3. 自分の心の中の神の領域に
自分の心の中の神の領域に気付いたのは、
若い頃、大好きな彼女に許せない性格があり、
好きと嫌いの間で頭がおかしくなりそうだったとき。
恋の支配欲と愛の自由さに心が分裂してしまったとき。
あのとき、あまりの苦しさに、
彼女が赤の他人だと思い込もうと努力した。
するとどうだろう、
子どもの頃に体験した幽体離脱のような
とても安らかな穏やかな気持ちになってきた。
その体験のあまりの不思議さに呆然としてしまったが
それ以来、彼女に会っても穏やかでいられた。
それは換言すれば、大いなる無関心とでも言える心境だった。
しかし、僕はそのとき台風の目の中に入っている自分を思い出した。
子供の頃、巣鴨の小学校で台風の日に校庭にいた。
風が強かったのはもちろんだったが、一瞬にして、青空が見え、
無風状態になった。僕はこれが台風の目の中なんだと思った。
暫くするとまた強風が吹いて来た。
そう、きっと心も台風のような現象なのだ。
強風に合い、飛ばされてしまうけど、
心の中心には目があり、
そこは、極めて穏やかで安らかで気持ちの良い空間なのだ。
恋と愛との葛藤で苦しんでいた僕を吹き飛ばし
その心の中心に運んでくれたのは一体どんな存在なのだろう。
けれども、僕はその絶対的な平和の中にいて神を感じてしまった。
神に姿形などはない。神は僕の心の中心に存在する領域なのであり、絶対の安らぎの場なのである。『天空の城ラピュタ』を見た時に宮崎監督が描いて見せたのは、僕が体験した神の領域だった。
あれから何年たったことだろう。今でも僕は神の領域に住んでいる。僕は自分の心の中心にある絶対の平安が何よりも好きだ。どんなにお金を積まれてもこの安らぎを売る気はない。
若いときの恋愛の苦しみから、何と言う神に出会ったのだろう。
彼女とは今も良い友情関係を続けています。
ときどき彼女に感謝している自分に気付きます。
2. 曇りのち雨、雨のち晴れ
もう旧暦で6月を何と言ったか直ぐには思い出せない。
そんな年になったかと優しく受け入れることにしている。
その六月の27日はすこぶる天候が悪かった。
悪かったというより、激しく変化した。
バスに乗って田無に出るまでは曇り空、
西武新宿線に乗ったら雨が、
高田馬場に着いたら青空が。
そして、なんだか喉に違和感を感じ出した。
それから冷房の効いた教室で3コマの授業。
声を出しているうちに、喉がヒリッとしてきた。
やってしまった!というのがその時の思い。
実は65歳になってから、これは二度目の体験。
咳が一ヶ月くらい続く症状。
ネットで調べたら、どうも寒暖差アレルギーらしい。
まあ、気温が安定すれば自律神経がちゃんと対応してくれるらしいので、
自然である神様に、そしてその神が住んでおられる中枢神経様にお任せすることにした。
曇りのち雨、雨のち晴れ、
マクベスの魔女の呪文らしき言葉が頭の中で廻っている自分に気づいた。
1. 通りすがりに女性のバッグと
65歳から徒然なるままに自分の思いを書いて行くことにしました。
今朝、事務所に向かう道すがら
若いお嬢さんとすれ違いました。
肩は触れなかったのですが、
彼女のバッグに僕の左腕が接触。
ゴン!という音がして、
左腕に若干痛みが走りました。
それはプラスチックかなにかの
堅い容器だったようです。
僕はちょっと振り向いたのですが、
その女性は脇目も振らず歩き去って行きました。
ショックもあったし、音もしたし、
ちょっと気づいて欲しかった。
無視されたんですね。
なんだか悲しく、寂しい気持ちになりました。
「不親切だな!」と残念に思いました。
ケンシロウではないですが、
「あなたはもう不幸だ」などと心の中で言ってやりました。
自分が親切な気持ちを放棄してしまったならば、
もう孤独しか自分を相手にしてくれない。
少ない給料を稼ぐために生きているだけで、
楽しみも安らぎも喜びもない人生になるのに。
彼女が自分の人生を悲劇の脚本にしているなと思われ、
とても可哀想に感じました。
振り向いて会釈するだけでも良かったのに。
親切な気持ちを持っていれば、
幸せな気持ちになれるだろうに、
などと徒然なるままに考えている自分がいました。