ジャーナリスト 石川秀樹 -25ページ目
日本中が羽生結弦(ゆづる)の金メダルを期待していた。
が、最初の4回転ジャンプで転倒!
テレビを観ているこちら側が「あっ」と声を上げた。
日本時間の午前3時半過ぎ、
羽生は滑走前に祈るようないつものしぐさをした。
『がんばって……』思わず小さな声でつぶやいた。
その直後のジャンプ失敗なのである。
動揺した、観るのがコワくなった。
他の選手、楽々と4回転を決める者が何人もいる。
『羽生の安定感は抜群だ』と思っていた。
なにより腕が、手が、指が生きもののようで、
動きのたびごとにムチのようにしなる。
『美しい!』
他の選手が無骨に見えるようなしなやかさだ。
それが、固い。
トリプルフリップでも両手をついた!!
驚いた、ほんとうに。
そしてため息が出た。
トップが消えた瞬間だ……、と思った。
以後の演技は見事にまとめた。
終わって結弦が膝まづく。
(演技の一環だけど……)
敗北をかみしめているように見えた。
いたたまれず、僕は2階の寝室に向かった。
直後のパトリック・チャンの演技を観たくなかった。
“完ぺき”に決めるに決まっている。
テレビ観戦者の僕は、その場ではまだ敗北をかみしめたくはなかったのだ。
だから朝、目覚めてiPhoneで「羽生結弦が金メダル」
の文字を見て、「ふーん」と奇妙な気持ちになった。
『チャンも失敗しちゃったのか……』
もちろんビデオを観た。
最初の4回転は見事に決めたのに、それ以降に目立ったミスが4回も。
「オリンピックは魔物ですね」といったのは、
ショート11位から5位に食い込んだ町田樹だった。
熱演だったが4回転で倒れるなど、「不本意」の思いがうかがえる。
羽生も「自分の演技が……」という。
リンクを去る彼の瞬間をテレビから切り撮った。
何ともいえない表情をしている。
「無念」の思いが渦巻いているのかもしれない。
が、もちろん、彼が手にするのは輝かしい金メダルである。
オリンピックを7回も中継したという元?アナウンサーが言っていた。
この大会に参集した日本の10代の“天才たち”について。
「初めてのオリンピックは成功で始まる人もいるし、失敗に終わる人もいる。
でも誰も、そこからがほんとうのスタートなんです」と。
さすがに勝負のアヤを長く視てきた人の言葉だと思う。
競技には運不運が付きまとう。
スキーモーグル、上村愛子の5回目は悲劇を観るようだった。
私には、判定に泣かされた結果に見えた。
日本中の期待を一身に背負わされた感のある高梨沙羅の初陣は、
折からの「追い風」に吹き散らされた。
もう一人のサラがいる。
米国のサラ・ヘンドリクソンの五輪初挑戦は21位に沈んだ。
日本では話題にする人も少ないが、胸を打つ。
同じ五輪で一躍脚光を浴びる人たちもいる。
「運が左右」というにはあまりに偉大なアスリートたち。
勝者も、敗れ去った者たちもまた。
頂点の戦いに挑めただけでもすごい。
そのための努力も、常人の僕にはわからない。
わからないが、過酷な日々であろうことだけは想像できる。
だから『もう一度』と思うのだろう。
<このまま終われない>
「そこからがスタート」とアナウンサーがいう意味はそれだ。
でも、修羅の道だろうなと思う。
報われる人はごく少数だから。
女子フィギュアの浅田真央は満願成就するのだろうか。
したらすごい。
しなくても、すごさは変わらない。
でも、できれば成功のストーリーを観たい。
一人くらい夢が“かなう”ドラマを観たい。
“敗れざる者”たちの思い結実の確率はほんとうに低いのだから。
安藤美姫や織田信成、小塚崇彦たち……。
彼らには戦う舞台さえつかむことがなかった。
過ぎ去った年月とどう折り合いをつけるのか、
成功願望を断念する明日以降の日々をどう生きぬくのか、
とても気になる。
僕自身、敗れ、追われて、再起を夢見ている者だから。
そんな思いで羽生結弦の金メダル獲得を見ると、
すなおに「輝かしい金」なのだと思える。
自分の演技に納得できない金でも、
共に崩れた結果の転がり込んだ頂点だったとしても。
君の成し遂げたことは日本人男子初の偉業!
