仮面ライダーBLACK SUN 第九話,最終話 備忘録 | Slipperの部屋

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『仮面ライダー』等の特撮ヒーローを愛好しております。気ままに書きますので不定期更新で失礼。

「This is my……our declaration of war!」

「なぜなら、この世に《悪》が存在するからです」

 

 

 どうも、当ブログ管理人のスリッパです。

 第八話の記事投稿からもうすぐ一ヶ月が経とうとしているらしく。

 正直、このお話の事を考える度に頭痛がして「もう止まって良いよ」と脳内で声がしたのですが。

 このままだと「うやむやにして逃げ切ろう」とする悪い大人とさして変わらないなと思い直し、来年に持ち越す前にここで終止符を打ってしまおうと思います。

 今まで以上に感情だけで書き散らすと思いますので、読みづらいなどございましたら、ごめんなさいね……

 

 

 

※当記事は、各話ごとにストーリーを追ってはおりますが、ネタバレ等を含む可能性があります。できれば、ご視聴後の閲覧を推奨いたします。

 

 

『仮面ライダーBLACK SUN』

第九話 最終話

監督:白石和彌

脚本:高橋泉

 

 

 

  第九話ストーリー

 

 怪人達の頂点にたった信彦は、堂波総理に対し人間が彼らの下につくよう通告した。

 一方、〝クジラ〟の賢明なる処置が続く海の洞窟では、合流した葵の力により奇跡が起きた。

 それにより再生を果たした光太郎は、強い意思でヒートヘブンを口にする。

 

(Amazon prime video『仮面ライダーBLACK SUN』エピソード文より)

 

 

 

 

  最終話ストーリー

 

 時を超え、空を駆けるブラックサン。

 己の正義を信じ、この星のためシャドームーン打倒に向かう。

 二人は運命を賭けた最後の戦いに身を投じる。

・・・激闘の末、キングストーンを光太郎に託し、信彦はゆかりの元へ。

 だが、その裏で一部始終を見届けていた影が怪しくうごめいていた・・・

 

(Amazon prime video『仮面ライダーBLACK SUN』エピソード文より)

 

 

 

  スリッパの備忘録

 

1:の意思、騎士の意地

 

 

 今回は変則的に二話分を一気に書きますので、まず第九話の気に入った点から。

 

「ビルゲニア、君たちは何も間違っていない。間違っていたのは私たちだろう。まだ私も南も若かった……」

 

 秋月博士が語るのは、創世王誕生の秘話。

 若き日の秋月博士&南博士(信彦パパと光太郎パパ)が、かつての堂波道之助総理が主導する「異能力を有する兵士」=《怪人》の研究をしていた当時。

 終わらぬ争いと奪い合うばかりの世界に不安を持ち、しかし学び得た科学の力を兵器開発に、結局は「争いを止める」より「争いを生み出す」ことに使っている……そう感じていた秋月博士。

 

 その日、バッタの大量発生と日食とが重なり、研究の被験者が暴走。

 屋上にいた秋月博士たち以外を皆殺しにしたのは、白い異形のバッタ怪人となった誰か……。

 

「泣いてるのか?」

 

 私、この問いかけを聞いて「あ、これは《仮面ライダー》だ……」って思ったんですよ。

 差別だとか政治だとか、そんなのは些末なことだと。

 このシーンにこそ《仮面ライダー》が持つ悲哀が、怪人にされる痛みが、凝縮されている。

 

 ライダー作品によっては「仮面ライダーになることはカッコいい!」みたいな描き方もされます。

 それこそ現行作品の『ギーツ』は、「世界を救うゲームです♪」とナビゲーターが笑いかけて招かれる形で、一般人がライダーになっていく……あくまで自分の意志という体裁で。

 

