仮面ライダーBLACK SUN 第一話 備忘録 | Slipperの部屋

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『仮面ライダー』等の特撮ヒーローを愛好しております。気ままに書きますので不定期更新で失礼。

「人間も怪人も命の重さは地球以上。命の重さに違いはないのです。1グラムだって」

 

 

 どうも、当ブログ管理人のスリッパです。

 先日ついに配信がスタートした作品『仮面ライダーBLACK SUN』、昨日全10話をぶっ通しで視聴しました。

 いやー、重たい!

 たぶん第一話をご覧になった方も「あー、かなりお腹いっぱいだわ……」と思ったことでしょう。

 こんな重たい作品、一度に440分も摂取するのは、カロリー計算が合ってないよ!?

 2016年の『アマゾンズ』みたいに週一回の方が助かったよ!?

 いやでも一気見したからこそ感じるものもある気がする……リブート元の『BLACK』のみならず、媒体を問わず過去のライダー作品への愛がこもった作品だし……むむむ!

 

 そんなことを思って発狂するレベルの「すごい作品」でした。

 

 でね……

 おそらく最終回で賛否両論というか、人によっては「けしからん!」とか「最高に衝撃的な終わり方だったぞ!?」とか、言われると思うんですよ。

 それこそ『仮面ライダーBLACK』を好きだった方には「こんなの私が好きな『BLACK』じゃないし、南光太郎でもない!!」とお怒りの声が出るかもしれない。

 

 ただ、私は『仮面ライダー』シリーズが好きな人間として、また創作小説という形ではあっても自分なりの《仮面ライダー観》を描こうとしている人間としても、この作品をきちんと真正面から捉えたい。

 監督をはじめ多くのスタッフがこの作品に込めたリスペクトを、自分なりにではありますがきちんと残したいし、特にそれを知らない方が観ても「興味深い作品だった」と思えるような内容だったと感じるので、そこも伝えていきたい。

 

 正直、読む人によっては、これは私の妄言だと……それこそ作中の一人がずっと叫んでいる通り、「バカ言ってる!」と笑われるかもしれないけれど。

 

 それでも残しておきたい。

 

 もしも、今これを読んでいるあなたが「そんなんでも良いよ、読んでやるぜ」と思ってくれたなら、どうぞこの先を進んでください。

 

※当記事はネタバレ等を含む可能性があります。ご視聴後の閲覧を推奨いたします。

 

 

 

 

 

『仮面ライダーBLACK SUN』

第一話

監督:白石和彌

脚本:高橋泉

 

~第一話ストーリー~

 

 日食の日、ある実験室で二人の少年、南光太郎と秋月信彦の身体に聖なる石が埋め込まれた。

 その出来事から数十年後、世界は二つに分断されていた。

 社会から「怪人」と呼ばれる者達を排除しようとする勢力と「怪人」との共存を望む勢力。

 そんな喧噪の中、まるで世捨て人のようになってしまった男、南光太郎がいた。

 そんな分断された世界を変えるべく国連の壇上で差別をなくそうと訴える一人の少女、和泉葵。

 彼女と光太郎が出会う時、止まった時が動き始める・・・

 

(Amazon prime video『仮面ライダーBLACK SUN』エピソード文より)

 

 

 

 

~スリッパの備忘録、の前に~

 

 

 こちら、初見時の私が書いた感想ツイート。

 

 先に少しだけ監督の白石和彌氏について。

 率直な印象を述べるなら「社会派映画の鬼才」というところでしょうか。

 この『BLACK』リブート企画でお名前を知って、監督された作品を二つほど観ました。

 それが『凶悪』と『日本で一番悪い奴ら』でした。

 

 

 

 

 どちらも社会の闇にフォーカスした映画で、私にとっては劇薬でした。

 それこそゴルゴムの下級怪人も跳び上がって逃げ出すほどの恐ろしい人間たちを題材にした作品で、麻薬などの犯罪はもちろん暴力描写もえぐみが強い。

 俗に『仮面ライダー』作品の中でもグロいと評判の、同じくAmazon prime video配信作品『アマゾンズ』が、野性的ながらもスタイリッシュでカッコいいバイオレンスさだったのとは、まったく別物。

