまったポイント分の記念品とかいらないだろ? という意味かもしれない。

 まあいらないので、それはいいのだが、記念品をもらわないことで、たまったポイントにはどんな使い道があるのだろう?

 

 100ポイントためると、エリザベート・バートリの浴槽がもらえるとか……などと、想像するだけでも楽しい。

 ことほど左様に、献血はいろいろな楽しみ方を与えてくれる。

 

 健康にもいい(気がする)ので、お時間と体重(50キロ)が足りている人にはオヌヌメしたい。

 400ccなら受付から30分もあれば終わる(成分献血は長い)。

 

 1度でも献血しておくと、いつか自分が輸血を必要としたとき、無料になるらしい。

 年金なんか比べ物にならないほど、お得な投資だと思うので、ぜひ。

 

 私は鉄ヲタではないが、その血に若干の鉄分を含んでいる。

 そこできょうは、すこしばかり鉄道の話をしよう。

 

 祖母宛に、鉄道共済というところから定期的に手紙が届く。

 遺族年金などについてのお知らせらしい。

 

 亡き祖父は、横軽を運転する「機関士」だった。

 ……考えてみれば、みんな、なくなってしまった。

 

 横川・軽井沢間の路線も、機関士という職業も。

 いや、観光用の蒸気機関車などはあるので、完全になくなったわけではないが。

 

 

 私は現在、その祖父が建てた群馬の山奥の家に住んでいる。

 近所には、お役所関係の仕事をしている(していた)人が多い。

 

 田舎には、農業かお役所の仕事しかない(語弊)のだ。

 祖父も、その親方日の丸を背負っていたひとりだった。

 

 現在はJRという名の私鉄だが、かつては「国鉄」だったことを知らない若い人もいるかもしれない。

 時代は変わった。いろいろなくなって当然か。

 

 機関士の家にもかかわらず、鉄道関係の品物なども、ほとんど残っていない。

 機関車の写真パネルと、鉄道史的な本がかろうじて見つけられるくらいだが、それ以外には驚くほど鉄道の「て」の字もないのだ。

 

 祖父が死んで20年は経つ。

 おそらく祖母や、ひとり娘である母親が、鉄道になんの興味もないせいだろう。

 

 終活を進めている母親は、妹に、捨てちゃったの? と怒られるくらい、いろいろ片付けてしまうタイプだ。

 その血は、ミニマリストとして、すでにほとんど何も持たない生活をしている私に、確実に受け継がれている。

 

 とはいえ、この肉体に何%か含まれる鉄分にとっては、鉄道関係の遺品の少なさは残念ではある。

 模型鉄をやっている親戚にあげてしまったものもあるようなので、そのうち見に行こうと思う。

 

 

 あくまで一個人としてだが、私は写真やモノそれ自体に、たいした価値を認めない。

 そもそも鉄道とは移動するためのものであって、それを「撮る」ことに、なんの意味があるのか、よくわからなかったりもする。

 

 鉄ヲタの2大勢力とされる「撮り鉄」「乗り鉄」。

 両方を兼ねる人も多いなか、私は完全に後者に偏っている。

 

 偏ってはいるが、前者を否定したり、その価値を無視するつもりもない。

 記録的価値のある資料のおかげで、われわれは過去を知ることができている。

 

 写真は、非常に重要な歴史的史料となりうる。

 一枚の写真が、百万の言葉よりも価値を持つことは、往々にしてありうるのだ。

 

 が、さすがに氾濫しすぎだと思う。

 だれも彼もがカメラを手に、パシャパシャと、よくもまあ……。

 

 考えてみれば、カメラのついていない携帯電話はほぼないわけだし、全員が「記録要員」として世界中を闊歩していることを考えると、それになじめない自分のほうがまちがっているのかもしれない、などと思うこともある。

 

 しかし私にとっては、記録を残すより、記憶に残すほうが、何倍も重要なのだ。

 私の身体を通り抜けていく「経験」に価値があるのであって、その瞬間を記録しておくことが無価値とは言わないが、優先順位としてはかなり低い。

 

 通り抜けること。

 まさに乗り鉄の望むところだ。

 

 

 そんな私が現在、絶賛再生中なのが、「前面展望」動画である。

 移動それ自体を楽しめる、たいへんけっこうなコンテンツだ。

 

 YouTubeなどで、ぜひ検索してもらいたい。

 この手の車窓動画は、寝る前のひと飲みには最適だ。

 

 チューハイを飲み、イカを噛みながら、流れる車窓を眺める。

 これはやばい。いくらでも酒が進む。

 

 もっぱら見ているのは日本だが、たまに海外を見る。

 で、たまたま見つけたサンディエゴ・ニューヨーク間を走るアムトラックの車窓展望。

 

 約1時間の動画。

 なんとなくコメント欄に目を移し、次のような書き込みを発見した。

 

 へー、サンディエゴとニューヨークって、電車で1時間くらいなんだー。

 

 ちょうどアメリカを舞台に小説を書いていた私は、吹いた。

 どんな超音速ジェットだよ、その列車!

 

 

 西海岸のサンディエゴと東海岸のニューヨークをつなぐ鉄道を、一般に、大陸横断鉄道という。

 それでも実際、どのくらいかかるのかは知らなかったので、調べてみた。

 

 午後の便に乗って2日と23時間後に、ペンシルヴァニア駅到着、という行程が出てきたが、じつに楽しそうだ。

 アムトラック「カリフォルニアゼファー号」はサンフランシスコのエメリービル駅から出発、二泊三日でニューヨークを目指すらしい。

 

 大陸横断4000キロなら、新幹線みたいに時速300キロで走れば1日で行けるだろ、と思う人もいるかもしれないが、もちろんそんな路線は存在しない。

 1日で行きたければ、普通の人のように飛行機に乗るか、丸一日かけてスポーツカーをぶっ飛ばすかだ。

 

 日本でも、枕崎・稚内の営業距離3111キロを、残念ながらまだ当日中には着けない。

 北海道新幹線で新函館(開通すれば札幌)までなら当日中に行けるのだが、そこから先がまた大変なのだ。

 

 新幹線の通っている鹿児島中央から新函館北斗までなら、乗り換え2回、12時間ほどで行ける。

 営業距離2326キロ、5万円くらいだ。

 

 豆知識をもうひとつ。

 アメリカ西海岸には、サンディエゴだけでなく、サンフランシスコやサンノゼなど、「サン」のつく地名が多い。

 これは元スペインの植民地だったせいで、スペイン語では一般的な地名だ。

 

 アメリカの血塗られた歴史については、またいずれ語る機会もあるだろう……。

 

 

 やはり鉄道は、広い国を走り抜けるところにロマンを感じる。

 シベリア鉄道とか、もうそれだけで映画だ。

 

 日本の鉄道もいいとは思う。

 が、「実利」を重んじるタイプの私は、長距離を低コストで運ぶ効率の権化に、敬意を払う。

 

 ゆえに「貨物」というやつに、なかなかのシンパシーを感じる変人のひとりだ。

 この傾向を極めると、そのうち船にたどり着くような気もする。巨大タンカーの効率は、軽んじることができない。

 

 

 ともかく「のりもの」は楽しい、というオチをつけて、きょうのところは終わるとしよう。

 行ったことのない場所へ連れて行ってくれる、乗り物万歳!