 しかし本質を考えると「仮面ライダーになる」というのは「怪人になる」ということ。

 一市民が持つには不相応が過ぎる力を無理矢理に与えられ、それと死ぬまで共生することを余儀なくされる。

 人によっては「力があった方が良いだろう?」と仰るかもしれない。

 確かに無いより有る方が選択肢は増えるかもしれない、けれど。

 では、その増えた選択肢の分だけ、切り捨てられる選択肢もあるという点は気付いているでしょうか。

 暴力だけで手に入るものには限度があります……特に、人の心は難しい。

 

 心から好きになった相手を抱きしめたい、なんて人間としては不思議の無い感覚でしょうが。

 強すぎる力を備えられた側がそうしたら、その好きなひとは死んでしまうかもしれない。

 触れることなく人間を上下半分に切断することができるくらいには強力な念動力を持つなら、判断を誤れば、それだけで大量虐殺者です。

 まさに《怪人》……人体実験によって生み出される兵器。

 

 ある意味では堂波道之助の願った通りのそれになった彼は、しかし力を振るって……泣いていた。

 自分に備わってしまった力が恐ろしくてか、あるいは殺したくないのに死んでいく周囲への畏怖か。

 後に創世王と呼ばれるようになる彼は人語を介さないので、明確なところは知れませんが。

 

 ただ、彼がその後「飾りだけの王様」……《創世王》になった。いや、祭り上げられた。

 

「秋月博士、創世王には本当に意思はないんですか?」

 

、もし「意思を持つ怪人たちの王」に、あの創世王がなっていたなら。

 それこそ1940年代に、彼を筆頭にした怪人兵が群れを成していたなら。

 世界は、変わっていたかもしれない……

 

 しかし残念ながら、彼は自分の意思というものを見せない傀儡になってしまった。

 

 でもこれは、同時に彼の心はまだ人間だという証明でもあるのかな、と最近になって思えてきて。

 

 あの精神的ショック状態、もっとわかりやすく言えば「うつ病」の患者さんが近いかなと。

 そんな人間が「よぅし、日本国民の為に戦うぞ~」とか「人類をやっつけちゃうぞ~」なんて面倒なことを考えて実行に移す元気があるか?

 いいや、ない。

 

 精神を病んで仕事を辞めた人間としての視点で言わせていただきます。

 創世王と呼ばれたあの男は、ハッキリ言って「何もしたくない……何も考えたくない……」と、世界への拒絶をすることで自分を守るのが精一杯だったのではないか。

 私はそう思うのです。

 

 そういう症状になったこともなければ、そんなものに罹る人間のことなど知らねぇよって方は考えもしないでしょうが、あの無気力感はヤベーですぜ。

 動けなくて、食欲らしいものも無くなって、「このまま餓死したら、いいのかな……あはは」みたいな声が脳内を駆け巡る。 

 場合によっては「お前なんか死ねばいい」「その方が世界の為だ」「死ね」「死ね」「死ね」……って延々と脳内で響きます。

※個人の意見、というか体験です。全ての患者様がそうであるという意味ではございません。また、もしこうした状態を経験していて苦しんでいらっしゃる方が読まれましたら、どうかその苦痛が一日も早く終わることを祈らせていただきます。


 

 脱線失礼。

 

 そんな創世王を「神だ」とまで言って崇拝していたビルゲニアにはショックだったでしょうが。

 しかし葵はむしろ、その非道の全てを「国連でぶちまける」と決めます。

 ここまで恐ろしい人間の闇を知ったうえで、なお彼女は抗う。

 そんな彼女を見て、ビルゲニアも決めたのでしょう……彼女の道を守ると。

 

 本作のエグゼクティブプロデューサーである白倉伸一郎氏に「ビルゲニアにこんなキュンキュンしていいのか!?」とまで言わしめた、葵のスピーチとビルゲニアVS警察のシーン。

 

 ここは制作陣から観ている相手全員に突きつけようとする気概がありました。

 

