仮面ライダーBLACK SUN 第二話 備忘録 | Slipperの部屋

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『仮面ライダー』等の特撮ヒーローを愛好しております。気ままに書きますので不定期更新で失礼。

「もっと怒りなよ。君たちにはその権利があるんだよ」

 

 どうも、当ブログ管理人のスリッパです。

 できる時にやらないとね。

 というわけで、昨日に引き続き『BLACK SUN』の備忘録記事を一つ。

 

 

※当記事は、各話ごとにストーリーを追ってはおりますが、ネタバレ等を含む可能性があります。できれば、ご視聴後の閲覧を推奨いたします。

 

 

『仮面ライダーBLACK SUN』

第二話

監督:白石和彌

脚本:高橋泉

 

 

 

~第二話ストーリー~

 

 総理大臣、堂波真一は権力を振りかざし、生活困窮者やマイノリティらを利用した怪人ビジネスで私服を肥やしていた。

 彼と裏でつながる政党「ゴルゴム党」はキングストーン回収の命を帯びた刺客を光太郎に差し向ける。

 そして再び動き出した信彦の真の目的とは…

 

(Amazon prime video『仮面ライダーBLACK SUN』エピソード文より)

 

 

 

~スリッパの備忘録~

 

1:アネモネと結界、その違い

 

 

 これ、ネタバレをせずに感想ツイートするの大変だったな、という記憶。

 ただどうしても第20話から着想を得たと一目でわかる《アネモネ怪人》《変身封じの結界》については「そこを持ってきてくれたか!!」と嬉しい反面、もう少し丁寧さが欲しかった印象も……

 

 いや、これは原点『BLACK』が非常に秀逸にやっていたせいもあるし、ドラマパートとの時間的な兼ね合いが難しいのかなと邪推します……

 ていうか30分番組がそこに一点集中してドラマを展開しているのに対して、45分前後の尺があっても10話しかないうちの一本ですから……いや、でも45分は割と長いかもしれん……むむむ……

 

 ただこちらはそもそもが「変身するのは良いが、それで発生する光が空気中に蔓延した花粉に引火すれば人質の子が死ぬだろう爆発が起こるぞ?」=「お前のせいで子が死ぬぞ!」なんですよね。

 

 いや、まあ、手中にターゲットにした子が既にあり、一番の標的たるBLACK SUNこと南光太郎がどっちにしろ変身できないようにしてはいるのだけれど……

 ああ、でも、現実的に考えれば今回のアネモネさん、成功の暁には三神官のポストが欲しい、と言っているくらいですから自分の身を犠牲にしかねない作戦は考えないかな?

 どちらにしろ「自分に危害を加えることを制限する」ためになら、いくらでも残虐ができる怖い女……すごいキャラだ……

 

 ただ、シャドームーンこと秋月信彦の登場と共に結界という利点を棄ててまで逃走した理由がちょっと腑に落ちず……

 個人的な深読みとしては、以下の二択。

 

・ブラックサンの動きを封じることしか考えておらず、シャドームーンには結界の効果が出ない為

 

・怪人態になっているとは言え、強力な男二人と戦うのは分が悪いと感じた為

 

 シャドームーンが脱獄したことも、ブラックサンの強さも、どちらも聞いていた割には詰めが甘い……

 

 いや、そもそもあの結界自体が慌てて拵えたものか? 様子見と監視用の何かを準備していたら、邪魔をされたから彼女を殺し、念のために他者の変身を防ぐ結界を……?

 ふむん……何だか腑に落ちないところですが、きっとこういうことでしょう。

 

「人質を連れて逃げきってさえしまえば、交渉のチャンスはある!」

 

 たぶん、maybe……

 ほら、少なくとも前情報としてシャドームーンがブラックサンと旧知の間柄であり、あの場で揃ったことも踏まえれば「やっぱり味方同士ってことかよ、ここで戦いたくねぇな!」と考えたのは普通なのかも。

 

 実際、「こいつがどうなってもいいのか」と捕まえた葵を盾にしたものの。

 

「こいつがどうなろうが俺には関係ない」

 

 淀みなく変身して容赦なく一撃&噛みつきを敢行したシャドームーンにやられていますからね……

 光太郎も唖然といった感じで何も言えずに棒立ちですから、相当なショックだったのかも。

 あるいは「信彦が、ここまでするなんて……」とか感じていたのかな……

 そういう冷酷に徹することができるか否かが、原点の『BLACK』でも萬画版の『Black』でも変わらない点かもしれない。

 それこそ、この二人の対立は、極論すればそこがきっかけでもあるわけで……

 

 やはり「南光太郎」と「秋月信彦」が対立関係になると思ってしまうのは、原点を知るがゆえの弊害ということになるのかしら……むむむ……

 

(ちなみにこちら第20話、11月4日の21時30分から東映特撮YouTube Officialでも配信されるそうですよ! 観ていない方は是非とも!! 手に汗握る展開で、アラサーおじさんな私もドキドキしながら観られました!!)