 けれど、確かにこの世に存在し、同時になくすこともできない《暴力》を克明に描き出しているとも。

 

 

 

 そんな鬼才な監督、プロデューサーである白倉伸一郎氏からは。

「男二人の対決構造以外は好きに決めていいから」

 と、言われたそうで。

 おそらく『アマゾンズ』と同じような流れを提示したのでしょう。

 しかし監督ってば、改めて観た『仮面ライダーBLACK』という作品に衝撃を受けたそうで、制作発表後のインタビューの中では「ビルゲニアを見直さないといけない」など、明らかに主役級二人の中に入れなかった悲運の幹部の名前を口にする。

 

 実は私が先日まで行っていた《毎日『仮面ライダーBLACK』生活》……一日一話ずつ『BLACK』を鑑賞し感想ツイートをあげる、なんてアホな企画も、この部分が引っ掛かっていたからかもしれない……。

 

 そんなわけで、どのくらいテレビシリーズに感銘し、それをこの配信リブート作品の中へ落とし込んだのか。

 ここから本編の内容と共に少し考えてみたいなと思います。

 

 

~スリッパの備忘録~

 

 まず改造されるシーンからして原点と違うのはPVの通り。

 そりゃもう、明らかに子ども……青年になるちょっと前とかじゃなくて、まだ10代かすら怪しい児童生徒くらいの意味の「子ども」が改造されるところから物語がスタートする。

 

 しかし変わらないのは「両者が手を伸ばす」という点。

 

 それだけ互いが大事な友人であることが伺えるポイントであり、同時に光太郎の手が怪人に変貌していく様は、まさに原作者=石ノ森章太郎先生の求めたリアリティとも。

 

 しかしリアリティという意味でなら、もっと印象的なのは《デモ行進》。

 それも片や「怪人を徹底的に駆除するぞ!」と笑うヘイトスピーチ、片や「STOP怪人差別!」と叫ぶ必死な抵抗。

 

 現実でも、昨今も香港でデモ行進はあり、それが武力によって鎮圧されたことはまだ記憶に新しい方の話かと……いや、もう忘れ去った人の方が多いかもしれないけれど。

 またヘイトスピーチというのも、日本では存外バカにできないところ。

 コロナの蔓延が始まった頃はアメリカでもアジア系の人を狙ったヘイトクライム……人種差別的な犯罪が起こったことはニュースにもなったけれど。

 日本でも未だ「外国人を追い出せ」と叫ぶヘイトスピーチは散見される。

 そういうリアリティを描くのは、やはり白石監督の得意とする分野でしょうか。

 ある意味では『BLACK』が「子どもたちに見せられる範囲を意識した社会派ドラマ」を展開したのに対して、こちらは「大人にこそ忘れて欲しくない社会派ドラマ」という向きもあるのかも。

 単に「怪人やっつけたぞ~わーいパチパチ~」で終わらない、むしろ《本当に怪人と呼ぶべきは誰だろうか?》と問いかける作風。

 そういう意味では一番近い世界観は平成の『仮面ライダー』シリーズでも近未来スタイリッシュ&ハードな展開で原点への挑戦を行った『555』でしょうか。

 

 

 

 ここでポイントなのは《怪人が一般社会で一般人として暮らしている》という点。

 

 それこそ『仮面ライダー』シリーズ、特に昭和の時代でおける怪人というのは《悪の秘密結社によって生み出され、その尖兵として作戦を実行する怪物》というイメージが強いはず。

 もっと言えば「人々を襲って暴れ回り、そこへ駆けつけたライダーに蹴り飛ばされて何故か爆発四散するもの」というイメージでしょうか。

 

 まずそこから違うよと、このデモ行進シーンでハッキリと語る。

 

 ではどう違うか?

 それは本来テレビシリーズなどで見る怪人が「人間を容赦なく攻撃する悪者」と描写する傾向が強かったのに対して、ここでは「社会的弱者」と描く。

 警官が互いのデモ参加者が接触しないよう、つまり互いの主張が嚙み合わないから殴り合いの暴動にならないよう、警備をしている。

 けれど警察官の中にだって怪人に対して差別的な視点を持つ者がいて。

 その罵倒が理由で怪人が「変身」し、しかし最後には射殺されている。

 

 ここ、個人的に超がつくほど重要ポイントッッッ!!!

