最近ほとんど服を買っていない。
 何年もまえに買ったロンTなどを、ふつうに着まわしている。

 袖がなく風通しのいいTシャツに、徐々に切り替わっていく時期。
 さようならヒートテック。

 たたみもしない洗濯物の山から、つぎに着る服を探しているとき、むかし買ったユニクロが、まだ残っていることに気づいた。
 そのタグを見ながら、最近いくつか読んだ記事を思い出した。

 ユニクロといえば、ファーストリテイリング。
 ファストリといえば、もちろん柳井さんだ。

 柳井さんは名経営者かもしれないが、けっこうなアンチもいるらしい、と今回この文章を書くにあたって調べてみて気づいた。
 アンチ楽天ほどではないが、いろんな記事や掲示板などで、かなりボロクソだった。

 あいかわらず過激なネットの書き込みだとは思う。
 そこまで言わなくても、という感想が第一だが、2~3の件については同意できた。


 柳井さんの経営判断についての疑義。
 現在、私がユニクロから距離をとる原因にもつながっているのだが、とくに国際関係についての「感覚」に顕著だ。

 たとえば日韓関係が冷え込んだとき、韓国の事業を守るため日本人を腐してご機嫌を取り、韓国系の新聞に大喜びで取り上げてもらった。
 結局撤退。

 ウクライナの件で世界中の企業がロシアから撤退しているとき、衣服は必需品だから事業を継続すると発表。
 3日で撤退。

 ほかにも、マスクはつくらない的なことを言っておいて、結局つくるとか。
 朝令暮改が好きなひと、なのかもしれない。

 誤解のないように申し上げておくが、柳井さんの言っていることがまちがっているわけではない。
 たしかにロシアで暮らす人々の生活に寄り添う必要はあるし、それすら拒否する世界の反応はヒステリックという見方もできる。

 だが、だとしたら世界のヒステリックには批判的に対応するのに、韓国のヒステリーには同調してみせる、という点についてはバランスを欠いているように見えなくもない。
 その場しか見てないのかな、うまく優先順位がつけられないのかな、と感じてしまうのはこのあたりだろうか。

 まあ、失敗しない人間はいないし、基本的には優秀なんだろう、たぶん。
 どんな名経営者も、失敗はする。

 問題は「いやバカなこと言わんでくださいよ」と諫言するひとが、彼のまわりにいないらしいことのほうだ。
 火中の栗を拾って、どうしたかったのか。


 一部に優秀な能力を発揮するひとが、他方では一般人以下という現象は、よくある。
 典型的なのは「天才」数学者などだろう。

 自分で靴下も履けないが、人類の役に立つ数式を生み出したりする。
 このような天才に、自由な生活と行動を保証するのは、われわれ凡人にとって義務でさえある。

 しかし、相手が数式とか機械とかプログラムとか、人々の生活に無関係なところならともかく、経営はどうだろう。
 愚かな経営判断によって、すべてを失うワンマン経営者の例は、枚挙にいとまがない。

 ほとんどが中小企業だが、これは善悪相半ばする。
 大成功もするし大失敗もする、というわけで必ずしも否定はできない。

 だが大企業でこれをやったら、かなり危険だ。
 まわりにどれだけ優秀な参謀がいるか、その忠告にどれだけの価値が見出されているか、人材活用の状況がバレてしまうからだ。

 だれか止めてやれよ。
 そんなふうに思えるトップのいる会社。


 考えてみれば、けっこうあるかもしれない。
 テレ東の経済番組をよく観るのだが、しばしば紹介される立志伝中の「社長」たちのうち、悲惨な末路をたどっている人物は、それなりにいる。

 なかなか個性的な社長が経営する某巨大飲食店で、社長が失敗の原因を問われて、こんなことを言っていた。
 ──だれも止めてくれるやつがいなかった。

 おまえが言うな、とは思ったが、要するにそういうことなのだろう。
 組織が大きくなればなるほど、優秀な参謀(に一定の権威を与えること)が必要不可欠になる。

 それができているかどうか。
 株式投資などで企業をみるとき、このあたりを重視するといいかもしれない。

 外部からそれを見極められる目があれば、たぶん大金持ちになれる。
 と、そんなことを思った、私は貧乏人だ。

 


 三寒四温の時節柄、電力需要がひっ迫していたらしい。
 地震で発電所がいくつか止まり、真冬並みの寒気がやってきた、というだけの理由だ。

 室温氷点下でも暖房など入れたことのない私は、きっちり最低限度の電力使用量でやり過ごした。
 東電には感謝していただきたいものだ。

 腹と足元だけ冷やさなければ、人間は生きられる。
 そのために必要な電力は、微々たるものだ。

 それにしても最近、必要以上に暖かくなってきた。
 極寒を愛するあたおか(頭のおかしいやつら)のひとりとして、さきが思いやられる。


 先週、祖母の初法事をやった。
 亡くなって5か月ほどになる。

 祖母の法事の日は、気温が10℃を超えてきて、室温より高くなった。
 ドアと窓を全開にして、部屋を暖めた。

 極寒期、室温は外気温より5~10℃くらい高く保たれる。
 逆に外気温が15℃まで上がっても、室温は10℃以下だったりする。

 そこで、窓を開けて空気を入れ替えるわけだ。
 春だね、楽園かよ、と思いながら上着を脱いで風に当たっていた。

 すると埼玉からきた親が「寒い寒い」と窓を閉め、ストーブをガンガンつけていた。
 ただでさえ燃料事情の切迫している昨今、まったく地球に厳しい行為だと思った。

 最近、妹が会社をはじめ、うちの親も社員として酷使されている。
 で、しょっちゅう千葉の会社に通勤しているわけだが、自宅である埼玉(北のほう)に帰ってくるだけで寒いらしい。

 その埼玉から群馬の奥地にきたら、もう寒くてしょうがないという。
 冬男の私は内心、いやおまえの実家だろ、と突っ込んでおいた。

 夏女は、ハワイにでも行けばよい。
 もちろん常磐ハワイアンセンターだが。


 さて、法事だ。
 浄土真宗の坊主が念仏を唱えにやってきた。
 

 お彼岸の忙しい時期は休日の重なる前半らしく、後半は存外暇らしい。
 旅館における閑散期の予約みたいなもので、坊主も丁寧に念仏を唸っていった。

 もとより祖母は「お得意さん」だったらしいので、念仏後の法話もご丁寧だ。
 源信の『往生要集』について、ひとくさりぶっていった。

 素人宗教研究家として、ちょうど浄土宗、浄土真宗、一向宗、時宗などの「念仏」の効能について調べていたので、問いただしてやろうかとも思った。
 ひとつ「そもさん」かましてやってもよかったが、長らく正座して足のほうが「せっぱ」詰まっていたので、黙って聞いておいた。

