既にご存知の方も多いと思われますが・・・
●「住民投票の結果について(声明)」
豊橋市議会で「新アリーナ」に反対してきた会派に属する人々(昨年11月の補欠選挙当選含む)が、「住民投票の結果について(声明)」というものを出しています。
何と言いましょうか・・・
「結果から逆算して経緯を問題にする」的な、
・・・彼ら彼女らの「考え方の癖」みたいなのもが滲んでるなと思います。いろんな意味で。
●個人的雑感
以下、備忘録として。
豊橋市政初めての住民投票が65.67%の投票率に上り、「賛成派」が資金力や組織力において圧倒的に上回っていたにもかかわらず、賛成約10万人に対し、8万人、43%の方が事業に反対の意思を表明したという事実は重く受け止めています。
⎯⎯〈「賛成派」が資金力や組織力において圧倒的に上回っていた〉と、それを、結果が出てから指摘しますかね。そんなことは重々承知で「住民投票やれやれ」と、ずーっと言い続けていたのではないですか。
「反対81,654票に対し、106,157票、57%の人が事業の継続に賛成の意思を表明したという事実」の方が、はるかに重いはずです。
本来、市政全体の中から個別の事業を抜き出して、単純に「賛否を問う」という住民投票は、大差か僅差かに関わらず、単純に「結果を受け入れる」という覚悟なしにやってはいけないこと、ではないのですか。
私自身、後から「これだけやってダメなら仕方ない。何も言うことはない」と思えるよう、自分にできることは精一杯やりましたよ。
過去2回、市民からの直接請求を否決しながら、契約締結後に議会側の提案により行われた住民投票は、住民からの求めで行われるという本来の住民投票の在り方から見ると極めて特異なものでありました。
⎯⎯過去2回は、それなりに間接民主主義が機能している中、市長と市議会とが共に推進で一致していたのだから、まさに「意義を認められない」わけで、否決は当たり前のこと。
契約締結後に議会側の提案があったのは、まさに、契約締結後であるにも係らず、先の市長選挙について「新アリーナ計画の中止(契約解除等)」が支持された、という間違った解釈に固執した長坂氏の「極めて特異な」振る舞いが続いていたからです。
つまり、二元代表制が機能しなくなっていたから。
すなわち、それを憂えた「住民からの求め」があったから。
投票運動も〜〜〜極めて不十分でした。
⎯⎯これはもう、ひたすら繰り言に過ぎません。運動の制限や情報提供の不足については、賛成の立場であっても全く同じ条件でした。
そんな中で8万人以上の市民が反対の意思を示したという事実を踏まえ、今後も市は十分に説明責任を果たすことが求められていると考えます。
⎯⎯長坂氏に言ってください。自ら反対する人のところへ出向き、自ら説明して説得するよう、長坂氏に言ってください。
市長の立場で、市民に対して“ノーサイド”を求めるなら、それくらいしても罰は当たりません。むしろ、しなければ罰が当たるでしょう。
また、住民投票条例により〜〜〜必要があると考えています。
⎯⎯今後は、事業継続が大前提なのですから、議員として課題を明確化した後に取り組むべきことは「検証」ではなく「提案」です。
また、「新アリーナ」事業再開とは切り離して、津波災害が想定される特定避難困難地域への野球場移設については、あらためて再検討が必要と考え、引き続き見直しを求めていきます。
⎯⎯再検討やら見直しやら、するならすれば良い。議論の後に結論を出し、提案をしてくれるなら、是非、お願いしたいくらいです。
全国でも先例の少ないコンセッション方式によるアリーナ事業の実証の場となる懸念を踏まえ、今後も市民の皆さんと連携しながらしっかり監視の役割を果たしていく所存です。
⎯⎯「実証の場となる懸念」?・・・日本語表現としてちょっと微妙なのだけれども。
「監視の役割」とは何ぞや?
市長や行政に対して、と言うのであれば分からなくもないけれど、それ以前に、議員の仕事は、一定期間の議論を通じて結論を出すこと、のはず。
「新アリーナ計画」に反対の議員諸氏は、それを怠ってきたのではなかったですか。
●そして、れいわの人
住民投票の結果について(声明)
— すがや竜 豊橋市議会議員 れいわ新選組 菅谷竜 (@sugayaryu) July 22, 2025
投票に行ってくださった皆様、ありがとうございました。反対の立場の方にとっては非常に残念な結果となりました。… pic.twitter.com/bx6Buz9ngF
私自身、事業の継続に賛成の立場でありましたが、此度住民投票の結果について「目出度い」という気はしません。
菅谷氏としては、うっかり口をついただけなのかもしれませんが、「残念」って何だ? と思います。
こちらは、氏の「ホームページ」にあった表現です。
私はデモの時に「二度も否決しておいて、契約がダメになりそうになって、やっぱり住民投票やりましょうって、市民の事をバカにしてんのかーい!!!」と訴えました。
「市議会多数派」に向けての言葉なのでしょうけれども、議員諸氏のその背後(胸中)には、それぞれの支持者がいるわけで。
あくまでも傾向としての話ですが、新アリーナに反対の人々は「住民投票やれやれ」と言っていて、推進の人々は「政治家の責任放棄だ」と言っていました。
私自身、悶々としながらも「住民投票やむなし」と納得していたのに、政治を生業としている人が「市民の事をバカにしてんのかーい!!!」なんて書いているのを目にしてしまう。
市民を◯カにしてるのは、一体どっちですか、という話です。
●間接民主主義と二元代表制
「多目的屋内施設及び豊橋公園東側エリア整備・運営事業」。
それは、選挙で当選した市長と、同じく選挙を経て勢力図が決まった議会により、一定期間の議論の後に決定された基本計画であり、締結された事業契約です。
それらを、事後になってから反故にするという、無理筋・無責任な公約を(こっそり)掲げた市長候補と、彼のその所業を批判をせず、あまつさえ、応援までしていた市議会の事業継続反対会派。
そういった行為は、自らの、議員としての存在価値を否定するに等しいものではなかったですか?
彼ら彼女らの常套句。
自分達の主張が入れられなければ「市民不在」。
自分達の聞きたい言葉がなければ「説明不足」。
その理屈が罷り通り、選挙の度に長期事業の変更が有り得る、行き詰まったら住民投票、などという流れが「ふつう」となれば、長期ビジョンの策定、それに基づく街づくり、公共事業は成り立ちません。
首長と議会とが、共に政策変更で一致するならば、それはあってもかまわない。
此度、住民投票の結果は、明快な言葉として把握できずとも、そこら辺を感じとった人々の、豊橋に住む民としての判断だったと私は思っています。