 

 遠くへ行くことは、それだけで心が弾む。

 ひきこもりの私のセリフではないが、そういう気持ちは事実ある。

 

 いつか宇宙へ行ってみたいが、魂になってから行けばいいか、とも思う。

 考えてみれば、肉体という「のりもの」を脱ぎ捨てた先に、さらに自由な世界が広がっているかもしれない。

 

 そうか、ほんとうの自由は、乗り物を降りたところからはじまるのか……。

 という二段オチは、いかがだろうか。

 

 

 ヤマトと郵便局はやってきたのに。

 なぜ佐川の急便は来ないのか?

 

 きょうは佐川から届く荷物はないからだ。

 と、話がオチたかはともかく、雪はオチてくる。

 

 ここは山だ。だれがなんと言おうと山だ。

 きのうまでの予報では、山沿いはだいぶヤバいよ、と警告されていた。

 

 大山鳴動して鼠一匹。

 20センチとか30センチとか言ってたやつ出て来いよ、と苦言を呈したくなるくらい、数センチ程度の降雪しかなかった。

 

 それでもヤマトは、いつもの人ではなく、外注らしい普段着のおっさんが持ってきた。

 わずかとはいえ、雪が降ればいろいろ作業も増える。社員はお忙しいのであろう。

 

 そんな世間の天気に背を向けて、私は引きこもり、われらがインターネッツをたしなむ。

 きょうは時代の最先端、ゲーム実況動画というやつの話をしよう。

 

 なぜそんなことを思ったかというと、ゲームを規制する、みたいな議論が香川県から出たらしい話題を取り上げた番組を見たからだ。

 どういう人選があったのかはわからないが、この手の規制には反対である、という空気でほとんどスタジオがまとまっているのに笑った。

 

 番組構成上どうかと思えるほど、規制賛成側で起用されたコメンテーターすら、反対側の意見にかなりの理解を示していた。

 冷静に考えればそうならざるを得ないし、私もそう思う。

 

 

 ゲームは1日1時間!

 という警句は、古来使い古されている。

 

 もちろん、そんな程度でやめる子どもはいないわけで、ときには「病的」というレベルに熱中し、日常生活に支障が出る。

 ゆえに、政治が規制に乗り出すべきだ、と。

 

 この「ゆえに」が、そもそもおかしい。

 せいぜい親がコントロールすべきもので、それを政治や行政が規制しようという考え方には、いっさい与しない。

 

 ちなみに私自身は「ゲーマー」ではなく、現在ほとんどやることはない。

 コンシューマ機と呼ばれるゲーム機は、なにひとつ所有していないし、PCやスマホに入れられているゲームといえば、ソリティアくらいのものだ。

 

 というわけで、ただのそこらへんのおっさんなのだが、ゲーマーの気持ちがわからないわけでもない。昔はそれなりにやっていたからだ。

 90年代前後、バンドとゲームと株は、猫も杓子もやっていた(語弊)。

 

 

 当時、格ゲーブームというやつがあって、たとえばスト2というゲームが社会現象を起こした(と思う)。

 高校時代、週3くらいでゲーセンに寄る程度には、プレイもしていた。

 

 私自身は、スト2より餓狼派で、SNK系は現在、KOFシリーズとして受け継がれているらしい。

 KOFは96か97くらいまで、やっていた気がする。

 

 鉄拳とかのシリーズも、この時代からはじまっていると思う。3D格闘ではバーチャファイターというのもあった。

 雨後の筍のように、格闘ゲームが溢れていた時代だった。

 

 家庭用ゲームも一応やっていたが、それよりゲーセンで遊んでいた。

 振り返るのも鬱になるような、クズ野郎だった……。

 

 

 という程度なので、正直あまり詳しくはないのだが、なぜか最近スト5のプレイ動画をたまに見る。

 有名なウメハラ氏やときど氏が、よくやっているゲームという印象だ。

 

 私のストリートファイター知識は、スト2時代で止まっていたので、いろいろ新鮮な驚きがあった。

 なんか派手な衣装だなとか、エドモンド本田を見かけないなとか、最近のゴウキはアクマと呼ばれているのか、とか……。

 

 スト2は、昇竜拳が出せないタイプだったので、しゃがんで戦う俺ガイル。

 おかげでウメハラ氏のガイルに、懐かしさを感じて見るようになった。

 

 スト5は、自分でプレイしたことは一度もない。

 格闘ゲームは、見ているだけで楽しかったりする。

 

 

 中学生男子のなりたい職業1位、動画配信者。

 2位、プロeスポーツプレイヤー。

 3位、ゲーム開発者。

 

 彼らの夢は、意外に現実を支えているな、と思う。

 私のような「見るだけ」の需要にも応えているからだ。

 

 というわけで、やはり一律に制度としてゲームを規制するという考え方は、そもそも時代に合っていない。

 病的な個人だけ、個別に対策する、というのが限度だろう。

 

 それに、病的にやりこむ、ということ自体は悪いことではない。

 世の中の多くの「天才」に、飯も食わずに没頭する、というタイプは多いのだ。

 

 よく引き合いに出されるのは、プロ棋士とかノーベル賞学者とか、具体的にはスティーブ・ジョブズなどだが、これはあまり説得力はない。

 みんながみんな、ジョブズになれるわけではないからだ。

 

 最近はゲームも、やりこめばプロになれる時代とはいえ、トッププレイヤーは一握りの厳しい世界である。

 プロの世界はどこもそうだろうが、どう考えても綱渡りだ。

 

 綱の上にいる「勝ち組」を、その下で無数の人々が支えている。

 きょうの勝ち組は、明日の負け組でもある。

 

 ウメハラ氏が、自分のゲームごときに盛り上がってもらえてよかった、的なコメントを発しているのを見るにつけ、彼は多くを理解しているように見受ける。

 タイプ的に、私のメンタルに近いような気がするのは、おそらく気のせいだろう。

 

 すくなくとも彼は狭き門に挑み、勝って切り開いたのだ。

 負けて人生を捨てた有象無象のほうが、むしろ私の立ち位置に近い……。

 

 

 そんな現実から逃げるにも、ゲーム動画は心地よい。

 先ほどまで、ウメハラ氏やときど氏のプレイを、アベマTVで見ていた。

 

 TVではなくビデオだが、すこし前の大会の模様を観戦した。

 そこで私の気に入っているプレイヤーは、サコ氏とイタザン氏だ。

 

 小柄な女キャラで精緻な戦い方をするサコ氏。

 マッチョな男キャラで一撃必殺、一発逆転を目指すイタザン氏。

 

 しばらく相場の世界で生きてきた私の目から見ると、彼らの戦い方は、テクニカル重視か、ファンダメンタルズ重視か、という投機・投資スタイルに重なる。

 私は極端なテクニカルで、秒単位、長くても時間単位で利益を削り取る取引スタイルだったので、サコ氏に近い。

 

 しかし一発逆転のパワーファイトも、資金が許せばやってみたいとは思っていた。

 その前に精神を削り取られ、しょせん人工知能には勝てぬ、と悟って引退したが。

 