 ちなみに一休さんで知られる「そもさん」「せっぱ」は禅問答だ。
 浄土系に通じるかはわからないが、安中宿といえば『蒟蒻問答』でも知られるので、説破してもらいたいところではある。


 群馬の奥地にも、春がやってこようとしている。
 脳が狂いやすい時期、死んだほうがマシと思えたりする。

 そのうえ来年度は、なんと「班長」らしい。
 生きるのって、めんどくせえなあ……。
 


 私は動画をよく観る。
 といっても作業用BGMであることがほとんどだが、江頭さんなど好きな芸能人の動画は、たまに観る。

 というか、芸能人はそれしか観ない。
 人気ユーチューバーなど、あまり知らない。

 とくに興味もないわけだが、とある記事が目についたのでちょっと読んだ。
 ユーチューバーから芸能人まで、スキャンダルを暴露しているユーチューバーがいるらしい。

 どうやら個人的な怨恨というか、どろどろしたものがあるようだ。
 芸能人がスキャンダルをバラされてCMがお蔵入りなど、被害は拡大している。

 私は観ていないし観るつもりもないが、どうやらガーシーというひとらしい。
 私怨と金銭が目的のゲスな所業という見方もあるが、ゲス大好きという一部の人々からの注目は高いという。

 さて、ここで圧倒的な話題の転換をはかろう。
 私はガーシーより、いま読んでいる「ガーサー」について、ちょっと語りたい。


 ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』における、ザラスシュトラ自身の言葉。
 たぶん、現存するもっとも古い宗教的テキストであろう賛歌、それが「ガーサー」だ。

 インド・イラン共通時代に生み出された聖典として、世界的に知られている。
 イランでは『シャー・ナーメ』、インドでは『リグ・ヴェーダ』、中東では旧約聖書、とくに『レビ記』などに影響を与えているようだ。

 素人宗教研究家として、各宗教の聖典にはひととおり目を通している。
 聖書は暗記するほど(巻名くらいは)だし、コーランや仏経典、インドの叙事詩も一応こなした。

 『アヴェスター』は完本が残っておらず、かなり断片的な資料しかないようだ。
 その残っている原典の完訳(電子書籍版)が7744円だったので、思わず衝動買いしてしまった(まあクーポン使ったが)。

 部分訳はどこかで読んでいるはずだが、すっかり忘れてもいる。
 このさい人類最古の宗教の完訳を嗜もう、と決めた。


 ゾロアスター教については、善悪二元論や最終戦争的なイメージが、けっこう強いと思う。
 絶対正義アフラマズダと絶対悪アーリマンの激闘、という中2心をくすぐる設定は、男子諸君がだれしも通る道であろう。

 紀元前の人々と現代の中2が同レベル、などというつもりはない。
 ただ事実として、この展開はあまりにも胸アツだ。

 愚かな民に語りかける力をもった設定は、宗教者にとっても喉から手が出る。
 というわけで、その後けっこうな影響力をもたらす宗教が、この発想を採用してしまったことが諸悪の根源であり、すくなくとも人類史をある意味で決定づけてしまったメルクマールではあっただろう。

 一神教の母、ゾロアスター。
 ウィキ先生でアヴェスターやザラスシュトラなど調べてもらえればわかるとおり、最古の旧約テキストより古い。

 旧約聖書は、第二神殿時代(前516~後70)前半あたりから、数百年かけて書き継がれた。
 途中には、かなり強いゾロアスターの影響が見受けられる。

 黙示録的なイメージのほとんどは、ゾロアスター起源ではないかとさえ思う。
 アレキサンダー大王などの蛮行で、多くのテキストが散逸(4分の1程度が残存)してしまったのは、あまりにも惜しい。


 もちろん旧約が取り入れたのは、ゾロアスターのアイデアばかりではない。
 シュメールからアッカドにいたる最古の文明圏において、うたいあげられた『ギルガメッシュ叙事詩』は、ノアの箱舟というエピソードにたっぷり取り入れられている。

 古代ユダヤ人が口をきわめてののしるエジプト人やバビロン人だが、彼ら自身その文化におそろしく影響を受けてもいる。
 エジプトの産んだアクエンアテンという唯一神の先例や、バビロニアの生み出した数々の文化遺産が『詩篇』や『雅歌』などに多く取り込まれている事実からも、あきらかだ。

 古代のユダヤ人は、要するに西や東やご近所などから、おいしいところをたっぷりと寄せ集めて、旧約聖書という偉大な文学を築き上げた。
 まったくすばらしい民族ではないか。

 外国から取り入れて、いっそうの磨きをかける。
 日ユ同祖論に、思わずうなずきたくなるほどだ。


 閑話休題、「ガーサー」の話だった。
 といっても、まだそれほど多くを語れる状況ではない。

 653ページの最初のほうなのだが、訳注が多すぎて非常に疲れる。
 紙の本だと指を挟んで行ったり来たりするところだが、電子書籍はツークリックで行き来できる。

 私の場合は、ビューワーを2つ開いて対応している。
 タブレット版で訳注ページを開き、適宜参照しつつPCで本文を読み進める、という体裁はなかなか使いやすい。 

 惜しむらくは、本文をコピペできないことか。
 紙の本だとそもそもできないので、ぜいたくな悩みかもしれないが。

 この手の分厚い(と思われる)大著は、持つだけでも疲れるので、その点でも電子書籍は有利だ。
 まあうちの場合は、空中に本を固定するブックスタンドを常備している(現在はタブレット固定中)のでいいのだが。

 さて、そろそろ読書にもどるとしよう。
 7千円の本だから、70時間かけてじっくり読めば、ゲーム並にコスパがいいような気もする……。
 


 2月いっぱいかけて小説を仕上げたので、3月はゲームをやっていい月にした。
 買ったまま放置していた女神転生5を、10日ほどかけてプレイした。

 ふつうにおもしろかった。
 感想については書かないが、やる価値はあると思う。


 難易度カジュアルでプレイ開始し、その後はノーマル、最後にハードで4周した。
 4つのエンディングを見ることをもって、自分的にはコンプリートとした。

 さきほどソフトを抜き取るまえに確認したところ、95時間ほどプレイしたらしい。
 1日8時間はやっていた計算になる。

 実質プレイ時間については、なんだかんだ正確だろう。
 途中、数時間ほど進めてからやり直したりもしたが、ゲーム画面のまま放置して別作業をしていた時間も数時間以上はあると思われるので、差し引きそのくらいは遊んだ。

