仮面ライダーBLACK SUN 第六話 備忘録 | Slipperの部屋

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『仮面ライダー』等の特撮ヒーローを愛好しております。気ままに書きますので不定期更新で失礼。

「私がやっていることが間違っていても、彼らと戦いたい想いは、本当だから」

 

 どうも、当ブログ管理人のスリッパです。

 今日は毎年恒例の「スーパーヒーロータイムがない日曜日の朝」ですね!!

(実はさっきまで忘れていたアホは私です、はい)

 

 それはそれとして。

 

 

 初見時に書き散らしたこの感想ツイート。

 今にして読むと「ヒーローは生まれる」というよりも、「ヒーローよ、生まれてくれ」の間違いだなと。

 

 だってさ、惜しいんだ……すごく伝わるんだけど「絶妙に惜しい」……みたいな……。

 

 それとも、私が書いている作品も、こういう風に映っているんだろうか……?

 まあ、そもそも多くの人に読んでもらえている作品ではないんですけれどね……ははは。

 

(一次創作小説で、人によっては「読みにくいなぁ、この中二病はよぉ」ってなるかと思いますが。もし、良ければ……)

 

 こんな宣伝してないで、さっさと本編やれって?

 はい、失礼しました!!

 

 

※当記事は、各話ごとにストーリーを追ってはおりますが、ネタバレ等を含む可能性があります。できれば、ご視聴後の閲覧を推奨いたします。

 

 

『仮面ライダーBLACK SUN』

第六話

監督:白石和彌

脚本:高橋泉

 

 

 

  第六話ストーリー

 

〝誰が次期創世王になるのか?〟

 堂波の慟哭に応えるべく、三神官は儀式に臨むも「創世王」に拒絶されてしまう。

 時を同じくして、ゴルゴム党への襲撃が実行に移される。

 混乱のさなか、光太郎と衝突したダロムだったが、〝怪人〟の存在を守るため、「創世王」の継承を懇願するのだった。

 一方、葵は再会した幼馴染の小松俊介と共に捕らえられた人々を解放し、脱出をはかるのだった。

 

(Amazon prime video『仮面ライダーBLACK SUN』エピソード文より)

 

 

 

※個人的に「慟哭」って「声を上げて激しく泣き叫ぶ」系列の意味だと思っているのですが、これ、「恫喝」とかと間違えてないかな、と勝手に思います。皆様、どうでしょうか……? 教えて、偉い人!!

 

 

  スリッパの備忘録

 

 

1:望まれぬ玉座

 

 第一回《創世王、誰がなりますか会議》!!

 

バラオム「器じゃない」のでパス。

ビシュム「なりたくない」のでパス。

ビルゲニア「俺は……」と言い淀んだのでパス。

 

 本家『BLACK』を考えれば「むしろ皆が欲しがる玉座だったのでは!?」となりますが。

 まあ、当然のことで……何しろこの世界の《創世王》ってば、エキスを絞り出すだけの装置。

 政府に管理されて身動きも取れず、ただ生きてエキスを出すことしか許されない。

 

 誰が座りたいんだよ、そんなハリボテの玉座なんか。

 というか総理、もうお前がなれば良いのでは!?

 とか言いたくなってしまうのは私の良くない癖。

 まあ、最初はただの人間だと思っていたキャラが、さらりと凶悪怪人になる例はありますから。

 

 え、そもそもルー大柴は既に怪人役をやっているだろって?

 確かに!!

 

 

 

 

 しかして、やっと重たい腰を上げたダロム。

 苦難の末にようやく揃ったキングストーンを合わせてみると……

 

「怪人としての力が足らないのかもしれない」

 

 と、創世王から拒絶されて、まさに器の大きさを要求されるという始末。

 この玉座、単に望まれないだけでは飽き足らず、王者を選ぶときたもんで。

 

 でも《王》って言葉を考えると、割と普通の事な気がするんですよね……

 王家の血を引く者、とかでもない輩が「私が王だ!」って、いやそれいつの時代なのよ、と。

 ここもさ、原点『BLACK』と照らして考えても「キングストーンを埋め込まれた素体」でなければ、王位継承は不可能、って思考にならないのが個人的に違和感が強かった……

 

