ある朝、目覚めると、下半身が湿っていた。
 という冒頭から想定される理由を、検証していこう。

 おもらしでもしたのか?
 いちばん考えやすい理由だが、触ったのはもっと下だ。

 ぬるっと、べたつく感じ、あえていえば血。
 なんか怪我したかな……。

 酔っぱらって激しくぶつけた翌日、布団が真っ赤に染まっている。
 だれでも一度くらいは経験する……かもしれないが、私ももういいおっさんだ、そんな若さはない。

 しびれるような違和感は膝から下に集中していて、左足がとくにひどい。
 痛みはないが、触れた足首はパンパンに腫れていた。


 部屋を明るくして、自分の足を眺める。
 右足も無傷ではないが、ほとんどのダメージは左下肢に集中している。

 結論からいえば、それは血ではなく(多少混じってはいたが)体液だった。
 リンパ液ないし細胞組織液が、多数の「穴」から漏れ出しているらしい。

 そこで、きのうの記憶を手繰る。
 考えられるのは……畑仕事か。

 いや、作業時間は10分足らずなので、仕事とも呼べない。
 ちょっとした収穫で、膝までの短パンの軽装だったことが、どうやら災いしたのだろうと、あっさり正解にたどり着く。

 足がパンパンになった理由。
 答えは虫だ。


 おもに左足の膝から下、虫刺されは20か所以上。
 注入された唾液などの成分により、絶賛アレルギー反応中のようだ。

 傷口からあふれた体液は足下を濡らすほどで、こするとぷっくりと固まった部分がざらざらと剥がれて落ちる。
 畑に短時間とはいえ、無防備にうろついてはいけない。

 幸いヤマビルには食われなかったが、このあたりは分布域に指定されているので注意が必要だ。
 前回も草刈りのときにやられて、靴下が真っ赤に染まった。

 しかし今回の犯人は、別にいる。
 虫の正体を解かねばならない。


 日本 刺す虫 でググったところ、蚊、ブユ、アブ、ノミ、トコジラミなどが出てきた。
 ヨコヅナサシガメやヒラズゲンセイなどという名前も出てきて、おもしろくなってきた。

 有毒なのはムカデやケムシなどで、噛まれたり、触れるだけでも皮膚炎を起こすこともある。
 裏の納屋にできたアシナガバチの巣を駆除した報いを受けたのかな、と因縁話を思いつきながらもハチ的な痛みはない。

 ヒアリ、チャドクガ、セアカゴケグモなど、有毒な虫は意外に多かった。
 とはいえ刺されて死ぬ危険が高いのは、どうやらスズメバチくらいのようだ。

 昆虫エピソードはおもしろいなあ……と、小一時間楽しんだ。
 足は丸太のように(言い過ぎ)膨らんでかゆみも増してきたが、これが田舎というものだ。

 犯人捜しより、おもしろ虫エピソードやランキングを眺める時間のほうが長かった。
 いやあ昆虫はおもしろいですなあ……。


 謎解きのほうは、意外に早い段階で済んでいた。
 おそらく「ヌカカ」であろう。

 服の下にはいりこむので、スケベ虫などとも呼ばれるらしい。
 蚊と同様、吸血するのは雌だけ。いやあ、雌はスケベですね……。

 集団でいることが多く、一度に何ヵ所も刺されることがよくある、という。
 なるほど、ぴったりだ。

 田んぼに近かったので、ホシヌカカかブユモドキかもしれない。
 私の血液が彼らの役に立っているなら幸い……ではないが、まあ自然のやることだからしかたない。

 膝から下、とくに左足の皮膚は、突っ張ってぶよぶよになっている。
 刺された傷口からの体液漏出もつづいているため、足元に広告を敷いた。

 痛みはないが、かゆい。
 みなさんも、山野田畑を歩くときは皮膚の露出を避け、ポイズンリムーバーなど携行されるがよろしかろう。


 さて、しかしゆえに虫を憎んだり、駆逐してやるつもりなどは、さらさらない。
 彼らも生きているのだ。

 アシナガバチの巣は人通りがある場所だったので駆除したが、殺虫剤を使わなかったためか、生き残りが同じところに再生産中だ。
 とはいえもう8月、これから増えるのはむずかしかろう。

 われわれはすべて、自然の営為のなかにいる。
 多少の虫や細菌やウイルスとは、共存していくべきだ。

 新型コロナウイルスワクチンを一度も接種していない私は思う。
 自然の摂理に、どこまで逆らうつもりですかと。
 


 日銀対ヘッジファンド。
 つい先日、そんなブログを書いた気がする。

 もう結着ついたの?
 と疑いつつ日経の記事を読んだ。

 そのまえに2行で、前段をまとめておこう。
 事の起こりは6月。

 ヘッジファンドは日銀が不合理な政策を放棄すると読み、空売りを仕掛けた。
 日銀は従来どおり無制限に買い支え、日銀の国債保有率は史上初5割を突破した。


 さて、7月だ。
 威勢よく仕掛けに動いたヘッジファンド、前述のとおり、すでに撤収をはじめている……というか手じまい終えているらしい。

 6月12日-18日に、過去最大4.8兆円程度の売り越しを記録した海外勢。
 しかし翌週以降からは買い戻しがつづいており、その累計額は4.8兆円程度だという。

 「10年債を0.21%から売っていたファンドは0.18%で買い戻すと言っていたようだが、レポ(現金担保付き債券貸借取引)のコストなどを考えると、割高な水準でも買い戻さざるを得なくなっている」と関係者。
 25日には、一時0.095%をつけた。


 日銀が防衛すると宣言した水準は、0.25。
 その水準を破り、0.3、0.4となっていればヘッジファンドの勝利、爆益だったろう。

 逆に0.1を下回る水準で巻き戻さざるを得ないようでは、たしかに負けのようにみえる。
 この世界は冷徹なゼロサムゲーム、だれかが勝てば、だれかが負けるのだ。

 ただしそれは「部分」の話で、全体として一方的な勝ちや負けにはなることは少ない。
 彼らはそのために「リスクをヘッジするファンド」だからだ。

 日本国債売りと同時に円売りも仕掛けていたため、その利益で穴埋めはできただろう。
 損失補填のための利益確定がつづいたため、現状、円高への巻き戻しが進んでいる、という見方もできる。

 とにかくも、他の国の中銀とはレベルがちがう日銀に、またしても勝ち星がついた。
 だから日銀にだけは手を出しちゃいかんのだよ……。


 すこし分析してみよう。
 詳細はおもに日経の記事による。

 日銀は長期国債を買い支えることで、イールドカーブをコントロールしようとした。
 このYCCへのアタックに参加した外国人のポジションは今回、早くも損失確定という結末で幕を下ろした。