 定価9878円らしいので、1時間あたり100円で遊べた計算になる。
 定価ではなくクーポン適用割引価格で買った私にとってのコスパはそれ以上だ。

 ゲーム脳なるものを、世のご両親や先生方はご心配なさるかもしれないが、正直ゲームはコスパがいい。
 おとなの遊びを100時間もしたら、1万やそこらじゃ、とうてい足りない。

 たぶん読書よりも安い。
 私は一冊の本を、ゆっくりたっぷりねぶるように読むほうなのだが、それでも千円の本を読むのに、さすがに10時間はかけない。

 とはいえ私の場合、このゲームのためだけに本体を買うという低コスパな行為をしてしまっている。
 それでもクルマや旅行や鉄道模型にかけるよりは、だいぶマシ(費用的な意味で)かと思う。

 メガテンのために本体を買うという行為も、プレステ2時代からくりかえしてきたことだ。
 次回はどんなハードで出るのか……。

 友達がいれば本体だけしばらく借りたいところだが、引きこもりのおっさんには、ゲーム機を貸してくれる友達などいない。
 そういう友達に取り囲まれている環境は……まあ別段うらやましくもないが。

 というわけで、生活のサイクルをもとにもどした。
 年をとるとゲームに耽溺する気力を絞り出すのもなかなかむずかしい。

 遊び終わったスイッチ本体は即売った。
 ソフトは今回も、記念にとっておくつもりだ。


 来週は祖母の初彼岸。
 お寺さんのお得意さんリストに載るくらい信仰熱心だったらしい祖母には、とても見せられない姿だ。

 なにしろメガテンは、毘沙門天や増長天をブッ倒すゲームである。
 しかしアブラハムの天使やヒンドゥーの神様もおしなべてブッ倒すので、そこは勘弁してもらいたい。

 とりあえず歌っておこう。
 くたばっちまえ、アーメン♪
 


 ウっクライナ ウっクライナ ウクライナは 戦時
 ウっクライナ ウっクライナ ウクライナは 戦時

 と、チョっコレイトを食いながら歌っていたことは秘密だ。
 いろいろなところから怒られそうだし、茶番はこのくらいにしておこう。

 ご承知のとおり、ウクライナで戦争をやっている。
 どうなるかはまだわからないが、今回は周辺でうごめくマネーの話をしよう。


 私は昔、金を転がして生きていた。
 思い出すたび、胃のあたりがキリキリ痛む。

 10枚ぐらい画面を並べて、チカチカするチャートに照らされながら、各証券会社のサマリーを読み比べた。
 FOMCや雇用統計に合わせて目を覚まし、日本のマーケットタイムはもちろん把握していたが、現実に外が明るいか暗いかはよくわかっていなかった。

 私は小心者なので、ポジションを長く維持することが怖かった。
 そこで一時、スキャルピングで小銭を稼いでいた時期もある。

 いま思えば、取引回数が増えることは、証券会社の利益以外のなにものでもない。
 それでも自分の才能に恃むこと多であった当時は、それが最善の方法だと思っていた。

 そうして徐々に気づいていく、証券会社のエゲツないやり口に。
 たとえば、スプレッドを広げるとか、強制「くるくる」地獄。

 スプレッドは文字どおり、顧客が注文できる売値と買値の値幅だ。
 それを広げれば広げるほど、その隙間の値段で売り買いする胴元が儲かる。

 「くるくる」は、パソコンを使っていればわかると思うが、現在処理中ですよ、という意味の回転するマークだ。
 秒で利益が吹っ飛ぶ状況で、一瞬でも速く売り買いしたいのに、くるくるまわられるたときはもう、こちとらムカ着火ファイヤー(当時)だよ。

 証券会社のバックボーン回線が貧弱だと、しょっちゅう起こる。
 大きなイベントのときは、まさに「地獄」だった。

 そもそも証券会社の設定する「スリッページ」という概念も「悪魔の契約」だと思う。
 注文した瞬間ではなく、たとえば0.5秒以内の約定ならOKというルールだ。

 自分だけはとにかく損しないために敷き詰められた、これら無数の罠。
 まあ営利企業だから当然といえば当然なのだが、個人投資家ナメやがって、とはいつも思っていた。

 機関投資家がコンマ秒単位で取引をしている世界に、個人がこんな環境で立ち向かえるか?
 もちろん無理だ。


 さて、その「大きなイベント」が昨今、多発している。
 戦争など、まさにその代表選手といっていい。

 現役は退いたが、それなりに業界の動きは観察している。
 いろんなことを言うのが証券会社だが、今回の下落局面で、やはり多かったのは「絶好の買い場」という印象だった。

 この下げは一時的なので、買っておいたほうがいいですよ!
 コロナの発生初期みたいなものです、と。

 結果論ではあるが、たしかにあそこで買っておけば株価は倍近くまで上がった。
 現在はその「調整」である、という。

 ほとんどの証券会社は、悲観論を語らない。
 アナリスト、ストラテジストぐるみで、とにかく買わせようとする。

 なぜか。
 売らせても、自分が儲からないからだ。

 一流と呼ばれるアナリストの大半は一蓮托生らしい。
 彼らは株価が「上昇している局面のほうが儲かる」ことになっている。

 もちろん商売なので、株価が下がっても利益が出る構造にはなっている。
 しかし下落局面で相対的に「利益が減る」ことは、まぎれもない事実だ。

 証券会社のセールスの言葉の羅列をみると、非常によく伝わってくる。
 彼らは基本的に売りを推奨しない。


 まあ、こんなことは「業界の常識」であって、私ごときがいまさら指摘するほどのことでもない。
 それに縁遠い、まっとうな人生を歩んでいる方々は、まず事実として了解しておいていただきたい。

 人間だれしもそうかもしれないが、言っても自分が得しないようなことを、彼らはとくに言わない。
 商品を買おうとする客に「いまは割高だから買わないほうがいいですよ」と言うわけはないのだ。

 含み損が出ている株が、もっと下がりそうだから売らせたほうがいいのに、あえて言わない。
 自分たちが推奨した「まちがいを認めたくない」からでもある。

 そもそも彼らは下げることを「調整」と呼び、上げるときは言わない。
 彼らの発言には、基本的にバイアスがかかっていることを、われわれは承知していなければならない。


 代表的な例が、リーマンショックだ。
 2008年9月、リーマンブラザーズ破綻直後、株が暴落した。

 そこで彼らはなんと言ったか。
 絶好の買い場ですぞ!