 もちろんポートフォリオは、均衡がとれていたほうが良い。

 あらゆるリスクは可能な限りヘッジしなければならない。

 

 そういう意味では、リュウが最適解なのだろう。

 ゲームも世界も、おそらくそのように作られている。

 

 その「中庸の徳」を認めてはいるが、リュウのスタイルでプレイする気にはならない(昇竜拳が出ないからな笑)。

 バランスのとれたジェネラリストなプレイヤーよりも、極端なキャラをさらに極めるプレイスタイルに共感する。

 

 なにより、物事を「極める」という行為そのものが、すばらしいと思う。

 だから「弱い」プレイヤーの動画は、ほとんど見ない。

 

 

 スト5以外でよく見るのは、マリオメーカーの動画だ。

 格闘ゲームは知らなくても、マリオを知らない人はあまりいないだろう。

 

 とくに好きなのは、超絶技巧系のステージだ。

 人間の操作の限界を極めようというプレイには、求道者のような趣がある。

 

 逆に許せないのは、ゆるい配信者だ。

 いや、まあ許せなければ見なければいいだけのことで、見ないのだが、ある芸人の配信している番組をたまたま見てしまって、だいぶげんなりした。

 

 下手なのはいい。私も下手だ。

 下手なやつが配信すんなよ、とまで言うつもりはない。配信は自由だ。

 

 が、ゲームに対する最低限の礼儀というものはある。

 操作方法を紹介する番組ならともかく、プレイ動画として配信する者が最低限把握しておくべきは、ゲーム自体の操作だ。

 

 とくにマリオは、だれもが知っている。

 操作方法を知らない、などということがあっていいだろうか?

 

 そこスピンジャンプだろ、というところで、延々と進めない。死んでいる。

 ……なんだコイツ、と思ってしまう。

 

 その芸人に問いたい。

 あるいはスタッフにもだ。

 

 きみは仕事で、その番組を作っているのではないのか?

 きみは舞台に立つとき、ネタの練習をしないで本番を迎えるのか?

 芸能人にはゲームの練習などする時間はないとでもいうのか?

 ロケハンしない番組スタイルなのか?

 最低限の予習もせず本番に挑んで成功するならいいが、試験会場の入り口の段差でつまずいてモタついている時点で、受験以前の話なのではないか?

 

 たとえゲームであろうと、まじめにやってほしい。

 いや、ゲームだからこそ、まじめに遊んでいるだけで、それは遊び以上の価値がある。

 

 もちろんふざけるのは勝手だし、それを配信するのも勝手なのだが……。

 やはり、不幸にもそれを見てしまった私が悪いのだろう……。

 

 

 そもそもゲーム動画というのは、一定時間見ていると極度に飽きる。

 見ている自分に対する嫌悪感すら催す。

 

 だれにも読まれない文章を書いているのに近いが、それより深刻だ。

 文字を書くというのは、それだけでひとつのリハビリになるが、動画を見ているのは、ただの暇つぶし以外の何物でもない。

 

 やはりゲームはプレイしてナンボだな、というつまらない結論になりそうだ。

 私がやっている「ネット・ゲーム」といえば、ちょっとしたパズルと将棋クラブ24くらいだが。

 

 さすがに、それらを極めるつもりも、能力もない。

 だから私は、自分にできないことをする、極端な人間が好きだ。

 

 自分が結局、中途半端に終わってしまった分、だれかがそうして成功しているのを見ることで、どうにか溜飲を下げているのかもしれない。

 何事も極めることは、それだけですばらしい。

 

 通信費についての記事を読んでいた。

 総務省の調査によると、スマホ・携帯電話利用料、インターネット通信費などの平均値は月額1万7,771円(2017)らしい。

 

 これは全世帯調査で、日本の世帯人数の平均は2.47人なので、1人頭は7000円強ということになる。

 家計の節約を考えるFP的に言わせてもらえば、これは「高い」と思う。

 

 さらに一人暮らしなど、家のネット環境を家族で共有できない場合は、より高くつく。

 私自身、一人暮らしなのだが、ギリギリ7000円に収まるくらいだ。

 

 家の光ファイバーだけで、4000円を超える。

 これを家族で共有できないところが痛い。

 

 戸建てのプロバイダとしては、かなり安いところを選んではいるのだが……。

 しかも安いなりの品質だった……。

 

 

 以前の記事でも書いたが、私はエキサイト光を使っている。

 3か月ほどたって、発見した残念な部分について記録しておく。

 

 速度だ。

 この最も基本的な部分。残念すぎる。

 

 いわゆる「混雑時間帯」のダウンロードが、10以下なのだ(上りは100近い)。

 マンションタイプならわかる(?)が、より高い料金を取る戸建てでこの始末では、あまりに幸先が悪い。

 

 我慢すれば耐えられる速度とはいえ、毎日のことだ。

 このストレス、コスパ的にどうか。

 

 混雑時間帯を過ぎれば快適この上ないが、そんなのは他の業者も同じだろう。

 幸いエキサイトは縛りがゆるいので、とりあえず割引期間が終わったら次を探そうと思っている。

 

 光コラボ間の乗り換え「事業者変更(再転用)」が、2019年7月から解禁された。

 以前は一度解約してから再契約しなければならなかったが、現在は簡単にできるようになっている。

 

 ご家庭の光環境にご不満の方、再転用をお考えになってみたらいかがだろうか。

 世の中、残念ながら、だいたい乗り換える人間がお得になるようにできている。

 

 

 乗り換えといえば、親がガラケーを「機種変更」した。

 電話だけの最安のプランだ。

 

 一昔前なら、乗り換え(MNP)が「仕事」になるくらい儲かった。

 機種変など「情弱」のやることで、私は定期的にMNPをしていた。

 

 しかし現在はそれほどでもないので、せいぜいお得に機種変できるよう助言した。

 そもそもうちのアホな親は、その前にだいぶ損をさせられているので、これ以上の損失は抑止しなければならない。

 

 どんなアホかというと、使ってもいない回線にお金を払いつづける、というタイプのアホだ。

 MNPの「寝かせ」ではなく、ただのボーンヘッドである。

 

 母親が契約していた回線なのだが、まだ小さかった孫のガラケーを自分の名義で払っていたらしい。

 で、その孫がスマホに変えるということで、ガラケーが返ってきた。

 

 当然その時点で解約すべきなのだが、そのまま1年以上、料金を払いつづけていたようだ。

 ……どうです、アホでしょう?

 

 気づいた私が指摘して解約させたわけだが、そこでさらに違約金がかかってきた。

 ちょうど4年目の「自動更新」が済んだところで、あと2か月早ければ解約金なしで解約できたのだが、それを過ぎているということで問答無用に1万円。

 

 ……まあ、解約しなかったのは、うちの親がアホなだけなので、月額料金を取られるのはいいとしよう。

 が、使ってもいない回線を解約するのに1万円とか、おかしくないだろうか?

