饒速日 命を祀る 登彌神社

奈良市石木町に鎮座する式内社で、旧社格は県社

神社の北の明神山からは、祭祀土器が出土している

皇紀4年春2月23日、神武天皇がこの地に於いて皇祖大神(または、饒速日命)を祭祀されたのが淵源とされる

その後、登美連が祖先である饒速日命の居住地であったこの地に、命の夫妻を奉祀したのが神社の創建とされている

小宮も合わせて二十二柱の神を奉斎している

本殿が、南向きで西本殿と東本殿が横並びとなっており、西本殿の祭神が神皇産霊神・饒速日命・天児屋根命、東本殿の祭神が高皇産霊神・誉田別命

饒速日命は、登美饒速日命・木嶋大明神とも呼ばれている

文化庁より、令和2年4月3日、本殿・拝殿・神饌所・手水舎・社務所が登録有形文化財に登録される

粥占いが、昭和57年3月1日奈良市無形民俗文化財に指定される

神域幽玄、神殿も極めて壮大であり、太古大部族の祖神を祀るに相応しい佇まい

大和郡山市城町主水山は弥生時代遺物の散布地帯

当神社から北西約1kmのところに富雄丸山古墳がある

タケエイの 経営陣の 果断により

当時のタケエイ三木社長

2006年門前町が輪島市に統合された

地元住民・門前町とタケエイが話を進め合意していた

行政区分が変わり輪島市との調整が必要になり、2013年準備書を公示し意見を求めた

浸出水の流れは石川県と合意形成、公共下水道は輪島市へ

2017年石川県より最終処分場の設置許可が交付2

2018年12月地鎮祭?

2023年12月工事完了

21年の歳月を経て門前クリーンパーク最終処分場は完成を見た

使用前検査にも合格し開業を待つだけ

2024年元日能登地震発生し、施設の一部が損壊

敷地内の道路など多くの被害が確認されました

猟師が 放ったひと言 悪沢岳

悪沢岳最高部に立つ

百名山2座目、3000m超峰5座目

国土地理院の地図では東岳

初めて悪沢岳が活字で報告されたのは、荻野音松氏の「駿州田代山奥横断記」と題する紀行でであつた

この白面の一書生が明治39年(1906)9月初旬、大井川銃竜西股左岸の中腹から悪沢岳を眺めた時のことを、次のように記している

たまたま樹間より谷を越えて赤石山脈中に赤く禿げたる一雄峰を望む

この山河と言ふと晃平(案内の漁師)に問へば、この山より出る渓流の西股に注ぐもの甚だ険悪なれば、これを悪沢と呼び、

この山即ち悪沢岳と言ふなりと答へしは、頗る口から出まかせの言草に似たり

河名、地名等何等徴すべき図書あるなくこれを知る人とても更になく、余はただ大村晃平一人より聞くがままにここに記す

甲州の一猟師が、さりげなく言った悪沢岳という名が、やがて確定的なものとなった

それはちょうど日本アルプスの探検時代であって、その頃はまだ少数であった山好きが、この紀行を読んで、そんな未知の山があるのかと驚いたのである

明治42年7月、小島烏水ら日本山岳会初期の錚々たるメンバーが悪沢岳に登頂した

ところが頂上にはすでに人跡があった

白木造りの祠が三つあり、岩角に赤錆びた鉄の御幣が立ち、付近には参拝者の残して行った木札が散乱していて、荒川大明神と書いたものもあった(深田久弥・日本百名山より)