 さて、その後、どうなったか。
 日経平均でいえば、1万4000円から急落後の1万1000円程度(絶好の買い場らしい)から、半年後には8000円を切るまで下落した。

 彼らは商人なので、とにかく買わせたい。
 急落したら「買い場だ」と言い張ることに決め込んでいる。

 もちろん正しいこともあるが、明日は晴れだと毎日言いつづけていれば、ある程度は当たるだろう。
 証券会社の人間の言葉など、その程度に聞き流しておくべきだ。

 ちなみに、その絶好の買い場である1万1000のレベルを天井に、日経平均株価は2012年まで低空飛行がつづいた。
 塩漬けにしていた我慢強い人々に、彼らはこう言うかもしれない。

 どうです、絶好の買い場だったでしょう!
 だって3~4年、我慢するだけでしたからね!

 もちろん彼らは「詐欺師」ではないので、積極的にだますようなことは言わない(ということになっているし、そういう法律もある)。
 ただ、言わなくていいことを言わないだけだ。


 さて、ウクライナ戦争だ。
 素材や原油の値段が上がり、ほとんどの相場が下げている。

 多くの関係者にとっては、予想どおりの値動きだろう。
 冷静に考えて、まだ下げる余地はあるように思う。

 良識(?)あるアナリストは「これは暴落局面のはじまりで、3年はつづく」というような記事を上げていた。
 だとしたら、まさにリーマンショックと同じ構造である。

 もちろん、そうなるとはかぎらない。
 多くの証券会社の言うように、絶好の買い場である可能性もゼロではない。

 上がるも八卦、下がるも八卦、それがマーケットだ。
 だから彼らは、枕詞にこのひとことをつけるだけでいい。

 ええ、絶好の買い場です、理由ですか?
 そのほうが会社が(ついでに運が良ければあなたも)儲かるからですよ!

 


 献血の話。
 定期的にやっているが、昨今の数回で、ちょっとネタがたまってきたので、そろそろ放っておきたい。

 まず「不機嫌なスタッフ」。
 なんなのこいつ、という受付の態度に、こちらも合わせてやった話をしよう。

 献血へ行くとまず「定番の説明」があるのだが、イラついたような口調で、てきとうに説明する女。
 こちらも眉根を寄せ、「……あ?」みたいに返した。

 それでビビったわけでもあるまいが、女の態度は多少マシになった。
 原因が自分にあることを理解したかは不明だ。

 私は基本、相手が総理大臣だろうが場末の店員だろうが、目のまえで示された態度に「合わせる」ようにしている。
 横柄な相手には横柄に、ていねいな相手には敬語を使う。

 件の受付には、待ってる時間中も適宜、ガンをくれてやった。
 すぐ目線を逸らされたが、みずから招いた結果であることだけは理解してもらいたかった。

 人間なので、不機嫌なときも、体調がわるいときも、そりゃあるだろう。
 それを「出す」なら、相手からも「返ってくる」と知ってほしい。


 殺伐とした人間だな、と眉根を寄せられた方も多かろう。
 もちろん私も理解している。

 これは一般に、とくに宗教的な人間がヒステリックに批判する態度だ。
 「やり返してはいけません」「右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい」「裁くなかれ」という理屈は、もちろん理解する、そりゃそうだろう。

 宗教者はもっぱら先制攻撃者であって、彼らは反撃なんかしてもらったら、だれより自分自身が最大限に都合がわるい。
 俺はおまえを殴るけど、おまえは殴るなよ、なぜならそのほうが、俺にとって都合がいいからだ、いいか、わかったか!

 という宗教者のカルマを掘り下げる回ではないので、このくらいにしておこう。
 私が言いたいのはただ、不機嫌なのは勝手だが、私にぶつけるな、ということだけだ。

 殴られたら殴り返す私以外の、それこそ心優しい宗教者なら、不機嫌なあなたも受け止めてくれるだろう。
 その代わり、それなりのお布施を要求されるかもしれないが。

 献血するくらいお優しい人間なら、私の不機嫌も受け止めてくれるよね。
 知らんがな、好きにすればいいが、ここ以外のどこかでやれ。


 一応言っておくと、私はけっして「ヤバいおっさん」ではない。
 できれば他人に迷惑をかけないように、ひっそり暮らしたいと思っている。

 むしろ「いいことをしたい」とすら思う。
 だから献血をしているが、いいことをしているんだから懇切丁寧に対応しろ、などとえらそうなことを言うつもりもない。

 ヤバくはないが、やさしくもないおっさん、という評価でよいと思う。
 すくなくとも、わるいことをしているわけでもないのに、ナメた態度をされて我慢する気はない(ここ重要)。

 あえて殺伐とした物言いをしてしまったが、私は淡々と物事を進めたいだけの人間だ。
 相手が仕事に私情を挟もうがどうしようが、さしたる興味もない。

 だれでも虫の居所がわるいときはあるだろう。
 それを駄々洩れするのは相手の自由だし、こちらがそれに合わせるのも自由だ。

 お互いの自由の範囲内で、なんとなく不快さを増した。
 きっちりやり返してさえおけば、私には特段の不満もない。

 もしかしたら、ツンツンしてるクールな彼女が好き、という御仁も、広い世間にはおられるのかもしれない。
 「そういうプレイ」なら応じるのにやぶさかではないのだが、私の場合、残念ながら通常モードでは「倍返し」に設定されている。

 くりかえしておくが、やさしさにつけこんで「不機嫌なあたしを受け止めて」という態度だとしたら、相手をまちがえた。
 世の中のたいていの人間はそうだと思うが、私もきわめて利己的な「論理」で動く。


 やったことは返ってくる。
 それは所与のものではない。

 われわれ全員が、きちんと「お返しをする」という社会的合意を守ることによって、はじめて成り立つ「安全保障」であるといってもいい。
 われわれは淡々と、お返しをしなければならないのだ。

 というわけで、献血をすると数値が返ってくる。
 自分の健康状態を確認するのに有用だ。

 いいことをしたから、いいことが返ってきた。
 ともかく「やったことは返ってくる」と信じるためには、自分も必ず「やられたらやり返す」ことが大事だと思う。

 さて、基本的に「正常」の範囲で推移しているが、今回は「総蛋白」と「コレステロール」が、ほんのすこしだけ正常の枠からずれていた。
 総蛋白は微差だったので関係ないと思うが、コレステロールはわかりやすく急上昇していた。

 コレステロール値は血清脂質のひとつで、一般に脂肪の多い食事をつづけていると上昇する。
 なるほど、と思い当たる節に肯じた。

 献血前の3週間ほど、毎日、でかいカップラーメンを食ってみたのだ。
 こうかはてきめんだった!

