仮面ライダーBLACK SUN 第五話 備忘録 | Slipperの部屋

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『仮面ライダー』等の特撮ヒーローを愛好しております。気ままに書きますので不定期更新で失礼。

「……許さん!」

「変身!!」

 

 どうも、当ブログ管理人のスリッパです。

 なるべく早く、このシリーズ記事を終わらせようと心に誓い始めた今日この頃。

 何故? そりゃ、観終わった人が続出しているのに、まだ四つしか記事が終わってないから!

 でも何より、私が感じたもの、想ったこと、伝えたいことを、できるだけ早くお送りしたいな、とも。

 

 

 

 一応、私の初見時の感想ツイートも置いておきまする……

 

 

※当記事は、各話ごとにストーリーを追ってはおりますが、ネタバレ等を含む可能性があります。できれば、ご視聴後の閲覧を推奨いたします。

 

 

『仮面ライダーBLACK SUN』

第五話

監督:白石和彌

脚本:高橋泉

 

 

 

 

  第五話ストーリー

 

「創世王」を倒すという、ゆかりの言葉を思い出す光太郎。

 現れた信彦から葵が二人の故郷にいると知らされる。

 そこには怪人の実験施設が残されており、ビルゲニアが待ち受けていた。

 母と共に囚われの身となってしまった葵。

 それを救い出そうとする光太郎の前に、“カマキリ”が立ちはだかる。

 戦いの中で真実を知り、ビルゲニアへの憎しみが高まった事でブラックサンは新たな力を発現させるのだった。

 

(Amazon prime video『仮面ライダーBLACK SUN』エピソード文より)

 

 

 

 

  スリッパの備忘録

 

 

1:許さんと叫び続けて欲しくて

 

 1987年放送開始した『仮面ライダーBLACK』という作品で、印象強いセリフは何でしょう?

 実際には観たことねぇよ、という方も、それこそネットスラング的なもので見かけたことはあるかもしれない。

 

「ゆ゛る゛さ゛ん゛!!」

 

 こんな形で、ニコニコ動画とかで流れているのを見かけたこともあるのでは?

……え? ニコニコ動画とか知らない? うそーん……

 

 という冗談は置いておいても。

 本家『BLACK』は、主人公が敵組織の非道に対し「許さん」と怒りを顕わにした直後、キレッキレの変身ポーズに移行、からのCGで「人間→バッタ怪人→仮面ライダー」というプロセスを経て変身完了!

 こんなシークエンスに魅了されたという人も多いのでは?

 とりあえず私が初めて『BLACK』に触れた時はまだ幼かったので、役者さんの顔の良し悪しとかはわからず、ただその変身に「おぉー!」と騒いでいたような気がいたします。

 

(今ちょこっと確認したら、意外と第1話や第2話では「許さん!」って叫ばずに、押し寄せる怒り哀しみを湛えたまま拳を握っての変身でした……いや、それはそれでカッコいいけどね!!)

 

 

 しかしこの『BLACK SUN』、なかなか主役からこの言葉が出てきません。

 それこそ世界観からは、多くの怒りが満ち満ちているというのに。

 まあ、それもそのはず。

 本家『BLACK』の主役は「社会の闇や命の奪い合いなど知らぬ19歳の正義感溢れる青年」で。

 対して『BLACK SUN』の主役は「50年もの間、孤独に生きるしかなかった、ほぼ70歳の壮年」です。

 

 それこそ、終わりのない人間と怪人のぶつかりには、もう心は疲弊しきっていたのでしょう。

 第一話なんて、かつては最強クラスの実力を持っていながら、今では世捨て人……なんてタイプのキャラクターですから。

 

 ゆえにこの第五話、そんな彼がここまでのエピソードでようやく心を開き始めた少女=葵を襲った悲劇に対して、本気の怒りを見せ、遂に変身する。

 え、今までだってバッタ怪人になっていた?

 確かに。しかし、この作品に冠されたタイトルは『仮面ライダー』……つまり、異形の怪人からさらに一歩先、哀しみを仮面に秘めて、怒りを拳に乗せる戦士への変身が大きな魅力。

 

 特に作中でもさらっと《完全体》と呼ばれる形態に。

(ここ、信彦が「まさか……」って言っているので、おそらく創世王候補クラスの怪人にしか変身できない、他の怪人にはなれない何かなんでしょうね……もっと掘り下げて欲しかった……)

 

 とかく、このエピソードで彼は遂に、タイトルに冠された通りの姿に……

 仮面ライダーBLACK SUNに変身を遂げる!