 

(↑が当ブログでの記事です。ご参考までに)

 

 

 

2:名前と過去、女の魔性

 

 それはそれとしても、やはり一発目から重たいのは冒頭、1972年の社会描写。

 人間も怪人も、どちらが先にやったかなど定かでない《報復の連鎖》……

 そのリンチがどんどんエスカレートしているのは、改めて観てもやはりおぞましいと言うか……

 怪人たちが三人で一人を殴り蹴りして命を奪ったかと思えば、逆に人間たちはより多くを集めて一人のサイ怪人を吊るして燃やしている。

 もはや魔女狩りでもしているのかと訊きたくなるレベルの醜悪さ。

 そのどちらもが「仲間を殺しておいて!」と《恨み》に執着していて、どちらも救われない。

 

 2022年では《ゴルゴム闘争》と呼ばれているこの事態。

 

 若き日のビルゲニアが「この手で平等な権利を勝ち取るべきじゃないのか!」と、怪人に備わった力を発揮すべきと扇動しているくらいですから、かなり危険な方向にも感じます。

 

 現実の我々で言えば《日本赤軍》とかの話に近い方面にシフトしている感じも……。

 

(とりあえずこちらを読みました。一面的な話かもしれないけれど、事実としてそれだけの人間が犠牲になっている、というのだけはきっと……悔しいけど、これ現実なんですよね……)

 

 で、この《ゴルゴム闘争》。

 おそらくそれはニュースなどにもなっていたのでしょう、シャドームーンと呼ばれることになる秋月信彦は、ずっと「俺はまだ暴力を良しとは思っていない」と言い続ける。

 

 ところでさ……これ気になったの私だけかな……キャラクターの呼び方の話。

 ダロム、ビシュム、バラオム、ビルゲニア……全部が明らかに日本人の、というか「人間の名前」っぽくないんですよね。

 

 それは原点『BLACK』では当たり前に使われていたんだけど、ちょっと状況が違うかな、と。

 1987年放送開始されたテレビシリーズにおいて、三神官は明らかに《異質》で、それこそ暗黒世界の住人です、って感じなので違和感がない。

(ある意味、当時の東映特撮シリーズとしては普通の事なのですが……これがヒーロー番組特有の空気感ってことか……?)

 

 対する『BLACK SUN』におけるこれらの呼称は、いわゆる《コードネーム》

 ゴルゴムが漢字表記にして《五流護六》にされている部分も合わせると、革命運動集団におけるリーダー格になる人物たちは、みんなこういうコードネームを名乗っていたと取れます。

 それが本名を名乗らないことで、敵陣営に特定されてリンチを受けて殺されるのを防ぐ意味もあったでしょうし、万が一の場合も名前を誰かが受け継げば運動の勢いは消えないと考えたか……?

 

 ちなみにテロ活動をする組織がコードネームなどの特別な名前を持つのは、実際にもあったことのようで。

 白人至上主義を唱えた組織《KKK(クー・クラックス・クラン)》では、構成員を「帝国の民」と考え、どこかファンタジー世界のような称号などが用いられたとか。

 今だと「ゲームの話」と言ってカモフラージュできそうで嫌な話ですな……。

 

 で、おそらくゴルゴムにとってもコードネームは、かなり強い怪人などにしか与えられない称号なのでしょう。

 実際、現代篇では「上級怪人」という言葉が出ていて、作中の表現でも「服を着たまま顔や手だけが怪人の姿になる者」と、「着ている服すら取り込むように完全変身する者」の二者がいる。

 今回で言えば、アネモネさんは「上級」の部類。それについて話していた俊介くんは本人の言う通り「下級」なんでしょう。

 そういう意味でなら、バッタ男への変身を観ていた俊介くんが「あの人は上級怪人よりも……」と口にしていたのは、やはりそれだけ南光太郎が《異質》ってことなのかも……。

 

 ブラックサン……黒い太陽。

 そんなコードネームを名乗れるだけの強さがあった、とも。

 

 ゆえに1972年の頃の南光太郎も秋月信彦も、ゴルゴムに加入する前の段階ではその「ブラックサン」とも「シャドームーン」とも呼ばれない。

 まだ活動家としての二つ名がない状態だった、という考え方をすればしっくりくるかと。

 

