もし自分らしさというものを表現するとしたら,
自分の身長や体重といった数値よりも
自分のしたいことや好きなものをあげるのが近道だろうと思う。
しかし「好きな○○は何ですか」と訊かれるとき,
答えに窮することがある。
いたって簡単な,
これ以上ないくらいにシンプルな質問であるにも関わらず,
私はこの問いに満足のいく答えをしたことがない。
それはたぶん自分の好きなものではなくて,
相手の望む答えを考えてしまっているからだろう。
「人間の欲望とは他者の欲望である」
というラカンの謎めいたことばが示すように,
自分の求めるものに直接到達することは
自分が考えている以上に困難なのかもしれない。
ところでこのラカンの命題は簡潔かつ奇妙であるがゆえに,
いろんな人がこれだけを切り取っていろんなところで引用しているが,
なかなか含蓄のあるフレーズである。
ラカン自身はこの命題をさまざまな仕方で提示しているのだが、
それを考えていくとなかなか深い。
Le désir de l'homme trouve son sens dans le désir de l'autre.
人間の欲望は他者の欲望のなかにその意味をみいだす
Le désir du sujet c’est le désir de l’autre
que j’ai pris en moi pour y répondre.
主体の欲望とはそれに答えるために私のなかにいる他者の欲望である
最初の文だと
「自分の好きなものは他の人が好きなもののなかに見つかる」
というような意味になって,
「個人の好みは社会的に決定されている」
というつまらない構造主義的な結論になるが,
後の方では「他者」の正体が明らかにされた結果,
「自分の好きなものは自分のなかにいるだれかの好きなものだ」
という心理学的な結論になる。
ひどく脱線してしまったが,
ここに「好きな○○は何か」という質問をめぐる難しさがある
つまりこの質問に答える際に,
私たちは質問者の意図を読んで,
さらっと当たり障りない答えで済ますか,
相手の好みに合わせた答えをするかを考えるが,
それと同時に,
「○○が好きな自分」を想像しているのではないだろうか。
もしある人が「スノーボードが好きだ」と答えるとしたら,
そこにはスノーボードそのものよりも,
相手がスノーボード好きであるか,
スノーボードをしている自分が好きであるかということが
問題になっているのではないだろうか。
「何か」もしくは「だれか」を経由しなければ,
自分らしさというイマージュに到達できないこの思考の構造が,
人を迷わせてきたのだろう。
そして現代社会の加速度的な価値観の多様化が,
問題をいっそう困難にしているのだろう。
ひさびさのピアノ・コンサート。
今日はミシェル・ベロフ(@すみだトリフォニーホール)である。
プログラムは
①シューマンのアラベスク
②リストのロ短調ソナタ
③ドビュッシーの「映像」(遺作&第1集&第2集)
ベロフと言うと、
どうしてもメシアンとドビュッシーのイメージが強い。
今回もドビュッシーを期待していったのだが、
今回のハイライトはリストだろう。
あの長大な難曲をライブでやってのけるのだから、
それだけですごい。
しかもそれを1つの音楽にしなければならないのだ。
ベロフはもったいぶった素振りなど少しも見せず、
余裕すら感じさせる姿勢でピアノと対峙するのだが、
一度手を鍵盤におろした後の彼の集中力はすさまじい。
彼のクセだろうか、
ときどきスピードがコントロールできなくなり、
リズムが乱れているように感じる部分があったとはいえ、
あの音色の冴え、安定感のあるテクニックは健在である。
右手が奏でる輝くような高音と左手の衝撃音は期待どおり。
そして突然の静寂の後の囁くようなメロディーの美しさは
期待を越えてくれた。
初期のベロフは多彩な音色とリズム感が持ち味だったが、
これほど効果的に休符を利用できるようになったのは
故障後のことではなかろうか。
暴力的とさえ評された初期のあの尖った音色が
個人的には好きなのだが、
現在の方が表現力は断然幅広くなっていると思う。
ベロフさん、日本に来てくれてありがとうございました。
今日はミシェル・ベロフ(@すみだトリフォニーホール)である。