 

 

 ただね、最初に観た時、若干ですが腑に落ちなかったんですよ。

 

 第二話でアネモネ怪人に、葵の保護者である美咲おばさんが殺された後なのを見ても、怒らない。

 第四話でクジラさんに寄り添われて泣いている葵を見ても、そこまでの怒りは見せなかった。

 

 もちろん、こうして記事にして再確認している今ならわかるのです。

 まだ第二話の段階じゃ「許さん」には届かんかったのだろうと。

 第四話はカニ怪人の腕を見ておおよそを見抜いたから「間に合わなかった」と気付いたはず。

 むしろこの二つは、怒りより哀しみが強く、苦しんでいる子の傍にいることにこそ意味があった。

 

 でも今度は違う。

 

 大切な人を次々と奪われた少女が、その哀しみの中でも負けじと戦っているこの子が。

 寄る辺を失いながら、けれど共にいる自分の心を少しずつでも開いてくれたこの子が。

 自分と同じ……生きることそのものが苦痛になる《怪人》に、無理矢理に改造されてしまった。

 おまけに改造されたばかりのショックでか、自我を保てずに攻撃してきて、それ自体が苦しかっただろうことは、襲ってくる間の彼女の叫びで伝わっていたのなら。

 差別主義者などに負けず戦う、気高く眩しい少女の未来を、まさしく怪人という名の《兵器》そのものにして奪ったと、そう感じたのなら。

 

「よくも葵を、怪人に……許さん!」

 

「変身……!!」

 

 西島秀俊さん、あのキレッキレの変身ポーズを本気で披露してくれて、ありがとうございます。

 変身ベルトの玩具発売の告知インタビューなんかでもずっと「(本家の)倉田てつをさんの変身が本当にカッコいい」と何度も言っていてくださって、そこに愛が感じられて……

 もちろん多少の差異がございます。ええ、そこは一応リブート作品ですから、何もかもを同じにする必要性はございません。

 でもさ、ここまで完璧に寄せてくるとは思わないじゃん?

 前のリブート作品『アマゾンズ』は、本家が「アーマーゾーン!!」って叫んでんのに、最初のライダー変身者はスタイリッシュに「アマゾン……!」ですからね。

 

 

 

 時に、葵が怪人へと改造される過程が描かれるシーンも、割と今回のポイント。

 

 というか『仮面ライダー』という作品において、実はかなり重要な、それこそ各作品の色味がハッキリ別れる重大なポイントとも。

 

 どんな『仮面ライダー』作品でも、その主役である仮面ライダーと対立する怪人が設定されていて。

 しかしそれぞれの事情は作品によって全く違う。

 

 初代で言えば、基本的には《国際的テロ集団によって選ばれた尖兵》としての改造された人間。

 平成の世には《神の使徒》だとか《鏡の世界に棲む怪物》だとか、ファンタジー要素が強いものも。

 令和にもなれば《人工知能搭載人型ロボット》が、その造物主たる人類との共存と対立について、むしろ視聴者に考えさせるものまで。

 

 

 

 

(どれも1話が無料で見られる、良い時代だよな……)

 

 

 ヒーローを扱う作品において最も重要なのは、実はその対立する敵役である、といった具合。

 その存在そのものが世界観を強調し、いっそ制作陣の訴えたいテーマそのものを象徴することも。

 

 そういう意味で、この世界における《怪人》とは?