 世界に対して、自分が改造されたこと、怪人が戦前の不当な人体実験の産物だということ、だからこそ「軽々しく共存なんて言えない」と、それでも「戦わなければならない」とする葵を通じて。

 

「Hey, You!」

「画面の向こうで私の話をシラケた顔で聞いているあなた」

「あなたはどうして怒らないの?」

「関係ないって見て見ぬふりをして笑って誤魔化してる」

「これはあなたが生きている世界で起こっていることなんだよ?」

「差別は間違いなくそこにある」

「差別は誰かの生きる意味を奪う行為だ」

「生まれてきた喜びを奪う行為だ」

 

「人間も怪人も、命の重さは地球以上

1グラムだって命の重さに違いはない

だから私は戦う

奪い合わない世界になるまで」

 

「This is my……our declaration of war!」

(これは私の……私たちの宣戦布告だ!)

 

 

 作品世界の人々と、作品を観ている私に訴えかけるこの演説を守ったのは、騎士の意地。

 ある意味、白石和彌監督の「ビルゲニア愛」ゆえにこうなったのでしょう。

 構成だとか脚本だとか設定面だとか、もうそういうのを一端は棚に上げて言います。

 

 ビルゲニアは確かに酷い悪でもあったが、最後は自分の信じた忠義に殉じた騎士であった。

 葵という少女を新たな王と仰いでの、この決死行、本当に見事であっぱれ。

 

 たぶん、私の中でこの作品の一番を問われれば、間違いなくこのシーンを語るでしょう。

 たとえこの後の展開が、どういうものであったとしても。

 彼女の宣戦布告に希望があると信じられた、この一瞬を想って。

 

 

2:敗北の御旗

 

 

 第九話から最終話にかけての、いや、この作品が掲げた一つのテーマ。

 それはきっと《敗北の意味》という点に集約されているはず。

 あるいは、その継承を行いながら、警鐘を鳴らすことだったのではないかとも。

 

 クジラさん周りの言いたいことは、ちょっと棚に上に置いておきまして。

 瀕死のBLACK SUNを救うべく、クジラさんは自分のアジトで彼を治療します。

 

(かけている液体は原作通りなら《命のエキス》ってことになるのですが……たぶん創世王のエキスと混同しそうだとか、尺の都合だとか、色々あって名前を割愛しているのだと思うことにします……ごめん、そうしないと私がキレ散らかすので、ここは割愛させてくださいませ……)

 

 ようやく目覚めた光太郎の第一声が「葵、大丈夫か」って、どこか娘を想う父親っぽく。

 しかし、戦うには力が足らない……自分を半殺しにした信彦は怪人至上主義の世界を作ろうとしているのに、このままでは止められない。

 だから、怪人の力を一気に増強しうる《ヒートヘブン》を寄越せと言う。

 ここまで疲弊して死にかけた姿まで見た葵は猛反対。

 

「あたしがやる! おじさんのためだけじゃない! お父さんとお母さんの意思も受け継いでる! 俊介の意思も受け継いでる……」

 

「俺も、受け継いでるんだよ……50年前の俺が、ずっと見張ってる……」

 

「負けた人から何を受け継ぐの?」

 

「敗北の……意味だ」

 

 そうして光太郎おじさんが葵の掌に描くのは《永遠》を示すマーク。

 彼がずっと負け続けて、それでも受け継ぎ、いっそ自分で自分にかけた呪いでもある、けれど決して忘れることもできない祈り……その象徴。

 

 忘れぬように改めて書きますが、《ヒートヘブン》は創世王のエキスを混ぜた人肉……つまり人間の命を奪った証明です。

 50年前に一度だけ食した描写のあるだけで、今まで「食べない」と貫いてきた光太郎おじさん。

 だからこそ葵は、そんなものを見たくないと目を逸らそうとする。

 しかし、彼がこれを喰らうのは……「非道に奪われた誰かの命を糧にしてでも、これから始まる地獄を止めに行く」という決意の表明。

 