プログラムは
①シューマンのアラベスク
②リストのロ短調ソナタ
③ドビュッシーの「映像」(遺作&第1集&第2集)
ベロフと言うと、
どうしてもメシアンとドビュッシーのイメージが強い。
今回もドビュッシーを期待していったのだが、
今回のハイライトはリストだろう。
あの長大な難曲をライブでやってのけるのだから、
それだけですごい。
しかもそれを1つの音楽にしなければならないのだ。
ベロフはもったいぶった素振りなど少しも見せず、
余裕すら感じさせる姿勢でピアノと対峙するのだが、
一度手を鍵盤におろした後の彼の集中力はすさまじい。
彼のクセだろうか、
ときどきスピードがコントロールできなくなり、
リズムが乱れているように感じる部分があったとはいえ、
あの音色の冴え、安定感のあるテクニックは健在である。
右手が奏でる輝くような高音と左手の衝撃音は期待どおり。
そして突然の静寂の後の囁くようなメロディーの美しさは
期待を越えてくれた。
初期のベロフは多彩な音色とリズム感が持ち味だったが、
これほど効果的に休符を利用できるようになったのは
故障後のことではなかろうか。
暴力的とさえ評された初期のあの尖った音色が
個人的には好きなのだが、
現在の方が表現力は断然幅広くなっていると思う。
ベロフさん、日本に来てくれてありがとうございました。
キースのソロ・ピアノコンサート(@渋谷Bunkamura)に行ってきた。
雨にもかかわらず、オーチャードホールは満員だ。
外国の方も多い。
キースのコンサートは初めてだったので、
どんな服装で行ったらいいのかよく分からず、
黒のジャケットにジーンズという中途半端な格好で行ったが、
実際にはみんなそれほど服装は気にしていないようで、いろんな人がいた。
開演予定を10分くらい過ぎて、キースがステージに現れた。
黒のドレスシャツに、黒のボトムス。
腕を前に垂らしながらも、深くお辞儀をして、彼はピアノの前に座った。
Part I
第1曲
彼は立ち上がり、ピアノの弦を直接指で弾き、
変拍子の、プロコフィエフやバルトークを思わせるリズムを刻む。
この始まりには意表を突かれた。
このリズムを保ったまま、内部演奏と鍵盤演奏を交互に繰り返す。
内部奏法は実演で初めて見たのだが、かなりぎごちない動きではある。
第2曲
東洋風の音階による、印象派的な曲。
キースにしては珍しい雰囲気を持つ曲である。
第3曲
クラシックで言うと、後期ロマン派的な曲である。
第4曲
ここに来て、ようやくジャズらしくなってくる。
キースお得意のスケールである。
第5曲
第1曲の雰囲気が戻ってくるが、リズムはよりブルースに近い。
バスドラムのように足でリズムを刻みながら、
中腰の姿勢でピアノを鳴らしきる。
第6曲
ヴェーベルン的な序奏に始まり、独特のトリル連打が続く。
第7曲
前曲から一転、『Melody at night with you』を思わせる温かいバラード。
弾き終えたキースは、水を口に含むと、Part I の終わりを告げた。
Part II
第1曲
痙攣のようなトリルが続く、ペンタトニックを基調とする曲。
第2曲
ベルク風の、暗い情熱を秘めた曲。
第3曲
無窮動の序奏に続き、再びブルースのリズムが戻ってくる。
中腰の姿勢で、まるでサキソフォーンを吹くように、
スイングしながら、彼は楽しそうにピアノを弾く。
第4曲
埃を払うかのように、幾度か鍵盤を弾いた後、彼は演奏を止め、考える。
もう一度、もう少し長いフレーズを弾いた後で、
彼は"Bye Bye"と言い、この曲想に別れを告げ、暫く黙考する。
逃れていく曲想たちを捕まえんとするかのような時間の後、
彼は夢の世界へ入り込み、今日一番の美しいメロディーと一つになる。
第5曲
虹を描くかのような、美しい曲が続く。
第6曲
照れ隠しのように、再びスイングを始める。
第7曲
スタンダードナンバーのような、ゆるやかなブルースでPart II は終わる。
この時点で閉演予定時刻は近づいていたのだが、
熱烈な歓声に答えて、
彼はI'm Through With LoveやOver the Rainbowなど、
4曲もアンコールを聴かせてくれた。
演奏が終わったのは21:20である。