 いや、この作品における《創世王》っていうのがどこの誰なのか、そこが大きいかな……

 そこを総理が知っているからこそ「誰でもいい!」と言えるのかもしれんし。

 

 そう考えると、創世王なんて仰々しい名前が、人間サイドから与えられた「お飾りの玉座」としての、まさに皮肉と聞こえる。

 

 個人的には、『BLACK』のダークファンタジーな部分、そのベールに包まれた部分を考えるのも、楽しいと存じますので、リブート作品でありながらその良さを封殺してしまったのは、正直に言って哀しいところ……

 いやはや、少ない情報から深読みを繰り返す作業なので、少々エネルギーを消耗しますから、あまり深くやってくれ、とも言えませんが……「霊的エネルギー」がどうとか「霊能力者を探せ!」と真面目に語るシャドームーン様とか、もっと深く見たら絶対に面白いと思うよ、ネタではなくてガチで。

 

 

 

 まあ、それでも私がこの作品で一番好きなキャラはこの名前ばかりが仰々しい、その《創世王》なんですけれどね……!

(しかして、その話は後のエピソードで。一番の好きなポイントがネタバレそのものなので)

 

 

 で、このままだとせっかく揃えた二つの《キングストーン》も無駄になる。

 というわけで「三神官より強い怪人」を継承の儀式に使おうということで、まさかのカマキリちゃんこと葵が選ばれることに。

 

 そう、彼女は間違いなく「ロクな怪人」とは違う「上級」と呼べる存在。

 BLACK SUNやSHADOWMOONのように服を取り込んでの完全変態を見せ、さらには戦いの最中に肉体の色が乳白色からメタリックなものに変化するなど、明らかに他とは違う。

 まさに、「上の上」……。

 

(村上社長も濃いめのキャラでさ、完全に敵なんだけど、嫌いにはなれない深みがある……)

 

 

 しかしカマキリちゃんこと和泉葵、まさかの《キングストーン》が見つめた半世紀、その記憶の断片がフラッシュバック。

 国連でのスピーチで用いた両親からの教え、それが50年前から差別と戦っていた人たちの想いが込められた言葉だと知って。

 

「これを守って戦っている人たちがいる……

ていうか、私もその一人なんだと思う」

 

 期せずして知ってしまったハリボテの玉座とそこから得られる利権に群がる者たちの存在。

 そして、自分はずっと昔から、そこに反旗を翻す側だったと。

 

 同時に、彼女を心配してゴルゴム党に殴り込みに来た一人……BLACK SUN 。

 そう呼ばれる彼こそが、その長きにわたる戦いに苦しみ、心さえ摩耗して「もう戦わないの?」という問いにも答えられず、しかし今は終止符を打とうと再びに立ち上がった側でもある。

 

 こういうところ、好きなんだよな……「もう戦えない」って、たぶん心を閉ざすしかなかっただろう側じゃないですか、それがひょんなことから関わり合いを持ってしまった相手への情に流される形で、戦えないと思ってきた相手と対峙しようとする。

 

 でもね、このエピソード通算して3回目でようやくわかったのだけれど……ダロムが一番しっくりくる。

 というわけで、BLACK SUN とダロムの戦闘中の会話……

 

 

「BLACK SUN、創世王を継承しろ!!」

 

「それであんたは一体なにを望む?」

 

「怪人を守る以外に何がある!?」

 

「人間に従属して生き残った怪人たちは、幸せか? 何一つ争いはなくなっていない!」

 

「だからこそ、新しい創世王と新たな未来を創るんだ、BLACK SUN!!」

 

「怪人の命は、人間と何も変わらないと。俺はアンタに教わった。それは今でも変わらないのか?」

 

「もちろんだ、BLACK SUN!」

 

「ダロム。あんたが望む世界はよくわかったよ」

 

「本当か……、光太郎?」

 

 ここ変身解除して、本名で呼ぶんですよ。

 ある意味、二人がまだ人間の頃に、何かしら通じる部分があったんではないかなと、そんな推察がしたくなる場面。

 

 本家のダロムと言えば「南光太郎!」とフルネームで呼ぶのが基本で、完全な敵対者。

 ついで言えば「完璧な改造を施した」側として、絶対に相容れない部分がある。

 

 けれど、この作品での二人は、50年前に共に差別と戦った戦士で同志。

 それこそ「あんたに教わった」という言葉通りなら、かつての南光太郎が活動家になった理由も、若き日のダロムに共鳴する部分が少なからずあったのではないのかしら?