圧勝よりも、すがすがしい「金」に思える。
(ジャーナリスト 石川秀樹)
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きのう静岡市内のホテルで異業種のビジネスマッチングがあった。
私が塾生として参加している経営塾の塾生有志が企画した。
それで「電本館」あるじたる私も電本(電子書籍)についてプロモートすることになった。
時間は10分から15分。
短時間で会社や電本のPRはしきれるものではない。
それに何より、もっと話したいことがあった。
それで冒頭、あらぬ方向から話を始めた。
「私の使命は<日本人の情報リテラシーを高める>ということです」
会場に居並ぶゲストや塾生たちがキョトンとした顔で見ている。
『まずかった?! やっぱ、やめとけばよかったか……』
胸がドキドキ、顔が火照って来る。
『ままよ、言ってしまえ!』
「私が言いたいのは、情報には対価を払おう、ということです」
(念のため言っておくと、ゲストは3000円の会費を払っている)
「対価」つまり「お金を払え」と受け止められると、さもしい話になる。
微妙な空気……。
「情報は情(なさけ)に報(むくいる)から情報なんです」
(心の中で『ちゃんと報いていますか?』と問い掛け)
そこで3つの話をした。
1つ目、経済部記者時代の話。
初めての分野であり情報集めをしている時、実のある情報は集まらなかった。
意を決して、静岡の地場産業の社長さんたちを訪ね回った。
はじめはお願い申して会社の近況を聴いた。
ささいな話でも必ず1本の記事にした。
書けば感謝される(パブリシティになるから)。
記事にすることは話してくれたことへの、ささやかな対価。
(私は記事を書くという“特権”と、手間暇を提供した)
何社も取材するうちにいろいろな情報が聴けた。
書けない話もある(そういう話は重要だ)。
情報が広く深くなる、しかもトップから聴く話だ。
すると取材先の対応が変わって来る。
業界というのはそれほど仲の良いものではない。
他社の状況を知っている私こそ“情報持ち”ということになった。
差し支えない範囲を計算しながら提供できるものは提供する。
情報持ちには情報が集まる。
この場合、対価は「情報」である。

2番目に話したのは「無料セミナー」のこと。
おかげさまで最近は時折「Facebookのことを話してほしい」と招かれる。
無料のセミナーが多い(私には講師料を払ってくれる。お客様が無料だ)。
正直いってそういう講習会、あまり好きではない。
なぜなら、お客さんの反応が薄いからだ。
お客さんは何の対価も払っていない。
(義理で聴くならその場に居てもらわない方がいいくらい)
「情報はなんのために必要ですか?」
「行動を起こすためですよ!」
時間がないので自分で答えをいってしまった。
話し手としては当然、聴いて腑に落ちたことは実践してもらいたいと思う。
聞いて終わりにされたら空しい。
熱っぽく話すことを目の色を変えて聴き、「早速やってみます」と喜んで帰ってくれたら、講師料なんてただでもいいと思う(本気で)。
しかし無料の講習会のあとは
『どこまで届いたんだか』と、こっちの元気がなくなってくる。
この場合は「身銭を切る」ことが対価。
3つ目。
「リアルが大事」といわれることについて。
ソーシャルメディアをかじっていれば必ず言われる話。
私もおおむね否定しないが、大納得というわけでもない。
オフ会、飲み会、異業種交流会……。
飲んで、話して、名刺交換をして、それで充実ですか?
はっきりいってそんな名刺、何枚あっても役に立たない。
おカネを払い(会費)手間暇(そこに行く)も掛けている。
それが対価ですか?
とんでもない、そんな勘違いは今すぐ捨ててほしい。
あなたも、私も、ほしいのは名刺じゃないでしょう?
昔の商人なら「お近づきの印に」と言えば、何かを購入した。
そう、お客様になるんですよ。
関係を深めたければ2度、3度と足を運ぶ。
(「手間暇」という対価)
しかし相手は仕事を抱えている、忙しい。
相手の時間を盗むわけにいかない。
だから“お客様”になるんだよ。
(正真正銘「お金」という対価)
こういう話、卑しいと思うかい?
僕はちっともそんな風には思わない。
先日、伊勢神宮にお参りしてきたんだけど、お賽銭にはケチケチした。
神様は式年遷宮で(参拝客急増で)大いに元を取っただろうから。
(それに元々、神様に敬意は表すが頼みにするのは自分だと思っている)
代わりに伊勢のまちで無駄遣いをいっぱいした。
地方のまちが少しでも潤ってほしいから。
僕の「対価」の払い方はこのように不合理である。
でも本当は一貫している。
東京ではなく、地方が栄えてほしい。
大企業、有名人でなく、ふつうの人たちに光が当たってほしい、という思い。
■ □
10分プレゼンの前振りになぜこんな話をしたか。
電本館あるじの僕にはちゃんと下心があったんだ。
「著者になったら何が一番うれしいと思う?
