よく「動物は死んでしまうから飼いたくない」そう言う方います。
または「死ぬところを見たくない」と言う理由でシニアや疾患のある動物を保健所に持ち込む方います。
動物と暮らす事を決めたなら
幸せと旅立ちはセットです。
旅立ちさえも動物は「幸せ」な時間を与えてくれます。
デイジーを失った私は「幸せ」な気持ちにまではまだなれません。
でもデイジーが旅立ちを持って「愛」を伝えてくれたのはよくわかります。
デイジーとの最期の瞬間は思い出しても「魂」が揺さぶられるほど荘厳な時間でした。
母の時と同じでした。
「こうやって命は終わるんだ」
自然に…
苦しみの中ではなく…
静かに…
母は母の意思を尊重し、まさに「枯れるような自然死」だったと思います。
デイジーには「枯れるように」まではいきませんでした。
その覚悟は私にはありませんでした。
母の時との違いはそこです。
「おかあさん、話が違うじゃない。」とデイジーに言われても一縷の望みを託すように「これだけ、これだけはやらせて」と悪あがきをしました。
デイジーが「もう〜!わかってないなぁ。これだけだよ」と許してくれる事だけをやりました。
母の潔さが私にはありません。
動物の事となるとだめですね。
それでもデイジー主導でデイジーのタイミングで最高の旅立ちになったと思います。
ミントの旅立ちも優しかったと思いますが、デイジーは私の事を全てわかった上でのラスト1ヶ月と旅立ちでした。
あの可愛いデイジーの姿はありません。
それはものすごく悲しくて寂しくて辛いです。
でも動物の最期に立ち会える事は飼い主にとっての喜びでもあると思います。
必ずのセットですから。
動物の旅立ちは一つのゴールです。
でもゴールはスタートでもあります。
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旅立った瞬間から新しい次元の扉が開きます。
旅立ってもあの子達は「生きて」います。
魂と言うもう年を重ねる事もない、苦しみや痛みもない軽い軽い世界にいます。
そしていつでも繋がる事ができます。
デイジーは毎日「おかあさん!」と金属音が入ったようなデイジーの声で話しかけてくれます。
デイジーが旅立ってから講座、セッション全てお休みさせて頂いているので身体と心を休めています。
デイジーが「休んで」と生涯言い続けた事をいまさらながら実践しています。
ゆっくり休めたのでデイジーの魂と馴染む時間ができました。
デイジーと私とで「風」となっていきます。
動物の旅立ちは痛恨の極みです。
でも旅立ったからこそ受け取れる愛があります。
なぜ動物の命は短いのか…
私達にそれを教えるためだと思います。
「終生飼育は飼い主の義務です」
などとキャッチフレーズがありますが、そんな軽いものではありません。
私が太尾さんから教わって最も響いた言葉で私のアニマルコミュニケーションの一番大事な肝だと思っているのは
動物が旅立ち飼い主が何に気づきどのような変化を起こすのか。それができた時に彼らの魂は最高の喜びとなります。
動物達は偉大です。
いま現在、私と同じように大切な愛する動物を失い悲しみに暮れている方はたくさんいるでしょう。
でも彼らを見送れた自分自身をまず褒めてあげてください。
よく頑張った。よく耐えたと自分自身を褒めてあげてください。
そしてその生涯を通して無条件の愛と信頼を与えて続けてくれた動物に「ありがとう」と伝えてください。
陽だまりのしっぽ