 食べることで苦しみ、拒絶反応にも似た状態が起きるBLACK SUN。

 純粋に病み上がりの身体に劇薬を入れたから、という点でもそうでしょうし、精神的な部分でも負担が大きいことだったのかなと私は邪推いたします。

 しかし、仲間たちに抑えられながら変身を遂げた彼を見て、葵がその胸に自身の血で描いたマークは……。

 

――《永遠》の途中に打たれた《終止符》……

 

 私は、この一瞬に震えたのを覚えています。

 そうだよ、こういう「解釈」が見たかった!!……と。

 

 本家『仮面ライダーBLACK』のただ一人のライダーであるBLACK。

 その胸には、敵組織ゴルゴムのシンボルマークが刻印されています。

(アップで映っている写真だと「これかな?」って感じだったので掲載します。ご参考までに)

 

 

 

 しかし、この『BLACK SUN』では、敢えてヒロインでありもう一人の主役である葵が刻印する。

 差別という悪、人間の無理解という悪、破壊や殺戮をしてでも一方の考え方を押し付ける悪……

 あまりに《悪》が溢れたこの世界で、それでも《永遠》にも似た戦いを続けようとする彼に贈られたのは。

 この《永遠》に《終止符を》という、願いであり祈り……そう私は解釈しました。

 

 原点だと敵側の「王となる者」という消えないレッテル。

 それを「こう描いてきたか!」と歓喜した私。

 リブート作品だからこそできる「当時とは違う見せ方」の面白さや深さが詰まった描写で大好きな部分でございます。

 

 しかし監督、まさかの最終話で……原作のOP再現。

 

 立ち上がったBLACK SUNがバトルホッパーを駆り、決戦へと進む姿を倉田てつを氏の歌唱する原点の楽曲『仮面ライダーBLACK』に乗せてお届け……。

 

(原点を知らない人は、是非この無料お試しの1話をご覧ください。どの程度の再現かは見ていただくのが手っ取り早いです、はい)

 

 

「そんなところに座って、創世王にでもなるつもりか?」

 

 そうして辿り着いたゴルゴム党の創世王の間にて。

 遂に対峙するBLACK SUN=南光太郎と、SHADOWMOON=秋月信彦。

 

 ビシュムに唆され、すっかり自分が創世王になろうとするSHADOWMOONと。

 そんなことは露とも知らず、魔王になろうとする親友を殺そうとするBLACK SUN。

 鏡合わせのような変身。

 互いに蟲の脚部を奪い合い、それを武器に斬り合い、まさに殺し合い……

 ベルトへ力の集約(原点風に言えばバイタルチャージ)や、ライダーキック、剣を突き立てるなどのオマージュもしつつ、しかし本人たちは50年前からずっと抱いていた想いをぶつけ合う。

 

「怪人になった時から、こうなる運命だった。諦めろ」

「創世王を新たに生み出すのに、キングストーンを奪い合うことを親父たちは知っていた! それを俺とお前に持たせたんだ!!」

「……信彦」

「俺とお前は、奪い合うために生まれたんだよ!! 光太郎ッ!!」

「それは……違う」

「親父たちは、俺達に、争わせようとしたんじゃない」

「争わない俺達だから、選んだ」

 

「そう思ったら、ダメか?」

 

 ここのキングストーンを握りしめた拳でのアッパーカット、象徴的なシーンです。

 

 奪い合うしかない世界に苦悩した父たちが、なぜ息子たちに奪い合うことが前提となるキングストーンを託したのか。

 それはきっと、暴力で奪い、殺して嗤う……そんな勝利に酔うためではなく。

 この二人はそうしないだろうと思えたから、ということになるのでしょう。

 

