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6. 今の僕は本当にどこへ流れて行くのだろう

今の僕は本当にどこへ流れて行くのだろう、

高齢者の仲間入りして、

猛暑に何もやる気にならず、

大好きだった研究にもあまり乗り気にならず、

社会的な人間関係にも興味がそれほど湧かなくなった。

若い頃、ヘルマン•ヘッセの詩に憧れて、

空をゆく雲になりたい、などと思った。

ワーズワースの「水仙」という詩も未だに好きだ。

「僕は、空高く、谷や丘を越えて行く

一片の雲のように、独り彷徨った」

今、本当にこの雲のようになりたい自分がいる。

僕は、これから何をやっていけばよいのだろうか。

高齢者になってアイデンティティを失っている自分に気付く。

まだ生きているので雲にはなれない、

それでいて人生の目的を見失っている。

かといって、無理矢理社会的な目的を自らに課すのも偽りのような気がする。

だから、今は頼まれている最低限の仕事を続け、

なんとか日々の生活を送っている。

まあ、それで本当は幸せなのかもしれない。

家族や親しい友人たちのお役に立てることしかないかな、

自分では何をやろうという気力が出ない自分と向き合っている。

これは老人性鬱病というのだろうか。

5. 西日本豪雨で思う事は

西日本豪雨で思う事は

高気圧の時計回りの回転で南風が吹き込んだこと、

海水が蒸発して湿った空気を吹き込んだこと、

風が山にぶつかって上昇気流が起きたこと、

前線の影響で三日ほど雨が続いたこと。

そして、この自然現象は今年の秋雨前線でも起こりうること。

自分の命も他者の命も大切にするためには自然を深く理解する必要がある。

僕が今の場所に住まいしているのは、

市内でも比較的高い場所であること、

いままで水害に遭ったことがないこと、

マンションの7階であることを意識して決断した。

これも自分と家族の命を守る責任感でしたこと。

僕は経済の損得を優先させない。

経済の損得は決して人の命を守らないことが分かっているからだ。

経済も政治も防衛も大義名分は「国民の利益」を唱えるけれど、

決して人命を第一に考え社会を築こうとはしない。

大きな被害が起きた後に「人命優先」という言葉が使われるだけ。

病気もそうだ。

社会で過労状態になるまで労働させておいて病気を作っている。

社会が病気を作っておいて、次には医療で金儲けをしようとしている。

社会の一番のやっかい者は「病気にならない国民」だろう。

病気にならない国民はいつも命の大切さを優先させ、

自分の内と外に存在する自然を理解しようとする。

つまりは自然を愛そうとしている。

老子ならばタオの人というだろう。

日本の神道も実は自然をつねに尊重する思想だと思う。

仏教やキリスト教は人と人との優しさを最優先する思想だと思う。

貨幣による幸せという思想に洗脳されてしまった多くの国民は

結局、いつかどこかで悲劇を経験すると予言することができる。

命を最優先し自然をよく理解することが先ずは自分の幸せを築く、

そして、できれば人の幸せを次に考えるべきかなと思う自分に気付く。

 

4. 諸行無常と言うけれど

諸行無常と言うけれど、

永遠に変わらないことはないのだろうか。

時代は変わる、とボブ•ディランが歌っているし、

世界は常に変化している、というのが文化人類学の常識。

でも、般若心経を信仰して無の世界を説いている友人は

いつも病気と闘っている。

社会も目まぐるしく変化するので、

適応するのが面倒になり、鬱病に苦しんでいる人たちもいる。

国会は、常に新しい法律を作り、私たちの生活を変化させている。

地震も豪雨も一瞬にして幸せを不幸にしてしまい、

その後には病気が待っている。

ある社会心理学は、常に変化することが永遠に変わらないことだ、

などと皮肉のような真理を述べている。

でも、僕は、こういう世界はもう嫌だ。

常に変化するのは真実だし、諸行無常も仕方ないけど、

永遠に変わらないことを何か信じたい。

もっと心が安心できるような何かが欲しい。

宗教は神を信じることで永遠を感じることなのだろうか。

宗教家の言葉を読むとそのようなことが書いてある。

でも、なんだか難しい。

だから、僕はもっと簡単なことを信じてみたい。

僕が人に対していつも親切なこと、

これを残り少ない人生で最後まで続けること。

これならば出来そうな気がする。

僕は、残りの人生を変わらずに親切でいようと思う。

諸行無常の世界に僕の永遠を実現させて毎日安心していたいと思う。