 

 

 そうとう以前の話だが、まだMNPがお得だった時代、母親の電話からMNP予約番号を発行しようとしたことがある。

 しかし息子の私が暗証番号も伝えて、代理で話を進めているにもかかわらず、当人を出せと言う。

 

 「ご高齢の方は、できる限りご家族と一緒にご来店ください」。

 キャリアのショップには、このような文言が掲示されている。

 

 操作方法とか機種変とか、会社が損をしない取引については代理でも平気で対応する(むしろ理解力のある代理を連れてこい)という意味だ。

 しかし解約とかMNPとか、会社が損をする取引については断固として当人(理解力が低い=だましやすい年寄り)を出せ、という意味だ──としか思えない。

 

 もちろん契約は重要なので、当人の確認は必要に決まっているが、代理に説明するのでよいかという確認だけで、契約の変更までは受け付ける。

 しかしMNPとなると、もういけない。

 

 注意事項を伝えるとか、別のプランを紹介するとか、長々と老人に説明しているのを隣でスピーカーから聞いていた私は、心から、いい加減にしろよと思った。

 彼らこそ、まさに「商人」だ。

 

 

 当然、商人の判断基準は「自分の利益」だ。

 2年「縛り」という概念も、要するに利益の確保だ。

 

 たとえば最初の契約のときに2年縛られるのは、端末代金の大幅な割引の代償である、と考えれば正しい。

 しかし、それが自動的に更新されるとなると、明らかに誤りだ。

 

 更新によって受けるメリット(新機種代金の割引など)が、ほとんどないからである。

 ゆえに政府からお叱りを受けるわけだが、結局、彼らが自主的に自動更新をやめることはなかった。

 

 なぜなら「儲かる」からだ。

 儲けることは「商人」の至上命題だからだ。

 

 最初の2年は縛ってもいい。

 だが、それ以降の自動更新はおかしい。

 

 ほとんどの街角アンケートでもユーザーはそう言っているが、会社側にとったらちゃんちゃらおかしい。

 彼らにとって重要なのは「2年縛り」そのものより、むしろ「自動更新」のほうだからだ。

 

 自動更新がダメなくらいなら、そもそも縛りをやめてしまっても同じことだ。

 というわけで、結局そんな感じで強制的に解約金が下げられた。

 

 

 法律的には、違約金は「賠償額の予定」だ。

 最初の2年で解約されると、割り引いた機種代金などが回収できない。

 

 そこで損害を補填するため、違約金を取る。

 これは合理的だ。

 

 しかし2年で違約金なしで解約する(もはや「縛られ」ない)人と、そのまま契約を継続する人を比較して、後者だけ「縛り」つづけることには、明らかに合理性がない。

 現在の解約金1000円でも、以前と大差ない料金体系であることを見ても明白だ。

 

 仮に2年半で解約したとしよう。

 その人から徴収する違約金は、理屈からいっても「予定された損害」額を上回る。

 

 2年で解約した人よりも多く利益に貢献しているにもかかわらず、そのうえ損害賠償まで要求されるというのは、だれが見てもおかしい。

 4年も使った人から、4年2か月たっているから1万円とるとか、おかしいのだ。

 

 彼らの目的は違約金そのものではなく、流動性の低下にある。

 のりかえ(解約)しづらくすることが目的、ということは、やはり重要なのは自動更新ということになる。

 

 

 

 薄汚い「商売」を、許してはならない。

 今回、総務省はそこそこがんばってくれたと思うが、消費生活センターでもなんでもいいから、もっとがんばってほしい。

 

 彼らは中小企業でも闇金でもない。

 大企業なのだ。

 

 日本を代表する大企業が、そんな邪悪なことをしていいのか?

 通信業界ばかりではない。かんぽ保険も、そうとうひどかった。

 

 明らかに犯罪的な事態が明るみに出ても、当初はまだ、お金を戻せばそれで終わり、すべて「なかったこと」にして知らんぷり、という態度だった。

 一千万単位のひどい損害を出していてすら、そういう事例が並んでいる。

 

 邪悪な行為は、やったもん勝ち。

 いや、彼らはそれを邪悪とは思っていない。むしろ推奨すらされていた。

 

 いい成績を上げる「優績者」こそ頼りで、彼らの邪悪な行為は、もはや邪悪ではなくなっていた。

 利益を求める商人とは、本来そういう体質なのだ。

 

 お客様本位という看板の下で、自己利益への最短距離こそが焦眉。

 ……考えただけでイライラしてくるのは、私だけだろうか。

 

 商人の話をすると、いつもこうなる。

 いつか、商人を褒めたたえるような話のできる日が来ればいいが……。

 

 

 もちろん、正しい商売をしている人は、いくらでもいる。

 私がそうだとは言わない(ただ面倒くさがりなだけ)が、最後に私が商売するとしたら、という事例を述べて終わるとしよう。

 

 私の参加する商売。

 それはオークションだ。

 

 昔、だれかが言っていた。オークションは多く損だと。

 ツッコミどころ満載の言葉だな、と思う。

 

 もちろん世間には、損をする人がたくさんいて、それらをかき集めた薄汚い一部が得をしている、というイメージはある。

 しかしオークションは、その手の商取引のなかではマシなほうだと思う。

 

 もちろん一方的に得をしているのは主催者だが、参加者も、自分がいいと思う価格で売って、購入者も自分がいいと思う価格で買うのだから、さほど悪い関係ではない。

 そこに集まるさまざまな出品者から、彼らの「商売」が見えてくるのも楽しい。

 

 発送も便利になって、いい時代になったものだ。

 売る側としてのネットオークション、それが私の参加する「商売」だ。

 

 

 駆け引きをするのがいやなので、即決価格で売り出す。

 基本的に「お得」な価格設定だ。

 

 不必要な宣伝文句は書かない。

 「バカ売れ」とか「早い者勝ち」とか「注文が止まりません」とか、バカはおまえだ、勝ったか負けたかをおまえに判断してもらうつもりはない、売れてる自慢すんな、と突っ込みたくなるような宣伝文句は、ほんとうに不快だ。

 

 必要な情報だけ、いい点も悪い面も、正直に書く。

 余計な装飾はいらない、ただ購入の判断に必要な事実のみを書く。

 

 すると、たいてい数時間で売れる。その日のうちに発送する。

 で、現在までのところ100%「非常に良い」評価をいただいている。

 

 ご丁寧にコメントまでくれる人もいるが、べつにいらない。

 当たり前のことをやっただけなので。

 

 

 このような売り方は、世の「商人」にとっては否定すべきものかもしれない。

 もっと慎重に値付けをして、待ち受ければ高く売れるからだ。

 

 わかっているが、それはやりたい人はやればいい。

 私は、私に必要ないものを、必要な人が安く手に入れてくれればいいと思っている。

 

 必要な人に、適正な価格で。

 そういう商人が増えてくれますように……。

 

 

 今年の冬は記録的な暖冬らしい。

 ありがたい限りだが、外の溜まり水がカッチカチになる程度には、そもそも寒い田舎。

 

 時期的にも、寒さのピークが近づいている。

 だいたい1月19日ころが、北半球が「もっとも寒い日」となる。

 

 それにしても、なぜ太陽から受け取るエネルギーが最低になる冬至(12月21日)ではないのか。

 それは、地表が熱を失うのに、一定の時間がかかるからだ。

 

 徐々に熱を失う地表と、徐々に増える日照時間による熱収支。

 そのバランスを計算すると、およそ1か月の差が説明できるらしい。

 