 それを考えるうえで、こちらビルゲニアの放ったセリフが気になっている私がいます。

 

「いつ見ても痺れるなぁ……人間が怪人になる瞬間は」

 

 これさ、それだけ聞くと、まさに悪の大幹部が「お前も我らの尖兵になるのだ!」という意味合いなんだけれども。

 ビルゲニアという《怪人の事を誰よりも想っている、創世王を信奉する騎士》が言うと、まるで違って聞こえる気がしていて。

 

 前回にもちょこっと書きましたが、怪人は1970年代で1億の人口における20万という数字がいる。

 割合にして1/500……。

 圧倒的マイノリティ、とまでは言いませんが、迫害の対象であることも踏まえて考えると、とても「なりたくてなるもの」とは言いづらい。

 逆に言えば、有力な同志が増えるのなら、それ以上に心強いこともない。

 特に和泉葵の「お母さんもニックも関係ない。放して」と啖呵を切る姿、その目に宿った怒りには、革命戦士として生きた彼自身にも通じる強さがあったのかもしれない。

 

 もちろん、この和泉葵という少女、他にも特別な意味合いを持つ人物でもある。

 

 たとえば、国連で差別撤廃を演説した人間、という点。

 マイノリティに理解を示そうとする側。

 けれど、本人がそのマイノリティになろうとはしない。

 いわば「安全圏から綺麗事を並べるだけの相手」とも映ったかもしれない。

 つまりビルゲニアの今回の行動は、そんな人間を否が応でも変えた。

 

 《問題に向き合うしかない当事者》にした。

 

 そう考えるとビルゲニアの悪辣なまでの非道にも、そもそもここまで人間側から受けた屈辱への怒りが見て取れるかなと。

 

 ある意味、ビルゲニアなりの「許さん」という叫びそのものか。

 

 

 でもね。

 私はそこも含めて、BLACK SUN=南光太郎が怒りを向けてくれたのかなと思うんです。

 

 結局ビルゲニアの怒りがどうあれ、それはこれからの未来を生きていく子には関係ない。

 それも怪人と人間のこれからを真剣に考えている側を、身勝手に復讐の道具として改造した。

 たとえ彼女自身が怪人の友人がいる人間であっても、それが無理矢理に怪人にされて良い理由にはならない。

 

 生きてさえいれば。

 

 確かに生きてなければ感じられない幸せもあるけれど、生きているからツラい世界もある。

 それを嫌と言うほど見てきた彼だからこそ、その悪辣に「許さん」と言ってくれたんだろうなと。

 

 そのまま《仮面ライダー》……《自由を守る戦士》でいて欲しい。

 

 いかなる思想で、どれほど崇高な目的だとしても。

 人の自由を奪うことはできないと。

 それを壊す者に「許さん」と叫び続けて欲しくて。

 

 たぶん、これは全ての《仮面ライダー》の名を冠する作品に共通して、私が求めるもの。

 だからこの作品が、少なくともこの一瞬に、その《自由を守る戦士》としての叫びをしたことは、最も評価したいポイントかなと思うのでした。

 

 

 

2:永遠に戦う、その意味を

 

 親殺し。

 

 それは《仮面ライダー》の源流に存在する「この力を与えた者を討つ」=「親にも等しい存在を討つ」という原義の一つ。

 

 今だと「力を与えた者」が必ずしも「倒すべき悪の根源」とは限らず、むしろ親に当たる人物が《怪人作成に利用されただけ》というケースも少なくないところですが。

 

 この『BLACK SUN』はガッツリとそこへ切り込みます。

 

 創世王から抽出されるエキスで、怪人は生まれ、ヒートヘブンなる人間との敵対構造の象徴も生成されてしまう。

 だからこその「創世王を殺すためにここに来た」……。

 

 ただここ、すごい疑問が残るんですよ。

 それは《怪人が生まれるプロセス》が不明瞭なはずなのに、どうして創世王を殺せば終わるのか?

 

 これは視聴者の中でも大して頭が良くない私の勝手な戯言にはなるのですが。

 

 現代篇から始まって、実質的な主役である葵の横に雀怪人=俊介という《怪人と人間の混血児》がいることで、怪人には生殖能力が備わっていることが明示されている。

 

 つまりね、たとえ創世王を殺しても、怪人が寿命を全うしていく中で子どもを作る可能性があるんじゃないのかよ……それ怪人が全員「子どもを作れない身体」ってのにならないとダメじゃないのか、と。

 

 

(Twitterなどでも「安楽死計画」の文言がいくつか見受けられましたが……イマドキだとやはり『進撃の巨人』が脳裏を掠めるよね……)

 

 

 この考え方、今にして思うと1972年当時の世界と2022年の世界までの間に、怪人に対して人間側の考え方の変遷があったのだと推察しないと説明できないなと……

 正直に言えば「440分あったんだから、一言くらい説明を入れてくれてもいいんじゃないかしら!?」とツッコミしたくなる部分でもあります。

 

 前回、新城ゆかりが秋月信彦に思わせぶりなキスをする。

 その時に彼は何と言ったか?