 とはいえ日銀もべつに無敵の中央銀行というわけではなく、たまたま勝った、という見方もできないこともない。
 そもそも日銀は「なにもやらなかった」とさえいえる。


 日銀とヘッジファンドが、激烈な戦いをくりひろげたのは、6月。
 力ずくの戦いになった366回債では、一般のニュースにもなるほど派手な売買が行なわれた。

 日銀が6月に買い入れた国債は、過去最大──なんと16兆円に達した。
 ありえない売買が積み重なったおかげで、市場が完全にねじれてしまい、いろいろ困った状況に陥っていたようだ。

 そのまま世界の金利上昇がつづき、長期戦になれば、さすがの日銀もどうなったかはわからない。
 しかし、流れが変わった。

 アメリカのPMIをきっかけに10年債利回りが低下、世界的に景気後退の流れが鮮明化した。
 世界の「テーマが、インフレからリセッションに切り替わった」のだ。

 仕掛けを主導したヘッジファンドは前述のとおり、6月時点で「0.18%より低下したらポジションを手じまう」としていた。
 とうにその水準を割っている。

 377回債で早くも、無理っス、とタオルを投げる参加者の買い戻しがつづいた。
 まさに「ザ・日本国債」のパターンで、海外勢はとくに何度も懲りているはずなのだが、どうしても勝つまでやりたいらしい、と日本の市場参加者は苦笑する。


 ともかく日銀はこのラウンドに勝った。
 勝つためになにかをやったというよりは、姿勢を変えずに貫いただけだ。

 日常業務を淡々とこなした結果、時間が味方した、という感じだろうか。
 さらに評価するなら、怜悧な日銀総裁は景気後退懸念で世界の金利が一本調子に上がらないと予想、その賭けに勝った、という言い方もできるが……高く評価しすぎだろう。

 もちろん「貫く」こと自体、「強さ」ではある。
 オーストラリア、イングランド、FRB、ECB……スイス中銀さえ動いたのに、微動だにしない日本銀行。

 いつもどおりだな、と多くの人々が思った。
 だから日銀にケンカ売ろうなんて無茶なんだよ、と。


 ただし仕掛けの理由自体は、まちがっていない……というよりも、正しい。
 インフレ対策で各国とも金利が急上昇しており、それに合わせて日銀が政策変更するだろうという読みは、まっとうですらある。

 無限に自国通貨を刷って買い支える中央銀行は、彼のステージで戦うかぎり無敵である……理屈のうえでは。
 とはいえ自国に引きこもってばかりいられない世界経済の一員としては、それは許されざる態度だ──というヘッジファンドの主張を支持する市場参加者のほうが、全体としては多いかもしれない。

 それでも結果こうなったのは、世界最大の債権国がコケて得をする者は、まだあくまで少数派ということか。
 だとすれば日銀は「特別」だ。

 今回こうして早期決着したことは、お互いにベターだったともいえる。
 早めに負けを認めたほうが傷は浅くて済むし、またぞろ勃発するだろう第2ラウンドにむけて対策も立てられる。

 まだずるずると「戦争」をしているバカな国も、世界にはあるくらいだ。
 さっさと退いたヘッジファンドのほうが、よほど賢明といってよかろう。
 


 私はとある零細企業で、経理の仕事をしている。
 決算月が7月なので、前後して仕事が増える。

 とはいえ「はたらかないおじさん」なので、日々ぼーっと生きている。
 経営者が、こいつに報酬払いたくねえよ、と思うだろう様相だ。

 が、やることはやる。
 経理や税務の面で、過不足のない結果を出す。

 それで手続き上、会社はまわる。
 社長はしかたなく、私に報酬を支払う、というわけだ。


 ぼーっとしながら、ニュースを眺めている。
 減ってはきたが、まだまだ安倍さんに関する記事が多い。

 べつに国葬はどうでもいいが、彼を死にいたらしめた「犯人」および「警備」には注目している。
 たまに警察関係の物語を書く関係で、奈良県警やSPの仕事には興味がある。

 一生懸命やってたんですよ、人柄がよくて優秀な人物です。
 そんな意見に、すこし鼻白む。

 守るべき人間が、殺された。
 この事実に対して、これ以上なにをかいわんや?

 もちろんそんなこと、だれより当人が百も承知だろう。
 多少の「言い訳」があったとして、その量で「器」をはかりたい、と私などは思っている。

 結果がすべて。
 たいていの「現場」では、この「大前提」は鋼鉄のように揺るがない。


 参加することに意義があるとか、結果より過程が大事とか、ごりっぱな「教育者」などはおっしゃる。
 ふーん、と私などは思ってしまう。

 ぬるぬるべたべたやっている「教育現場」とやらが苦手だ。
 そんな私が経理をしている会社が、福祉系の教育関係というのだから片腹痛い。

 がんばったから、という理由で給料くれるんですかね?
 結局だめだったけど、よくやったよと褒めて報いて(報酬)もらえますかね?

 やることやってからモノを言えってんでい!
 べらんめい!


 と、場末の酒場で管を巻くおっさんついでに、おっさんが大好きな「選手」の話をしよう。
 感心せざるを得ない天才の話だ。

 大谷サンが、あいかわらずすごい。
 ヘッドラインに並んでいるので、つい見てしまう。

 見るのはもちろん彼が出した結果、実績だ。
 とてもわかりやすい。

 ああいうひとが「特別」であることは理解しているが、教育現場では「全員が」特別なんだよとおっしゃる。
 ふーん、と私などは思ってしまう。


 どうやら人類は、ことし(22)11月ごろ、80億人の大台を突破するらしい。
 こいつら全員が、特別なのだ。

 いうまでもなく、よっぽど特別な惑星、地球。
 おなじ地球に暮らす、興味深い無数の「生物」たちの動画を、知的好奇心に基づいてよく観ている。

 その後に人間どもの生きざまを顧みて、いつも嘆息する。
 ふーん……と。
 


 ツイッターの自己紹介にも書いてある通り、私はネコ的性格のイヌ派である。
 群れることができず、孤独を愛し、一点集中力は高いが、けっこう気まぐれだ。

 似たような性格のひととは、たぶんウマが「合わない」。
 お互いの主張がぶつからなければまだしも、対立したら互いに引かず致命的な結末にむけてまっしぐら、というおそれがつきまとう。

 一方、イヌの忠誠心や性能、仕事力が大好きで、尊敬している。
 自分にできないことができるひとは、とりあえず尊敬しておいたほうがいい。


 さて、以前もちょっと書いたが、イヌはネコ目(もく)に分類されている。
 この傲慢な表現を、私はとても嫌悪している。

 分類学上はもともとCarnivoraで、直訳すれば食肉目だ。
 現に多くの学者は、ネコ目という表現は使わず、食肉目を使っていることが多い。

 では、だれがネコ目という名称を定めたのか。
 1988年、文科省だ。

 以下は私見だが、ネコ目なる呼び名を選んだ文科省の担当者は、おそらく熱烈なネコ派だったのではなかろうか。
 食肉目よりネコ目のほうが「わかりやすいから」とかいう理由で直訳を捻じ曲げ、ネコこそが「代表選手だ!」と言いたくてしょうがなかった、視野狭窄の著しいネコ野郎。

 自分のことしか考えられず、自分さえよければいい。
 これと決めた獲物以外のものは、なにも見えなくなる。

 理性や遠慮は少なく傲慢で、もうネコ目でいいだろ決定ね異論は認めない、と地団太を踏む姿が透けて見える。
 一歩まちがえば、私もそういうタイプかもしれないと思うと、とても残念な気持ちになる。


 そもそも食肉目でいいし、学者たちの多くも、こちらを支持している。
 ヘビは有隣目だし、カエルは無尾目だ、食肉目のなにがわるい?

