資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる【白鳥光良の Work Life Fusion】 -4ページ目

資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる【白鳥光良の Work Life Fusion】

100キロマラソン、フラメンコの唄と踊りとギター、創作落語、将棋、ファイナンシャルプランなど、様々な世界を融合(fusion)させる【白鳥光良】が「資産管理の不安を減らして、創造的な100年を生きる」を研究&実践中

俺は走り続けている。


平川門の近くに散在するベンチの片隅に給水用のペットボトルを置いて走り始めたのは朝8時。皇居の周回は2周目に入った。竹橋から右手に国立近代美術館を見ながら橋上を登っていく坂は油断ならないが、身体の軸を少し前に傾けながら腕を縦に振れば脚は勝手に着いてくるから大丈夫だ。この酷暑で早朝や夜以外の時間帯に走る人は少ないようだけど、この「聖地」には初マラソンで4時間切りを目指している俺なんかよりも速いランナー達が無限にいて俺を颯爽と追い抜いていくのだ。速い奴らは軽やかで良いフォームをしていて吸収できる何かがあるので、抜かれた直後は10メートル後ろに着いて観察しながらしばらく追いかけるようにしているが無理はしない。よし、この先が千鳥ヶ淵だ・・・と気合を入れて走ろうとした瞬間、白とグリーンがうねり合う幾何学模様のウェアを着た女性ランナーに100メートル走のような凄いスピードで抜き去られた。その姿は美しいのだが、どこか生き急いでるような印象を受けた。



私は走り続けている。


そんなに長く走って苦しくないのとか辛くないのとか良く聞かれるし、アホな女友達は「ずっと走ってるってヒマじゃないの?」と真顔で聞いてくるけど、少なくとも仕事や恋愛よりは全然辛くない。私がマラソンを愛してるのは努力の8割がタイムに繋がる「裏切られない感」があったからだ。仕事はせいぜい努力の3割、恋愛なんて努力の1割しか結果に比例しない気がするけど、マラソンは驚くほどストレートに努力が報われる美しい世界だから身体が苦しくても心は辛くならないのよね。月300キロ走る習慣が付いてからフルの記録がサブ3.5まで伸びて女性の中では上位1%に入った40歳あたりから年齢に反して明らかにセルフイメージが上がったし。おっと、上半身がいい感じにガッシリしたタンクトップ姿の若い男が前を走ってる。ここは少しずつ近づいて、いったん後ろに着いてから頃合いを見て抜き去るとしよう。うん、上腕二頭筋もいい感じに浮き出ているじゃない。もう少し眺めてたい気もするけどここでギアチェンジして抜き去っちゃおう・・・よっしゃ一気に引き離したぜ。そしてここからはスピードの出る下り坂。この緑に溢れた壮大なお濠を眺めながら駆け下りるのが皇居ランの醍醐味よね。



僕は走り続けている。


いったい僕は何のために走り続けているのか自分でも分からなくなってきたのは、サブ3が狙える走力が付いて来たあたりからの気がする。ほどほどに走り始めた頃は明らかに健康に良かったり仕事の気分転換になったりした。でもコロナ期間中に時間を持て余して入ったランニングクラブの練習メニューをこなしていたらフルの自己ベストを何度も更新して昨年は3時間12分まで出してから・・・伸びなくなった。サブ3を達成してる人を見ると健康に悪そうなレベルまで追い込む練習をしてるし、仕事の時間を過度に削ってレースやトレーニングに時間を注いでいるようにしか見えない。まもなく30代半ばを過ぎる僕にとっては仕事も大切だし、結婚とかも考えた方がいいかなと迷い始めた・・・そんな答えが出ない問いをぐるぐる考えても景色は流れ続けて深刻にならないのがランニングのいいところだな。いよいよ僕が皇居の周回コースで最も好きな長い下り坂に入った。このお濠の下に見える桜田門までは走るというよりもスーッと落ちていくんだ。フリーフォール。ここはキロ3分台のスピードが簡単に出るから走るモチベーションが爆上がりだ。両腕を斜め前の下方向に突き出しながら加速していくと、少しバテ気味の腕の筋肉が立派な男性が走っていたのでサッと抜き去った。さらにその先100メートル前には、白いリボンのようなものでまとめた髪をキャップの後ろから出してグリーン系のウェアを着た年齢不詳の綺麗な女性が爆走しているがキロ4分は切ってないだろう。僕は下り坂の重力に身体をまかせて転がるイメージで落ちていく。僕の脚は走ってるのではなく転ばないようにバランスを取りながら跳ぶような着地を続けている。そして爆走している女性の横を抜き去ろうとした瞬間、数秒間の並走状態が続いたが、やがてふっと力が抜けたように完全に抜き去った。僕の身体は風を追い抜いた風の中の風になった気がした。





