「民主主義」制度を是とする以上、各種選挙は不可避だとして、ソレをしながら、さらに住民投票をする意味の在りや無しやと、悶々とした日々でありました・・・
参議院選挙の結果が出ました。
●石破茂!
自民党は、マスメディアが喧伝していたところまで負けはしなかった。
けれども、総裁自らが設定した超低めの目標にさえ届かなかった、というのも事実でありまして。
首相としての石破さんは、もはや完全に死に体だと思うのだけれども、それが(都合)良い、と考える勢力もあるようで、どこまで頑張っちゃうのかな〜、といったところです。
いずれにせよ、選挙と、選挙結果と、有権者を舐めきってますね。
●愛知選挙区
ちなみに、ですが、愛知選挙区の結果はこちらです。
ちなみに豊橋での得票はこちら。
愛知県内の他地域と比べてですが、それでもまだ自民党が強い(組合系が相対的に弱い)というのが分かります。
住民投票もあり投票率約65%(県内平均約60%)と、かなり高くなっているからか、参政党が2番手に付けてます。
●比例代表
全国比例は、ほぼ事前の予想通り、自民・立民の退潮、国民・参政の躍進が際立ってます。
愛知県内。
豊橋市内。
比例に限って言えば、全国、県内、市内、大きな違いはないようです。
巷間言われているとおり、これまで自民党以外に選択の余地がなかった、いわゆる保守票が、国民民主党と参政党とに大量に流れた、ということでしょう。
●微温湯(ぬるまゆ)時代はオシマイ?
ここまで来てしまうと、仮に石破降ろしが成ったとしても、自民党再生は、相当に厳しいものになりそうです。
衆議院の小選挙区比例代表並立制、参議院の都道府県選挙区(当選1の小選挙区から複数の中選挙区まで)+全国比例(大選挙区)という、鵺のような制度。
ゆえに、結果についてどのようにも解釈できる、あるいは、必ずしも、有権者が望む政治体制になるとは限らいない、という選挙。
そんな微温湯に、自民党(と公明党)は、長く浸っていたのでしょうけれども、さすがにもう、好むと好まざるとに関わらず「多党制」移行は既定路線かもしれません。
●そして住民投票
さて、同日行われた我が豊橋市「多目的屋内施設及び豊橋公園東側エリア整備・運営事業」継続の賛否を問う住民投票、ですが・・・
結果は以下のとおり、事業の継続に「賛成」が多数となりました。
私自身は、賛成の立場でした。
でしたが、結果が出たあとしばらくは、「良かった」や「ホッとした」とは違う、かつ「目出度い」とも「満足」とも言い難い、何とも表現のしようがない感情に支配さておりました。
そこら辺、興味のある方は、こちらの姉妹編記事を読んでいただくとして。
これまで我が国では、殊に、公共施設を造る/造らない、公共事業を進める/止める、という類の「賛否を問う」住民投票においては、ほぼ「反対多数」という結果になっています。
素朴に考えれば、個別の施設について、要る/要らないを問えば、過半数の人が要ると答えることなんて、ほぼ、無いわけで。
そういう意味において、住民投票が「反対運動の道具」でしかないと言われているのも、まあ、そうですよね、という感じがします。
●土壇場で踏みとどまった!