(そこの描写がほぼ全てゆかりに持っていかれたせいで、マジでこのセリフが浸透するのに時間が掛かった印象もある……いや、仕方ないんだろうけどね!?)

 

 神官たちの中で唯一「人間を殺す」ことでしか得られない《ヒートヘブン》を口にしない彼には、やはり理想がちゃんとあった。

 どこか通じるものがある相手として、BLACK SUN ……いや、人間として生まれた名前である《南光太郎》と呼んだ彼に託したい気持ちもあったのかなと。

 

 ただ、それを託すには、遅すぎた。

 

「創世王の奪い合いがしたいなら、俺もそうする……」

 

「創世王は、俺が殺す……!」 

 

 

 驚き、そしてとても悲しそうに歪むダロムの顔。

 でも仕方ないんですよ。

 

 過去に同じ理想を……《人間と怪人は平等な権利を持って、共存できる》……そんな祈りにも似た志があった二人だったとしても。

 そのダロムが「望む世界」を理解しながら、けれどBLACK SUN は、それをもう肯定できない。

 創世王の奪い合い……怪人を利用したいだけの人間がトップにいて、そんな命令を出しているのなら。

 きっと、彼らが望んだ世界は、永遠に実現しない。

 そういう決別の意味を込めた言葉だったんだろうな、と。

 

 誤解を恐れずに尋ねていいのなら。

 

 寿命を全うしてちゃんと死ぬ……それって幸せなことじゃないでしょうか? 

 

 あんなハリボテの玉座で、ただエキスを垂れ流すだけの名前ばかりの「怪人たちの王様」を観て、そう思うのはおかしいでしょうか。

 

 数で勝る人間に迎合して生きるしかない現状の怪人たちにとって希望にはならず。

 しかしそこに生きているだけで、利権に目が眩む悪い人間の「金のなる木」でしかない。

 この負のスパイラルと哀しみの波紋を垂れ流してしまうハリボテの玉座なら、ここで壊す。

 そこに座る本人さえも、きっともう望んでいないだろう、そのハリボテの玉座を……。

 

 そんな決意が込められた仮面ライダーBLACK SUNの声が……それを演じた西島秀俊さんの声が、私はやはり好きなのです。

 

 

 

2:の重さは等価か?

 

 SHADOWMOON派閥がゴルゴム党を襲撃する今回のエピソード。

 

 悲しいのはさ、やっぱりここで《暴力》と、それによって奪われる命があること。

 しかもそれを「命の重さは」って話をする葵の幼馴染である俊介が口火を切る。

 

 私ね、中学生も終わりの頃に『機動戦士ガンダムOO』って作品に出逢ったんですよ。

 そこでは、かつて中東のテロに無理矢理に駆りだされた少年兵の男の子がいて。

 殺されかけた時に現れたガンダムという兵器を《救世主》だって思い込むような残酷な戦争があり、成長した彼は自らガンダムに乗り込んで、そんな戦争を一つ残らず根絶しようとする。

 そんな理想を胸に戦う《テロリスト》な主人公の物語。

 

 

 

 当時の私は、そこにどれだけの矛盾と絶望があったかを理解できなかったけれど、確かに衝撃を受けた。

 それがきっかけで、大学生の頃には中東のテロについて考える機会もあって。

 そこにはイスラム教というものが関連していること、けれどその宗教はあくまでテロをさせたい人たちが口実に使っているだけだったりすること、しかし口実だとしても許せない気持ちから凶行に走ってしまう人たちがテロリストと呼ばれることなどを知りました。

 

 極論すれば、テロや犯罪に走ってしまう人は「追い詰められている」と感じながら生きている誰かというケースは存在する。

 根っからの悪人なんかじゃなく、その心が軋み涙を呑んできたからこそ、暴力に訴えるしかなくなった誰かが、犯罪者と呼ばれてしまう。

 

 今回の俊介たちは、まさにそういう側でしょう?