 われわれ人類は霊長目だが、霊長「類」といえばサルを除く人類のみを指す。
 逆にいえば、サル目からヒトを除いた総称が、サルだ。

 自分がサル目と呼ばれたいか霊長目がよいかは好みの問題だが、食肉目がネコという一種によって代表されるような表現への違和感は、非常に強い。
 個人的に「ネコ目」といわれると、なんかそういう感じの目をした「ネコメ」のひとを想像してしまう。

 逆に「イヌメ」などという言葉はないので、イヌ目のほうが親切ではないかとさえ思う。
 わかりやすさ、などと言い条、わかりづらくなっているのだ。


 あたりまえだが、イヌとネコに上下関係はない。
 ネコから分岐してイヌが誕生したわけではなく、その逆でもない。

 ミアキスという「共通祖先」が、恐竜絶滅後の地球に存在した。
 イヌ、ネコ以外にも、クマ、アシカ、ハイエナ、レッサーパンダなど、われわれのよく知る動物の多くが、このミアキスから分岐してきたと考えられている。

 全体的にイタチ、あるいはフォッサに似ており、骨盤はイヌ、樹上生活はネコ科のマーゲイに近く、鉤爪は引っ込めることができたようだ。
 そんな、さまざまな動物の特徴をあわせもつミアキスから発する、巨大な流れを「ネコに代表させよう!」と考えたネコ派の傲慢さよ。

 もちろんネコ目を支持した人々にも、それなりの理屈はある。
 属を代表する種の名前を採用する、というパターンは現にあり、そのやり方を踏襲しただけだ。

 食肉目という直訳を鑑みても、イヌやクマなど雑食性の強くなっている種よりは、肉を主食としてるネコを代表させようという理屈もわかる。
 だがそれで「わかりやすく」なっているかといえば、同意できない。

 イヌなのにネコなの?
 検索してみればわかるが、人は直感的に、そういう疑問を抱いてしまうのだ。


 そこで、個人的な意見だが「イヌネコ目」というのは、どうだろう。
 文字数もそれほど多くならない。

 ほかの分類を見わたせば、ハチ目やキジ目、ワニ目など、わかりやすく短いものはそれなりにある。
 だが多くは4文字以上だし、長いものではヒカゲノカズラ目やシロアリモドキ目やゴクラクミドリガイ目などという、一生口にしないだろうなというような名前もある。

 バランスとしても、イヌネコ目はわるくない。
 異なる二種に代表させる、という前例はないので、さすがにトリッキーな選択肢ではあるかもしれないが。


 ともかく傲慢なネコ派とは、しばしば相いれない。
 イヌ派のひとりとして、これからもやつらの蛮行とは戦っていきたいと思う。

 ……最後に一応言っておくが、本気ではない。
 だれかと戦いたくてどうしようもないネコ派を釣るつもりはないので、念のため。
 


 きのう(22/7/8)、安倍さんが暗殺されたらしい。
 ちょうどその時間は爆睡中で、昼をだいぶ過ぎてから、のろのろと起き出して変事に気づいたきっかけは、為替だった。

 1円程度、上下に触れることはめずらしくないので、さほど驚いたわけではない。
 チャートによれば、11時半ごろに大きく動いている。

 政府日銀の政策決定会合や、重要な経済指標の発表があったわけでもない。
 なんかあったんかな……とヘッドラインをみたら、安倍さんが選挙演説中に銃撃された、という記事が飛び込んできた。

 その後、午後5時過ぎに死亡したらしい。
 ご冥福をお祈りする。


 さて、その話とは関係も他意もないが、たまたま「ダメな暗殺者」の映画を観た。
 腐すので、タイトルは出さない。

 ダメな暗殺者、という設定それ自体は、むしろとても魅力的だ。
 クライングフリーマン、ニキータ、レオン──暗殺者としての悲しみを背負いすぎたがゆえの深みのある物語であれば、それはもう喜んで拝見したい。

 泣きながら銃を組み立てる、追い詰められて間一髪の格闘、気づいたら死体の山で、血みどろの両手を見つめて彼女は泣いている……。
 かっけえ、まじで、そんな映画なら、絶賛したい。

 しかし、そういう華麗なアクション映画を期待したら(パッケージでは期待させまくっているが)残念、彼女は静かに「毒殺」していた。
 なんだこれ……とりあえず再生速度を上げた。

 いや、よくあることだ。
 タイトル詐欺、パッケージ詐欺に心を動かされていたら、B級映画は観られない。

 べつに毒殺するのもいい、古来から毒は女のエクスタシー(違)ともいう。
 だが彼女、どうも言葉の選び方がおかしい。

 殺す相手に、おとなしくしろだの、抗うなだの、受け入れろだの、すなおに死んでだの、そのワードのチョイスはどうなの?
 そこにいるのは、あなたに安楽死させてくれ、と頼んでいる顧客ではないのだ。

 意図に反して死にたくない相手に、みずからの死を受け入れろとは、何様か?
 受け入れて死んでもらえれば罪悪感が減るのかもしれないが、平然とそれを要求していける性格に、まったく共感できない。

 相手の気持ちを汲む能力がそもそもない、自分の都合しか考えずそれを一方的に押しつけて疑問を感じずにいられる。
 まさに殺し屋向きな性格だと思うが、なんとそんな彼女が殺し屋をやめたいという。

 自己中心的で自己満足したい人殺しのグダった自己主張、というだいぶめんどくさい女の映画。
 これだけでもスキップ案件だが、かてて加えて個性的な主人公の顔だ。

 定期的にイラついて、画面から目を逸らしてしまった。
 いや、みにくいわけではなく一般的には「きれい」なのかもしれないが、それは私の苦手とするきれいさであった。

 認めざるをえまい、たしかに顔というものには、好き嫌いがある。
 とある日本のアイドル映画で、唇を縫え、というコメントがあって笑ったが、もちろん彼女はアイドルなので、一般的にはとても「かわいい」。

 その個性的な部分も含めて愛せるひとにとっては、まさにアイドルなのだろう。
 しかし私は、とりあえず主演女優をパンする画面にむけて、そのでかい鼻を閉じろ、と思いつつ目を背けた。

 くりかえすが主演女優はきれいな顔立ちで、どうやらモデルらしい。
 そういう個性も含めたプロモーションビデオ的な画づくりも、まさに鼻についた。

 星1台の映画でも、なにかしらいいところを探す私であるが、ひさしぶりに、いいところを見つける気にならない映画だった。
 itnが配給する謎映画のほうが、まだましだ(言い過ぎ)。


