私は肉をあまり食わない。
 定期的に買ってくるのは納豆とか卵とか、最低限のものばかりだ。

 肉体労働をしていないから、という理由もあるかもしれない。
 ビーガンではないが、植物性の食事が多い。

 しかし現場でごりごり筋肉を使っていれば、そういうわけにはなかなかいかない。
 牛丼一筋300年、それは男の世界なのだ──。


 さて、その経営陣がおもしろいことを言っていた。
 大騒ぎになり解雇されたらしいが、ふりかえってみよう。

 ──生娘をシャブ漬け。
 笑った。

 ヤクザかな、と思ったら吉野家のおえらいさんだった。
 納得した。

 キン肉マンにさんざん世話になっておきながら、作者にはけっこうな塩対応とか。
 男塾を釣りに使ってみたところ、報酬の説明が前後で食い違ってプチ炎上とか。

 ちょいちょいやらかしてくれる吉野家、最近食べてないが、元気そうでよかった。
 この手の経営陣について、すこし考えてみよう。


 ジャンプの卒業生たちは、こういう大人になっている可能性が高いのかな、と思わないこともない。
 少年の気持ちをもちつづけている、香ばしい大人たち、と考えると生ぬるい笑いが漏れてくる。

 世間的にだいぶ指弾されていて、吉野家の株価も大幅下落らしい。
 まあそうだろうな、とは思う。

 早稲田大学の主催する社会人向け講座での出来事だ。
 例のごとくSNSによって拡散された。

 ──地方から出てきた右も左も分からない生娘さんが、初めて(吉野家を)利用して、そのままシャブ漬けになるような企画。
 「不適切な表現で不愉快な思いをする方がいたら申し訳ない」という前置きは、燃料を供給された人々にとっては塵に同じらしい。

 個人的には、むしろ丁寧すぎる物言いだと思う。
 彼らの暮らす世界、ターゲットでもある「現場のおっさん」にとって、こんなものは日常茶飯事なのだ。

 男には男の世界があるのだから、そこから出てこなければよかった。
 おっさん需要だけ満たしていればいいものを、変にチャラい企画を立てようとするからこうなる。

 そういう視点が日常である業界にもどれば、彼も有能な経営者であるはずだ。
 その講義を笑って聞いていたという学生も、吉野家に就職したら出世できるだろう。


 要するに「トーシロをジャンキーにする戦略を立てろ」ということだ。
 マーケティングとしては、しごくまっとうな課題とさえいえる。

 どうやら女性への侮辱でもあるらしいのだが、じゃあ彼が「田舎から出てきた男の子」と言ったら、男性への侮辱として大騒ぎになるだろうか。
 もちろんならない。

 民主主義や社会主義の定義が揺らいでいるように、フェミニストらの物言いも世代によって異なったりするので、慎重に受け止める必要はある。
 とはいえ私は、以下のようにシンプルなロジックで受け止めている。

 世の中の女性は差別されてきたので、これからは男性を差別しましょう。
 男性は男性であるという理由によって、もっと痛い目をみてください。

 やや単純化しすぎたきらいはあるが、そう考えると納得しやすい。
 社会というものを駆動している「原理」は、比較的単純なのだ。


 私は現実をまあまあ受け入れているので、この手の駆動力も否定はしない。
 むしろ活動方針に沿った、順当な論理だと思っている。

 ミートゥー的な集団は、かなりのパワーをもっている。
 問題の核心は、この一点に尽きる。

 いま私が分析しているのは、吉野家を「たたく側」の論理だ。
 戯画化した小説のなかですら、ジェンダー問題を絡めてたたいてくる人々は、事実いる。

 男女が「同じ人間」であれ「異なる人間」であれ、すべての「活動家の都合」は同じだ。
 かの共産主義者たちがみせてくれた「小児病」の姿を重ねても、わかりやすいだろう。

