ブログをご覧になって頂ける皆様へ



     まずは、改めまして、今まで温かいコメント、メッセージを


     頂きまして、有難うございました<m(__)m>



     この自分日記は、自分が覚えてる限りの実話に基づいた


     物語です。



     もし、一人でもこのブログを見て頂き、何か伝える事が出来たら、


     幸いです。



     今後とも、素人の文章ですが、よろしくお願いします


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     私達は、名古屋に住むことになった。



     私は、訳あって幼稚園に行けなかった。


     弟が小さく、母親が勤めに出た為、私が御守りをすることになった。




     父親は、、、、、、、



     そうだ、今日は父の事に触れる事にする。


     父は、大学を卒業し、公務員となったが、夢を追いかけ、公務員を辞め、


     建設業で独立を果たした。



     父は、器用な性格で、1級建築士の免許もすんなり取るほどの人であった。



     性格は、馬鹿がつくほど、人の事を信じるタイプ。



     そんな彼だから、騙されたのだろう、、、、、



     子供たちと遊ぶより仕事が大好き、人と話したり、


     接していることが大好きのタイプで、八方美人的なところがあった。




     小さい頃の父との思い出は、近くの公園でキャッチボールしたことだ。




     簡単に紹介すると、こんな男が父である。




     そんな父と母、私、弟の4人は、名古屋で暮らし始めた、、、、





     物語は、まだまだ続くが、その前に、、、、、



     おとうさん、ありがとう。



     このあと、語る物語の前に感謝したい、、、、



     おとうさん、ありがとう。




-------今日の言葉---------------------


     親に感謝する

     その気持ちが無ければ、本当の親にはなれない
         

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     軽トラは、名古屋に着き、名古屋城に向かう、、、、、


     はずったが、父の学生時代の友人に会ったことから、


     急きょ名古屋に少しの間住むことになった。


     父の友人は、東京の大学を出て、名古屋に転勤し、


     そして、独立して会社を起こしており、父に協力してくれる、


     ということなので父は有り難く友人の助けを得る事にした。



     さて、今日は母親の両親について少しまた触れよう。


     両親は、税務署所長を歴任した祖父、貴族の出の祖母。


     実は、私たち家族はこの二人に「 夜逃げ 」の事は話さずに

     出て行ってしまったのだ、、、、、、



     祖父母は、数日経ち、私達と連絡が取れなくなったため、

     父の事務所や、父の祖父母に連絡したが、「夜逃げ」の為、

     誰もその行方を知らなかった、、、、、



     当時は、携帯電話などなく、私達の行方は、

     本当に誰も知らなかったのだ。


     母の祖父母の、「夜逃げ」の事実を知った時の悲しみは

     いかほどだっただろうか?


     とても深い悲しみだっただろう。



     その悲しみを乗り越える為、祖父母はある行為に出た、、、、


     私達が夜逃げした後、家族の消息を探し、住民票を辿った、、、



     その場所は、、、、、、愛知県岡崎市



     そう10話で話した、父が一瞬寄って住民票だけ残した岡崎市。


     父は、借金取りから、夜逃げを成功させる為、住民票を岡崎にしたのだ。


     その行為が、祖父母を苦しませる、、、、



     祖父母は、住民票の住所に向かった。


     だが、そこには私達はいない。


     祖父母は、絶望する。


     しかし、祖父母は諦めきれない。


     この話は、私が30歳を超えた時、父母から聞いた話。


     あきらめきれない祖父母は、なんと岡崎に1週間宿をとった。


     祖父母はその後1週間、岡崎市の全ての幼稚園を訪問する、、、、、


     毎日毎日、娘家族を探す、、、、、



     「死んではいないだろうか?

      生きている証だけでも欲しい、、、」



     娘家族を探す祖父母の気持ちを考えただけで、私の心が泣く。


     祖父母は、娘家族を見つけられないまま、千葉に帰った。


     帰りの汽車で、二人が何を想ったか?

     何を話したか?

     どれくらい哀しんだか?



     その後4年、祖父母は私達の消息を得る事が出来なかった、、、、



     私はこの事実を30歳になるまで知らなかった。

     私の知らないところで、とても大切な人が、とても苦しんでいた。



     ばあちゃん、じいちゃん、ごめんね。


     今の私には、それしか言えない。

    
     ばあちゃん、じいいちゃん、ありがとう。


     今の私には、それしか言えない。



     私の祖父母は、私が尊敬する最高のばあちゃん、じいちゃん。

     この二人がいたから今の私がいる。



     それから名古屋での家族の運命は、
  
     周りの全ての人を巻き込みながら悲劇を生み出していく。



-------今日の言葉---------------------

     知らないところで、自分の事を想ってくれる人がいる

     知らないところで、自分の事で苦しんでいる人がいる

     生きられる、とは、知らないところで、

     自分を愛する人達に支えられていることだ
         
     目に見える優しさ、目に見えない優しさを感じる人間になりたい

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昭和時代の自分日記





    軽トラは、静岡県は富士山を横目に国道1号線を走っている。


    突然、夜逃げしたので、特に行先も決めていなかった父。


    軽トラで両親にこんな会話があった。


    「お父さん、どこに行くの?」


    「とりあえず大阪に行こう。


    あそこなら再出発できるかもしれない。

  
    でもその前に、名古屋城に行ってみたいから、名古屋によりたいな」


    「そうだねお父さん、名古屋に寄ろうか」

   
    そろそろ夜明けが近づいた、、、、、


    しかし、軽トラは名古屋ではなく、その手前岡崎で休憩することになる、、、




    名古屋に行くはずが、なぜ岡崎?