 最後に、本記事のタイトルに採用した「暗殺者の教義」は、『アサシンクリード』の直訳である。
 フランスのゲーム会社が開発した、潜入アクションゲームらしい。

 エジプト考古学者の河江さんが、ピラミッドやスフィンクスの状況を説明するのに「よくできている」として、ようつべの動画で採用していた。
 ゲーム自体はプレイしていないが、機会があったらやってみたい。

 「殺人」は非常に魅力的で、人類発祥から──おそらく滅亡まで、変わらず強力なモチーフでありつづけるだろう。
 事実「殺人事件」は、無数の「物語」を生み出しつづけている。

 映画やゲームならいくらでも殺してもいい──が、現実にやったらダメだ。
 どうしても殺したくなったら、フィクションでどうぞ。

 


 私は現在、車いす仕様の軽自動車に乗っている。
 車いすを必要としていた祖母のためだったが、半年ほどまえに亡くなった。

 というわけで乗り換えの検討をはじめたのだが、正直、あまり気は進んでいなかった。
 クルマなんて動けばいいし、いろいろ荷物を積めて便利でもある、走行距離も極端に短い。

 それでも乗り換えを進める目的のひとつとして、諸般の事情で任意保険に「未加入」だった事実がある。
 そんなある日、つぎのような記事を読んで衝撃を受けた。

 10台に1台が任意保険に「未加入」である。
 任意保険を義務化すべきだ、と。

 この記事の書き手によれば、これは想像するだにおそろしい現実らしかった。
 私のような未加入の人間はクルマに乗るべきではなく、罰金をとり免許を取り消すべきだ、という意見もあった。

 最初はぬるいまなざしで読んでいたが、最後まで批判の矛先を向けつづけられた結果、心を決めた。
 もうしばらく未加入で乗ってやろう、と。

 ただのアマノジャク、という指摘を否定はしない。
 が、私にも私の理屈はあるので、以下に書き記しておく。


 過去記事でも書いたのだが、当初は任意保険にはいろうとした。
 が、約3年まえ当時、車いす仕様車は「改造車」であり、手ごろなネット保険にははいれなかった。

 いくつかの保険会社には電話もした。
 しかし車検証に「改」とある時点で、ネット経由の申し込みはダメという結論だった。

 福祉と安全のための「改造車」と、高速で峠を攻める「改造車」を同列に語られたら、もう返す言葉がない。
 保険会社にとって、悲しいかな、私は「客」ではなかったのである。

 だったら世の中の福祉車両は全部未加入かというと、もちろんそんなわけはなく、代理店経由なら加入できる。
 ダイレクト型と代理店型、両者で異なるのはおおむね「価格」だけだ。

 代理店とは結局、大手がつくった保険商品を「転売」しているにすぎない。
 掛け金の差は補償内容などを人間相手に相談したい場合の「手数料」にすぎず、ほぼ同じ補償のために倍からの料金を払うことになる。

 うちの親も、無駄に高い大企業系の代理店契約に、何十年も縛られつづけていた。
 すべからくダイレクト系に切り替えさせた私としては、代理店契約などという悪手はできれば避けたい。

 ざっくり計算したところ、私の場合、ダイレクト型ですらガソリン代より高くつく。
 祖母が亡くなって使用頻度の減った現状、前回オイル交換から半年の走行距離は1000キロにも満たない。

 高くなったと評判のガス代すら、数千円だ。
 これが代理店の要求するマシマシ保険料となったら、何倍につくかわからない。

 もちろんいくら高くても、納得できれば加入したと思う。
 しかし納得できる保険には、入れてもらえなかった。


 私は因果応報を旨として生きている。
 被害を与えたら賠償するし、被害を受けても同じだ。

 世のいじめられっ子たちに言いたいが、殴られたら殴り返せばいいし、無視されたら無視を返せばいい。
 それができれば苦労はしない、と言われたことがあるが、苦労をしないで生きようなんておこがましいとは思わんかね?

 今回も同じロジックである。
 拒否には拒否を、だ。

 入れてくださいと申し込んで、拒否された。
 そこで、二度と入れてくださいと申し上げることは致しません、と心に決めた。

 万一の場合には私が賠償すればいいのであって、保険屋がその仕事にかかわりたくないのなら、かかわってもらう必要はない。
 私と契約したくない相手とは、私も契約したくないのだ。


 そもそも論。
 そんなに必要なものなら、義務化すればいい。

 加入が義務の保険は、すでにある。
 自賠責だ。

 だったら統合すればいい、という議論から、なぜはじめないのか?
 件の記事を読み進むほど、この点が気になりすぎて心がザワついた。

 まず考え方として、いちばんシンプルな順路を示そう。
 だれが得をして、だれが損をするか、だ。

 任意保険の加入者が増えれば当然、保険料はお安くなる。
 高頻度でクルマに乗るだろう提灯記事のライターの保険料を、お得にしてさしあげる手助けをするのもやぶさかではないのだが、当の保険会社が入れてくれないというのだからしかたない。

 まあ私怨や私見は乗り越え、重要な客観的事実について、いまさらながら述べておこう。
 任意保険は「ビジネス」だ。

 集めた掛け金から、保険会社の巨大なビルと社員の給料、保険金詐欺師たちの生活を支える十全のお支払いが先決。
 その後、あまった半分以下の部分で被害者の救済などをしてくれる、いうまでもなく営利企業であることを、まずは銘記していただきたい。


 医療保険制度改革(オバマケア)というものが、アメリカで進められたことがある。
 猛烈な反対があって、現在もかなりの機能不全状態にある。

 日本で実現していることが、なぜできないのか?
 現在はバイデンケアだが、どんな有識者に問うても「いばらの道」と答えるくらい、この動きに猛烈に反対している業界はどこか?

 自動車保険の例でいえば、自賠責を国民皆保険レベルに、という議論だ。
 そういう流れにしたくないのは、だれか?

 保険という、圧倒的な、利権。
 自賠責が任意保険なみの補償を提供したら、任意の大部分が必要なくなる、どう考えても自明の理だ。

 国民皆保険という「日本の誇り」。
 完全な自賠責という「理想」を、そのレベルに高めようという意見があまりにも少ない時点で、お里が知れる。

 オバマさんの理想、「入手可能な価格で質の高い健康保険にすべての国民を加入させる」ことが、なぜ実現不可能なのか?
 くりかえし端的に述べよう、「保険会社は慈善団体ではない」からだ。

 保険会社の利益確保やリスクヘッジを考えれば、強制的に拡充させられた自賠責の価格は跳ね上がるだろう。
 そんなことをすれば、肝心の自賠責さえ離れるものが出てきかねない。


 ここでようやく、件の記事の論旨に合流する。
 プロにケンカを売っても勝ち目はないが、そこらへんのシロウトならカツアゲできる。

 任意であるべき慈善行為に、巻き込みやすい餌食を探せ。
 みつけた、未加入──!

