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ひでのブログ

おもいうかんだことをいろいろかきます

ラヴェルのオペラ「こどもと魔法」を聴きにNHKホールへ。
演奏はもちろんNHK交響楽団だが,指揮者はあのシャルル・デュトワだ。

オペラは敷居が高くて,これまで聴いたことはなかったが,
N響だし,「こどもと魔法」だったら大丈夫だろうということで,
初オペラである。
ストラヴィンスキーの「夜鳴きうぐいす」との組み合わせ。

さすがデュトワという繊細な音色は期待どおり,
歌手陣もとてもすばらしい。
「夜鳴きうぐいす」のアンナ・クリスティは,
むずかしい装飾音形を美しく歌い上げ,
「皇帝」「大時計」「雄猫」のデーヴィド・ウィルソン・ジョンソンは,
ベテランの貫禄十分のユーモラスな歌唱で,
「こども」のエレーヌ・エブラールは,
のびのびといたずらっぽく,みごとにこどもを演じきっていた。

「こどもと魔法」は,本当に面白いオペラだ。
観客席からは何度笑い声が漏れたことか。
おもちゃが大好きな童心のラヴェルと
精密な管弦楽法を駆使する「スイスの時計職人」ラヴェル。
ラヴェルのもつ両面が存分に味わえる傑作だ。
村上春樹の世界はいわば観念論的世界である
バークリー的な意味でのそれである

彼の世界の主人公たちはみな宿命を生きている
宿命とは偶然の形をとる必然のことであり,
言い換えるなら必然でしかない偶然のことだ
そこでは偶然と必然は対立しているものではなく,
互いの代補なのだ
宿命に従うことこそが勇気であり,
宿命に逆らうことが肯定されうるのは,
それがより大きな宿命に従うためのものである時だけだ
宿命は時間をも空間をも越えることができる

彼の世界の宿命のなかで人々が出会うとき,
そのほとんどは殺人かセックスの形をとる
しかしそこには憎しみや淫らさはない
そこにはただ宿命への意志,宿命への欲望があるだけだ
まるで人は相手を殺すことでしか相手を承認できず,
相手を愛撫することでしか情報を伝えることができないかのように
彼は殺人やセックスを何か神秘的なもの,象徴的なものとして描いているわけではない
むしろそれはごくありふれた日常でしかない
これらは人間存在の根源的関係性なのだ
そして意味を十全に担いうるのはその行為だけなのだ
ことばは意味を担うには簡潔過ぎるか過剰すぎる
だから彼は宿命の意味を伝えるための手段として
相手に死を与える,あるいは生を孕ませる行為を選ばせるのだ


一神教において,
神の存在を特権的な位置に置いているのは,
「人からは見られることなくして人を見る」という機能である

視覚を重視する多神教と
聴覚を重視する一神教の違いはここにあり,
神が人を支配するには,
その機能だけで十分なのだ