 

 差別の撤廃は本来的には「平等に生きる」=「互いの命や人格を大事にする」という志があってのことだったはず。

 でも、そんな綺麗事を全て「バカ言ってる!」と切り捨てる人間がいて。

 そんな状況が存在することは国連でのスピーチが証明するように世界的にも知られているのに、日本という国のトップ層である総理はむしろ裏で社会的少数者をビジネスに利用している。

 

「だったら戦うしかないだろ?」

 

 中村倫也さんが演じるSHADOWMOONの演説の一節でも、その言葉は静かに、けれどしっかりと強く刺さるものがあった。

 

 だからこそ、たとえ「願っていた平和」と明らかに矛盾するとしても、俊介たちは「自分たちに正義がある!」と言わんばかりに施設を爆破し攻め入った。

 そこで普通に「こんにちは」と、簡単でも挨拶を交わせた人がいたにも拘わらず。

 

 命の重さは本当に等価なのか?

 

 一グラムだって違いはないと明言する人物たちの想いなど、あの場で流れる銃撃音が平然と血で染めていく……それが答え。

 

 個人的には、視聴者全てへ「現実はこうならないよね?」と、暗く淀みながらも鋭く光る眼で問いかけているようにも感じます。

 でも現実、中東どころか世界中でテロも紛争もなくなっていない。

 むしろ、これまでの一つ一つがきちんと解決しないまま禍根を残し、それが次の災禍を引き起こしている印象すらある……。

 なぁ、これを読んでいるあなた様よ……どう思う……?

 

 

 おっと失敬、

 

 時に、革命戦士たちを率いたSHADOWMOON、何でSATが待ち構えていたのかと一瞬だけ訝しむように声を漏らします。

 理由はきっと言うに及ばず……「キングストーンが揃った」=「SHADOWMOONやBLACK SUNが黙っていられず攻撃してくる」と見越しての堂波の采配でしょう。

 それこそ、収容していた人間たちも見境なく殺した理由も「面倒だから」になるのでしょうか。

 

 堂波の感性からすれば「怪人なんて掃いて捨てるほどいる」し「生産性のないマイノリティな人間も後でいくらでも徴収できる」わけで。

 むしろ人間の姿になれる怪人たちが攻め入っている以上、SAT隊員たちが撃って良いかの判別に時間を食っている間に面倒事へ発展する可能性は充分にある。

 

 だから最初から「施設から出ていこうとする者、全て撃て」と命じていたのだろうな、と。

 

※あくまで推測です。ていうか作中で誰か説明しろくださいやがれ。ビルゲニアにギャグシーンさせるカットより、堂波総理を演じるルー大柴氏が「全部消しちゃえば早いだろ」とニチャァって笑顔見せるくらいの方がよほど意味がある気がするのは私だけ??

 

 

 ただ、そんな中で必死に逃げる俊介と葵が、望まずに持ってしまった怪人の力で、人を助けようとしたシーンは、もしかしたら前回の西島秀俊さんの変身シーンより《仮面ライダー》というヒーローらしかったかもしれない。

 

 特に葵が「でも私、怪人じゃない……」と、言った直後の俊介の言葉。

 

「怪人とか人間とか、葵が一番嫌ってた事じゃん。怪人もおんなじ《人間》なんじゃないのかよ?」

 

 人助けが本当に正義なのかと迷うヒーローを奮い立たせるヒロイン的な、良いセリフ。 

 これまで「命の重さは同じ」と堂々と言ってきた葵自身が、その怪人になってしまった自分を受け入れていない……平等に見做していなかったと。

 

 ただ……できれば、そこは前回の改造シーンあたりでも言及が欲しかったところで……。

 この非道な差別を撤廃し平等を守れと言う側こそが、無意識のうちに「自分はまだ安全な立場にいるから言える」という点に気付いて、迷い悩み苦しみそこから真の意味で同じ立場になった彼らの「命の重さ」を語れるようになる……そんなドラマもできたのではなかろうか……

 望まずに力を得て孤独になるしかない、そんな《改造人間の悲哀》を描ける配信作品だからこそ欲しかったなぁ……!

 このご時世じゃあ、それ本当にテレビシリーズでやれないからな!!