 ただ、できればこの辺もフォローが欲しかった点……わざわざリブートするのだから名前にまで現実味とこだわりの両方が欲しいと思ってしまうのは、やはり往年のライダーファンとしてのワガママなのかしら。

 

 個人的な話ですが、『仮面ライダーW』のように「なぜ仮面ライダーと呼ばれるか?」が明確に説明されていたり、逆に『仮面ライダークウガ』のように「敢えて誰にも仮面ライダーと呼ばせない」と徹底したり、というのが好きでして。

 それこそ『アマゾンズ』ではリブート元である『アマゾン』からは、一切として同名のキャラクターを使わず完全一新したことで「あくまで別物」とするリスペクトの仕方もあって。

 

 いや、むしろあれか。

 あの頃はまだ、それができた時代だった、というだけか……?

 記号的に《腕輪》が重要とか、野獣的な闘いが魅力とか、そういう部分こそ引き継ぎながら、しかし敢えて「別物」であることを強調する。

 嫌な言い方ですが、あの当時はそんな「別物」であっても「観る人はちゃんと観てくれるはず!」という自信というか確信みたいなものが制作陣にもあったのでしょう。

 しかし現代、リブート元から35年が経った今、これを見せたい世代には「完全一新」は厳しいと。

 役者さんも違えば人物像も同じとは言えないけれど、観て欲しい世代の人に一発で理解してもらうなら、確かに名前は同じにしたいと……そんな意図もあったのかな?

 

 いやいや、もちろん監督が「すげぇよ『仮面ライダーBLACK』!!」と感銘を受けて、そのリスペクトを込めて名前を継承した可能性もあるので、あまり言わない方がいいのかもですけれど……

 

 ただ、その白石和彌監督ならではのオリジナリティも。

 

「もっと怒りなよ。君たちにはその権利があるんだよ」

 

 1972年の信彦にそう語ったのは、新城ゆかり。

 ゴルゴムに参加するのを渋っていた二人を一瞬にして惹きつけたほどの《魔性の女》……!

 もう初手から二人に対して絶妙な距離感で迫ってくる……社会派ドラマとしては、すごく納得するけれど、やはり身近にいてほしくないタイプ……でもそういうのに惹かれちゃうのも男なんだよな……

 

 ちなみに、原点たる『BLACK』で言えば、克美さんに相応するのかしら……

 いや、でも克美さんはむしろ信彦さんに首ったけの超ぞっこんで、それこそ敵陣営のトップ候補として姿を現した際にさえ……

 なお、主役である光太郎さんと恋愛感情を向け合ったという感じもないんですよね……

(そういう意味では、信彦の実の妹である秋月杏子というヒロインがいますし……まあ、その、二人が幸せに結ばれるルートが「改造された」という時点でほぼないんですけどね……いや、今のご時世ならワンチャンあるのか……妄想すればそういう世界線も書けるのか私……?)

 

 とかく彼女がゴルゴムに誘ったことで、信彦の中では「温かな記憶」と感じるシーンにもなっていて。

 なんだろう、この「楽しかったあの頃」みたいなノスタルジー溢れる作り方は……

 私が好きな感じを的確に突いてくる……

 

 でも信彦に対して告げる言葉は、単に楽しかったあの頃で終わらない。

 

信彦「俺はまだ暴力を良しとは思っていない」

 

ゆかり「だったら平和に解決しようって訴えたらいいよ。でも君はわかってる。そんなことしても、棍棒で殴られて地面に這いつくばるだけ。最後はどこの誰かもわからない死体で発見される。君たちの仲間はそうやって何人死んでいった?」

 

 だからこその、「もっと怒りなよ」……。

 そう、この闘争の発端が何であれ、もうここまで来てしまった以上は平和的解決など存在しない。

 だから声を上げろと、当然の権利が踏みにじられたまま口を噤むなと。

 事なかれで有耶無耶にすることによってバランスを取っている部分もあるこの世界で、かなりロックなことを言う。

 旗にスプレーで「永遠に差別と闘い続ける」という意味で永遠のマークを刻むのも、淡々としながら怒りを燃やす革命家らしい。

 

「俺は構わないよ……ゆかりがやるなら、俺もやる」

 

 総理の孫を誘拐して交渉の席に着かせよう、なんて計画にこう言わせるんだぜ?

 相当に「このままじゃダメだ」って感じさせたうえで「この人の為になら」と思わせる必要がある。

 いや、本当に《魔性》よ……若さゆえの過ちって感じでバイクを走らせながら回想しているけども!