 血圧もだいぶ上昇していて、献血できるギリギリ。
 血清コレステロールと塩分は、動脈硬化の大敵である。

 つまり「死因」の多くを占める道へ、一歩を踏み出していたわけだ。
 一か月や二か月ならともかく、何年もこんな生活をつづけたら、そりゃあ死ぬな、と思った。


 という食生活を改善して臨んだ次回、さすがに態度のわるいスタッフはいなかった。
 だからというわけでもあるまいが、だいぶ混んでいて待たされた。

 予約して行ったにもかかわらず、2時間半。
 さすがにイライラモードが募った。

 成分ではなく、全血400だ。
 30分で終わる、がモットーの全血400で、なんだこれは?

 問診に呼ばれるまで、検査に呼ばれるまで、本番にいたるまで、ことごとく「まあまあ待たされ」る。
 その蓄積が2時間半なわけだが、さすがにおかしくないか?

 たしかに混雑していることは、見ればわかる。
 待っている私の横で、初心者に説明しているスタッフとか、まったりしている夫婦とか、いろいろなひとがいるわけだが、そういう人々を観察するのは楽しいのでべつにいい。

 どこがボトルネックになっているのかはわからない。
 献血ルーム内の流れの問題か、単純に処理する機器の数の問題か……いや、だとしたら予約受け付けるのおかしいだろ、そもそもスタッフの配置おかしくね?

 と、合理的な解釈に努めながら待った。
 こちとらイライラしてんのに、カウンターでボーッとしているやつをみると、さらにイラっときた。


 個々の働いている人々は、ちゃんとやっている。
 それは理解しているが、問題は全体的な流れだ。

 テキトーに問診してボーッとしている医者もいるし、流れが途切れればスタッフもカウンターであくびもしよう。
 そのくらいはべつにいい、彼らの自由だ。

 ただ、おまえ給料もらってんだろうけど、こちとらボランティアだかんな、とは思った。
 彼らは、たいていどんなふうに時間を過ごそうと、給料は同じだろう。

 一方、こちらは400の血を失うのは納得ずくだからいいとして、ふだん以上に待たされる「時間」というのは純然たる損失だ。
 予定を詰め込んで外出しているのに、なんだよこの「無駄」な時間は……。


 ここで前段の話に通じる。
 ボランティアしてるくらいだから心優しいひとだよね、だったらちょっと長引いても優しく受け止めてくれんでしょ、という甘え。

 ざけんなよ、と伝えておきたい。
 私は悪人ではないが、善人でもない。

 こちとら心優しいから献血してんじゃねえ。
 いずれ返してもらうために、ただ「血を預けてる」だけなんだよ!

 と、考えてみればお金を預ける銀行もまあまあ待たせるが、そういう親方商売には断固、苦言を呈したい。
 ビジネスライクな顧客に対して、ビジネスにとってもっとも重要な「時間」を搾取するなら、当然に説明は必要のはずだ。

 イラチな人間にとって、「待たされる」のはほんとうにストレスがたまる。
 どんなにうまいと評判の店でも、混んでいれば、隣の空いている店にはいる。

 私にとっては、時間がすべてなのだ!
 だから予約してんだよ、という点を彼らには再度、理解してもらいたい。

 という感想を抱いた、こたびの献血だった。
 もらった献血バスのトミカは、いらないので売り払うとしよう。


 最後に、毎日カップラーメンをやめた私の血は、全ステータス正常だった。
 回復魔法いりません、ありがとうございました。
 


 最近、暖かくなってきた。
 あまりいい傾向ではない。

 私にとって、温暖化は個人的にも問題だ。
 私の頭がおかしい話は、以前も何度か書いている。

 江頭さんが放送してる「あたおか」向けの放送が受け入れやすいのもそのためだろう。
 いや冗談だ、そういう意味の「頭がおかしい」ではない。

 パニック障害という言葉がいちばん近いのかもしれないが、私は診断を受けていないので確言しない。
 ただ脳が「変な状態」に陥ることは、ときどきある。

 どんな状態なのかは、伝えることがとてもむずかしい。
 ほんとうに「名状しがたい」状態なのだ。

 先人が「パニック」と名づけているので、それを受け入れてもいいのだが、混乱しているというわけでもないような気はする。
 いや、混乱はしているのだが、なんというか……ほんとうに表現しづらい状態だ。

 この状態、主観的にかなりキツい。
 できれば治ってもらいたいが、無理なら軽く済ませたい。

 その最適解になりそうな方法の話を、ちょっと書いてみよう。
 言うまでもないが申し上げておく、「個人の感想」だ。


 症状を軽く済ませたいという考えは、きのうきょうではない。
 いろいろ試してみた経過は、以前も書いた。

 扇風機を抱きかかえて大口を開け強風に当たるとか、壁に耳を押しつけながら水のシャワーを浴びるとか。
 思い出すだに気持ちがわるいのだが、まあいろいろやってきて、現在までなんとか生き延びてはきた。

 30代からはじまって、10年以上、たまにくるこの発作。
 独力で乗り越えてきたことは、ひとつの誇りではある。

 もちろん医者と薬に頼りたい気持ちはあったし、そうしている方々を否定するつもりもない。
 単に私の踏ん切りがつかなかっただけだ。

 発作の前駆症状が現れたとき、最初はどうしていいかわからずオロオロして、意識をそらすとか無になるとか(これは余計ひどくなった)酒を飲むとか、いろいろ試した。
 プロテインとか睡眠時間とか、いろいろ要素は分析しているのだが、最近かなり重要なことに気づいた。