 怪人が射殺される……つまり《人間の手でも怪人は殺せる世界》というところが一番に大きい。

 

 現在、東映特撮YouTube Officialにて配信されている初代『仮面ライダー』など観ていただくと一目瞭然なのですが、いかに強いFBI捜査官の滝さんがいても、彼が怪人を直接的に倒せた描写はないんですよ。

 極論ですが「怪人はライダーでしか倒せない」が、この手の番組を見てきた人間の脳内では一般化しやすい。

 平成になっても令和になっても、ほとんどの場合「怪人を倒せる」のは仮面ライダーの力を行使する誰か、あるいは同族である怪人。

 

 しかしその点が取り払われたことで「怪人」という種族は、時に人間以上のパワーを発揮するものの、警察などの銃火器を持つ人間が制圧に掛かれば止められる、と。

 

 つまり、人間側が本気で潰しに掛かれば生存の権利さえない、と。

 

 もちろん先述した『アマゾンズ』でも怪人に対抗する駆除班が登場し、それはライダーに変身しない人々がほとんどではありますが、しかしそれも「戦闘を想定して武装したチーム」には変わりない。だから怪人を駆除できる。

 また『アマゾンズ』の怪人たちは、「生まれた時にプログラミングされた食人欲求が抑えきれずに怪人となる、細胞レベルで創られた人工生命体」ですが。

 

 こちらは半世紀も生活していて、人間との間に子を設けるところまで……。

 そこがより一層、《人間と怪人の間に差は少ない》という感じがするところ。

 

 それを強調するのは本作のヒロインにして、『BLACK』は良く知らないという方々にとっての「もう一人の主役」と位置付けられるだろう少女。

 和泉葵。

 国連という大舞台で英語のスピーチで訴えるのは《怪人との共生》

 

 ルー大柴氏の演じる総理も言いますが「若い世代」の代表的な視点で、差別に立ち向かう姿が描かれます。

 特に私が好きなのはスピーチで韻を踏むように語り掛ける「as I do」という文言。

 彼らは自分と同じようなものを食べ、自分と同じように恋に落ちたりもする。

 そう、私もそうするように……と。

 怪人を臭いハエと罵る人間がいる一方で、怪人にたくさんの友達がいると語る少女もいる。

 そして、特に大きな意味を持つのは、やはりこのセリフ。

 

「人間も怪人も命の重さは地球以上。命の重さに違いはないのです。1グラムだって」

 

 誰しもこの世に生まれた人間で、肌の色が違おうと使う言葉が違おうと、それこそ姿形が自分たちと違おうとも……命の重さは変わらない、と。

 青臭い、と笑うでしょうか?

 しかし私はそれを気高いと思う。

 たとえ若さゆえに言えるものだとしても、それを口にする勇気そのものが、尊い。

 

 

 ただし、このセリフは物語にとっても大きな意味を持ちます。

……が、そちらは後の展開を観てからのお楽しみということで。

(総理から演説の映像を見せられたビルゲニアが「オリバー・ジョンソン……⁉」と驚いていたので、初見さんでも「何かあるぞ!」とわかるかと思いますが……)

 

 

 時に、その内閣総理大臣=同波真一がめちゃくちゃ怖い。

 ここもテレビシリーズの『BLACK』と大きく変えたなと思いつつ、狙ったかは不明ながらすごく大事なポイントと感じるところで。

 怪人が社会的弱者として描かれる中で、敵として《政治家》が設定されているの、とても石ノ森章太郎先生のテイストだな、と。

 実はテレビシリーズの初代『仮面ライダー』と並行して、石ノ森章太郎先生自らが手掛けた萬画作品『仮面ライダー』というのがありまして。

 極論、悪の秘密結社ショッカーが「政府が主導した国民の管理計画に我々が便乗しただけ」と、つまり政治家が悪いことを考えているよ、と言ってのける。

 

 