 冷静に考えれば「甘すぎる……」と言わざるを得ないところですが……

 たぶん、そのくらい切羽詰まっていたのかなと。

 第一話での改造シーンを見ても感じる通り、改造を施している当人たちの迷いは吹っ切れておらず、しかし近づく日食に焦っていた。

 創世王という「異能だけなら群を抜いて最強」と言える、いわば《怪人》の完成形になぞらえた、次の創世王候補となる存在の擁立。

 きっと堂波道之助も急かしていたでしょうし、成果が見込めない場合は殺すと脅されていた可能性もある。

 それでも無言の抵抗として、息子たちに託すしかなかった。

 本当の兄弟同然に仲のいい、お互いを助け合えるだろう、この二人ならば、と。

 それこそ半ば、神に祈るような気持ちだったはず……。

 

 そんなものを託されて、けれど結局は戦うことになった二人の終局。

 

「俺はお前から奪うものなんて何もない。だから俺に託せ」

「俺が創世王を殺す……」

「怪人は、人間だ。誰かと出逢って恋もする。子どもだって作る。それで生きて、いつか死ぬ……何も特別なことはない」

「光太郎……」

「ゆかりが望んだ世界に、嘘はないと、俺は思ってる」

 

 

 この会話に思うことはたくさんあります。

 創世王は「総理のビジネスの道具」で「怪人が人間に服従するしかない理由」で、けれど殺したところでそれらが完全に消えるわけじゃない。

 でも、葵のような「言論で差別と戦おうとする者」の新しい時代の息吹が、緩やかにでも人々の意識を変えていくのではないか。

 その可能性に彼が「ゆかりの望んだ世界」を重ねていたのかなと考えると、わからなくもないかなと。

 

 対して、かつて《永遠》を刻んだ御旗の下、特別じゃない自分たちが「歴史の通過点」として生きた頃を思い出す信彦。

 

「もうみんないなくなった……」

「ゆかりも、オリバーも、みんないたんだ。ダロムも、ビシュムも、バラオムも、ビルゲニア……」

「光太郎……俺はあの頃に戻りたい」

 

 確かに彼らは勝者とは呼べなかったけれど。

 でも確かにそこで肩を組み、一緒に敗北しながら生きた。

 本当は、そんな過去の「幸福だった一瞬」を取り戻したくて、こんなことをしてしまったのかもしれない。

 だから光太郎に託して、やっと信彦は戦いを終えることができた。

 

 私個人の身勝手な言い方ではありますが、それはもう信彦は幸せだったんだろうなと。

 託せる相手がこの親友で、看取ってくれる相手がこの南光太郎で、良かったと。

 たぶん中村倫也さんの演技ゆえにそう思うのかなと、ちょっと甘いなと自分でも感じるのですが。

 

 だからこそ、創世王の心臓と対峙した光太郎が辿った道が許せないかもしれない。

 ここまで啖呵を切ったくせに、結局は「意思のない飾りの王様」とほとんど変わらない状態になっているから。

 

 どうして第九話でビシュムがSHADOWMOONに「創世王の意思」について話したか。

 二人の戦いがどう転がろうが、結果的に新たな創世王は誕生すると読み切っていたから。

 それを見越したうえで、自分がその利権を掌握するため。

 だから信彦を焚き付けて、現在の最大の障壁である堂波総理がゴルゴム党から手を引くよう攻撃させた。

 また最終話での新内閣にしれっと入っているのも見ると、既に官房長官……いや新総理への根回しを済ませた後だった可能性も。

 

 ある意味、かつて五流護六の御旗に集った全員が「自分の生き方を貫いた」とも言えるのか。

 

 傷つき続けながらも、敗北の意味を知って、かつての自分自身にも決着をつけるために戦った南光太郎=BLACK SUN。

 

 借り物だったとしても怒りの炎を燃やして、自分自身を偽りながらも、かつての幸福を取り戻そうと足掻き続けた秋月信彦=SHADOWMOON。

 

 たとえ永遠に終わらないとしても、差別という悪に抗うために、周囲を巻き込んででも理想を叶えようとした新城ゆかり。

 