 大事なのは、脳の「温度」ではないだろうか?
 いや、あくまでも現在の感想にすぎないので正解かどうかはわからないが、落ち着いて考えると思い当たる。

 扇風機に当たるにしろ、冷水シャワーを浴びるにしろ、結局は体温を下げている。
 やべえ、頭おかしい、となったとき、手近に薬があればもちろんがぶ飲みだが、それより簡単で自然な方法、それこそ「冷却」だ。

 私はそのために、この寒冷地を選んで住んでいるんだな、という気すらした。
 脳を冷やす、これだ。


 そのために、冬場、この家で私がやることは、単純だ。
 前駆症状に気づいた瞬間、かぶっていたフードと襟巻を外し、室温に身をさらす、以上。

 部屋を暖めるという発想がなく、だいたい室温5℃で暮らしていることも以前書いたが、そのためにはもちろん体温を保持するため防寒着を装備しなければならない。
 とくに腹と足元は、万全の防寒で暮らしている。

 睡眠中など、室温が氷点下になることも間々あるが、マスクなどの装備により外気に露出する場所はほぼない。
 よって、ちっとも寒くない。

 そんなとき、例のやつがやってきた。
 ハッとした私は、ともかく首から上だけ装備を外し、呼吸数を増やして室内をウロついてみた。

 すると、波が去ったではないか。
 今シーズンだけの話ではあるが、なるほどそういうことなのかな、と分析はできた。

 そう、脳の「温度を下げる」ことが、もしかしたら重要なのではあるまいか。
 急激な体温低下を感知した脳が、より優先順位の高い生命の危機に対応するため、パニックなどという邪魔な回路を封殺した……のかもしれない。

 事実、氷点下の室温に耳と首をさらすだけで、一気に脳が冷えていく実感があった。
 生物の仕組みとして、理屈としてそうなるのだ。

 耳からの放熱が、とくに助かった。
 ホッキョクギツネとフェネックの差は、まさにこの耳だ。


 そんなこんなで最近、ヤバい波をしのいでいる。
 真夏に起こったら適用がむずかしい気もするが、いまのところ真冬においての打率は10割だ、すばらしい。

 最重要なのは、脳を冷やすこと。
 つぎに大事なのは、腹は冷やさないこと、だと思う。

 裸になって寒空を駆け抜けるという方法すら考えたくらいだが、たぶんそれをやると体調そのものがわるくなる。
 寒冷地で暮らすマストとして、「腹は冷やすな」は鉄則だ。

 古来から言われているアノマリーなので、いまさら偉そうに言うほどのことでもない。
 これはほんとうに、マストだ。

 腸内フローラの活動うんぬんという理屈につながるのかもしれないが、ともかく腹は冷やしてはいけない。
 一方、脳はどうしても急速冷凍したい。

 そんなとき助かるのが、室温0℃だ。
 防寒武装をはぎ取るだけでいい。

 おかげさまで、今シーズンのパニック被害は、かなり低減された。
 首から上の武装を解除して、呼吸数を増やす、それだけのことなら5秒でできる。


 首から上の温度が急激に下がることで、しばらくすると「いやな予感」が遠のく。
 まさかそんな簡単なことなの? と、むしろ拍子抜けるくらいだ。

 寒冷地以外の方々が応用するなら、氷のうを両耳に当て、口いっぱい氷を頬張るだけでもいいかもしれない。
 あくまでも発作の「前駆症状」への対処だし、個人的な感想でしかないのだが、参考になれば幸いだ。

 というわけで、ストップ温暖化!
 春なのに~。
 


 群馬には、有名なラーメンがある。
 だれもが知ってる、サッポロ一番だ。

 群馬といえば首都はサッポロに決まっている。
 あたりまえだ。

 さて、サッポロが一番とはいえ、そこには一番のなかの一番、キングがいる。
 塩味だ(異論は認める)。

 サッポロ一番の塩味は、まじうめえから、とバカ舌の私が保証しよう。
 むかしはよく買っていた袋麺なのだが、最近はあまり買わなくなった。

 なぜか。
 ……高えんだよ、サッポロ一番塩味。

 なんと、近所の安売りスーパーで、5袋400円以上で売られていた。
 群馬のスーパーでサッポロ一番が400円……世も末だな。

 ちなみにその横には、そのスーパーのPBである袋麺が、5袋200円以下で売られていた。
 むかしはサッポロ一番も、この価格帯の一員だったはずなのだが……。

 そうか、サッポロ一番って、もうブランド品なんだな、といまさらながら気づく。
 その横には、チキンラーメンや出前一丁、うまかっちゃんなども並んでいる。

 セールらしく、マルちゃん正麺が安い。
 PBばかり買うのも貧乏人みたいでいやなので、いやべつにいやじゃないが、どうせつくる手間は同じなのでいろいろ買うことにした。


 セールとはいえさすがにマルちゃんはPBより高いが、倍以上というアホみたいな値段のサッポロ一番に比べればマシだ。
 なによりマルちゃんは、信頼に足るメーカーである。

 最近あまり見かけない、昔ながらの「冷しラーメン」が、たまに食いたくなる。
 父親も好きらしく、店舗で見かけないのでネットで探して買ってやるが、たしかにこれがけっこう高い。

 昔は5個で198円とか、そんなもんじゃなかったろうか。
 私がネットで探したときは500円以上して、まじかよ、と思ったものだ。

 まあ年寄りには食いたいものを食わせてやりたいので買ったが。
 やはり日銀さまさまのインフレ誘導政策は、徐々に功を奏しているようだ。

 と、いうような問題ではないな、これは。
 なんだろう、マルちゃん、冷やしラーメン、売ってない、という検索ワード。

 一時的なものかもしれないが、昭和を懐かしむ世代にとっては切実だ。
 東洋水産、がんばってください。

 閑話休題。
 PBの進化を試すべく、とりあえず全部の味を買った。

 つくる手間は同じなのだから、価格は重要だ。
 どうせバカ舌だしな、と自嘲をこめて。


 結論から言おう。
 とんこつうめえ。

 うまかっちゃんのとんこつ味パクったんじゃねえの、というくらい、うめえ。
 いや、言い過ぎた。

 しかし、まずくはない。
 1食40円以下の袋麺としては、これでじゅうぶんだ。

 もちろん野菜などは追加している。
 うちの裏には畑があるので、とくに冬には、父親がつくっている大根があふれている。

 消費先がないので、しかたなく私が抜いてきて、市販の「浅漬け塩」と混ぜて、つねに山のようにある。
 まあ味は保証しないわけだが、バカ舌なので問題はない。

 ただ切って漬けているだけなので、大根から摂取できる栄養だけは損失ない。
 以下、「調理法」を説明しよう。


 まず百均で300円の調理器に、麺、乾燥わかめ、卵などを入れ、熱湯(少な目)をかけて2分チンする。
 麺をほぐしながら、キンキンに冷えた大根とそのつけ汁、ついでに酢を混ぜる。

 私はバカ舌ではあるがネコ舌でもあるので、この時点で「可食温度」に下げる。
 以上、実食。

 ふつうにうまい。
 そこで気づく、どっかで食ったことあんな、と。

 ハッとした。
 これはサッポロ一番塩味!