 そこを知ってか知らずか、なんと政府における顔たる内閣総理大臣が、怪人たちの党である「ゴルゴム党」と裏で繋がり、最高幹部たるダロムに蹴りを入れている。

 テレビシリーズで観たダロムと言ったら、経済でも政治でも地位のある人間たちから頭を下げられる側だったはずなのに……と思われるかもしれないけれど、それがまた面白い。

 ある意味、誰よりも《本当の怪人とは?》を提示する意味で、この見せ方はわかりやすく、同時に怖い。

 

 また、その虐げられる怪人たちの王たるはずの《創世王》が、しかしその巨体をぐったりとさせながら、エキスを抽出されるだけの存在になっているというのも、大胆ながら説得力を持たせる改変。

 テレビシリーズでは姿さえ最終決戦まで描かれない謎多き存在でしたが、逆にこちらでは「早く後継者を立てないと、本当に自分たちはおしまいだ」と緊迫感を出す。

 

 ちなみに、クリーチャーデザインがとんでもなく良くて……でもあれたぶんCGじゃないんですよね……!!

 その巨躯が放つ異彩と、しかしチューブまみれにされている痛ましい姿が、すごく胸に来ると言いますか……!!

 正直、ここまでの造形物へのこだわりには、どこか『仮面ライダーZO』を想起してしまいまして。

 

 

 

 時にそのエキスに関連して出てきた言葉……「ヒートヘブン」。

 短縮して「ヘブン」と呼ばれたものを囚人に持って行っていた人物が言うんですよ。

 

「囚人のくせにヘブンを食いやがって……!」

 

 そうしてわずか残った分まで搾り取ろうとするみたいにパックを口に入れていたところからして、この「ヒートヘブン」が相当に希少であり、創世王が死を迎えればもう一ヶ月分も残っていないという怪人側の事情を思わせるところも。

 

 ここはたぶん、ゴルゴメスの実が不足してしまったという『BLACK』第11話からインスパイアされた設定なのかなとも。

 

 

 

 というか、この怪人上層部とも言えるゴルゴム側でも、三神官たちのように「総理に従うしかない」と苦い顔をしている側と、「総理に忠義を」と言わんばかりに付き従うビルゲニアのような側とで対立しているのも、非情に秀逸な落としどころだなと。

 

 テレビシリーズのビルゲニアと言えば、準幹部で物語中盤における主人公のライバルポジション。

 同じゴルゴムに属してはいても、最初から三神官とは険悪ムードで、場合によってはその争いがライダーの窮地を脱するチャンスになることもあったくらい。

 つまり。

 

 三神官たち=「従うしかない」と諦めて迎合する側

 

 ビルゲニア=「自分から従っている」と思惑を持つ側

 

 こういう対比にしたのは、お見事。

 というか監督、ビルゲニア、お好きよね?

 

 

 

 え、いい加減に主役の話をしようぜ?

 ビルゲニアも良いですが、やはり主役が輝くからこその『仮面ライダー』!!

 

 しかして、ここもすごいなと思うのは、主役が初手からほとんど口を開かない点。

 デモ行進のシーンでも遠巻きにちらりと見て「またやってんな」程度の冷めた視線。

 発砲と逮捕の文言で逃げ出した怪人の一人にぶつかられても微動だにせず、尻もちついて怒っていた怪人が怖くて逃げ出すような威圧感。

 おまけに借金取りも震えて跳び上がるようなバイオレンスさで、路上生活者から借金を取り返すと、明らか闇ルートで得たっぽいお薬ゲット&暗殺依頼を受領。

 たぶんここが一番に言われると思います。

「こんなの南光太郎じゃない!!!」……って。

 

 では私個人の感覚で言わせていただきます。

 西島秀俊さん演じる、この『BLACK SUN』の主人公……。

 

「最高にCOOLだよ!!!」

 

 以上です。

 え、説明しろ? いや、西島秀俊さんのあの姿だけで説明要ります?

 というかですね……これは『BLACK』を大人になった自分の視点で見直した時に思ったことですが。

 

「南光太郎が何で精神を病まないか、不思議でならねぇ!?」

 

 考えてみて欲しい。

 彼は親友と呼べるほど仲の良かった男を敵に捕らわれ。

 社会の闇に潜み、どれほどの規模かさえも未知の軍勢から追われて。

 その毒牙に養父までもを奪われながら、義妹や周囲の人々を守るため戦えと。

 

 病むな、って方が無理でしょう?

