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ひでのブログ

おもいうかんだことをいろいろかきます

16日の特別番組でハーバードのマイケル・サンデル教授が、

日本の災害に寄せられている世界中の国々の関心と

惜しみない援助を目の当たりにし、

「グローバルな共感は実現しつつある」

という希望的なメッセージを発信した


彼はそう述べる前に

日本で起きた災害に

ヨーロッパを襲った災害と同じだけの衝撃を受けるわけではない


という18世紀の思想家ルソーのことばを引き合いに出している

ルソーより少し前のデイヴィッド・ヒュームも

人間の寛容さには範囲の限界があることについて語っているし、

モンテスキューも善を距離的な問題と関連させて考えていた



確かに、私たちの世界は変わった

この世界は18世紀の世界とは違う

私たちは地球上の大きな出来事に関して

リアルタイムの情報を得ることができる世界に生きている

そして各人が望むなら

そうした出来事に直接関わり合うこともできるようになった

その意味では

「グローバルな共感が可能な世界は実現しつつある」


とは言えるだろう


でも私たち自身はどうだろうか

私たちは変われたのだろうか

私は倫理的に立派な人間でありたいといつも願っている

その点は、現代の多くの人と同じだ

(もちろん18世紀の人とも何ら変わりはない)

それでもさきに引用したルソーのことばが

もはや通用しなくなる日が来るとは思えないのだ

すくなくとも、

ハリケーン・カトリーナ、

ハイチやニュージーランドの地震の際には、

義務感、あるいはある種のファッションとして

自分も多少の寄附はしたとはいえ、

いたって冷静でいられた


しかし日本で起きている今回の震災ではそうはいかなかった

どこに違いがあるのかはよく分からない

規模が違うからなのか、親戚が秋田と岩手にいるからなのか、

それとも自分が実際に影響を受けたこと、

あるいはもしかして

自分も被災していたかもしれないという違いだろうか


とにかく共感のレベルが全く違う

寄附に込める思いも全く違う

この感情を他国の災害に向ける感情と

同じ種類のものとして考えることは難しい

共同体意識というのは、

やはり自分が直接的に属している共同体

およびそれに隣接する共同体にのみ、

向けられるものではないだろうか


新しいメディアは地理的制約を超えて、

人間同士が新たな共同体を構築することを可能にした

そして遠い国の人のことを直接知ることができるようになった

共同体の可能的範囲は確かに拡大している


でもだからといって、

地球上の全ての人、見ず知らずの人に対して、

一様の共感を抱くことができるようになるわけではないだろう

共同体の拡大は

あくまで自分が直接やりとりをした範囲にとどまるほかない

私たちが見ず知らずの人の不幸に対して感じるものは、

「共感」に似たものであるにせよ、

「共感」ではない

現実の共同体を経由して、

想像力が構築する間接的な共同体意識に過ぎないのではないか


それでも、

私たちは人間の善き意志が、

そして人間の共感が

無限であることを願うしかないのだ

日本への支援が単なる国家的義務や一時的な流行にとどまらず、

これから起こりうる世界中のあらゆる災禍への「グローバルな」支援の

嚆矢とならんことを。
碧の画家。


その作品全体を支配しているのは圧倒的な寂寥感であるが、

柔らかな輪郭がほんのりと暖かみを添え、

碧を基調とした透明感のある色彩は作品に湿り気を与えている。

それは恰もひんやりとした鬱蒼とした朝の森に、

大地の苔が爽やかな香気を伴う水蒸気を立ち上らせるが如くである。

hideのブログ-緑響く

疑い得ぬ独創性を持ちながらも、

その作品に先鋭的という形容詞を付すことはできない。

そこには絶対的な新しさと普遍的な懐かしさが共存している。

hideのブログ-道

偉大な芸術家が凡そ経験するであろう困難と苦悩を経験しながらも、

西洋の多くの画家のように彼は決して激することがなかった。

少なくとも彼の筆は一時の感情に支配されることはなかった。


彼は新しいことを成そうとする者が受ける不遇と

新しいことを成し遂げた者が浴する栄光とをともに味わった。

しかしそこには苛立ちのようなものも奢りのようなものもなければ、

そうかといって、悟りの抹香臭さもない。

彼は自己をことさらに主張することなく、

つつましく自分の棲む世界を描いた。

彼は何も表現することなくして、

己の作品にすべてを語らせることに成功した希有な芸術家であった。

彼の作品には息が詰まるような切迫感や生々しい実在性はない。

代わりに爽やかな空気が、

その作品の前に立つ者に五感を通じて入ってくる。

彼の作品は私たちが住む世界とは全く違う世界を開きながらも、

いやむしろ非実在的であるがゆえに、

別の実在性を私たちに与えてくれる。

まるで時間が止まったかのような静けさが

私たちに永遠の記憶を想起させる。

hideのブログ-曙
日常の世界。

そこは法廷ではない

それは試験ではない

それは劇場ではない


そこは正義や真理の場ではないし、

感情を表現するための場でもない。

必要なのは「善い」こと、ただそれだけなのではないか。


なるほど法廷なのかもしれない。

たとえそうだとしても、

君は外から裁定を下す裁判官ではないし、

君には弱き者を守る資格、まして誰かを糾弾する資格はない。

君こそが被告なのだ。

誰にも勝って、まず最初に被告であること、

これこそが正義の条件なのではないか。


なるほど試験なのかもしれない。

しかし君はその試験に合格することはないだろう。

君は問題すら知らないのだから。

たまたま問題に正解することがあったにせよ、

そこに何の意味があるだろう。問題のない正解には。

答えることのできない問い、これこそが真理の条件なのではないか。


なるほど劇場なのかもしれない。

しかし君はその演劇の主役でも監督でもない。

君が何を表現するにせよ、

それは「表現」するということの「表現」でしかない。

世界は即ち「表現」の「表現」によって編まれているに違いない。