 期せずして複線回収。
 いや、そんなに似ているかといえばそうでもない。

 ふつうの「塩」味のほうが似ているだろう。
 とんこつでもそう感じるのは、野菜の印象だろうと思う。

 そもそもサッポロ一番塩味は、野菜と煮込むことを前提につくられているらしい。
 その設計思想に沿う形で追いついた神秘の味、エセサッポロ一番、おためしあれ。


 いや待て。
 考えてみればこの製法は、私という異常者に特化している。

 好き嫌いが別れると思うが、私は卵より納豆を入れるほうが好みだ。
 結論「納豆を食っとけば、なんとかなる」からである。

 ともかく万人受けする味ではない。
 その後、いろいろ試した結果、塩はOK、みそはギリギリなんとかなった気がするが、みんな大好きしょうゆラーメンには合わなかった。

 言い直そう。
 よいこは真似しないでね。


 というわけで最近、カップめんから袋めんにシフトしている。
 カップもじゅうぶんに安いのだが、袋めんの安さにはかなわない。

 ゴミ捨ての量とか、エコという観点もある。
 高級志向から98円のカップめんまで、ちょいちょい買い足してはあるのだが、山のように積まれたカップを見ていると心のどこかが痛む。

 袋めんをつくっていると「料理してる」感もあっていい。
 『孤独のグルメ』を流しながら、5分でできる料理。

 そんな食生活で、じゅうぶん幸福に空腹を満たしている。
 幸せなんて人それぞれだ。

 

 

 私は趣味で、小説を書いている。

 そして仕事で、経理をやっている。

 

 どちらもネットのない古来から、ふつうに行なわれていた作業だ。

 だから「なくてもできる」のだが、あると便利になる。

 

 認めなければなるまい。

 高度に創造的な小説の執筆さえ、ネットにはつながっていたほうがよい、と。

 

 経理の作業など、なおさらだ。

 理由は明確、「バックアップ」である。

 

 作業データを、地球のどこかに、つねに保存してくれている。

 停電が起きても、テーブルからパソコンを落としても、なんなら大爆発が起こって部屋が吹っ飛んでも、データが守られる。

 

 形のない「情報」をなにより重視する私のような種族にとって、これはありがたい。

 まあ部屋といっしょに形のある「身体」も吹っ飛ぶだろうから、守られたデータにどんな意味があるのかはわからないが。

 

 

 ひと昔まえの人々なら、データが飛ぶ、などという死の行進の一景は、日常茶飯事であっただろう。

 停電です、なに、パソコンはどうだ、再起動しました、それでデータは、ありません!

 

 そんなおもしろ風景に、なつかしいなあ、と遠い目をする御仁もおられよう。

 最近はもう、ほとんどクラウドにオートバックアップ、という魔法の機構で支援されているから、ちょっとやそっとの災害には動じない。

 

 ほとんど秒単位で残されるバックアップは、強靭なネットワークのたまものだ。

 つねに「つながっている」必要は、さみしがりやのメンヘラさんたちの専売ではない。

 

 

 先日、経理の作業中にこんなことがあった。

 私以外のだれかが設定した関数が、エラーを吐いたのだ。

 

 残念ながら私は、天才でも熟練者でもない。

 しばらくしてからエラーに気づいたので、どの作業がこの結果をもたらしたのか、にわかに判断できなかった。

 

 たぶん調べればわかるのだろうが、そのコストをしばらく比較検討した結果、後ろ向きの結論に達した。

 もういいや、きょうの作業はなかったことに。

 

 すぐにエラーが出てくれれば「元に戻す」という魔法のコマンドで解決だ。

 しかし離れたページでしばらく作業してしまうと、そういうわけにもいかない。

 

 「変更の履歴」を呼び出し、本日作業開始の時間帯のデータを読み込んだ。

 こうして一時間ほどの作業成果と引き換えに、エラーの真相を探求するコストを拒否してやったのだった。

 

 

 経理というのは、つとめて「作業」だ。

 小説のような創造的「作業」が一時間吹っ飛ぶのは痛いが、金額や科目を判断して入力するだけの単純「作業」なら、さほど痛くはない。

 

 この作業のバックアップにかかるデータ量も、じつはかなり小さい。

 ものすごく小さなデータを生み出すのに、われわれはたいそう苦労している。

 

 テキストデータ。

 写真や動画を日常的にやり取りしている人々から見れば、ゴミのようなサイズだろう。

 

 パケットと呼ばれる小さな魔法の箱に、多くの感動と重要情報が詰まっている。

 これを取り扱うために必要なのは、太い回線でも光の反応速度でもない。

 

 うちは光ファイバーで安定してつながっているが、その必要はないとも思っている。

 たとえ細い電波でも、とりあえずつながっていれば足りるのだ。

 

 肉体と魂のつながりも、もしかしたらこんなものなのではないかな。

 ふと、そんなことを思った。


 羽生さんがA級から陥落したらしい。
 絶賛冬季オリンピック開催中のスケートのほうじゃなく、将棋だ。

 タイトル99期のレジェンド、棋士の羽生善治氏であるが、彼も寄る年波には勝てず、ついにA級というトップクラスから陥落した。
 それはそうだろう、彼も人間だ、ふつうのことが起こっただけだ。

 若いころは瞬時に、膨大な選択肢から一本の光る解答として、そのさきにある彼方の詰み筋までが「見える」。
 大脳新皮質は大パニックに大活躍し、才能に恵まれた者だけが最高の結果を出す。