 

「今、自分が怪人だって事、ちょっと忘れた……」

 

 つまり、この1970年代では「怪人と人間が恋をする」なんていうのは、有り得なかったと。

 そう考えれば、ようやく《創世王を殺す》=《怪人がこれ以上増えない》の図式が成り立つ。

 もちろん「じゃあ創世王のエキスでどうやって怪人ができているの?」みたいな話を誰もしないのがやはり不思議ではあるのですが……

 

 いや、それこそ《改造》を受ける際に、ブレインコントロールを受けるのかな……

 前回の葵の父親みたいに、それで記憶も自我も壊れかけて……

 

 なお、それだけだと20万もの怪人が生まれ、自分たちの出自もよくわからないまま弾圧されている理由がやはりよくわからない……そう思うの、私だけです……?

 いや、ある意味では「ゴルゴムの怪人って《人間素体》と《動物素体》にでも大別されるのかしら? というかどういう基準で改造されているのかしら? はて??」という、元になった『BLACK』へのオマージュでやっているのかしら……?

 

 だとしたら、私はすごくモヤモヤする……

 それこそクジラさんやビルゲニアがすごく愛情をもって作られていると感じるがゆえに、余計に。

 リブート作品、元になった作品のブラックボックスに対して「すげぇ!!納得した!!」と原作ファンが新しい知見を得られるくらいを求めるのは、やはり贅沢なのでしょうか……?

(Amazon prime video配信の先達である『アマゾンズ』は、敢えて「元の作品から外見的要素をもらった」に留めることで、全く新しい世界観を構築し、けれど根幹にあった「異文化との共生」にも通じる構築だったせいか、余計にそう思ってしまう自分がいます……むむむ……)

 

 

 

 また、個人的にかなり納得いかなかった点がもう一つ。

 

 それは怪人達の持つストーンの《取り外しギミック》

 

 いや、わかるのですよ……物語におけるマクガフィン……《奪い合いの対象となるアイテム》、その有無がどれだけ大きいかは。

 例えば、主役が使うのが当然と思われてきた変身ベルトがマクガフィンとして機能し、敵味方がそれを巡って激しく戦う『仮面ライダー』作品の筆頭である『555』。

 

 

 力を秘めた装置であると同時に、敵側に全てを揃えられるとヤバいと作中人物も視聴者もわかるからハラハラする。

 私にとっては初のほぼリアタイで完走できた『仮面ライダー』作品であり、そのドキドキ感はすごかったもので、思い入れも深いところ。

 

 ただ、これは昭和のライダーではありえなかったことで。

 そもそもが改造されて「もう元には戻らない」「力を生み出す器官が備わった《兵器》にされた」という点が《改造人間》の悲哀にも繋がる点であり、私のような人間には他のヒーロー作品群にはない魅力でもある。

 

 それこそ本家『BLACK』における《キングストーン》と言えば!

 埋め込まれた者が「次期トップ候補」としての存在価値を持つ、最も重要度が高いものでありながら、同時に主人公にとって「死ぬまで切り離せない枷」でもある……。

 

 それを「一度でも人体に埋め込めば怪人へ変貌させる」以外はただの《なんかすげー石》で終わっているのが、すごく、すごく、もったいない……

 

 というか「うん、キングストーンで間違いない」って、何を根拠に君は言っているんだ?

 観たことがあるのか?

 それとも形状や色彩などの何か特徴があって、それで判別できるものなのか?

 以前に「このバスは怪人を乗せるのか?」とか「他の客が嫌がるから怪人は帰れ」とか、人間態の時に彼らを判別するのが「身なりや臭いがそれっぽい」なのか、それとも明確に判断できる何かがあるのか……

 そういう「美味しい設定」が開示されない(敢えてしない?)のも、やはりツラいポイントではあった……そう思ってしまうの、私だけかしら……?

 

 本当に《キングストーン》と聞くだけでテンション上がっちゃう「心は14歳児」なのよ、私……!!