私たちは走り続けている。


東京の中心にあるのに信号が1つもなくて、四季折々の自然が溢れる、世界中で最も安全な約5キロの周回コースの上を。




このところ最高気温が35度以上の日が何日も続いたりした果てに「こんな猛暑が続くんじゃもうしょーがない」などとマイナス35度以下の寒い駄洒落が口から漏れてくるほど脳みそがトロけそうな暑さが続いてますがいかがお過ごしでしょうかくれぐれもお身体ご自愛ください。


と、あまりの蒸し暑さにダラダラ書いてるうちに記事が終わってしまいそうになったので、つい先日「海の日」に読んだ本の画像でもひとつ貼り付けておきましょうか。



老人と少年とカジキとサメと海
くらいしか出てこないのに
めっちゃエキサイティングな
海の日に読むのにふさわしい
ノーベル文学賞受賞作だったなあ。


この小説を17文字程度に凝縮して

雑に要約すると、


獲ったどー!

からのジョーズww

そして帰還


という感じやろか。よゐこ濱口のセリフも半世紀前のスピルバーグ映画もよく知らんけど、老人と海を読了した人にはこれで伝わるはずや。


物凄く苦労して得たものを全て失ったあとに残る価値と幸福感みたいな読後感があったね。





さて、17文字といえば俳句。

心が躍る夏の季語はこれ。


万緑(ばんりょく)


季語ってのは俳句における超パワーワード。

その中でも、この季節の「万緑」は上位1%以内の強い生命力に溢れたパワーワードだと思う。



万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男


1939年にこの句が詠まれた後、俳句界に「万緑ブーム」が到来して、万緑は夏の定番季語として定着したらしい。



俳句は17文字のスナップ写真。

心が動いた光景をパシャリと撮るように、

心が動いた瞬間を575で描写する

ことはけっこう楽しいのだ。


とりあえず量稽古。

万緑を使って10句詠んでみた。




万緑を駆け抜けるとき時止まる



万緑にスマホ向ければ生命あり


万緑を二本の指で拡げ観る



万緑の中に黄色きエムの文字


万緑や心の闇も鎮まりぬ


万緑を眼に入れ瞑る露天風呂



万緑に沁み入るプシュリ銀の缶


万緑の匂いを吸って息止める


万緑に「売地」看板うずもれぬ



万緑や地球四十六億歳





さて、あなたの中にある

「万緑」という言葉の世界は

深まったり拡がったりしただろうか?



えっ、

7番目の句に出てきた

「銀の缶」は何のことやって?



万緑に沁み入るプシュリ銀の缶



あー、これね。


そりゃもちろん、

36年目の



アーサァヒィ、

スゥーパァー

ドゥラァァァァァァァイ!



この季節、

万緑の中で

よく冷えたそれを

プシュッと響かせてから

ゴクゴク飲んだら最高やな!


今週末は東京都知事選。


この半世紀くらいで

アジアアメリカヨーロッパオセアニアの

20都市以上には滞在したけど


どこの街と比べても

現在の東京ってかなり安全で便利で

物価も安くて最高に暮らしやすいから、

現状維持してくれれば俺は文句ないよ

って個人的に思ってた。


でも、今回の候補者の

公開討論会などの動画を見たら

「東京がさらに良く変わる可能性」

に期待したいと感じ始めたね!



日本においては

投票は義務ではなくて権利だから、

あんなのメンドーだから行かねえ

ってのもOKだけど、

今回の都知事選に関しては

参加する価値があると思えてきたんだ。


ここで特定の候補を

グイッと推したりはしないけど、


様々な候補者が話す言葉がありのまま

伝わってくる動画を何人分か見てから


自分の心と向き合ってみて


・心に響く瞬間が全くなければ棄権

・心に響く人がいたら投票する


の判断をするくらいの僅かな時間は

投じる価値があるタイミングだと思った。



私がどんな言動を選んでも未来は変わらない

俺が何を選ぼうと未来は変わらない


・・と君は思ってるかもしれないけど、


君が選ぶアクションは

誰かに少なからず影響を与えて

いつまでも終わらない波のように

未来を変える力があるのだ。



これを読んだ

あなたの心に0.1%くらい

前向きなエネルギーが広がって

その波があなたの周りの人に

ずっと拡がり続けますように。



そう、

君の渾身の一撃には

未来を変える力があるのだ。



「ファイナンシャル・プランナーという言葉が嫌いだ」と男が静かに言い放ったのは、東京駅の近くにある小さな博物館の中だった。



これまで四半世紀近くにわたり20代から80代まで様々なライフステージにある個人の資産管理をサポートし続けてきた男の独白には、真実の響きがあった。


それにしても、男はファイナンシャルプランナーという名称が入った授業を延べ1000人以上の大学生に提供したり、累計40万冊以上も売れたFP資格攻略本を書いたりもしてきたにも関わらず、なぜその横文字が気に入らないと真顔で言っているのか。私は理解に苦しんだ。


