ひで坊の長浜→大津日記 -683ページ目

讃岐の院日記巻12

雲居の御所にて

閑話休題

崇徳院は強力な怨霊となって、都に天変地異や争乱を巻き起こした

が、しかし

平将門や菅原道真のような祀られ方をされてこなかった

なぜ?

坊思うに
将門や道真は民間人
崇徳院は天皇

怨霊化した天皇を祀ることに対して、何かブレーキがかかったのか

はたまた、同母弟の後白河天皇の策略か?

崇徳院にまつわる興味は尽きない

さればとて
雲居の御所に別れをつげて、次なる史蹟へ…

讃岐の院日記巻11


雲居の御所に一人

昔のガイド写真には御所跡の石碑を挟むように巨大なソテツの木が二本ある

このシンボル的ソテツ、今はない

石碑に書かれた文字は読めない

おそらく崇徳院にまつわる、
いわば都から讃岐までのストーリーが、
院の人となりも併せて
要約されているのだろう

院配流の今から850年程昔、
当時の光景は想像すらできない

それ程周囲は仮の御所跡には思えない

しかし周辺は美しく掃き清められ、手入れが行き届いていて気持ちよい

きっと地元の方々の真摯な活動の現れだ

単なるボランティアでは決してない

崇徳院を思慕する真心の表出だ

崇徳院を今も慕う心が生きている証しを感得した

陽はまだ高い

讃岐の院日記巻10


白峰山エリアから一路
次なる目的地へ足を向けよう

史蹟の名は雲井の御所

崇徳院配流後、当地の今で言う市長綾氏の官舎を仮の御所とされた

その跡地だ

本来、雲居が正しかろう

雲居とは皇居あるいは都の意

《井》の字は似つかわしくない

ここで
名にしおう御製

ここもまた
あらぬ雲居と
なりにけり
空行く月の
風にまかせて

う~ん
名歌なり

雲居の宮にしばし院を偲ぶ