(個人的に『BLACK』のロードセクターが大好きになってしまったので、「あれは名前をもらったバイク」でしかありませんが……まあ、超マシンである必要ないもんね、この作品では、うん……)

 

(親子三代の想いが詰まったマシン……「悪の手に利用されるくらいなら」って必死な想いをさ、その悪と互角以上に戦う仮面ライダーが継いでくれるエピソードなんよ……私、改めて観てすごく感動したので、よければ是非……!)

 

(当ブログの記事です、ご参考までに……)

 

 

 

3:本当の怪人とは

 

 

 白石和彌監督、『BLACK』第2話から、もうこの構想を考えていたとしてもおかしくないよな……!

 などと、唐突に言います理由を説明させてくださいませ。

 まずはこちらをご覧ください。

 

 

 何を一話分まるごと貼っているんだ、と思われたかと存じますが。

 私ね、つい先日にこのエピソードを観た時に思ったんですよ。

 

「本当に怖い怪人とは……意外! それは《人間》ではないのかッッ!!」

 

 実際、大量のバッタが飛び交う中で平然とパーティ続行している姿とか異様でしかない。

 しかもその理由が「次期後継者が、成熟した証拠だ!」とか思っているわけでしょう?

 怖いよ!?

 

(こちらは当ブログの記事……て、三度目だからもうご存知ですね……失礼)

 

 

 そこに来て白石和彌監督ときますれば、社会の闇、その常軌を逸したとしか私には思えないけれど確かに存在する犯罪を克明に描写する映画監督さん。

 そんな彼が「本当の怪人とは?」と突きつけるのは、総理大臣=堂波真一。

(ルー大柴さん、そんな怖い演技もできるの!? とか驚いたのはここだけの秘密……)

 

 ビルゲニアを従え、三神官にも当然のように「自分が上だ」という態度で迫るこの男。

 ただの内閣総理大臣じゃございません、裏で酷いビジネスに興じております。

 

「生活保護者、独居老人、こどもをつくれないLGBTQ……怪人やヒートヘブンの材料になる人間は腐るほどいる」

 

「創世王が垂れ流すエキスは魔法のエキスだ……エキスは金を産み、金は人を集め、人は権力をもたらす」

 

「人間の肉片とエキスを混ぜ合わせればヒートヘブンになり、怪人たちは高額で買う」

 

「エキスは人間を怪人に改造する材料になる。昆虫、動物、植物……エキスがあれば、あらゆる怪人に改造できる」

 

「だが肝心の創世王のエキスが出ないとは、皮肉な話だ」

 

 

 わかります?

 要するにこの男が一般市民を材料にして《ヒートヘブン》も《怪人》も作っている元締めってことなんですよ!?

 しかも「世界征服だ!」でも「人類の文明など滅ぼしてしまえ!」でもなく。

 ただ「金儲け」と「権力の維持」を目的にして。

 誰が本当の怪人かなんて、一目瞭然。

 そう、超常能力を得たわけでも何でもない……《ただの人間》の方が、よほど恐ろしい怪人だと。

 

 しかもね、この世界で言う《ヒートヘブン》、純粋に「生命力を賦活させる」以外にもおそらく「麻薬」的な側面もある。

 単に「老化現象を止める」だけで多くの怪人が大枚をはたいて買うか。

 いや、もちろん誰しも「死にたくない」と欲する可能性はあるのですが、それ以上に「これを買っている自分は上級」とか「人肉が混入していると知っているが、むしろそれが良い」とか、そういう側面もきっとあるのではないか、と。

 

(白石和彌監督が描く社会の闇、そういう犯罪系が多い印象でして……少なくとも私が観た二作品のうち一つは、警察官が麻薬取締のために潜入し、いつの間にか自分もその沼にハマっているという……ハマるのは『仮面ライダーBLACK』の沼だけにしておけってあれほど……いや、主役だけで言えば『555』か……綾野剛さんだもんな……)

 

 

 怪人オークションもね、海外の富豪たちを相手にしていたでしょう?

 あれもさ、「怪人は日本が製造法を握っていて外には出せないからみんな仮面つけて買い付けに来てね!」って感じなのも、すごく怖い。

 怪人化のスイッチを押したコンパニオンのお姉さん、その耳をオニザル怪人がかぶりつくのも、何か「そうなることまで予見したうえであの位置に立たせました」感もある。

 最初はただの人間として檻に入れられて、でも電流か何かで怪人化して怒り狂って攻撃した。

 その様を、富豪たちは拍手しながら笑って観ている。見世物だと思っている。

 そして「ペットでも殺人でも、お好きに使えますよ~!」と宣伝して高額の値段をつけていく……。

 

 