 言われなくとも、人間は体感的に、1月~2月が「いちばん寒い」と感じている。

 二十四節気に「大寒」という言葉があるのは伊達ではない。

 

 

 だいたい世の人々は、暗い天井を見上げるとき、そこに軌道面を移動する地球と太陽の位置関係を想像していると思う。

 いちばん熱収支が偏る(全体では釣り合う)瞬間、冬至を過ぎて1か月くらいだから、軌道面ではこのあたりか……と、皆さん脳内地球儀を転がしているはずだ。

 

 さて、そうなると、より大きなサイクルについて考えを進めざるを得ない。

 現在は間氷期であり、これから氷期に向かうのだ、という科学的な理由について。

 

 巷間、地球温暖化という議論はかしましいが、長期的には寒冷化に向かっている。

 これは事実だ。

 

 しかし本格的な氷河期到来かといわれると、それはまだもう少し先だ。

 視点を宇宙に置くと、そのへんの理由が見えてくる。

 

 

 次の氷期へ移行するスイッチは、3つあるという。

 現在、オンになっているのは、そのうち1つだ。

 

 「近日点」である。

 一見、不思議にも思える事象なのだが、北半球が真冬のとき、地球はもっとも太陽に近づいている。

 

 カレンダーを見てもよくわかる。

 冬至を挟んだ冬の半年より、夏至を挟んだ夏の半年のほうが、1週間ほど長い。

 

 なぜか。

 北半球が夏のとき、地球は太陽から離れた軌道を、ゆっくりと進むからだ。

 

 これはケプラーの第2法則で説明できる。

 太陽に近いところでは惑星は速度を増し、太陽から遠いところでは惑星は速度を落とす。

 

 

 というわけで、冬の現在、われわれはもっとも太陽の近くにいる。

 本来ならばもっと暖かくてもいいくらいだが、その効果をかき消すくらい地軸の傾きの影響が強い、ということだ。

 

 太陽に接近している効果より、太陽光を斜めに浴びる効果のほう大きい。

 具体的には、距離の影響が7%で、地軸の影響が50%に及ぶという。

 

 よって、差し引き43%ほど寒い「冬」がくるわけだ。

 その熱収支が最大に偏るのが、1月19日なのである。

 

 ちなみに、南半球の夏は猛烈に暑いか、というとそうでもない。

 なぜか。南半球は、海の面積が大きいからだ。

 

 

 ともかく、北半球が夏のときには、太陽からの距離が最も遠くなる。

 これは、3つの「氷河期スイッチ」のひとつをオンにする。

 

 北半球は陸地が多いので、夏に寒い(遠い)ことで、地表に雪が残る面積が広くなる。

 それが積み重なることで徐々に永久凍土が増し、氷河期になっていくのだ。

 

 しかし現在、他の2つの要素「地軸のブレ」と「軌道面の歪み」スイッチは、オフになっている。

 よって、本格的な氷河期には至らない。

 

 これらは数千年から数万年単位で……と、しばらく私なりに説明を試みたが、だいぶ眠たい文章になってしまったので消した。

 私ごとき者では、わかりやすく説明する能力が足りない。

 

 BBCなどにすばらしい番組があるので、ぜひともそちらを参照されたい。

 「神秘の大宇宙」とか「緑の惑星」とか「氷河期の動物たち」とか「ウォーキングwithダイナソー」とか「ハキリアリの世界」とか、自然科学系のドキュメンタリーは検索すればざくざく出てくる。

 

 この手の番組では、やはりBBCやナショジオが一頭地を抜いている、と認めざるを得ない。

 物理学者や地質学者や気象学者がプレゼンターとなって番組を進めてくれるので、さすがは専門家、という内容になっている。

 

 NHKなども見習ってほしいものだが、なぜかわが国では、くだらないアイドルだか俳優だかをメインに起用する傾向がある。げんなりだ。

 日本はまだ芸能事務所の力が強いんだな、という話は前にも書いた。

 

 

 

 さて、そんな自然科学番組を眺めながら、私はよく筋トレをしている。

 室温が常時1桁なので、体温を上げるためだ。

 

 エコな人間である私は、部屋ごと暖める、という発想があまりない。

 暖かいのは体幹だけでよく(指先が冷たいのは困るが)、保温力の高い機能性衣料も出回っている昨今、それほど着こむまでもない。

 

 発熱素材でロスを防げれば、あとは筋肉量を増やすことで基礎代謝が増え、じゅうぶんな体温を維持できる。

 人体にとって重要な機能だけ、保温できればいいのだ。

 

 むしろ無駄に温かいと、ボーッとしてしまう、という体験は皆さんあるかと思う。

 頭寒足熱の発想は、脳活動にとっても正しい選択だ。

 

 

 エネルギーを使うすべてのデバイスは、発熱する。

 技術者たちは日々、この「発熱」と戦っている。

 

 人間という機械も同様である。

 筋肉という部品は、非常に役に立つ反面、発熱というコストを伴う。

 

 精密機器にとって熱は大敵だが、生命維持にとっては必要であり、むしろ発熱を目的に運動をするくらいだ。

 どんなに寒くても、運動すれば温かくなる。

 

 筋肉量が多ければ、その発熱も大きくなる。

 女性に「冷え性」が多いのは、このためだ。

 

 

 以前、「(体重が)減らないんだよね~」とこぼしていたぽっちゃり女子に、気持ちはわかるよ、と伝えようとしたことがある。

 私としては、仲良くなりたい一心だった(ような気がする)。

 

「俺も最近、かなり太ったよ(だから仲間だよ)」

「ふーん、あんまりそう見えないけど(疑いの目)」

 

「いやマジで。体重5キロくらい増えたし(事実)」

「そうなの? 隠れ肥満ってやつかな(やや打ち解ける)」

 

「それ、体重計に言われてさ、ショックだったから運動はじめた。おかげで体脂肪率はだいぶ下がったんだけど、体重は増えたんだよね(あくまで事実)」

「……それ筋肉じゃね? 筋トレで体重増えるのは、太ったと言わねーから!(敵意むきだされる)」

 

 なぜか怒られた。

 当時は人の心がわからない男だったのだ(いまも大差はない)。

 

 

 とはいえ私も、べつにマッチョではない。

 むしろ貧弱側の人間だと思う。

 

 なにしろ引きこもりだ。

 週に1度くらいしか外に出ない。

 

 一輪車に伐採した木の枝を積んで、家の裏まで下ろしてくるだけで、だいぶ疲れた。

 傾斜があり、かつ粘土のような田んぼは、歩くだけで疲れるのだ。

 

 しかし土地の老人たちは、70になっても80になっても、この手の作業をやっている。

 すごい、と言わざるを得ない。

 

 諸君に知っておいてもらいたいが、山男はマジで強い。

 山に住んでいるというだけで、もはや「強い」と認識すべきだ。

 

 よって、彼らを相手にあまり喧嘩を売らないほうがいいと思う。

 私も恐ろしいので、地元ではおとなしくするようにしている。

 

 どんな老人でも、山の人は油断できないくらい強い(はずだ)。

 近所に住む90歳のおじいさんが回覧板を回しに坂道を行き来する姿を見ると、おそらくこの人は合気道の達人に違いない、と思う(妄想)。

 