 あらゆる「主義者」が希求するのは、集団に対する動員、訴求力だ。
 この力学そのものを、まずは理解する必要がある。

 騒いで、ついてきてくれる人々が、一定数いること。
 それだけで、そのなかにいる人々は気持ちよくなれる。

 もちろん実利も伴われる。
 大なり小なり、人間を集めることができれば、利益が出るのだ。

 まさに市場原理でもあるのだが、マーケティングを教えている側が、最高の「反面教師」ぶりを示してくれた。
 おそろしく皮肉の効いた牛丼を、ひさしぶりに食いたくなったくらいだ。


 神を信じる十字軍から、階級と戦う共産主義者まで、その時々に人々を動員しやすい「流行」性感冒のような「思想」がある。
 なぜ人々が流行に乗っかるのかといえば、それが正義だと信じ、目標を達成することで「気持ちよく」なれるからだ。

 思想が弱いと達成のカタルシスは遠のくが、それが強ければより気持ちよくなりやすい。
 そこで流行というものが生まれる。

 害のない流行はもちろんあるし、あっていい。
 しかし、たまに有毒な「熱狂」があるから、気をつけなければならない。

 いわゆる「炎上」の多くが、残念ながらそう見える。
 たたきやすそうな「なにか」を待ち受け、見つけたら嬉々として飛びつく、彼らこそがジャンキーではあるまいか。

 ジャンキーを生み出す方法を考えろという発言自体が、多数のジャンキーを呼び寄せてしまった。
 この騒動は、最高のカリカチュアだ。

 食べ物を違法薬物にたとえる、という方法もたしかに不適切だろう。
 が、あらゆるファストフードが、そのジャンキーたちによって支えられている事実もまた否めない。


 「人権・ジェンダー問題の観点からも到底許容できるものではない」。
 火消しに躍起になっている吉野家だが、あなたがたに足りないのは、そういう会社なのだという自覚のほうだろう。

 一方で、この死に体に食いつき、むしゃぶり尽くそうとする人々の姿も、私にとっては「ハゲタカの群れ」だ。
 いつもどおりの「炎上」で焼かれた肉は、焦げついて食えたものではあるまい。

 残念ながら、この件の「おいしいところ」は、もう終わった。
 慶大卒のエリートがみせてくれた「最高のマーケティング」に、いかなる突っ込みも蛇足であろう。

 だからこれ以上、死体に鞭を打たず、そっとしておいてやろう。
 これが私の、本件に対する結論だ。


 やらかしたほうは、たしかにじゅうぶん気持ちわるい。
 が、彼をつるし上げて暗い欲望を満たす「正義」の炎上も、私にとっては気持ちがわるい。

 そもそも「正義づら」自体に、アレルギーをもっている。
 あなたがたは、ほんとうに正しいのか?

 いまでも思い出す。
 私の貧弱な正義を、多数の上級生と教師が、彼らの正義によって圧殺したことを。

 その後、私が「人間ごとき」ものへの嫌悪を募らせたのは、自明だった。
 みずから選んで、孤独な側にいる。

 往々「ひとりぼっち」でも、だいじょうぶ。
 考える力さえあれば、生きていける。


 旧約の著者たちの嘆きも、このあたりにあったのだろうなと察する。
 ヒトとは、みずから考えて善悪を決める知恵の実を食った、忌まわしい種族である。

 旧約のなかで、しばしば偶像など崇拝し、預言者によってなじられるユダヤ人。
 禁忌の罪を犯し、罰を受ける、という流れは旧約の「お約束」でさえある。

 神は高ぶる者に敵対し、謙虚な者を引き上げる、という。
 旧約の著者にとって、それは自分自身への「慰め」でもあったのだろう。

 ゆえに私も書いている。
 偶像を崇拝する世の中で、流行を追わない私のほうが「変人」だからこそ。

 謙虚に自分の意見を省察してもいいと思っている。
 いまのところ、引き上げてくれる神は見つからないが……。