 

※あくまで個人の意見です。こうやって考察できる余地が存在するならちゃんと描写はされている、と感じられる方もいると存じます。まあ、むしろ「怪人になった時は痛かったけど、なっちゃえば意外と便利かも!」とかサイコパスなこと言い出さなくて良かった……

 

 

(何度でも言いますが、《改造人間の悲哀》を私がちゃんと学んだのはたぶんここ。いや、もちろんね、理解できねぇって人はきっといる。それはわかってんですよ。それこそ「改造人間の弊害だろ?」って言われて激怒する私みたいな人間はよろしくない……とわかっていても。

「違うんだよ、これは悲しくて哀しい……《悲哀》なんだよ……哀愁が漂う痛みを帯びて、それでもなお戦う意志を持つ英雄の魅力を引き立てる部分なんだよ!!」

とか何とか言っちゃう老害は私です……ごめんな……こんな私で……でもここだけは変われない……いや、変わりたくないんだ……)

 

 

 それはそれ、これはこれ!

 怪人達の群像劇ではありますが、その中で怪人を見つめる《人間》でもあるオリバーとゆかりの会話も、大事だよね。

 

「俺もずっと差別と戦ってきた。だから怪人たちの気持ちが痛いほどわかった。一緒に戦いたいと思った」

 

 ここもさ、要するに1970年代はまだ有色人種への差別も存在した時代で。

 それこそオリバーは「ずっと差別と戦ってきた」という言葉通り、終わりが視えないように感じても戦っていたのかもなと。

 いっそアメリカでなら、白人至上主義の団体である《KKK(クー・クラックス・クラン)》の起こりは1865年ですから、自分の身近な人たちの命があまりに軽々と散っていく様も知っているのかもしれない。

 

 だからこそ、怪人でも何でもない彼が純粋な気持ちで共感してそこにいるからこそ、ゆかりに問うんだろうなと。

 

「本当の事教えてよ……ゆかりは、彼らと一緒に戦いたいの?」

 

 おそらく新城ゆかりも「怪人ではない人間だが、その差別は間違っている」と語り、五流護六に参加したメンバー。

 ただこの逃避行の中で、オリバーには彼女の言葉と気持ちの揺らぎが視えたのかもしれない。

 

 ゆえに、その回答は。

 

「私がやっていることが間違っていても、彼らと戦いたい想いは、本当だから」

 

 

 彼女の本心は、その言葉にあるはず。

 しかし秘めたものを明かそうとはしない。

 

 怪人たちの命が、当たり前に寿命を全うする世界になるよう戦うと言った彼女の本心は、どこか。

 そして、そんな彼女が示した道を一人ひた走る光太郎の、創世王との闘いの行方は。

 

 さて、今回のラストには、遂に創世王と対面するBLACK SUN=南光太郎の、過去と現代のオーバーラップが描かれましたが。

 遂に激突する王と王子、その圧倒的なバトルシーンは自分も手に汗握って見つめましたとも!

 

 いやむしろ……正直な話をしますぜ?

 この回においてのSHADOWMOONに対しては「過去でどんな激戦の果てにバラオムに捕まったかと思えば、そんなアッサリ!?」とか「現代でのビシュム戦、自らの蟲としての脚を抜刀術みたいに引き抜くシーンは迫力あったけど、そこで一撃デカイのを決めてくれると嬉しかったな!!」とか、割と戦闘シーンには頓着しない方の私ですら言いたくなることはありました。

 いや、逆に言えば、やはり特撮ヒーロー作品って《伝統芸能》なんだなって、そう再認識させられたかもしれない。

 どんなバトルシーンに仕上がれば客が満足いくものになるか、それを実感を持って知っている歴戦の監督たちがこれまで様々な戦闘描写を描いたからこそ《バトルアクション》というジャンルとしての良さが人気の大きな支えだったことは疑いようもなく。

 というか、たぶん小さなお友達が最も興奮して観るのは「変身シーン」から流れるように描かれる「バトルシーン」でしょうから……たぶん、Maybe、知らんけど。

 

 はい、愚痴っぽいことをいくら言っても仕方ないので、今回はここまでとさせてくださいまし。

 

 こんなところまで読んでいただき、どうもありがとうございました。