キリコ文字 村の願い 文字に込め

驚壮観:壮大で感動的な様子や光景を表す

秋豊穣

子供組「旅?刀若」

智情意:「智」「情」「意」の三者が各々権衡を保ち平等に発達したものが完全の常識であろう(渋沢栄一)

キリコ浮字:キリコは、神輿を先導するための巨大な行灯で、前面には地域ごとの願いや祈りを込めた文字が浮き出します

これらの文字は、地域の文化や伝統を反映しており、祭りの際には特に重要です

祭りの際には、地域の人々が協力してキリコを組み立て、夜にはろうそくに灯して幻想的な空間を作り出します

浮字は「山皇響」?だったかな?

十六葉八重表菊:皇室の紋章が刷り込まれた幕

何か謂れがあるのでしょう

浮字は、漢字3文字「キリコ吉祥文字」を縦に墨字や立体的に描かれてます

日没後は、ろうそくの灯に輝く文字が浮かび上がります

現地で聞いた話、柳田26集落でキリコ約40基保有しているとか

山崎、石坂、ウチコミ、笹川にキリコが四天王

最大のものは野田の15㍍

間違いがあればご指摘願います<m(__)m>

金蔵「正願寺」万灯会のメッセージを本部席に掲示させていただきました

こちらはござれ祭り会場で受け付けられたカップ

全国から寄せられた能登応援メッセージ

国家鎮護 天智天皇 所縁の山

清水寺の奥の院と称された法巌寺

大崩落の跡

参道が流された

天狗杉

高塚山方向

閼伽井・金生水

山号はかつて牛尾山、現在は牛王山(うしのお-さん)という

京の通称寺霊場33番、牛尾観音

第11代・垂仁天皇の時、音羽山山頂に音羽山権現社、生水谷に北谷権現社を創建した

天皇により、国土守護・国民豊楽の祈念所とされた

633年、中大兄皇子(後の第38代・天智天皇)は牛尾山に参詣する 

648年、中大兄皇子は、音羽山音羽川に桜楓を植樹した

673年、本尊の十一面千手観音像は、宮中大悲殿にあり、遷都に際して当寺に遷される。(『法厳寺由来』)

法皇が 母の恩返し 建立

法皇山「母恩寺」

開基は後白河法皇

寺伝によれば創立は仁安3年(1168)

御本尊は阿弥陀如来

高野山に参詣する途中であった後白河法皇は、大川沿いの風光明媚の地でありながら、たびたび洪水で被害を被っていたこの地を憐れんで、永暦元年(1160)に十五社神社を建立した

仁安3年(1168)にやはりこの地が気に入ったのかこの場所に目をとめ、久安元年(1145)に亡くなった母待賢門院の菩提をここで弔おうと考え、十五社神社の北側に寺を建立した

寺名の由来は「産んでくれた母への恩返し」という意味による

以降数箇所の荘園を有する大寺院として興隆し、浄土宗の尼寺として代々皇女が住持を勤めた。しかし、度重なる淀川の洪水や兵火にあって衰微し、明治時代に入ってからの廃仏毀釈の影響や、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって堂宇を焼失し、現在の境内に落ち着いた

本堂は1992年(平成4年)に新築され、5月1日に落慶法要が営まれた