 自分の知る痛みを怪人達に重ねながら、最期まで全ての命の重さが等しいという己が信念を貫き通そうと生きたオリバー・ジョンソン。

 

 怪人達の居場所を守ろうと、たとえ屈辱的な隷属だとしても耐え忍び続けて、同志であった者へ後を託したいと苦悩し続けたダロム。

 

 武闘派として生き、直接的には戦えない敵への辛酸の中でも、仲間を想う同胞を守ろうとしながら壮絶な死を遂げたバラオム。

 

 信じた神への忠誠は敗北によって歪み、媚び諂ってでも自由にあろうとしながら、けれど新たな王を仰ぎ見て騎士の道を思い出し、最期を華々しく戦ったビルゲニア。

 

 勝利する側を見極めようと息を殺し、その妖艶さと狡猾さで状況をコントロールしようとしてきたビシュム。

 

 

 しかし、ビシュムを除く全員が死んでしまった。

 あまつさえBLACK SUNは、創世王を討とうとして、逆に取り込まれてしまう形で創世王になって。

 そうして葵という「少しの間でも心を通わせた相手」に殺されるという形で。

 

 ただ、私は光太郎おじさんの「殺して……くれ」も、それに応えた葵の決断も、肯定する側です。

 正直に言えば、創世王が死のうが生きようが「怪人差別」は無くならないし、彼があの場から逃げることに成功さえすれば、《ヒートヘブン》のようなものも作られずに済む。

 でも、見るべきは、きっとそういうことじゃない。

 

 生きて欲しいのは、今を生きている側のエゴでしかなく。

 ずっと生き続けるというのは、それこそ永遠に「無感動に生きる」というのは、おそらく何よりも厳しい拷問。

 創世王を継いででも戦うしかないと、そうでなければあの頃には戻れないと。

 そんな強迫観念で狂うしかなかった親友を、その苦しみから解放することはできた。

 なら、もうこれ以上の痛みと苦しみを背負う必要のない人間を解放する道は、残念ながらこれしかない。

 ファンタジーな作品なら、あるいは魔法で何でも解決できるのかもしれないけれど。

 この作品は、サイエンス・フィクションではあっても、ファンタジーではないから。

 

 彼から教わった戦い方で、彼の望みを叶える。

 その点はやはり、「ひどいよ!」と叫ぶ気持ちも確かにあるけれど、でもやはり理解できてしまう。

 否定できない。少なくとも「化物になるしかなかった誰かの痛みに、殺害という方法でしか終止符を打てない男」を一次創作小説で描く私には、否定などできようはずもありません。

 

 むしろ「もう、泣かないで」と告げた葵の方が涙を流し、言葉を贈られた光太郎おじさんの方が笑いかけて逝ってしまうのは、一つの美しさかなとも。

 

 

 ただ、ラストに対しては言いたいことがあるのも事実。

 

 全てが過ぎ去った後の世界でも、結果的には何一つとして大きな変化はなく。

 むしろ「怪人差別」どころか、より視聴者側である私が生きる世界と地続きな問題である「移民反対」の合唱。

 そして、それに独りでプラカードを持って相対するまだ幼い少女を、誰も本気で助けようとはせず。

 

 そんなところに現れた葵が、彼女の手を引いて向かうのは、同じような子どもたちを集めた「殺人教室」で、「爆弾製造技術教室」……つまり、幼いテロリスト養成を目的にした村。

 墓だらけのそんな場所で、仁村新総理の「武力行使は正しい」とでも言いたげな弁舌をテレビで聞いています。

 

「非武装を貫くことで国民を守ることはできない」

「理想で国は守れません」

「非暴力では何も止められなかった」

「なぜなら、この世に《悪》が存在するからです」

 

 そんなことを笑みを浮かべて宣う総理。

「これからどうする?」と生き残った数少ない仲間であるノミさんに問われる葵の答えは。

 

「悪い奴が生まれる限り、戦うよ」

 

 あの《永遠に終止符を》と描いた御旗を見上げて。

 

 

 

 本当にこれが正しい終わりなのでしょうか?