それはね、買って読んで、感想をくれることだ」
(これは多くの著者の願いだと思う。ウソ偽りなく)
わずかな金額で著者に感謝される。
顔と名前を覚えてもらいおつきあいが始まる。
(ベストセラーの著者は別だよ)
名前の出る前、あるいは実力証明のため初めて本を書いたような人、
こういう人たちを勇気づけるのは著書の購入だ。
そういうことにつなげたかったんだけど、僕のもくろみは失敗した。
あまり心に響かなかったみたい。
きっとほかのことに関心があったんだろう。
がっかりだ、本当に……。
でも商売は「あきない」だ。
まだまだ修行が足りない。
もっと説得力が出てくるまで、あきずに語り続けようと思う。
………………………………………………………………………………………………【筆者から】いつも長いブログをお読みいただいて恐縮です。
ブログはジャーナリストとしての私の「発想創庫」。
というより「リセット地点」というべきでしょうか。
政治、社会事象全般、ソーシャルメディア、そして電本(電子書籍)のこと、
いろいろ書きますが、書くたびに頭を整理してまた「出発」です。
そういう意味でのリセット地点。
ツイッター、Facebookを下書きにして「完成したもの」をこのブログに収めています。
ブログは私にとっては“旗艦(フラグシップ)”になりつつあります。
自由に書き込みしにくいWebページは今後も持たないんだろうと思います。
ふだん、上の5つのボタンのページのどれかで“書きも”をしています。
中ではFacebookページの<ジャーナリスト 石川秀樹>の更新頻度が高いページです。
読んでくださった方と交流できたらいいなと思っております。
モーグル、上村愛子の“冬”が終わった。
ソチ冬季五輪女子モーグル決勝。
1番手で上村愛子は滑った。
速い速い、エアも決めた!
高得点が予想された。
しかし……
競技のあと上村は笑顔だった。
「やってきたことがすべて出し切れたから……」
すがすがしい気分と彼女はいう。
僕はなんだか、こみ上げてきた。
でも、泣いたら失礼なのだと思う。
1998年(長野、18歳) 7位入賞
2002年(ソルトレイク、22歳) 6位入賞
2006年(トリノ、26歳) 5位入賞
2010年(バンクーバー、30歳) 4位入賞
そして
2014年(ソチ、34歳) 4位入賞
トリノではエアの大技、コークスクリューをやってのけた。
それでも5位。
以後、苦手意識のあったターン技術を磨いた。
2008年にはFISワールドカップで年間総合優勝を遂げる。
「女王」の座を獲得し一時代を築いた>
上村愛子は一流選手である。
縁がないのはオリンピックだけ。
2010年、バンクーバーで4位に終わった時、
「なんで、こんなに一段一段なんだろう……」
と無念の表情を見せた。
<写真はモーグル決勝を滑る上村愛子 by 共同通信>
そしてソチ。
気持ちはわかるが34歳、最年長。
予選、準決勝もぎりぎりで通過。
準決勝も6位、ラスト順位での突破だ。
『ピークはとうに過ぎているんだろうな』
そう思うと「メダル、メダルと騒ぐな!」と
メディアにいいたくなった。
決勝。
快速だったと思う。
30秒台で滑り降りたのは上村しかいない。
2つのエアもほぼ完ぺきだった!
最後に滑ったハナ・カーニーは脚が雪につかずにバラバラ。
上村が3位に滑り込めたかな、と思ったが……。
採点競技の悲劇というべきだろうか。
滑降順位の不利は否めなかった。
『上村でなくても神様を恨むよな』
順番なら今度は「3位」だろうに……。
しかし、こうも言える。
またも4位だったからこそ「上村愛子」の名を僕は忘れない!!
努力し続けた彼女は誰よりも美しい。
無念の4位ではない。
輝かしい4位だったと。
(ジャーナリスト 石川秀樹)
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無精ひげを10日も決め込んでいると、
なんだか肌がチクチクして痛い。
<そろそろ限界……>
と思ってカミソリを探す。
<そうだ、この前衝動買いしたのがあったナ>
以前からなぜかSchickの4枚刃を使っている。
これはキレモノで、僕の剛毛を2ヶ月ソリ続けても性能が落ちない。
が最近は、1週間くらいで肌が痛くなる。
面の皮が薄くなったのか、Schickに当たり外れがあるのか。
ま、それでひげそりをさぼっていたわけだが。
先日、DIYの店で目についたカミソリを買った。
今度は「5枚刃」だ。
<刃が多けりゃソレるわけでもあるまいに>
と思いながらそれを買ったのは、
売り場の主流がもはや「5枚刃」に移っていたからだ。
思い出して使ってみた。
封を切って初めて知ったのだが、単4電池が入っている。
訳が分からないまま充填(じゅうてん)。
電池がある以上、スイッチがあるはず。
<真ん中のコレか>
黄色のボタンを押すと、刃がブルブルいいはじめた。
なるほど!