 こいつら「任意」の慈善行為に参加してねえ、というわけで、たたいていいことになりました!
 笑えるくらい想像しやすい流れが、ここにある。

 募金しないやつは人非人、という指弾にもよく似ている。
 正義をふりかざして収奪をくりかえしてきた、宗教家たちの歴史にも重なる。

 ハイリスク群だったり既往歴がある人間の医療保険は、当然高くつく。
 保険会社のリスクヘッジに、自賠責はなじみづらい。

 全体の改革は、たいへんなのだ。
 だから、たたきやすいだれかをたたく。


 この記事はなかなか人気らしく、かなり多くの意見も寄せられていた。
 ほとんどが未加入批判だった事実は、だいぶ私の反骨精神を煽ってくれた。

 未加入のクルマは、初心者マークのように未加入がわかるように表示しろ、という意見もあった。
 そうしたら即クズ野郎認定だから、近寄らず避けて通るらしい。

 ぜひそうしていただきたいところだが、あまり解決にはなっていない。
 ともかく自分が払っているお金を、払っていない者がいるという時点で、そうとうな不愉快をおぼえる方々は少なくないらしい。

 総じて強い「任意」保険に加入しろ、という「強制」の正体は、なにか。
 マスクなどを見てもわかるが、日本の同調圧力は先進国のなかでもトップレベルである。

 もちろん未加入者がいなくなれば、事故で補償を受けるべき被害者は助かるだろう。
 それ以上に儲かるのは……いや、私にはまったく想像もつきませんな。

 車検切れ自賠責未加入は論外として、ともかく、任意は任意だ。
 たたきやすいだれかをたたく、ドブみたいな世の中に、これからも私は淡々と拒否を返しつづけたい。


 結論。
 レベル4自動運転で、田舎道までカバーしてくれ。

 そもそもなぜ保険が必要なのか。
 人間ごとき不完全なものが、走る凶器を己が手で運転しようなど、おこがましいとは思わんかね……?
 


 暇だったのでスト5を買った。
 世がスト6で盛り上がっているときだからこそ、スト5。

 安定のアマノジャク。
 まあ500円で売っていたので、なんとなくだ。

 そして後悔した。
 遊べなかった……。


 うちのPCのスペックは、事務作業にはじゅうぶんすぎる。
 仕事の経理で使うエクセルは瞬時に立ち上がって計算してくれるし、趣味の小説で使うワードも膨大な文字列の処理で砂時計を表示することはあまりない。

 数年まえのミドルスペックだが、不都合は感じていなかった。
 はじめて試みた、ゲームを除いては。

 ストリートファイター5。
 動画勢として数年来、たまに閲覧させていただいていた。

 で、たまたまSteamが500円でセールしているのを見つけた。
 一応、推奨と最低のスペックは満たしているな、という程度でゲームを買ってしまった私は、まちがっていた。


 結論からいえば、グラフィックだ。
 昨今のゲームは当然、映像処理を最優先におく。

 10年まえのGEFORCEでも動く、などと侮ってはいけない。
 インテルの数字がないシリーズは、それ以下なのだ。

 そもそも数字や文字列の処理、表示には、GPUはほぼ必要ない。
 動画を観るときは使用するが、まったく問題はなかった。

 結果的にはこれが、私の錯誤を助長した。
 ゲームのグラフィックは……別だったのだ。

 高画質でやったからダメなのかな、と画質を下げてみたが、多少マシになった程度。
 対戦アクションとしては成立しないくらい、遅かった。

 そう、私のPCはほとんどのベンチマークで環境を満たしていたものの、肝心のグラフィックが適用外だったのである。
 インテル入ってる、じゃダメなのだ、ぜったい。


 まず思ったのは、動画サイトってすげえんだな、だ。
 動画が観られる、という先入観によって行動した私の過ちを、他山の石としてほしい。

 動画サイトで他人の対戦を観るぶんには、まったく問題なかったことが問題だ。
 だからふつうにゲームもできるだろう、という考えは誤りだった。

 うちのモニターはFHDなので、4Kとかはそもそも表示できない。
 適合するサイズの倍速でみているが、CPUもGPUもかなり余裕がある。

 だったらゲームもふつうに遊べるんじゃないか、という考えの浅はかさを、ここに強く申し上げておく。
 その動きを「表示できる」ことと「自分で動かせる」ことは、どうやらかなり異なる。

 頭のいい人々が軽業のように圧縮した、コーデックの妙技もあるだろう。
 低スぺでも観られる、というのは動画に求められる要素としてたしかに重要だ。

 しかしゲームとなると、性能に凝る趣味人の割合が増す。
 低スペのユーザーに配慮する蓋然性が低い。


 そんなわけで、まったくゲームにならなかった。
 すべからく、つぎの段階だ。

 イラつきながら、考えた。
 新しいPCを買う……ばかばかしい、なんのために500円でゲームを買ったのか。

 足りないスペックを補う。
 そう、やはり簡単なのはグラボ交換だろう。

 検索をかけ、とりあえず安いものなら5000~1万円くらいで買えるとわかった。
 一時期は高騰していたGPUだが、昨今の仮想通貨暴落で価格も落ち着いている。

 アマゾンの価格をトラッキングしてみても、驚くほどの値下がりだ。
 2020年の半導体不足のときは3万以上していたものが、いまは1万ちょっと。

 まあ2年まえの商品ということだから安くなって当然ではあるが、それでもスト5くらいなら動く。
 ポチりそうになった……が、ここで冷静な自分が顔を出した。

 追加でパーツなど買ってしまったら、安く遊べると思ってソフトを500円、アウトレットのゲームパッドを1500円で買った意味あるか?
 2000円くらいならドブに捨ててもあまり悔いはないが、1万になると気が引ける。

 しばし考え、ポチるのをやめた。
 世の中は酷暑だったが、頭はかなり冷えてきていた。


 もちろん遊べなかった責任は私にある。
 カプコンに言うべき苦言はない。

 あるとすれば、GPUがいかに重要かを示すため最上位に書いておいてほしかった、くらいだろうか。
 ベンチマークソフトで確認しなかった責任も私にある。

 とはいえ一応、低速でチュートリアル程度はこなせた。
 結果、遊びたい気持ちがだいぶ萎えてきた責任は、カプコンにもあるかもしれない。

 というか、スト2のつもりで遊ぼうとしていること自体が、おそらくまちがっているのだろう。
 適応すべき新しいルールが、まったく身につかない。

 処理落ちでゆっくり動くので、むしろ初心者の練習には適切とさえいえる。
 が、遅さ以外のところでわからないことが多すぎた。

 基本的なキャンセル技や連続技、コンボの説明も見つからなかった。
 そしてそもそも……技が出ない。

 考えてみれば高校時代、昇竜拳が出せなくてガイルを使っていた私だ。
 その溜め技さえ、動きが遅いと必要以上に溜めなければならなくてイライラする。

 結果、ゲームをやめる理由は、Vゲージよりも早く溜まった。
 うまくいかなければ、うまくいくまでがんばる理由は……見つからなかった。


 ゲームデータを内蔵のSSDから外付けのHDDに、デスクトップのSteamを目立たぬ場所に移動した。
 ゲームパッドをそっと奥にしまい、合掌した。

 まあゲームなんかやってる場合じゃないよな、と酸っぱいブドウを見上げるキツネのようにつぶやいた。
 縁がなかったとは、このことだ。

 ゲームばっかりやってないで宿題やんなさい!
 はーい……てか、できなかったんだよ……。

 