 ハーレーに乗って峠道をブンブン転がしてる革ジャンのいかついおっさんたちに、うるさい、と注意して15秒後、まわりに5~6人の屈強な男たちを転がして瞼の埃を払うおじいさんの姿を想像すると、なんとなくおもしろい。

 とっくに義眼じゃよ(by渋川剛気)、と笑いながら。

 

 

 さて、どうやら駄文を書き散らしたようだ。

 カッチカチの話ということで、私も日々、暖房代わりに腹筋カッチカチを目指している。

 

 山(に住む)男の名に恥じない程度に。

 そして肝に銘じよう。

 

 強くなければ生きていけない。

 優しくないから生きる資格もない。

 

 合掌……。

 

 

 このブログでもよく言及している通り、私は「商人」と「政治家」を強く嫌悪している。

 彼らを愛する方、そういう表現が苦手な方は、読まれないほうがよろしかろう。

 

 で、どちらのほうが、より嫌いだろう、と考えてみた。

 どうでもいいことなので、結論から言おう。

 

 日常的に利用する分、ワースト1位は商人となった。

 が、選挙期間中などは「やかましい」という一点突破で、政治家が1位にくる。

 

 いずれにしろ、不愉快な連中だ。

 不動の1・2トップ、といっていいだろう。

 

 ちなみに3位には、マスコミが入る。

 あまりいい言葉ではないが「マスゴミ」という表現も示唆するとおり、けっこうな害悪をまき散らすこともあるからだ。

 

 とはいえ、マスコミについては、期待ゆえの反発である部分が大きい。

 卑劣な報道をするゴミもたしかにいるが、良心的な人々も多い、と信じている。

 

 すくなくとも日常業務として、消費者を、国民を「いかに騙すか」という仕事をしている二大職種よりは、かなりマシのはずだ。

 商人≧政治家>>>(越えられない壁)>>>マスコミ、という順位は揺るがない。

 

 

 ──やや誇張した。

 それほど「戦闘的」な憎悪ではない。

 

 ただ彼らのやっていることが「好きになれない」だけだ。

 商人も政治家も、社会に必要な職業であり、正しい職業倫理に基づいている人々が多いであろうことは、もちろん理解している。

 

 理解しているのだが、あまりにも負の要素……「ダマシ」の証拠が多すぎる。

 マスゴミの誤報やトバシもひどいが、商人どもの「広告」や、政治家どもの「公約」のひどさに比べれば、ずいぶんマシに見えてしまう。

 

 そう、彼らは「ウソ」をついて、人を「ダマ」す。

 核心的な部分で、そういう「仕事」なのだ。

 

 

 

 私は現在、「3ない運動」を励行している。

 3つのことを「しない」という決意だ。

 

 意識してそうしているわけではなかったが、結果としてそうなっている。

 私の心底にこびりついた嫌悪感により、そうせざるを得ない、ともいえる。

 

 1つめは、無駄な買い物をしない。

 商人が大嫌いだからだ。

 

 2つめは、選挙に行かない。

 政治家が大嫌いだからだ。

 

 そして3つめ、同窓会に行かない。

 過去の自分が大嫌いだからだ。

 

 

 世の中のいくつかの職業に対して、あからさまな嫌悪感情を隠そうともしない子どものような人間。

 そんな自分自身が、それほど好きではない。

 

 しかし同窓会なるものは、好きになれない自分を思い出させる格好の場となる。

 恐ろしい限りだ。

 

 もっとも、過去が嫌いということは、言い換えれば、未来は好きになれる自分でいたいという意味でもある。

 今日より明日、すこしはマシになっていようという向上心と希望を、保ちつづけようではないか。

 

 

 選挙に行ったことがないのは、大人としてどうか、という議論はあろう。

 しかし、どうしても投票しようという気にならない。

 

 信頼できない人間に投票などできるか?

 ならば白票を投じればいいのだ、という意見もあろうが、追い詰められたらそうするつもりだ(投票義務化とか)。

 

 さて、最後に残念ながら、無駄な買い物については、時々している。

 内心忸怩たるものがあるが、そのくらい商人というのは恐ろしいのだ。

 

 商人のずるさは、しばしば私を上回る。

 だまされないように、細心の注意を払わなければならない。

 

 

 かの有名なECサイト、楽天やヤフーなどですら、端々にイラッとくるダマシが満載だ。

 ヘビーユーザーとして使っている以上、それなりにメリットがあり、もちろん良い部分は認めている。

 

 良い部分を光とすれば、悪い部分は影だ。

 その影が、濃すぎる。

 

 とくに取り込まれて久しい楽天経済圏──私は楽天が大嫌いだ。

 プレミアムカードで、ダイアモンド会員7年超で、ほぼ100万ポイント受け取っていたとしても、楽天が大嫌いだ。

 

 ちなみにポイントは「もらった」わけではない。

 楽天さまのご厚意でいただいたポイントではなく、私の経済行為に対して当然に付随してきたものだ。

 

 えらそうに「きみはこんなにポイントもらったよ(ぼくがあげたんだよ)」とか言われる覚えはないんだ、このパンダが!

 くそかわいいな、パンダめ!

 

 

 そもそも、きらいになりはじめたのは、ポイント77倍とかいう詐欺広告を大々的に展開していた時期あたりからだ。

 個々の条件が厳しくて、宝くじよりも「もらえない」倍率だった。

 

 ふざけんな、という怒りを私以外の多くの方々も覚えたらしく、社会問題になった。

 さすがに楽天も反省したようで、以後その手の広告はなくなった……ようにみえる。

 

 もちろん、派手ではないだけで、地味にこずるい広告はいくらでも発見できる。

 それらの小刻みな不愉快、不具合にも気づくのは、言い換えれば、私が楽天をヘビーにユーズしているからだ。

 

 ちょっとした不具合など、すぐにでも見つかる。

 さっきも、楽天ポイントを楽天Edyに交換しようとしたとき、イラっとした。

 

 うまく受け取れなかったので、しかたなくヘルプページを参照する。

 その説明が、またおかしなことになっている。

 

 上のほうで、「パソコンでEdyを受け取る」という項目を掲げ、受け取り手順を説明している。

 その通りにやってるよな、と確認しつつページを読み進む。

 

 最下部の「ご注意」に、次のような記述を見つけた。

 ポイントチャージのEdyギフト受け取り方法のうち、パソコンでEdyを受け取ることができる「Edy Viewer」での受け取りは、本サービスではご利用いただけません。あらかじめご了承ください。

 

 すぐ上のスペースで、だいぶ長々と「Edy Viewer」での「受け取り方法」を説明したすぐ下で、「ご利用いただけません」ときた。

 ご利用いただけない方法を、なぜ説明する?