例えば、100人のうち3人が反対している。
それをマスメディアが「反対する声もあります」と報道する。
やがて、10人のうち、積極的賛成が2人いて、積極的反対が1人いる、くらいになる。
すると、どちらでも良いの人が7人いても、「意見が二分している」みたいに話が大きくなる。
総額230億円と聞けば、そりゃ、びっくりもするでしょう。
けれど、その額は、事業の正式名称が示すとおり、施設整備後30年間の運営費込み。
1年当たりにすれば7~8億円。豊橋市の一般会計予算約1,500億円のうちのソレですから。
市政全体を見渡せば、もともと、そういうスケール感の話でした。
街頭インタビューなどは、一体どれだけの素材を集めるものなのか分からないけれど、とにかく、賛成/反対を同じ数だけ使うし、何なら、それは明らかに事実誤認ですよね、というトンチンカンな内容でも、「絵」にさえなっていれば、あえてそのまま使ったりもする。
実にケシカランことですが、メディアとはそういうもの、と飲み込むしかありません。
それでも、大抵の公共施設は、首長と議会とが、粛々と手続きを進め、大多数の人にとっては、知らないうちに決まって、いつの間にかできている⎯⎯ソレが良いことか悪いことかは置くとして⎯⎯そういうものです。そういうものだったのです。
ただ、此度、豊橋の「新アリーナ問題」に関しては、ちょっと色々あり過ぎました。
「公約違反」という「分かり易い」ものから、「家屋倒壊等氾濫想定区域」や「(津波発生時)特定避難困難地域」という「何だかよく分からないけど、とにかくヤバそう」な話まで、反対派が勢いづく素材が途切れませんでした。
そうして、既に契約済み、着手済みであるにも関わらず「新アリーナ計画の中止(契約解除等)」という、無理筋・無責任な公約を(こっそり)掲げる市長候補が現れたのです。
かつての鳩山由紀夫氏を思い出す人もいるのではないでしょうか。
氏は、保守系候補が2人立つという「僥倖」もあり、得票率36%で“漁夫の利”当選しました。
それを以て、彼と彼の支持者とマスメディアが揃って「新アリーナ計画中止が支持された」と強弁、34項目のひとつでしかなかった件の公約に拘り続け、選挙を経た結果としての議会多数派を無視、各種スポーツ関連団体の要望はスルー、市内だけで5万8千余りの署名を添えた採択請願にもゼロ解答・・・
挙げ句、行き着いたのが、此度の住民投票だったのです。
二元代表制の陥穽でした。
●住民投票なんて、やっちゃダメ。
大雑把に言ってしまえば、此度事業に反対する人々は、そのほとんどが「住民投票やれやれ」という立場でした。
逆に、事業に賛成の人々は、その多くが「間接民主主義の原則に反する」として、住民投票には批判的でした。
私自身は、住民投票をした場合どうなるか、皆が「話せば解る」というほど楽観的ではなく、かと言って「今だけ、カネだけ、自分だけ、に席巻されてしまう」というところまで悲観的でもなく・・・
それだけに、賛成/反対どっちが多数となるか、本当に分かりませんでした。
何しろ、住民投票が決まった時点でさえ、「どっちでも良い」の人が7割いたんです。たぶん。
結果的には、積極的反対に対して積極的賛成の人が多い分だけ賛成票が上回った、くらいの票差だと思います。
つまり「どっちでも良いの人」が、賛成派が恐れていたほど(反対派が期待したほど)「自分は関係ないから要らない」に流れず、ここの賛否はほぼ半々だった、ということです。
賛成派の人々の頑張り、反対派の人々の奢り、いろんな要素があったと思いますが、結果が出た今、そこを云々しても、あまり意味はないでしょう。
住民投票をして「民主主義の理想」なんて言う人もいるけれど、それは「人」というものが分かっていません。
本来、複雑であるはずの賛成と反対との「対話」を、単純な賛成と反対との「勝負」にしてしまいます。
勝ち負けだけが最大の関心事になったとき、「ふつう」の人は「ふつう」でいるのが難しくなります。
一部とは言え、牽強付会や印象操作が横行したし、さらに一部とは言え、誹謗中傷や罵詈雑言の類だってありました。
政治家が、その責任において結論を出せないことについて、アナタは、わざわざその責任を引き受けたいと思いますか?
とにかく、疲れました。
住民投票なんて、良いもんじゃない。
そう思います。
賛成の立場で、自分なりにやれることをやって、それで賛成多数になった、だからこそ言うのです。
住民投票なんて、やるもんじゃありません。
思いもよらない結果に言葉を失っているのか、それとも、真に“ノーサイド”を受け入れているのか、反対していた人々は、ごく一部を除いて本当に静かになりました。
こちらは、そこら辺に関する記事です。ご興味とお時間あれば。