 じつにすばらしい天才だったわけだが、さすがの才能も、半世紀も使い倒してくれば劣化する。
 当然のことだ。

 むしろよくやった、お疲れさまでした。
 これからも、がんばってください。


 さて、私も最近、ものが見えにくい。
 突然卑近な話題に引き寄せて恐縮だが、要するにそういうことなのだ。

 人類は、いや、ほぼすべての生物は成長し、必ず衰える。
 いよいよ私にもやってきましたぞ、老眼。

 だいたい40からはじまって、45から50でほとんどのひとが自覚するという、老眼。
 平均的な自分に苦笑する。

 自覚が遅れる理屈はわかる。
 徐々に弱っているので、気づきづらいのだ。

 まったく見えなくなってくれれば、アホでも気づく。
 そうではない、ふつうに見えはするのだ。

 ちょっと見づらくなったとしても、経験値と類推を働かせれば意味は伝わる。
 日常にさしたる不具合もなく、40代前半は過ぎる。

 40代後半、それにしてもおかしいな、と認めざるを得なくなる。
 嘆息しながら「老眼チェック」のサイトを見た。


 人差し指の指紋がくっきり見える距離と、作業をするパソコン画面との距離を入力するだけで、度数がわかるらしい。
 やってみたところ、こう言われた。

 あなたに老眼鏡は必要ないようです。
 それでも見えにくさや違和感などがある場合は医療機関にご相談されることをお勧めします。

 ……マジですか。
 トラコーマかな?

 いやどう考えても老眼なのだが、と思いながら読み進める。
 近視や乱視が強い方は、この方法ではチェックできません、とあった。

 なるほど、もともと手前にピントが合っている状態、というわけだ。
 メガネをかけなくてはならないほど近視は強くないが、ピントを合わせる力が弱っていることは事実で、おかげでいろいろ「見づらい」と感じてしまっている。

 膨大なテキストを読む人間にとって、見づらいというのはかなり手厳しい。
 瞬時にピントを合わせてくれるレーシックはないものか。


 私の考え方としては、補えるものなら「機能」は補うべきだ。
 人体の「改造」手術は、当人がやりたければやればいい、と思う。

 「デザイン」の改良に興味はないが、「スペック」を強化することは重要だ。
 スマホの話でもいいし、人体でも同様である。

 最高のポテンシャル、最速のレスポンスで、最大のパフォーマンスを出す。
 機能に妥協してはならない。

 1位でなければ意味はない。
 羽生さんはずっとトップだった、だから彼は、ほんとうにすごかった。

 たとえ一瞬でも、「ほんとうにすごい」状態になるのは、たいへんだ。
 これから藤井さんが、どれだけ「すごい」状態をキープできるか、楽しみだ。


 閑話休題。
 結論からいえば、老眼を治す方法は「ない」らしい……が、方法は「ある」ようだ。

 多焦点眼内レンズ。
 説明しよう。

 自分の力で焦点を合わせる、という能力が減っていくのが老眼だ。
 多焦点眼内レンズは、最初から2~3か所(遠・近・中など)に焦点が合った状態のレンズを眼内に入れる。

 前述のとおり、老眼は治療できない。
 若者のように力強い眼筋で、すばやく焦点を合わせることは、二度とできないのだ(すくなくとも現在の医学では)。

 その永遠に失われた筋力を、多焦点で支援する。
 力をとりもどすことはできないが、補うことはできるということだ。


 この話を延長すると、どこまでも見える目、生物を超えて速い脚、スタープラチナレベルで動く手、殺しても死なない不死身のボディなど、妄想は広がっていく。
 それで武装した人類、最強じゃね?

 というSFな話になってくるが、このへんはかなり議論があるところだ。
 たしかにサイボーグは最強だと思うが、そうなると、もうヒトではなくなる。

 羽生さんや藤井さんも、人間が考えているからすごいのだ。
 もし藤井さんが、多焦点眼内レンズならぬ棋譜解析脳内チップを組み込んで連勝しても、ちっともすごくない。

 スポーツの世界がわかりやすい。
 ドラッグやある種の手術など、人体機能の積極的な「強化」には議論がある。

 パラリンピックに出場するような障害者の「装備」している人工関節のほうが、人類をより速く走らせるとしたら?
 不自由な腕を制御するための筋線維チップが、完璧な動作でEスポーツ界を席巻したらどうだろう?


 というわけで批判的な世論が根強いが、正直、私などは肯定的だ。
 強化した事実を「公表する」という前提で、やりたければやってもいいんじゃないかな。

 それは人類の順路でさえあって、むしろなぜもっと人体強化が推奨されないのか。
 おかげで老眼にさえ苦労しなければならない。

 最初から強化された肉体を手に入れる選択肢があれば、迷う余地もない。
 機械のカラダが欲しいわけではないが、機能するカラダは欲しい。

 ゆえに人体の改造(改良)には比較的寛容だ。
 壊れた臓器は入れ替えてしまえばいい、という考え方には7割くらい賛成する。

 しかしとくに宗教的な世界では、神によって生み出された完璧な人体に手を加えるなどとんでもない、ということになっている。
 病気を治療するのさえ拒絶する、という宗派があるくらいだ。


 さて、ここまで書いておいて無責任に締めたくないので、重要なことを述べねばなるまい。
 多焦点眼内レンズは基本、白内障という病気の治療に使われるレンズだ。

 加齢とともに水晶体自体が濁っていく病気「白内障」の治療は、もちろん保険適用の「医療」である。
 ただ見えづらくてイラついているだけの私は、白内障ではないので、簡単には適用にならないだろう。

 原理としては同じ、眼内コンタクトレンズ(ICL)という手もあるが、適用上限は45歳前後らしい。
 ICLのいいところは、状況が変わったらすぐに入れ替えられる(可塑性)ことだが、年齢ぎりぎりの私は、いろいろな意味でできれば人生最後の手術にしたい。

 で、ミドルエイジレーシックというのも見つけた。
 以前は左右の目で焦点を変え、老眼を矯正するということがやられていたようだが、不自然さを感じるひとが多かったようだ。

 それをよりマイルドにしたミドルエイジレーシックは、焦点を分散させて見える範囲を広げ、より自然な見え方を追求する……とかなんとか説明されていたが、なんかだまされてる感がすごかった。
 要するに、遠くも近くも「なんとなく見えるようにする」レーシックらしい。


 結論は、まだない。
 一応見えるので、もうしばらくこの老眼と付き合おうと思う。

 流れ的には、デビルアイに人体改造は、いいかもしれない。
 見えなくてイライラした瞬間、熱光線で当たり散らす危険な老人、爆誕!

 まあ保険は適用されないだろう。
 たとえ自由診療でも、希望者に対しては、きちんと問診で却下しなければなるまい。

 そんなサイボーグの世界。
 わるくはない……。