 許してくれとは言いませんが、ここは、本当に、惜しい……ぅぅ……

 

 いや、もちろん、制作工程を考えれば、すごいのはわかるんですよ?

 あの石自体が《各生物種の遺伝子情報を凝縮し、人間を細胞レベルで変貌させる脅威のメカニズムの結晶》……なんだけどなぁ……そこをもっと強く言ってくれるキャラクターが欲しかったなぁ……

 

 いっそ今回「怪人になりたくて」って理由で葵をビルゲニアに売ったニックとかが「さらに変身を!?」とハイテンションになるだけでなく、むしろそっちにも興味を示してくれたなら……

 てかノミ怪人さん、「気が弱くて逆らえない」ってだけで、本当に良い人だよね……私、こういうキャラも好き……そういう意味では多方面に良い顔をする蝙蝠怪人も嫌いになれないんだよな……

 てかバッタ怪人態の二人がリンゴ食べてる姿……シュール……嫌いじゃない、けど、シュール……。

 

 

 しかし、この作品。

 新城ゆかりという人物を通して見せたいのが、単に「魔性の女が二人の男の運命を狂わせた!」ではないと、私は信じたい。

 

 むしろ、彼女が叫んだ言葉は、真に迫っている。

 

「だったら君たちは、これから生まれてくる怪人たちの未来を背負えるの?」

 

「私は、君たちに消えて欲しいなんて思ってない。

だから今、生きている怪人達には寿命を全うして生きて欲しい。

その平等な世界は、私たちが作る!」

 

「約束する。

怪人が怪人のまま生きられる世界の為に、私は永遠に戦うから……」

 

 自らの血で掌に描いた《永遠》のマーク。

 無理解から始まった差別が横行する世界で、創世王という《親》がいる限り永遠に終わらない哀しみを、次の世代にまで背負わせるのか。

 それは今を生きる世代が、幸せに生き抜いて、そうして尊厳を以て死ぬことを否定しない。

 生まれた姿を恥じることなく、自分たちらしく生きられる世界へ変えていく努力を続けること……

 

 それが彼女の言った「永遠に戦うから……」に込められているんだと思うんです。

 

 

 同時にこれは、この物語を観ている私にも突き刺さる問いかけとも。

 

 誰かを無意識に差別し、蔑み、その尊厳ある生き方を否定していないか?

 

 この作品、ずっとそういう「今これ観ているあなたに訊いてるんですよ」と怒りを込めた眼光で問われている感じがするんですよね……

 まさに18歳以上の、つまりは社会的に大人と見做される人間を相手に訴えかける《仮面ライダー》。

 

 特別に《親》に当たる相手だから怒りを以て戦うわけでもなく、好きになっちゃった女の子の理念に頷く形ではあっても《親殺し》に走り出す光太郎&信彦の行く末は……

 って、もう現代篇で明らかに「敗北しました」が確定しているんだけどさ!?

 

 でも私、その負け方や、そこで生まれた因縁って、大事だと思う。

 

 ビルゲニアが「ゆかりの仇か」「50年たった今なら時効だろ?」と笑ったじゃないですか。

 それがSHADOWMOONにとってどれほど怒り心頭になる言葉だったのかは、実際に過去篇での顛末を知らないと頷けない部分もあるわけで。

 BLACK SUN側の「どうしてゆかりを守れなかった」の答えも、そこにある。

 

 その哀しみと怒りの連鎖こそ、永遠に戦い続けなくちゃいけない理由。

 現実だって、そういうところを知らなければ、解決の糸口など掴めるわけもない。

 私はそう思います……。

 ま、あくまで綺麗事にはなるんですけどね……。

 

 でもさ、これを観た大人の皆さん、ちょっと立ち止まって考えて欲しい。

 そのきっかけにこの作品があるんだと、私は思う。

 どうか、「暗くてつまらない」「後味が悪いだけ」と思考停止せず「どうしてそのラストを描いたのか」、そこを考えて自分なりの答えを持っていてほしいなって、私は考えます。

 

 まあ、そのためにこんな記事を書いているんですけどね……

 アホか? 私が?

 そうですとも、アホもアホ、大いにアホでございますとも!!

 

 はい、これ以上は静かにします。

 そんなこんなで、また8000文字とか超えているので、今回はここまで!!

 こんなところまで読んでいただき、どうもありがとうございました。