 最近ちょっと騒がしい、国債市場。
 きっかけは先週あたりに出た、日銀とヘッジファンドの戦いを煽る記事だった。

 中央銀行vsヘッジファンド、という構図は、まれによくある。
 イギリスのヘッジファンド、ブルーベイの最高投資責任者がつぎのように宣ったらしい。

「日銀が屈するまで、日本国債をショート」
(きみが謝るまで、ぼくは殴るのをやめない)

 強そうな主人公っぽいが、じつは相手のほうが強い。
 なにしろ日銀はラスボスだ。

 日銀砲の昔から、日銀には負けてばかりのヘッジファンド。
 こんどこそ勝たせてもらう、という執念のようなものを感じる。

 この宣戦布告に対し、不死身の日銀金融市場局は14日、「長期国債先物に」みられる「強い売り圧力」に対して、債券先物9月限のチーペスト銘柄356回を告知。
 殴りかかってくる拳へ、狙い撃ちの反撃だ。

 一時は値をもどしたが、もちろん「俺たちの戦いははじまったばかり」。
 米国債から現物まで債券市場がほとんど動いていない東京時間、再び債券先物だけが単独で急落。

 逆襲する日銀と、殴るのをやめないヘッジファンドの戦いは、現在進行形。
 すでに10兆円規模に達しているらしい。


 日銀がしたいことや、ヘッジファンドの理屈を説明しはじめると、だいぶ長くなる。
 この件に関する記事をかなり読んだが、わかりやすく二行で説明できる自信がない。

 ともかく債券先物は下落し、日銀はやらなければならないことがかなり増えた。
 というのが、先週までの流れだ。

 日銀は無制限に自国通貨を刷り、指定の利率で国債を買う。
 長期金利と短期金利の誘導目標を操作する、YCC(イールドカーブコントロール)は、最近けっこう知られるようになってきた。

 他国が金利を上げているところ、日銀は0.25に抑え込もうとしている。
 投資の初歩の講座でリズミカルに教わる通り、金利が上がれば価格は下がり、金利が下がれば価格は上がる。

 日銀は現状、かなり低い水準に金利を誘導している。
 となると、債券の価格はとても高い。


 一方、ヘッジファンドがやるのはショート、つまり空売りだ。
 もっていないものを売る意味は、将来買い戻すという約束だ。

 将来、日銀が現在の金利を維持できなければ、どうなるか。
 爆益である。

 「金利が上がれば価格は下がる」。
 高値で売って、安値で買い戻す。

 たとえ金利が維持されたとしても、これ以上金利を低くすることは現実的ではないので、価格が上がるリスクはほとんどない。
 勝てば爆益、負けても微損。

 ヘッジファンドの言う通り、この賭けはローリスク・ハイリターンのようにみえる。
 長期戦になるほどそのコストは重くのしかかるはずだが、もちろん彼らも覚悟を決めて円キャリーなどのヘッジをかけているだろう。

 定期的に巻き戻されて急激な円高が進むことで知られる、円キャリートレード。
 現状は金利差拡大で円安が進むわけなので、どっちに転んでも負けづらいようにはみえる。

 しかし、理屈のうえでは勝てそうな彼らが目立っているということは、金融市場は逆に、いまのところ日銀を信用している。
 まだラスボスには勝てないだろう、と。

 いずれ積み重なったショートが耐えきれなくなれば、現物を買い戻さざるをえない。
 このとき起こる反応は、ある程度大きなものになるだろう。


 日銀は「政府の子会社」と、どこぞのえらいひとが公言している点も、注意が必要だ。
 日銀が金利を上げられないのは、親会社のためでもある。

 いまや1000兆円という、未曽有の規模の借金。
 この金利が上昇したら、とんでもないことになる。

 国債に限れば、自国通貨を無限に刷れる中央銀行が0.25で買うと言っているのに、それ以上の価格で取引することに経済合理性はない。
 現物であれば、力ずくで押さえるのは、それほどむずかしくはないようにも思える。

 だが先物や金利スワップだと、難易度は上がる。
 ヘッジファンドに追随する者が多ければ、実態と乖離したねじれた市場になる、という警戒感も聞かれる。

 というわけで、この手の判断にかかわる背景は多すぎて、私ごときの脳みそでバランスさせるのは困難だ。
 そもそも日銀に挑むなど怖くてできないが、頭のいい人々が集まって決めたのだから……勝機はあるのだろう。


 事実、イングランド銀行やスイス中銀には勝った。
 ならば日銀にも勝てるはずだ、と信じたい気持ちは理解する。

 しかしこの戦で日銀が負ける流れは、正直かなり想像しづらい。
 日銀もいずれは政策転換をはかるだろうが、それはヘッジファンドに敗北するからではないように思う。

 日銀はもう忘れるくらい昔(90年代)から、低金利を継続してきた。
 変えようとしたときに景気が失速したことが、トラウマにもなっている。

 もはや彼らは、このスタンスを容易に変えられない。
 結果的に円安となり、日本人の資産が目減りしようとも。


 市場の暴落を誘ったアメリカCPI(消費者物価指数)を受け、FRB(連邦準備制度理事会)は75bpの利上げに踏み切った。
 かつてヘッジファンドに敗北したイングランド銀行、マイナス金利で有名なスイス中銀も追随して金利をあげている。

 わが道を行く日銀のみが、世界の流れに背を向けている。
 それはまちがっている、というヘッジファンドの手荒い指摘への対応がつづく。

 週明け以降も、矢継ぎ早に対策が発表されている。
 チーペスト(割安)銘柄の国債補完供給の緩和措置などだ。

 決済に使う受渡適格銘柄の需給が緩和されれば、割高な現物を売って割安な先物に買い替える裁定取引が進む。
 裁定ポジションの構築が進めば、ゆがんだカーブ(現物と先物のありうべからざる価格差)が修正される。

 そもそも利上げをしたら、自分自身の首さえも絞まる。
 ビットコインを法定通貨にしたエルサルバドルが含み損70「億円」などと騒ぎになっているが、規模がちがう。

 日銀がYCCを放棄し、イールドカーブが1%(100bp)上がると、29「兆円」もの含み損を抱えるらしい。
 たった1ベイシスポイント、0.01%でも2900億円ということだ。