ソッていて気持ちがイイもんですな、これは。
切れ味はいつも通り。
刃と刃の間に挟まってやっかいもののヒゲの塊りも、
振動のせいなのか、きれいに落ちているのがうれしい。
ブルブルが必要なのかどうかはわからない。
そり心地のためなのか、ヒゲを落とすためか、はたまた
刃に埋め込んだハイドロジェルなるものを浸透させるためなのか、
よくわからないが、結果は良好だ。
やはり進化なんだろうね。
「気に入った」
と、僕は妻に報告した。
Facebookがようやくスパムアカウントに鉄槌を下したようだ。
いかにもFacebookらしいやりかたで。
Facebookの友達がeXciteブログの記事を教えてくれた。
《フェイスブック、美人アカウントを一斉削除 スパム対策を強化》
フムフム、期待が広がる。
記事によると2月4日早朝(つまり今日)、
Facebook Japanがツイッターで以下のようにつぶやいたことになっている。
《同社の公式ツイッターは4日早朝、「我々の主観に基づき、美人アカウントを削除なう」とツイート。5分後に「あなたが削除されなくても、気を落とさないでください」と続けた。》
同社が“対策に乗り出した”のは、Facebookで美人を装ったスパムアカウントからの友達申請が後を絶たず、個人情報を盗まれたり、悪質なサイトへ誘導される被害が急増しているからだそうだ。
記事は続く。
《事態を重く見た同社は4日から、社員が美人と判断したアカウントの即日削除を開始。スパムアカウントでないアカウントについても、美人の場合は写真が悪用される可能性があるとして削除対象になる。》
「美人」の基準は社員の主観、だそうだ。
おもしろい!
Facebookはこうでなくっちゃ!!
独断と偏見は同社のお手の物、
多少乱暴でも、スパム野郎どもが横行するよりましだ。
■ □
種明かしすると、記事の出典は「虚報タイムス」。
http://eilreverse.exblog.jp/20802438/
残念ながら、記事はウソである。
友達が勘違いして、
以前からこの問題を指摘している私にメッセージをくれたのだった。
(写真は削除を免れた美人たち)
記事を見たとき虚報だとは気づかず、念のためツイッターに当たった。
Facebook Japanを検索すると同社は、
2013年12月31日に
《あけましておめでとうございます。 本年もよろしくお願いいたします。》
とつぶやいたきり、以後なんのツイートも行っていない。
フォロワーは44,421人もいるのに。
情報発信には熱心でないようだ。
私は昨年9月に
《カギを掛ける人になりましょう!》
と題してこの問題を取り上げた。
何度指摘してもFacebookは無視だから、せめて自衛しましょう、
友達の個人情報を盗まれないようにカギを掛けましょう、
プロフィール写真を見られるのは「自分のみ」に変えましょう、
と提案した。
この時はクチコミで大拡散して、述べ11万人に記事が表示された。
(インサイトのデータから)
でも事態はもちろん、そんなことで改善するわけもなかった。
パロディ記事は、いい線ついている。
みながコロっとだまされて大拡散した方がいいかもしれない。
Facebookもその方が、重い腰を上げやすくなるのでは?
………………………………………………………………………………………………【筆者から】いつも長いブログをお読みいただいて恐縮です。
ブログはジャーナリストとしての私の「発想創庫」。
というより「リセット地点」というべきでしょうか。
政治、社会事象全般、ソーシャルメディア、そして電本(電子書籍)のこと、
いろいろ書きますが、書くたびに頭を整理してまた「出発」です。
そういう意味でのリセット地点。
ツイッター、Facebookを下書きにして「完成したもの」をこのブログに収めています。
ブログは私にとっては“旗艦(フラグシップ)”になりつつあります。
自由に書き込みしにくいWebページは今後も持たないんだろうと思います。
ふだん、上の5つのボタンのページのどれかで“書きも”をしています。
中ではFacebookページの<ジャーナリスト 石川秀樹>の更新頻度が高いページです。
読んでくださった方と交流できたらいいなと思っております。