    そう母親が不思議に思っていたが、、、、、


    その謎は、すぐに解けた。



    父は、岡崎に着き、岡崎市役所に向かう。


    そして、住民課に向かい、住民票の移転を届け出た。


    その後すぐに、軽トラは名古屋に向かった、、、、、



    この訳の分からない出来事、これが後々私達を救ったり、

    また苦しめたりするのであった。



    軽トラは、名古屋に着いた。


    「名古屋城を見たい」


    この思いが、この後私達の人生を大きく変えていく。

    


-------今日の言葉---------------------

        人生は、何が起こるかわからない

        予定は、あくまで予定。

        予定通りいかない事があるから人生なんだろう。


        予定通りにはいかないからこそ、


        苦しみがあり


        感動がある。
         

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  私達家族4人を乗せた軽トラは、箱根を超え、


  静岡県に入った。


  ある意味、箱根の山道を無事に超える事が


  出来たからこそ、今の自分がある。



  私の人生のターニングポイントの一番目である。



  それでは今日は、生きる、という事を決意した母親について少しふれる。



  私の母親は、若い頃公務員であった父と知り合うまでは

  典型的なお嬢様であった。


  母の父は、東京都の税務署長を歴任して、無くなった時は

  勲章が与えられたほどだ。



  母の母は、貴族の出。私の親愛なるおばあちゃんの一人だ。

  その両親の娘であるから、家柄もよかった。



  しかし、家柄とは逆に性格はお転婆で、小さい頃は男勝りの

  女の子だった、とおばあちゃんはいつも言う。


  「 男に生まれればよかったのに 」 

  と、おばあちゃんはいつも言う。



  そんな母親は、父が公務員を辞め、夢を追いかける姿に

  惚れて、結婚してしまった。



  「 夜逃げ 」までは順調であったが、

  その後は、小説よりも漫画よりも波乱万丈の生活が待っていた。



  母親の口癖は、私が小さい頃から何かあると、、、


  「 大丈夫。 その程度で死なないから 」




  今思えば、一度生か?死か?という選択をしたからこそ言える

  言葉だったんだろう。



  確かに、人間は簡単には死なない。

  しかし、簡単に死ぬこともある。



  非常に強く、非常に儚い。

  これが人間なのだろう。



  だからこそ、自分の手で死んではいけない。

  死を選んではいけない。



  昔、私の後輩が相談してきた。

  「死ぬほどつらいから、死にたいです。

  何をしても、つらくて悲しい」 と



  当時、開業したばかりの私は彼に言った。


  「わかった。

  では、その命を私にちょうだい。

  死ぬ勇気があるなら、私の下で死ぬほど働いて。

  ご飯は食べさせてあげるから、働いて。」



  後輩が呆気にとられて言った


  「嫌です。」


  「でも、死ぬなら誰かの為に生きて死んだら?

  その方が、かっこよく死ねるよ」

  って笑い飛ばした。
 


  その後、彼は私の会社に就職し、今は独立して

  もうすぐ結婚する。



  そんな私の2年前、生きているのが辛い時期があった。


  毎日起きれば、死にたい、と思っていた。



  そして、追いつめられた私は生まれて初めて母に泣きついた。


  「俺、死にたい、ごめんね。

  今まで頑張ったけど、もう無理だ」



  母が電話の向こうで言った。


  「大丈夫。

  あなたは私の子供だから死なない。

  大丈夫。」


  母親は、それ以上言わなかった。




  私は、今でもこうして生きている。


  しかし、自分だけでは生きられなかった。


  このブログを書くことで、色んな方に改めて感謝できる。




  自分は、皆に生かされています。



  ありがとう。



-------今日の言葉---------------------


          人生の中で、一人でも「大丈夫」と声をかけてくれる人が

          いるだけで、強く生きる事が出来る。

          私は、自分の周りに「大丈夫」と言える存在になりたい。


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    車は、箱根の山道を下っていく。


 
    母親は、その山道でずっと考えていた。



    生きていく方が苦しいのではないか?

    このまま生きる事で、子供達に余計に迷惑を掛けないか?



    その答えは、出るはずもなく、母親に苦しみだけを与える、、、、



    父親は、珍しく何も話さず、運転している。



    しばらくして父が聞く



    「ほんとに良いんだな?」



    その当時の母親に対しては、究極の質問だ。



    「大丈夫。私が何とかする」



    この決意の強さは、後にわかる事になるが、


    母親は、この時から父親になった。




    この箱根の話を聞かされたのが、私が成人した時である。




    母親が、酔って珍しく、おばあちゃんに愚痴ってしまった会話から知った。
 

    私は、半寝だったので、その時起きていたとは、母親は知らない。




    ゆえに、私が箱根で一家心中の危機にあった事を知っている、とは


    母親もいまだ知らない。




    今さら、当時の話を聞くのも、母親にとってつらいだろうから、聞いていない。



    酔った母から、のぞき聞いた話を書いた。





    あの時、母親が苦しみながら出した答え



          生き続ける決意




    感謝してもしきれないが、いつかきちんと感謝が出来るのだろうか?




    私が苦難に立ち向かう事が出来たのも、



    あの時の母親の決意があったからである。




         おかあさん、ありがとう。




-------今日の言葉---------------------


         生き続ける事が苦しいと思えても、


         生き続ける事でしか手に入らない幸せもある。


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