 いまさら追加の国債購入10兆円ごとき、たいした出費ではない。
 はたから見れば、完全に金銭感覚の狂ったひと、とも思われるが。

 日本国債の「半分」をもっているとは、事程左様におそろしい。
 われわれの眼前には、いままさに「国債=中銀」という新しい世界地図がある。

 国債保有率50%超は、ルビコンの河を越えたと表現される。
 2000年あたりまでは数%にすぎず、現在のFRBでも10%程度にすぎない。

 50%という数字が、いかに異常か。
 それでも突き進む日銀。

 このチキンゲームの落としどころは。
 生ぬるく見守りたい。
 


 ドル以外、全部売れ。
 22年6月3週のマーケットは、だいたいそんな感じではじまった。

 モメンタム系自動売買が億千万の取引をくりかえし、ヘッジファンドが勝どきをあげる流れ。
 CPI(消費者物価指数)をきっかけに動いたようだが、まだまだ荒れそうな気はする。

 まあ、このくらいのボラタイル(変動)は定期的にやってくる事象なので、それ自体は割とどうでもいい。
 今回は、先週と今週の空気感の差について、ちょっとおもしろいと思ったことを書いておこう。


 まず、そもそも信用してはならないのが経済学者やアナリストの「予想」である、というアノマリー(笑)は前提だ。
 ビットコインを分析している、とあるサマリーを読んだのだが、先週末の記事には、こんなことが書かれていた。

 直近の下値は短時間で反転クリアして、上値を試す流れになっている。
 二度のトライ後、やや落ち着いているが、これから上抜ける可能性が高い。

 たしかそんな感じだったが、あきらかに上昇する流れを思わせる書きっぷりで、俺様のテクニカル分析を信じなさいよ、とでも言わんばかりの熱意すら感じた。
 数時間後だ、ビットコインの急落がはじまったのは(仮想通貨含めて全体的に)。

 下値のメドとやらに向け、淡々と下落をつづける。
 下値については、一応書いておかないとまずいという程度のサラッとした書き方で、この水準は固い的なニュアンスだったが、週末の薄商いを経て、あっさりと突き破ってきた。

 ただのテクニカル分析とはいえ、あまりにもわかりやすく真逆に動いたので、むしろ笑ってしまった。
 チャートの側面だけでなくファンダの面でも大底を突いた可能性がある、あとは反転のきっかけだけだ、くらいまで書いていたのだからなおさら笑わせる。

 ショーター(売りから攻める輩)はショーターでイラつく。
 語弊はあるが、要するにハゲタカだからだ。

 しかし今回、ロングに賭ける「思惑」のほうがよっぽど強く感じられて、気持ちわるくなった。
 輪をかけて語弊はあるが、ハゲタカ以下だと思った。

 取引量が増える、値段が上がる、参入者が増える、より胴元が儲かる。
 ビットコインには上がってもらわないと困る輩のほうが、かなり増えているらしい。


 相場は上がる。
 彼が、ほんとうにそう思っているなら、それはそれでいいと思う。

 もちろん人間なので、まちがうことはある。
 むしろたくさん失敗したほうが、たくさんのことを学習できる契機になる。

 私も恥の多い人生を歩んできたが、なかったことにするつもりはない。
 批判があれば真摯に受け止めて学ぶことができる、それはチャンスだ。

 一方、投資について発信していたタレントさんが、ツイートを全消ししたことなどが話題になった。
 個人的には、もったいないな、と思う。

 当人は「飽きただけ」らしいが、理由はどうでもいい。
 たとえ推奨した銘柄が爆下げしようが、「投資は自己責任」なので、いくらでもハズしていい(?)と思う。

 ただ、あまりにも壮大にハズしている姿をみると、消したくなる気持ちはわかる。
 あのときの損失、なかったことに──すべてのギャンブラーが思うことを、ツイートやブログなら簡単にできる。

 あの日の黒歴史、なかったことにできたらいいな、あんな夢こんな夢いっぱいあるけど~。
 と、薄切りベーコンを食べながら脳内で歌うおっさんも、どうかとは思うが。


 最後に、先週おもしろ予想をしてくれた編集部の今週のお言葉を記しておこう。
 暴落後の現在「ボリンジャーバンドは下落を、RSIは上昇を予想」している、らしい。

 半ば投げやりな雰囲気を感じたが、ある意味、伝統に忠実ともいえる。
 ご承知のとおりテクニカル分析は、もっともらしいチャートを利用して素人をだまくらかそうという試みだ。

 なにも言っていないに等しい、ともいえる。
 この漠然とした親近感……わびしい。

 ただ私と彼らには、決定的に大きな差異がある。
 私はただの趣味だが、彼らは商売であるということ。

 われわれは、けっして忘れてはならない。
 「胴元はビジネスを、顧客はギャンブルを」しているのだということを。
 


 いつものようにネットを徘徊していると、ナチスの話題が引っかかった。
 同じころ読んでいた記事から、グーグル先生が忖度したのかもしれない。

 ネオナチと戦っている(らしい)プーチンさん。
 そんな彼を指して、ナチはおまえだろ、とチョビヒゲをつけられている現実。

 たしかに似ている、ような気はする。
 そもそも鉤十字と鎌と槌は、ある意味とてもよく似ているのだ。

 国家社会主義の労働者党と、保守主義の統一ロシアという、専制。
 なにより重要なのは、当時のドイツ国民も現在のロシア国民も、独裁者を熱狂的に支持している(らしい)ことだ。


 戦争になる以前のウクライナについては、正直なにも知らなかった。
 近代史を概括したとき、ポーランドやチェコなど東欧諸国の一環として「蹂躙された」気配が強い国、程度の知識だ。

 問題は、それについてあまり「知らない」ことより、さほど「知りたい」という欲求すらないことのほうかもしれない。
 今回記事にするため、すこしばかり調べたが、そこまでだ。

 あいかわらずナカワルですね、もっと仲良くしたらどうですか、以上。
 日本人はこの戦争に、積極的に関与する必要はないし、そのことに文句を言われる筋合いもないと思う。

 じっさい欧米人は、近いところであがった火の手に、たいへんな大騒ぎをしている。
 が、アジアやアフリカのどこかでくりかえされている虐殺には、たいして興味もないし手も出さない。

 同じことだ。
 日本人がヨーロッパの騒ぎに関心をもつ理由が、そもそもあまりない。

 だいたい旧宗主国は、アフリカなどで多くの紛争の原因をつくった当事者ですらある。
 彼らがその国々に対してもつ興味と、われわれがウクライナに対してもつ興味を、冷静に引き比べてみるだけでよい。

 われわれは、この件にあまりかかわる必要はないと思う……が、逆にいえば、ほとんど関係のない第三者として、先入観のない状態で冷静に評価できるかもしれない。
 いうまでもないが、以下は個人的な見解である。


 とりあえず一方の言い分だけで物事を判断するというのは信条に反するので、両者の意見を比較したい。
 まずプーチンさんの言い分によれば、ウクライナはネオナチの「悪」だ。

 その主張の是非はともかく、大ロシア帝国からソビエト連邦を経てロシアへいたる「プーチン史観」を信じるロシア国民は、それなりに多いらしい。
 ゼレンスキーさんに対する「怒り」も、無根拠というわけではないようだ。