 この作品を観ているのはきっと18歳以上……つまり俗に《大人》と呼ばれる側の人のはず。

 

 ねえ、大人の皆さん、私たちの未来は本当にこれでいいんでしょうか?

 

 私はずっと、そう問われているような気がしていました。

 

 

 

 ところでどうでもいいことですが。

 創世王の心臓が近づいてくるあの描写、なんか『仮面ライダーZO』に通じる不気味さを感じたのは、もしかして私だけ?

 

 

 

 

3:身勝手な総評


 すみません、文句を書いてたら文字数オーバーで怒られました。

 だから、私があのラストを見て感じた率直な話をさせてください。

 

 その問題のラスト。

 ある意味、葵たちが新たなテロ活動を行って、最終的には暗黒結社ゴルゴムそのものになっていく、という暗示かなとも思ったのですが。

(生き残った怪人たちが三人。改造手術ができるノミさん、かなり武闘派のクジラさん、紅一点にして人材の吸収などが得意なカマキリこと葵……かなり三神官と近しい配置……などと申しており)

 

 

 まあ、純粋に賛否両論はあると思いますが、やはり私はこう問われている感じでした。

 

「このまま進めば本当にこんな世界がやってきちまいそうだが、それでいいのかい?」

 

 

 堂波総理(祖父&孫)が推し進めようとした戦争法案……武力行使する日本国という未来図。

 ロシアがウクライナに攻撃をしたのは今年の2月24日……つまりあと二ヶ月後には「一年も戦争をしている」のが当たり前の世の中になってしまう。

 国を守るために「防衛費を増やそう!」というのも、全否定はしませんが、本当にそれでいいのかなと疑いたくはなる。

 

 争いで生まれる禍根は、次の争いの火種。

 小国だから大国に従属せよとは言わずとも、そもそも資源に乏しい日本のような国が戦争をすること自体、「国としての権利」の有無にかかわらず、本当に己を守ることになるのか?

 確かに悪漢に「話せばわかる」は通じないけれど、じゃあ「言葉で伝えあう」「妥協点を探す」といった建設的な考え方は最初から度外視して、みんな殺して生き残った奴だけが正義か?

 

 この物語で中村倫也氏の演ずるSHADOWMOONが狂っていく様をご覧になって、彼が「俺が圧倒的に強い!」という理由で人間を自分の支配下におけると本気で思ったのでしょうか?

 私はそんなの嘘っぱちだと感じます。

 

 誰だって怖いんじゃないでしょうか、不当に傷つけられるのが。

 そして実際にそれで誰かが死んでしまった時、自分たちがどうなっても殺してやりたいという暴虐が心に巣食うのが。

 もう誰がどうなっても良いなんて言っておきながら、やはり自分の大切な人が殺されるのが……何よりも怖い。

 

 ねえ、そんな世界でいいの?

 そういう恐怖が人を壊して、また誰かを殺す側になって、そうして皆が皆、死んでしまえばいいの?

 

 この物語で、南光太郎は言いました。

 

「怪人は、人間だ。誰かと出逢って恋もする。子どもだって作る。それで生きて、いつか死ぬ……何も特別なことはない」

 

 これは怪人じゃなくたって、そうでしょう?

 どこの国の、どんな地域に生きている、どんな思想や信念がある人でも、そうではないですか?