 なあ、仮面ライダー……早く来てくれよ、こんな地獄を終わりにしてくれよ……

 そんな気持ちが湧いているのが今の私です。

 ただし、そんな《都合のいい神様》はいません。

 フィクションだからこそ「悪魔みたいなモンスター野郎は一発KOだ!」もできるけれど。

 フィクションだからこそ「こんな悪魔みたいな非道が許されるんか!?」もできてしまう。

 ただし「びっくりした?すごいっしょ?」なんてガキの悪戯みたいな話をするためじゃない。

 

「こんな悲しみと怒りの連鎖が延々と続いている……俺達には創世王を殺してゴルゴムを潰すという使命がある」

 

 そうしなければ、この残酷が延々と繰り返されるんだぞ、と。

 主人公たちが戦う理由を明示する意味で、非情だけど、非常に必要性が高い。

 

 ちなみにここさ、萬画版『Black』における南光太郎と秋月信彦の共闘を思わせるのも良いよね。

 

 

 

 ただ、ここでブラックサンこと南光太郎、去っていくシャドームーンこと秋月信彦より、葵の方へ向くんですよね。

 家族同然の相手を殺された少女に、言葉こそなくとも情を感じる手を伸ばすことはできる。

 助けてやれなくてごめん……俺が守ってあげられたなら……なんて言えないけれど。

 ただただ、泣かせてあげる。

 その時、ただ傍にいてくれる……それだけでも、救われる心はあるんじゃないかって私は思います。

 

 また、葵が電話越しにも「本当に今日、会えるの?」と切実な声で言った実の両親との約束の場所へもマシンを走らせて連れて行ってくれる。

 ところで前回、書き漏らしたなって思ったんですが……葵の両親、指名手配所が貼ってあったんですよ……ええ、光太郎がケタミンもらって葵の抹殺指示をもらった直後のシーンで……

 

「たくさん甘えておいで。私に気を遣わないでいいから」

 

 そう言ってくれた美咲さん……本当に「もう一人の母」だったんだろうな……ぐすん……

 

 それなのに、指名手配されていた両親はビルゲニアと蝙蝠怪人によって捕まってしまうという……

 酷いぞ、ビルゲニア!?

 

 しかしどうしてまだ両親を必要とするだろう娘を放置してまで逃亡生活をしていたのか?

 彼女たちを警察ではなくビルゲニアが捕まえに来た理由は何なのか?

 その辺も次回からの見所ですから、是非とも!

 

 時にさ、ヒロイン葵が雀怪人=俊介と幼馴染関係だったのも、大きいよね。

 やはり差別やヘイトって、結局は「無知ゆえ」に起こることもあるわけで。

 もちろん、その土地や人柄を知っているからといって差別を一切としてしないわけじゃない。

 むしろ知ったからこそ「嫌だな」と思うのもあるでしょう。

 ただ、知ったうえで「良いな」と思っているからこそ、葵は「人間と怪人が傷つけあわない世界」を訴えていく。

 

 同時にさ、そんな彼女だからこそ、あのバッタのおじさん=南光太郎を指して、こんなセリフを言うんじゃないかしら?

 

「なんかずっと泣いているような目してたから」

 

 

 これ、つまり、彼の抱える《孤独》を感じ取っているんだと解釈できるかなと。

 それは彼女自身が痛切に両親への想いを募らせる子だからこそかもしれないし、常に差別主義者たちの前に立って戦う痛みに耐えている側だからこそかもしれない。

 

 

「怪人とか人間とか、関係ないよ。

悪い奴が悪いだけでさ」

 

 

 葵の告げたこの一言が、全てを物語っているなと。

 怪人も人間も関係なく、その手にした力を悪事に利用して笑っているなら、それが一番悪い。

 同時に、それを誰かの為に使うのなら、それこそがきっと《ヒーロー》。

 私は《仮面ライダー》とはずっとそういう存在だと、悪によって発した力を己が信じる正義に使うヒーローだと、そう考えています。

 

 

 さて、なんかもう9000文字を超えているらしいので、今回はこのあたりで……。

 言いたいことが多すぎるよ、この作品!!

 なんか「流石にちょっと……」って意見も多いようだけど、私は「悪くはないぞ!」と言い張る側です。

 以上。

 

 こんなところまで読んでいただき、どうもありがとうございました。

 

 

 

(でも『BLACK』もとても良い作品なので、良ければ観てくださいね!! むしろ『BLACK SUN』で心をかき乱されたあなたにこそ、「こんな哀しみに苦しみ、でも立ち上がって泣いている誰かに『もう大丈夫だよ』って助けに来てくれるヒーローが観たかったんだ!!」ってなったあなたにこそ、『BLACK』アリだと思います!!!!)