 

 上記を読んでも、皆さん「なんのこっちゃ」だと思う。

 イライラさせてしまったら申し訳ないが、同じく私もこの意味不明な説明のおかげさまで、小半時イライラさせられた。

 

 そもそも、これまで同様の方法で何度も受け取ってきたのだから、今回に限って受け取れないのはおかしいのだ。

 なんやかやで結局は受け取れたわけだが、こういう小さな不愉快を、丁寧にすくすくと育て上げてくれるのが、楽天というECサイトの仕様だと思う。

 

 

 さて、しかし、だ。

 どんなに憤懣やる方なかろうとも、私は楽天を使う。

 

 それが「奴隷」というものだ。

 私は楽天経済圏に取り込まれた、商人の奴隷なのだ……。

 

 代替サービスの出現を心から祈りつつ、ヤフーやアマゾンやヨドバシでは代替し得ない部分が、楽天には多いように思う。

 で、最初の結論に戻っていただきたい。

 

 「無駄な買い物をしない」。

 そう、買い物の絶対量を減らす、それこそが奴隷にできる最後の抵抗なのだ。

 

 

 生きていくうえで、ある程度の買い物は欠かせない。

 が、減らすことはできる。

 

 買う量が減れば、不愉快の量も減る。

 そう信じて、ECサイトの不具合の数だけ、買い物の額を減らしていく姿勢を、これからも継続しようと思う。

 

 そしてできれば、機会をとらえて一矢を報いよう。

 キャンペーン、イベント、セールなどを、うまく使うのだ(使われるのではなく)。

 

 ダマシを見極め、回避してメリットだけ獲得するには、そうとうのスキルとリテラシーが必要になる。

 それを「ゲーム」として楽しめるようになれば、そろそろ一人前だ。

 

 じっさい私は、どちらかといえば「買い物上手」の側になるだろう。

 必要なものを購入するコストを、可能な限り下げている自信はある。

 

 必要なモノとタイミングを計算し、ポイント獲得の効率を最大限に。

 主婦はみなさん心がけているとは思うが、私もその一味というわけだ。

 

 

 昔、MNP乞食という「仕事」があった。

 制度をうまく利用して、携帯会社を乗り換えることで利益を得る。

 

 「ふつうに契約している人が損をして、使いもしない回線を作って乗り換える人が得をする」という、あまりにも狂った制度だった。

 遅まきながら政府の指導が入り、現在はほぼなくなっているが、キャンペーンなど制度を「うまく使う」側というのは、この種の人々に近いかもしれない。

 

 一方、私がうまく買い物をした分は、そうしない(できない)人から多く絞って帳尻を合わせる。

 それが商人だ。

 

 そう考えだすと、また別の鬱的な前駆症状が忍び寄ってくる。

 買い物の下手な人が損をしてくれているおかげで自分が得をした、で終わらせる気にはなれない。

 

 デイトレーダーという「仕事」で生きていた時代を思い出す。

 なにも生み出さず、ただ金を転がして利益を得る。

 

 マーケットで、自分が利益を出す少数派の側にいることが、気持ち悪くてどうしようもなくなった。

 私は、現代社会で生きることに向いていない……可能性がある。

 

 

 それでも一定の能力はあるようで、結果は出した。

 振り返れば、失敗も多かったが、すべて含めて、自分に対して、やるべきことはやった、と言うための、半ば「言い訳」の人生だった気もする。

 

 それが「できる」ことと、それを「好む」かは、別の話だ。

 ともかく、やれることはやったのだ、と言い残して、消え去りたい。

 

 そう思う頻度が、かなり増えている。

 これ以上書くと、ろくなことがなさそうだ。

 

 というわけで、明日がいい日になりますように──。

 

 2020年が明けたらしい。

 5日ですが、おめでとうございます。

 

 と、なんの感動もないあたりからもわかるように、私の年末年始は、というよりもあらゆるイベント期間が、私にとっては変わらぬ「平時」だ。

 変わりない時間に起き、変わりない生活をして、変わりない時間に寝る。

 

 テレビを見ないせいもあるが、驚くほど同じサイクルで、世間の流れに距離を置いている。

 ワールドカップやってたんだ、と終わってから気づくようなタイプだ。

 

 

 いつもと異なる点があったとすれば、姪にお年玉をあげたことくらいだろう。

 それも直接渡したわけではなく、裏の畑を見にやってきた父親に預けただけだ……。

 

 で、私はいつもどおり、なにをしていたか。

 読書と言いたいところだが、さすがの私もすこしは変わったことを(平時の範囲内で)しようと、映画のほうに舵を切った。

 

 ノンストップ映画。

 寝ているときもタブレットから映画を流しつづけた。

 

 そういうわけで、いつものように映画の話でもしよう。

 平常運転ってすばらしい。

 

 

 

 いいニュースと悪いニュースがある。

 まずはいいほうから話そう。

 

 宇宙。このすばらしいもの。

 夜空を見上げると、心が落ち着く。

 

 果てしない世界と比べて、人間は塵だ。

 その悩みとか、ほんとどうでもいいな……。

 

 世の多くの人が使うと思われる、万能お悩み相談室。

 それが宇宙だ。異論は認めない。

 

 生きていても死んでいても同じようなもんだから、好きなほうを選べばいいよ、という結論になりがちだが、以前も言ったとおり、私は「生きる」ことにしている。

 生きて映画を見る限り、楽しめることもあるのだ。

 

 

 17年のロシア映画。

 『スペースウォーカー』。

 

 ソ連の宇宙飛行士としては、ガガーリンがあまりにも有名だが、次に英雄に祭り上げられたのが、はじめて宇宙遊泳をしたレオーノフだ。

 1965年。アポロが月面着陸した4年前。

 

 祖国の英雄であるレオーノフが、いかに宇宙へ行き、そして帰ってきたか。

 地味におもしろかったので、オススメしたい。

 

 英雄とはいえ、祖国マンセーな映画ではなく、むしろ国家対個人という構図が垣間見えたりもする。

 そもそも「ソ連」と「ロシア」は、似て非なるものだ。

 

 宇宙と地上のシーンを交互に描いて、どちらも変に映画的な誇張を加えず、淡々とリアリティをもって描くことに徹している。

 アメリカマンセーのハリウッドに食傷気味の目で見ると、単に予算が少ないこともあろうが、むしろストイックで心地よい演出につながっている。

 

「人類は宇宙でも活動できます」

 

 クレムリンにいるブレジネフに対し、軌道上からレオーノフが言った言葉。

 これには、ぞくっとした。

 

 人類のはしくれとして、地上ですら屋外で(たまにしか)活動できない私は、穴を掘って埋まりたいと思った。

 宇宙という極限環境において、さまざまなトラブルを克服し、しかもそのすべてが事実で、リアル。

 

 こういう映画を、日本も作ってほしい。

 行こうぜ宇宙!(おまえはまず外へ出ろ)

 

 

 ロシアついでに、もうひとつ紹介しておこう。

 『サリュート7』。

 

 軌道上で機能を停止した人工衛星を、いかに復旧させるかというお話。

 これもなかなか楽しめたが、「リアル」な「宇宙」というだけでポイントの高い私の評価は、あまり参考にしないほうがいいかもしれない。

 

 正直、ロシアもアメリカも国としては好きではない(理由はWW2)。

 が、宇宙開発を進めたという点で、マイナスは帳消しだ(個人的に)。

 

 宇宙へ行った。

 この事実だけは、どうあがいても、評価しないわけにいかない。

 

 というわけで、宇宙の映画はだいたいおもしろい。

 いいニュースだ。

 

 

 悪いニュース。

 完全に「時間を無駄にした」と思える、いくつかの作品について。

 

 いや、そもそも私はB級マニアなので、悪い作品は悪い作品なりに、どこかに美味なエッセンスを探して、無駄にはしないように心がけている。

 それでも腹の立つ「クソ映画」が出てきてしまうのは、ひとえに私の味わい方が足りない責任かもしれない。

 

 よってタイトルは出さない。

 名指しで批判できるほど、自分がえらいとは思えないからだ。

 

 それでも結果的に気に入らなかったわけだが、どういう「考え方」で批判するのか、そのロジックを述べたい。

 ひとことで言えば、それらは「中途半端」な作品だといえる。

 

 作り手がアホなくせに、頭いい人物を描こうとして物語が破綻する感じ、とでも表現したらいいだろうか。

 たとえば、いわゆるケイパームービーで、キャラ性能を提示したいのはわかるが、その設定がグズグズすぎて逆に想像力のなさを露呈している。

 

 難しい暗号を解いて、金庫を開けてみせる「頭いい」キャラ。

 けど土曜に業者のおっさんが掃除するのに開けてるじゃん、そんとき狙えばよくね?

