敗れても ふるさとの人 弔いて

横山城跡がある横山

地蔵尊

三成の生家跡に建てられた石田会館

土曜日でしたが午後から開館のようでした

横山城跡図

日吉神社仮本殿

「石田三成資料室」には、石田三成像や三成の生涯を描いた絵巻パネルを展示

鎧やゆかりの古文書に石田屋敷復元ジオラマなど数々の展示物があります

会館外には、「石田治部少輔出生地」と刻まれた石碑や三成の銅像もある

三成の頭蓋骨の写真も展示されており、この写真をもとに三成の像が造られたとのこと

治部どのも 今日瞑ずらむ 蝉しぐれ

『関原読軍記』の碑があります
西郷隆盛と書かれているのは、西郷隆盛がこの『関原読軍記』を読んで、石田三成は全くの悪人ではなく本物の侍だと称したというエピソードから
石田三成が褒められたものはこうして石碑化されています

斎王代 30㌔十二単 おつかれさま

時代行列は賀茂川(鴨川)に架けられた北大路橋を渡り、賀茂川西側(右岸)の賀茂川堤を北上します

賀茂川(加茂川)は淀川水系の一級河川・鴨川の上流部の名称です。鴨川は京都市北区にある標高約896メートルの桟敷ヶ岳(さじきがだでけ)を源としています。なお葵祭ではかつては賀茂川(鴨川)で禊を行っていました

駒女(むなのりおんな):斎王付きの清浄な巫女(みかんこ)で、騎馬で参向するのでその名があります

牛車(ぎっしゃ):本列の牛車とは飾りが異なり、葵と桂のほか、桜と橘が飾られています。斎王の牛車で女房車とも言われています

葵祭ルートの終着地が上賀茂神社です。時代行列は賀茂川堤から賀茂川に架けられた御薗橋・一の鳥居を通って上賀茂神社に到着します上賀茂神社では到着後に社頭の儀などが行われます上賀茂神社は社伝によると神代の昔に賀茂別雷命(かもわけいかづちのかみ)が現社殿の北北西にある秀峰・神山(こうやま)に降臨したのが起源とも言われています

社頭の儀は葵祭で最も重要な行事です。社頭の儀では下鴨神社と同様に勅使が祭文・宣命を奏上し、幣物を奉納します

時代行列では人約500名・馬約40頭・牛4頭・牛車2台・輿(こし)1丁が巡行

一の鳥居前で下馬

牛車、御幣櫃などは鳥居をくぐらず西の鳥居方向へ向かいました

華やかな斎王代列

能登半島 さいはての町 狼煙町

「珠洲ふるさと讃歌7番」

宝立山ブナ林

山伏山は珠洲岬

自然と暮らし響き合う

奥能登国際芸術祭

道の駅「狼煙」

令和6年(2024)1月に発生した能登半島地震の際は、施設の被害は軽微だったものの、狼煙地区が一時孤立したことや断水が長く続いたこと、従業員の退職が相次いだことなどから一時休業を余儀なくされた

同年4月から一部営業を再開したが、9月の能登半島豪雨の影響で再び休業

2025年4月に経営陣が交代し、5月23日から6月1日のプレオープンを経て、7月4日に再オープンした

狼煙地区には食品や雑貨を扱う店がなく、住民は移動販売車に頼っていたことから、再オープン後の当駅では日用品の取扱いも開始した

地元で採れた新鮮な食材の直売や、珠洲特産の「大浜大豆」と珠洲天然にがりを使用した地豆腐を製造し販売してます

また、実際に豆腐作りの体験や、農作業体験、漁師体験など多くの体験型学習教室を行っています

豆腐作り体験は事前に予約が必要です

50分移動して、正院にある「幸ずし」で能登海鮮丼で昼食会

山盛りの海鮮にお味噌汁、大満足でした

床の間の掛け軸

地元の人から聞いた評判通りでした

今回の支援団の会計・幹事を担当された幸師