私達家族4人を乗せた軽トラは、箱根を超え、


  静岡県に入った。


  ある意味、箱根の山道を無事に超える事が


  出来たからこそ、今の自分がある。



  私の人生のターニングポイントの一番目である。



  それでは今日は、生きる、という事を決意した母親について少しふれる。



  私の母親は、若い頃公務員であった父と知り合うまでは

  典型的なお嬢様であった。


  母の父は、東京都の税務署長を歴任して、無くなった時は

  勲章が与えられたほどだ。



  母の母は、貴族の出。私の親愛なるおばあちゃんの一人だ。

  その両親の娘であるから、家柄もよかった。



  しかし、家柄とは逆に性格はお転婆で、小さい頃は男勝りの

  女の子だった、とおばあちゃんはいつも言う。


  「 男に生まれればよかったのに 」 

  と、おばあちゃんはいつも言う。



  そんな母親は、父が公務員を辞め、夢を追いかける姿に

  惚れて、結婚してしまった。



  「 夜逃げ 」までは順調であったが、

  その後は、小説よりも漫画よりも波乱万丈の生活が待っていた。



  母親の口癖は、私が小さい頃から何かあると、、、


  「 大丈夫。 その程度で死なないから 」




  今思えば、一度生か?死か?という選択をしたからこそ言える

  言葉だったんだろう。



  確かに、人間は簡単には死なない。

  しかし、簡単に死ぬこともある。



  非常に強く、非常に儚い。

  これが人間なのだろう。



  だからこそ、自分の手で死んではいけない。

  死を選んではいけない。



  昔、私の後輩が相談してきた。

  「死ぬほどつらいから、死にたいです。

  何をしても、つらくて悲しい」 と



  当時、開業したばかりの私は彼に言った。


  「わかった。

  では、その命を私にちょうだい。

  死ぬ勇気があるなら、私の下で死ぬほど働いて。

  ご飯は食べさせてあげるから、働いて。」



  後輩が呆気にとられて言った


  「嫌です。」


  「でも、死ぬなら誰かの為に生きて死んだら?

  その方が、かっこよく死ねるよ」

  って笑い飛ばした。
 


  その後、彼は私の会社に就職し、今は独立して

  もうすぐ結婚する。



  そんな私の2年前、生きているのが辛い時期があった。


  毎日起きれば、死にたい、と思っていた。



  そして、追いつめられた私は生まれて初めて母に泣きついた。


  「俺、死にたい、ごめんね。

  今まで頑張ったけど、もう無理だ」



  母が電話の向こうで言った。


  「大丈夫。

  あなたは私の子供だから死なない。

  大丈夫。」


  母親は、それ以上言わなかった。




  私は、今でもこうして生きている。


  しかし、自分だけでは生きられなかった。


  このブログを書くことで、色んな方に改めて感謝できる。




  自分は、皆に生かされています。



  ありがとう。



-------今日の言葉---------------------


          人生の中で、一人でも「大丈夫」と声をかけてくれる人が

          いるだけで、強く生きる事が出来る。

          私は、自分の周りに「大丈夫」と言える存在になりたい。


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昭和時代の自分日記