初期のように、徐々に変化を加えながら、
長時間連続して1つの部分を演奏するのではなく、
多彩な楽章を積み重ね、コンサートを構築していくのが、
近年のキースの方法のようである。
全体的な感想としては、非常に聴きやすい演奏であった。
個人的には、パリやスカラの冷厳な雰囲気が好きで、
Radianceで聴かせてくれたような新鮮な演奏を期待していたせいか、
若干物足りない感があったのは否めない。
恐らくこの日が新たな伝説となることはないだろう。
それでも、繊細でいてふくよかなあの美しい音色は健在だ。
速いパッセージでも、ゆっくりのリズムでも、ピアニシモでも、
しっかりと鍵盤を押さえて弾ききる技術は驚異である。
雨にもかかわらず、オーチャードホールは満員だ。
外国の方も多い。
キースのコンサートは初めてだったので、
どんな服装で行ったらいいのかよく分からず、
黒のジャケットにジーンズという中途半端な格好で行ったが、
実際にはみんなそれほど服装は気にしていないようで、いろんな人がいた。
開演予定を10分くらい過ぎて、キースがステージに現れた。
黒のドレスシャツに、黒のボトムス。
腕を前に垂らしながらも、深くお辞儀をして、彼はピアノの前に座った。
Part I
第1曲
彼は立ち上がり、ピアノの弦を直接指で弾き、
変拍子の、プロコフィエフやバルトークを思わせるリズムを刻む。
この始まりには意表を突かれた。
このリズムを保ったまま、内部演奏と鍵盤演奏を交互に繰り返す。
内部奏法は実演で初めて見たのだが、かなりぎごちない動きではある。
第2曲
東洋風の音階による、印象派的な曲。
キースにしては珍しい雰囲気を持つ曲である。
第3曲
クラシックで言うと、後期ロマン派的な曲である。
第4曲
ここに来て、ようやくジャズらしくなってくる。
キースお得意のスケールである。
第5曲
第1曲の雰囲気が戻ってくるが、リズムはよりブルースに近い。
バスドラムのように足でリズムを刻みながら、
中腰の姿勢でピアノを鳴らしきる。
第6曲
ヴェーベルン的な序奏に始まり、独特のトリル連打が続く。
第7曲
前曲から一転、『Melody at night with you』を思わせる温かいバラード。
弾き終えたキースは、水を口に含むと、Part I の終わりを告げた。
Part II
第1曲
痙攣のようなトリルが続く、ペンタトニックを基調とする曲。
第2曲
ベルク風の、暗い情熱を秘めた曲。
第3曲
無窮動の序奏に続き、再びブルースのリズムが戻ってくる。
中腰の姿勢で、まるでサキソフォーンを吹くように、
スイングしながら、彼は楽しそうにピアノを弾く。
第4曲
埃を払うかのように、幾度か鍵盤を弾いた後、彼は演奏を止め、考える。
もう一度、もう少し長いフレーズを弾いた後で、
彼は"Bye Bye"と言い、この曲想に別れを告げ、暫く黙考する。
逃れていく曲想たちを捕まえんとするかのような時間の後、
彼は夢の世界へ入り込み、今日一番の美しいメロディーと一つになる。
第5曲
虹を描くかのような、美しい曲が続く。
第6曲
照れ隠しのように、再びスイングを始める。
第7曲
スタンダードナンバーのような、ゆるやかなブルースでPart II は終わる。
この時点で閉演予定時刻は近づいていたのだが、
熱烈な歓声に答えて、
彼はI'm Through With LoveやOver the Rainbowなど、
4曲もアンコールを聴かせてくれた。
演奏が終わったのは21:20である。
初期のように、徐々に変化を加えながら、
長時間連続して1つの部分を演奏するのではなく、
多彩な楽章を積み重ね、コンサートを構築していくのが、
近年のキースの方法のようである。
全体的な感想としては、非常に聴きやすい演奏であった。
個人的には、パリやスカラの冷厳な雰囲気が好きで、
Radianceで聴かせてくれたような新鮮な演奏を期待していたせいか、
若干物足りない感があったのは否めない。
恐らくこの日が新たな伝説となることはないだろう。
それでも、繊細でいてふくよかなあの美しい音色は健在だ。
速いパッセージでも、ゆっくりのリズムでも、ピアニシモでも、
しっかりと鍵盤を押さえて弾ききる技術は驚異である。