 いつか死ぬ……その時まで、生きていこうとする「何も特別じゃない誰か」に違いはない。

 

 そういう人たちと心の底から理解し合える世界、なんて理想はとても言えないけれど。

 せめて最低限、相手を尊重する心がなければ……皆が生きやすい世界なんてどこにもなくなってしまう。

 綺麗事かもしれないけれど、国単位なんて大きな話じゃなくて、それを形成する小さな細胞である自分たちが、そういうのを頭の片隅に置いておかないと、本当に酷い世界になってしまうんじゃないか。

 

 私はそんな人間の悪性の暴走こそが、本当に怖い。

 

 

 個人的な話、私は『仮面ライダー』という作品の多くが「人間って酷いよな」という視点をどこかに持っているとは思っていて。

 それこそ、この作品の原点たる『仮面ライダーBLACK』でなら、倉田てつを氏の演じた南光太郎は、育ての親に売られた形で改造を施されてしまった側。

 実の両親が死んだのは、自分を改造した組織の謀で。

 それを知っていながら、養父は自分を育てた。

 信じていた相手に裏切られた哀しみは、計り知れなかったはず。

 それからも、組織に賛同する「ただの人間」は数多く彼の前に立ちはだかり、その度に何もできない無力感を覚えたはず。

 悪事に加担しているとわかっていても、告発する材料も足らず、そもそも悪事を立証も出来ない。

 そういう人間が金銭も権力も勝ち得ていて、無実の人間ばかりが搾取される構造を止められない。

 私なら「人間なんて……」と怒りや悲しみで溜息をつきたくなるところですが。

 

 それでも、彼は人間に絶望しなかった。

 

 それどころか身近な人たちの味方であろうとし続けて。

 親友が人類の敵に回った時にさえ、「お前とは戦いたくない」と、「元のお前に戻ってくれ」と、言葉にし続けた。

 

 人間の善性を信じていた……なんて、本人にその自覚はなかったかもしれないけれど。

 義理の妹や親友の恋人といったヒロインをはじめ、多くの人々を彼は信じ続けた。

 

 私は、その「信じる」という、非常に難しくて、しかし棄てたくない大切な希望を伝えてくれるのがヒーロー作品の強みだと思っています。

 

 

 白石和彌監督が「人間の悪性」に深く切り込んで描き切るのが得意なのは理解できました。

 でもね、子どもたちも見られるPG12を目指したなら、やはり言わざるを得ない……

 

「それって、得た記憶が偏ってんじゃないの?」

 

(仮面ライダーオーズ=火野映司のセリフより引用)

 

 もちろん、監督の言葉通りなら「1号から全てのライダー作品を観直した」とのことですが。

 きっと着眼点が違っていて、得た記憶が私とはまるで違っていたのでしょう。

 無論、引用元である『仮面ライダーオーズ/OOO』が習うべき先達という意味でもありませんが。

 

 ただそれでも「怪物と同じになっても、それでも人間で在りたい心」こそ。

 つまり、人間がどうしようもない悪性を孕んだ存在であっても、それでもやっぱり「人間って良いな」と思える心でもってバランスを取ろうとしたかどうかこそ。

 私の琴線に触れる点だったのだろうと理解できました。

 

 

 ありがとう、『仮面ライダーBLACK SUN』……。

 やはり原点たる『仮面ライダーBLACK』には及ばないし、何なら細々と文句はあるけれど。

 主にクジラ怪人さんの《命のエキス》描写とか(原作再現は良いけれど、せめて作品世界に沿った会話などの挿入を……)、怪人起源から現代に至るまでの変遷の考証だとか(第七話の時に少しさせてもらいましたが、あれは単なる妄想なので……)。

 

 それでも、創作者としての自分にとっては「何を描くべきか」を考えるきっかけにはなりました。

 もちろん一人の大人として、差別のない世界……本当の意味で「奪い合わなくていい世界」を考えるきっかけにも。

 

 

 どうかこの物語を追いかけた全ての人が、人間らしく尊厳を胸に生きられる世界になりますよう。

 叶うなら、それを作る一助に私もなれますよう祈りつつ。 

 

 今回はここまでとさせてください。

 

 こんなところまで読んでいただき、どうもありがとうございました。