鏡開き 振袖法被 勢揃い

鏡開き準備

揃いの法被

槌を持つのは先生方

10人でよいしょよいしょの掛け声

乾杯のご発声は民謡民舞芸能協会・安田宗三郎相談役

高らかに祝杯を掲げます

香芝民謡友の会会主さんです

鏡開き神籬

祝宴開始

黒田節:尺八・内田和良先生、三味線・西畑万寿江、踊り・瑞穂安扇

大漁唄い込み:荒川智義

喜代節:土橋童由

安来節:田村実

東明寺 母の眼病 お礼で建て

矢田山遊びの森・峠池堰堤

防護柵

南無薬師如来幟

鍋蔵山 東明寺

持統天皇7年(693)、舎人親王により開基されたと伝わっている

本堂の西側には九・六騒動で活躍した郡山藩家老の都筑云成の墓が現存している

江戸時代には矢田村の惣鎮守であった矢田坐久志玉比古神社の神役を勤めていた

木造薬師如来坐像 

古色(藤原時代)像高94.0センチメートル 重文指定

木造毘沙門天立像 

彩色(藤原時代)像高160.3センチメートル 重文指定

木造吉祥天立像 

彩色(藤原時代)像高91.4センチメートル 重文指定

舎人親王の母君・持統天皇が眼を患った時、翁に姿を変えた白鬚明神が舎人親王の枕元に現れ、お告げによってすくった霊水で母君の眼を洗ったところ、たちどころに平癒し、お礼に精舎を建立したのが当寺の始まりとのことである

かっての仕事仲間

唐破風の間 針の太さに 圧倒され

4F天守高欄の間

3F入母屋破風、南北に唐破風が設けられている

 

 

唐破風の間

梁の太さに圧倒される

天正13年(1585)~同18年頃にかけて1回から4階までが一連で建設されたとみられる

3階からライン橋、伊木山

現存する天守の中では最も古いと言われています

明治維新後に廃城となり、天守を除いて櫓や門の大部分が取り壊された

明治28年、愛知県から修復を条件に旧城主である成瀬氏に譲渡された