法皇が 母の恩返し 建立

法皇山「母恩寺」

開基は後白河法皇

寺伝によれば創立は仁安3年(1168)

御本尊は阿弥陀如来

高野山に参詣する途中であった後白河法皇は、大川沿いの風光明媚の地でありながら、たびたび洪水で被害を被っていたこの地を憐れんで、永暦元年(1160)に十五社神社を建立した

仁安3年(1168)にやはりこの地が気に入ったのかこの場所に目をとめ、久安元年(1145)に亡くなった母待賢門院の菩提をここで弔おうと考え、十五社神社の北側に寺を建立した

寺名の由来は「産んでくれた母への恩返し」という意味による

以降数箇所の荘園を有する大寺院として興隆し、浄土宗の尼寺として代々皇女が住持を勤めた。しかし、度重なる淀川の洪水や兵火にあって衰微し、明治時代に入ってからの廃仏毀釈の影響や、1945年(昭和20年)6月7日の第3回大阪大空襲によって堂宇を焼失し、現在の境内に落ち着いた

本堂は1992年(平成4年)に新築され、5月1日に落慶法要が営まれた

ござれ祭り 大キリコ保有 40基

8月16日午後、能登町柳田森林公園

整列した7基のキリコ

旧柳田村は能登半島で唯一海に面していない村でした

2005年3月、石川県に残る最後の村となっていたが、鳳至郡能都町・珠洲郡内浦町と合併して、鳳珠郡(ほうすぐん)能登町(のとちょう)となった

明治22年、鳳至郡柳田村、鴨川村、国光村、石井村、桐畑村、笹川村、長尾村、鈴ヶ嶺村及び小間生村を廃し、その区域をもって柳田村を設置する

昭和30年、中斉及び字神和住の区域を鳳至郡柳田村に編入する

平成17年能都町、柳田村及び珠洲郡内浦町を廃し、その区域をもって能登町を設置する

鳳至郡及び珠洲郡を廃し、門前町、穴水町及び能登町の区域をもってあらたに鳳珠郡の区域を画す

柳田村の23大字は能登町に継承

合併の際に内浦町に同名の字「長尾」が存在するため旧柳田村字長尾の名称は字上長尾に変更する

櫻井兵五郎(柳田村出身):立憲民政党幹事長・政調会長

当選回数9回

1945年A級戦犯容疑者として逮捕されるが2年後釈放

浮字:龍破雲

10.6m中斉下組キリコ

最大のものは野田キリコ14mとのこと

僧延鎮 清水寺も 創始する

牛尾観音

思案辻・黒門

長い坂・階段

天狗杉

赤鬼&青鬼が守る門

法巌寺境内

大杉堂

宇賀神・八頭龍神王・大杉坊大権現を祀る

法巌寺本堂

修験宗の寺で、本尊は千手観音で「牛尾観音」とよばれています

天智天皇自らが御手彫りされたと伝わる観音菩薩像を本尊として、光仁天皇の勅許を賜って宝亀9年(778)に延鎮上人が創建したと伝わる

延鎮は約6キロ離れた清水寺の開山としても知られています

当地の地名である「音羽」は清水寺の山号と同じで、両寺の本尊は同じ木から彫られたとも伝わっているます