 といった感じ。

 

 頭いいキャラにカッコいい犯罪をやらせたいんだろうな、わかるよ、だけどほかにもっと賢いやり方あるでしょ。

 そう観客に突っ込ませたいのかな、とすら思ってしまう。

 

 

 だれもが天才ではなく、傑作を作りたいと願ってもかなわないのが、われわれ凡人だ。

 よって、駄作を作る人々を否定はしない。私もよく書いている。

 

 しかし、そういう能力の足りない作り手の方々が、守らなければならないルールがある。

 頭いい作品を作ったよ、大傑作だよ、みんな褒めろ、という態度を控えることだ。

 

 これは作り手自身というより、マーケティング担当や、買い付けた配給会社の責任なのかもしれないが、とくにタイトルや惹句が、完全に内容を裏切っている問題について、もはや見過ごせないレベルに達している。

 タイトル詐欺、パッケージ詐欺は、深刻なB級あるあるだ。

 

 おまえちゃんと映画見たのかよ、白昼夢でも見てたのか?

 そういう作品だったらいいな、と思って考えた宣伝文句をそのまま使うんじゃないよ、と。

 

 なかでも中途半端なミステリーやスリラーのキャッチコピーと内容との格差には、愕然とさせられることが少なくない。

 頭いいふりをするくらいなら、はち切れんばかりのバカ映画を作ってくれたほうが、よっぽど世のため人のためB級マニアのためだと思う。

 

 

 私は、いわゆる「芸術性」を前面に出す映画が、あまり得意ではない。

 文学おやじが象徴だの間だのを語りたがる不条理系とか、意識高い系のねーちゃんがベーグル食いながら観る感じのやつは、かなりの倍速再生で飛ばす。

 

 そういうのに食いつけない自分は、たぶんバカなんだろう。

 だから振り切ったバカ映画を、心の底から楽しめる。

 

 人間の腸は18メートルあるんだ、というフラグを立てておいて、それをロープ代わりに下の階へ脱出、というような突き抜けて頭の悪いシーンは、医者キャラが小賢しく立ち回って医療トリックを駆使するより、よっぽど楽しい時間だ。

 細かいことはいいからとにかく爆発させておく、という方式が似合えば似合うほど、それはいい作品だ(私見)。

 

 

 もちろん専門知識を駆使して精緻に組み立てられた映画も、すばらしいとは思う。

 ただし、まじめに世に問う以上、一定のレベルに達していることが条件だ。

 

 やろうとしていることはわかるが、中途半端。

 これが、ほんとうにいけない。

 

 サメ系やゾンビ系で、粗製乱造されている作品群がある。

 最初から笑って観るつもりならいいが、まじめに作っている感をこれでもかと前面に押し出されると、厄介だ。

 

 説得力のない展開、適当な演出で、退屈な哲学を聞かされるのは、ほんとうにお互い様、痛い。

 まじめな作品を作る能力が足りないと思ったら、バカ映画を作っておけばいいのだ。

 

 

 というわけで、おもしろいバカ映画を紹介しておこう。

 一見の価値がある。

 

 『フランケンジョーズ』。

 もうタイトルの時点でおもしろい。

 

 B級が好きな人なら必ず通る鉄板ジャンルに「サメ系」がある。

 サメが空を飛んだりタコになったりゴジラになったり、なんでもありの娯楽映画なのだが、ひさしぶりにお腹が痛くなった。

 

 もうひとつ、ナチス系というのがあって、オカルトやモンスターや財宝なんかを隠して、ひとネタ提供してくれる。

 ナチは、とっくに月で第四帝国を築いているのだ(笑

 

 このふたつを組み合わせた、最高のB級映画。

 それが『フランケンジョーズ』だ。

 

 私は、まともな作品のフリをして、ところどころ手抜いていたり、やる気のない演出などしようものなら、すぐに噛みつく。

 しかし、最初から「ふざけている」という大前提に立ってこの作品を見たとき、度を越したいい加減さと期待以上のやっつけ仕事が、ついに逆説的な最高傑作を生みだした。

 

 そうとしか表現できない。

 序盤から笑い転げて、お腹が痛くなってしまった。

 

 こんな作品を商業ルートに乗せる勇気を、まず称えるべきだと思う。

 ツギハギだらけの、天才小学生が描いたようなサメが、ふいに飛び出してきたときの衝撃たるや、期待をはるかに上回る。

 

 サメとゾンビに足を向けては眠れない。

 それがB級マニアだ。

 

 つづけて『デビルシャーク』という、これまたカルト大喜びらしい作品も見たが、こっちはサメがほぼ出てこないので、あまり楽しめなかった。

 その代わりゲロが大量に出てきたので、食事しながら見ていた私の評価を参考にしないほうが良いだろう。

 

 

 

 最後に、たまたま観た『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』。

 B級とか変態映画が好みではあるが、大作娯楽映画もたまには観る、ということを伝えておきたい。

 

 完全にシリーズの1作という感じで、はじまりは「前回のつづき」だし、終わりは「次回へつづく」なので、個人的には純粋に楽しめないことこの上ない。

 が、お正月ということで、今回は「素直に観る」ことに徹した。

 

 ……悪くない。

 アクション映画としてのご都合主義や、主人公側には弾丸が当たらない補正は許容範囲として、全体的に楽しめた。

 

 細かい会話で、にやりとさせられるシーンも随所にちりばめられている。

 適度などんでん返しもあり、善人が悪役に切り替わる部分には、説得力がある。

 

 物語の骨子にある思想もいい。

 現実なんて、ほとんどイリュージョンだ。

 

 こういう大作は、何人ものライターが知恵を寄せ集めて作る分、設定やシナリオに破綻が少ないのだろう。

 作り手がアホをさらけだす可能性が低いわけだ。

 

 大作でもたまに、やらかしたな、ということはなくもないが。

 すくなくとも『ファー・フロム・ホーム』に関しては、安心して観られた。

 

 だれもが楽しめる作品。

 ご家族そろって、ごらんいただきたい。

 

 ……もちろん私は、ひとりで観たが。

 映画ってのは、ひとりで観るもんだ。

 

 

 というわけで、けっこう楽しんだ年末年始だった。

 いつも通り。

 

 いや、泣いてないですよ……。