確かに、男が26歳のときに外資系コンサルティング会社を辞めて設立した会社の名称には「ファイナンシャル」「プランナー」「FP」いずれの言葉も含まれていなかった。また、男が初対面の相手に「私はファイナンシャル・プランナーです」と名乗ったことは一度もなかったようだが、過去に100キロマラソンを何度も完走した経験のあるその男が「私はファイナンシャルプ・ランナーです」と名乗って沈黙が流れたことは何度かあるようだ。


私は勇気を持って謎に斬り込むことにした。


「ところで、ファイナンシャル・プランナーという肩書のどこが気にくわないのかい?」


男は「あんな中途半端な肩書きを名乗る思考停止した人間の気が知れないよ」とボヤいてから「ファイナンシャルプランナーを直訳すると『お金のプランを作る人』って意味になる。俺はただ単にお金のプランを作るだけの無意味な人間にはなりたくねえんだ」と反抗的な態度で語り始めたので、私はまあまあ落ち着いてと言いながらもっと掘り下げた話を聞いていくことにした。


「ファイナンシャル・プランをお客さんのために作るのは決して無意味じゃなくて、それなりに価値のあることだと思うんだけど?」


「まあ、それなりにはね。どんな相談を受けるときでも相談者の今後の収支や資産の推移を漠然とでもイメージすることは絶対に必要だし、具体的な数字を入れたキャッシュフロー表を作ることは一定の価値があることには同意する。でもそれはあくまでもスタート地点に過ぎないよ」


「そっか。ファイナンシャルプランの作成はスタート地点ね。医師が患者の診断を行った直後の状態みたいなものか」


「そう、それ! 正確な診断を行うことの価値は否定しないけど、病気を治してさらに健康を維持・向上することのほうが100倍は価値があると俺は思う」


「なるほどね。やっと君の言いたいことが分かってきた気がする」


「プランを作ったら『あとは自己責任でどうぞ』みてえな半端な仕事は俺はしたくないんだ。将来のお金のプランを作ったら、それを実現する資産管理の具体的なアクションを提案して実行するところまで伴走しないと、お客さんの人生に素晴らしいインパクトを生じさせることはできないと思ってるんだ」


「人生に素晴らしいインパクトを生じさせるって、例えばお金に換算するとどれくらい?」


「少なくとも500万円から1000万円以上かな。きちんとリスクを取って長期運用した資産がそれくらい増えてくると、老後の不安が減ったり薄まったりして人生の質が上がったと感じ始める人が多い気がするね」


「そういう役割を担う人の肩書は、ファイナンシャル・プランナーじゃないとしたら、一体なんと呼んだらいいのかな?」


「横文字にするなら、正解は『パーソナル・アセット・マネージャー』じゃないかな」


男は前々から言いたかったことを1つ語り切って心が空っぽになったような爽快な表情をしていた。ついこないだ50代の大台に乗ったばかりと思っていたら来月には51歳になっちまうんだよ時の流れは速いもんだねえ人生残り半分は20代に戻った気分で楽しまなくっちゃね、と男はまだアルコールも入っていないのに饒舌に語り続けながら小さな博物館を後にした。









子曰く、

吾れ十有五にして学に志す。

三十にして立つ。

四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。⇦イマココ

六十にして耳従う。

七十にして心の欲するところに

従えども、矩を越えず。



ついこないだ

50代に突入したばかりと思ったら、

再来月の初めには1年が経っちまうぜ。


五十にして天命を知る。


孔子センセーの論語に収録された

カッコいいフレーズみたいに

俺は天命を知ったんだなどと

ドヤ顔する気はないけれど、


その時々で

目の前に現れた道を

あるときはハァハァ言いながら

あるときは余裕のある表情で

走ったり歩いたりしながら

進んできた人生を振り返ってみれば

天命らしきものは存在する気がした。



例えば、これまでの本業で

多くのお客さんを見てきた中では、


平均の何倍もの資産があっても

恐怖や貪欲を増幅するニュースや

細かい損得に心が乱され続けて

資産管理の不安が尽きない人もいれば、


今は資産が多くなくても

目先の変動に囚われず

表層的な情報に一喜一憂せず

長期的な大局が見えていて

資産管理の不安が殆どない人もいた。



天命ってほどじゃないけれど、

四半世紀近く深掘りし続けてきた

人生と資産管理の交差点の

ど真ん中に広がっている領域では

現実的に役立つ存在でありたいのだ。


特にこうしたいと願っている人に。


資産管理の不安を減らして、

創造的な100年を生きる。



それにしても、

あと50年も人生が続くと思うと

天命だとか運命だとか

頭でゴチャゴチャ考えすぎずに

心の欲するところに従って

ときには矩を越えちゃうくらいの

好奇心やエネルギーは

決して絶やさないようにしたいね!