 一方、ウクライナの立場については、欧米の承認と支持を得て日本のメディアでも垂れ流されているとおり、信じるか信じないかはあなた次第です。
 私は、欧米が正義だなどとはちっとも思っていないから、彼らが支持するという理由でウクライナの側につくつもりはない。

 事実のみを判断しよう。
 ロシアは「先制攻撃」をした。

 この時点で、かなりの無理筋である。
 たとえば日本の法廷での話だが、こんな裁判があった。

 「殴れるもんなら殴ってみろよ!」と挑発した男が、殴られた。
 殴られた男は、殴った男を相手に、訴訟を起こした。

 被告は当然、殴れと言われたから殴った、と主張した。
 裁判所は「挑発に乗ったほうがわるい」と、原告の勝訴を告げた。

 まったく同じことが、第二次大戦でもあった。
 ロシアはこの残念な日本の姿を見て、なぜ学習しなかったのか。

 巨悪が、じりじりと敵の首を絞めて「殴ってみろよ」と挑発してくる。
 それに対して「弱いほう」が反応したらダメなのだ。

 ポーランドに侵攻したドイツや、真珠湾を攻撃した日本は「悪」だ。
 と、国連憲章にまで書いてある。

 かてて加えて、プーチンさんは「非核国に対する核兵器による先制攻撃」を「脅し」として使った。
 これは世界の構造を変える、稀代の「愚策」だった。

 一線を越えた、それも両足で。
 もはや取り返しのつかない「悪」認定でよい。


 両者の意見と事実を勘案した結果、「悪」が「悪」を倒すために動いたのが、この戦争(特別軍事作戦)ということになる。
 だいたい武器をもって殺し合っているような連中が、正義なわけがない。

 そもそも論になって恐縮だが、たくさんの敵を殺して降伏させた(勝った)ほうが正義、という「設定」そのものがおかしい。
 とは思うのだが、それを言い出すと人類史がヤバいことになる。

 結局われわれは、「選択可能でマシなほう」を選ぶ以外にすべがない。
 どちらがより巨大な「悪」かは、事実の重みによって歴史が証明するだろう。

 その悪役が、さらに上手の悪役として推しの存在、それが「ナチ」である。
 最後に、この伝統的悪役「ナチス・ドイツ」について、すこし記しておこう。


 あらゆる映画で、ナチス・ドイツといえば、たいてい悪役に決まっている。
 というか、それ以外の取り扱い方ができない。

 なぜか。
 ナチスは「絶対悪」だからだ。

 それは「常識」であって、異論は認めない。
 ナチスにもいい部分はあった、的な発言そのものがナンセンスであり、タブーとされている。

 しかし日本人には、上記のような議論を好む人々が少なくない。
 さまざまな分析があるが、詳しくは「ナチス 絶対悪」などで検索すると、つらつらと出てくるので参照されたい。

 さすがに検索上位には、それを否定する側のサイトが出てくる。
 が、その下には陰謀論的なサイトがずらずらと並んでいて、ほほえましいものを感じる。

 個人的には、陰謀論サイトのほうが好きだ。
 なぜなら「楽しい」からである。

 ナチスの残党が月の裏に逃げて地球侵略をたくらんでいる、という荒唐無稽な映画もあるが、正直きらいじゃない。
 『アイアン・スカイ』(2012)……べつにオススメはしない。

 もちろん全体主義や原理主義、Qアノンやテロリストなど、冗談では済まない部分はあるだろう。
 これらを肯定するつもりはないが、だからといって絶対悪と決めつけるのもどうかと思う。

 絶対とか100%とか、なるべく言わないようにしている私にとって、ナチス・絶対悪・常識という考え方には、本能的に距離を置いてしまう。
 一方で、陰謀論は楽しい娯楽、という以上のものであってはならないとも思う。


 くりかえすが、私は個人の信条として、絶対的なものをあまり信じない。
 よって絶対善である「神」とか、絶対悪であるナチスとやらも、娯楽的価値以外については、まったく信じない。

 ただ、社会学者が欧州の「空気」を研究して、そのような結論に至っている処世術そのものに疑義を呈するつもりもない。
 これらの社会学者が忖度している空気を察する程度の想像力は、私にもある。

 要するに「そういうことにしておいたほうが、いろんな方面でうまくいく」ということだ。
 みんなでそういうことにしようと決めたことを、部外者である日本人の社会学者ごときが否定するなど、できようはずもない。

 絶対善の神をこしらえることで、2千年来、それなりに社会がまわっていた。
 そんな欧米人にとって、絶対悪という概念は、それなりになじみやすい空気感でもあっただろう。

 すべからく教条的な「宗旨」として奉られ、異論は認められない。
 それ自体、もはや議論の俎上にはのぼらないのだ。

 欧米人が新たな「信仰」として獲得したのが、ナチス絶対悪である。
 宗教の使い勝手の良さについては、もはや言うまでもあるまい。

 相対悪のロシアも、喜んでそれを利用した。
 ナチスという絶対悪は、小悪党の隠れ蓑としても利用価値があったのだ。

 大事なことなので、もう一度述べておこう。
 ナチスは絶対悪、異論は認めない。


 このような方々とは、すくなくともその件に関しては、議論のしようがない。
 とある件について、朝鮮半島の方々と「話し合うのは無駄」と結論する歴史学者が、わが国にも一定数いるのに似ている。

 とある名をもつ神が絶対と信じる方々と、その件について話し合うことがどれほど無駄なことか。
 けっして折り合いのつかない件については「触れない」のが正解だ。

 にもかかわらず、まさに、であるからこそ、ネットでは議論が姦しい。
 ナチスは絶対悪派と、いいところはあった派だ。

 定義の問題を超えて、もはや教義に近い。
 互いに「絶対」的な「真実」に依って立ち、相手を否定する。

 ナチスは「絶対」悪なんだ、異論は認めない。
 絶対なんてない、彼らのなかにも善人はいた、これは「真実」だ。

 と、互いに罵詈雑言をぶつけ合っているやりとりに、思った。
 こいつらはカルトの「予備軍」だな、と。


 カルトは、しばしばカリスマ的な「教祖」によって率いられる。
 もちろんヒトラーは、驚くべきカリスマで歴史を動かした重要人物だ。

 アメリカにはチャールズ・マンソンという、有名なカルトの指導者がいた。
 20世紀を代表するカリスマのひとりで、けっこう最近(2017)まで生きていた。

 ある種のカウンターカルチャーの到達点。
 ネットには、その劣化コピーが蔓延している。

 かの「悪のカリスマ」を評する、こんな言葉がある。
 どこの本か映画か忘れたので、正確な引用ではないことをご了承願いたい。


マンソンは「真実」を語る。なぜなら彼は、なにも知らないからだ。
なにも知らない無知は「常識」から自由であり、いまここにある「現実」も理解できない。


 自分がなにも知らないことを、どれだけ理解しているか?
 ソクラテス以来の、これが「教養」だ。

 さて今回、私は「常識」と「陰謀」の両方を否定した。
 私に足りない「教養」を探しつづけるために、それが「答え」であってはならないからである。