 

 ヒーローだから何でもかんでも「誰が為に私は自分を殺して戦うぞ!」なんて、そんなの都合のいい幻想でしょう?

 だって彼らだってそもそもは人間で、何なら戦闘や殺戮なんかとは無縁だった普通の人だったんだから。

 

 ただね、この『BLACK SUN』の南光太郎、別に根っからの悪人でもないんですよ。

 暗殺依頼を受けたにも拘わらず、結局ターゲットの少女は殺せない。

 むしろ、総理の下に彼女を連れて行こうとした刺客=クモ怪人から彼女を守っている……いや、もちろん「自分の目的の障害になり、攻撃してきた相手だから容赦なく斃した」とも取れますが。

 ただ、ターゲットだった葵は別としても、彼女の同級生=俊介には何もしていない。

 連れて行く理由の説明もしないけれど、姿を見たからといって口封じなどもしない。

 彼女を殺すのを躊躇ったシーンも含めて考えれば、やはり悪になりきれない人物というのが感じられるかと。

 また、闇ルートで得たお薬も……あれ現実に存在する薬だそうで。

 あの《ケタミン》というのは、実は「麻酔薬」で。

(量を調節すれば「抗うつ薬」にもなるらしいとも)

 動かしづらそうだった左脚に打つことで、そこに負った傷のダメージを減らしていたという描写だったようです。

 もちろん、精神を安定させる意味合いで使った可能性もありますが……。

 

 

 

 しかし、彼女が首から下げていたペンダントに驚き、クモ怪人との戦いに変身すると同時、囚人は力を取り戻し、神官たちも異変に気付く演出も第一話という導入として謎を残しながらの描き方として良い。

 

 いや、というか、それ以前に。

 

 黒いトノサマバッタ怪人!!!

 

 ここで「あれー、キービジュアルの仮面ライダーじゃないぞー?」と思われた方、安心してください、あれが正しい。

 テレビシリーズでも南光太郎は最初「バッタ怪人」に変身してから、ライダーといういわば完全体に変身を遂げます。

 また石ノ森章太郎先生の描いた萬画『仮面ライダーBlack』では、そもそもベルトも何もない「黒いバッタの怪物」へと変身して戦っています。

 

 

 つまりこの一話で主役が《怪人としての姿で戦闘する》のは、最大のリスペクト。

 私はそう捉えております。

 それこそ、石ノ森章太郎先生が描こうとしたヒーロー像にも通じてくる。

 

「主役もまた怪人であり、しかしその境界線は《心》にある」

 

 先生の手掛けた萬画の方では、勧善懲悪なヒーロー像というより、自身の存在も含めて苦悩し続ける人間の姿が描かれており。

 そこには「自分も敵と同族である」という点があり、けれど「人間として生きる」という一点が主人公を単なる怪物ではなくヒーローたらしめる。

 

 この作品では50年という長い年月が主人公をこんな世捨て人らしくしていますが。

 それでも心の奥底まで「差別主義者」や「権利主義者」にはならないからこその、仮面ライダーというダークヒーロー。

 

 囚人=秋月信彦(シャドームーン)も、南光太郎(ブラックサン)の活動に呼応するように脱走。

 二人の再会シーンでは、信彦のセリフが謎を呼びつつ惹きつける。

 

「まさか生きていたとはね……この50年なにしてた?」

 

「随分 老けたな。ヘブンを喰えば年を取らずに済んだのに」

 

「創世王を殺すぞ……50年前の決着をつける」

 

「ゆかりもそれを望んでいる。ヘブンを食え。すぐに力は戻る」

 

 

 全話を観終わった今だと、めちゃくちゃ語りたいことが多いッ!!

 中村倫也さんの演技、めっちゃ好きなんですよ……ちょっと気だるげで、しかしピリッとした瞬間の威力がとんでもない……すごく良い……

 

 しかし、このままでは以後のネタバレを延々と語ってしまう。

 それはあまりに無粋。

 文字数も想定より増えてしまったので、今回はここまでとさせていただきます。

 改めまして、こんなところまで読んでいただき、どうもありがとうございました。

 

 

 

(原点たる『BLACK』も非常に面白いので、良ければ、是非……!!)