「自由」は意志、あるいは姿勢。塞がれているのは、いや、自ら塞いでいるのは「決める意志」そのもの。外すも外さないも好き好きでしょ。と、自戒を込めて。

 

 

 

「人目が気になる」

 

「同調圧力に抗えない」

 

 

ほとんどの人がそうして自らの口を塞いでここまで来た。

 

 

「人目が気になる」

 

「同調圧力に抗えない」

 

 

多くの人がそうして自らの口を塞いだまま変わろうとしない。

 

 

自分もその「人目」に加わりながら、

 

自分もその「圧力」に加担しながら、

 

 

だから息苦しいと呟く。

 

だから思うように生きられないと嘆く。

 

 

今日、傘が要るのか要らないのか、

 

今日、羽織が必要なのか必要でないのか、

 

 

日々、お天気お姉さんの言葉をありがたく頂戴して安心して、

 

失敗したらしたで全てを彼女等のせいにする。

 

 

 

マスメディアがきちんと伝えてこなかったと政府が言う。

 

政府が明確な説明をしてこなかったとマスメディアが言う。

 

 

「みんな」が着けてるからと「みんな」が言う。

 

「みんな」が打ってるからと「みんな」が言う。

 

 

他力本願、他者依存、責任転嫁を繰り返すうち、

 

自らの手で自らの自由を削っていることに気づかない。

 

 

自分の体なのに政府に委ねてしまう父と母と、

 

自国のことなのにWHOに預けてしまう政治家達。

 

 

哀しき日本人、空気に染まる大人の群れ。

 

それでも愛して頼るしかない子供達。

 

 

その行き着く先は、

 

不安はないけれど個々の意志も認められない平板な地球か。

 

 

それとも、

 

生老病死という苦痛に彩られた人々の世界か。

 

 

 

表情を隠したまま歩きたい人がいたって良いけれど、

 

喜怒哀楽をともにしなければ人と人との間は保てない。

 

 

 

強制されたわけでもないのに、

 

2年あまりかけて此処まで来てしまった。

 

 

ならば、

 

2年あまりかけなければ其処には戻れないのかもしれない。

 

 

それでも、

 

戻りたいという想いを、

 

戻そうという意志を、

 

言葉と行動で示していくよ。

 

 

それくらいしか自分にはできないから。

 

それくらいなら自分でもできるから。

 

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厚生労働省が重い腰を上げても、マスメディアが手のひらを返しても、それでも外す人が少ないのには、ほとほと絶望しました。

 

それでもなお、ほんとーに僅かずつでも非マスク率が上がっている気はしないでもないので、そこに(無理にでも)希望を見い出してます。

 

 

そんなわけで、たまにある「ポエム」への逃走でした。

 

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掲示やアナウンスに負けてつい着けてしまう、それは・・・

 

「もう未来を一つ捨てているのと同じじゃないか」

 

・・・と思う時もあります。そんなんで「生きて」いると言えるんでしょうか?

 

 

 

本来、自分の体とその健康維持について、政府(厚生労働省)の「考え方」など要らん世話なのだけれども・・・

 

現状「着用の必要はない」「マスク必要なし」「マスク着用の必要がない」等という言質は、(最低限とはいえ)ノーマスクで過ごすための精神安定剤、あるいは(今となっては滅多にないでしょうけど))揉めた場合の理論武装として役立つだろうとは思います。

 

 

 

 

 

*厚生労働省:マスク着用の考え方

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000942851.pdf

 

 

これまでの行きがかりと整合性をとるために、何やら細かいことをゴニョゴニョ書いてて腹立ちますが、そこはこの際良いです。

 

 

ともかく、今日「十分な換気など感染防止策を講じて」いないところなど、ほとんどないので、要するに・・・

 

①「身体的距離が確保できない」状況で「会話を行う」とき。

 

②「外気の流入が妨げられる、建物の中、地下街、公共交通機関の中など」において「身体的距離が確保できない」とき。

 

・・・だけ着用すれば良いわけで。

 

それだって「推奨」なんだから聞かなきゃならない義理はないわけで。

 

 

何度も言ってますが、苦にならない人、気にならない人は、どうぞ着けたまま過ごしてください。

 

ウイルスの大きさとか、ほぼ全員マスクしてたのに「感染」は防げなかったとか、「自分の頭で考えなさいよ!」とか「バ◯なの?」とか、色々悪態つきたい気もしますけど、それもこの際良いです。

 

だって好きなんでしょ? 

 

好きは理屈じゃないんだからそりゃ仕方ないよね?

 

ということで納得することにしてます。

 

でないと、こちらの精神が持ちませんっ。

 

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我ながら進歩がないシリーズ(?)。

 

2年前からこんなことばっか書いてたのね。呆れますね。

 

 

さあもう、「こんなん、意味ないだろ」と少しでも疑問に思っているアナタ、街へ出かけましょう、ついでにマスク外しましょう。

 

「空気」を変えられるのは「空気を読まない」人だけ。

 

「世間」を変えられるのは「世間知らず」だけ。

 

大丈夫、10人に1人、というところまで頑張れば、流れは変わります。

 

 

 

世の中とか人の心とかいうものは相当に複雑なんだけれども、それでも、いや、だからこそ、自分の身辺や生き方みたいなものは、できるだけシンプルにしたいなあと願っている人は多いんじゃないかと思います。

 

 

もうね・・・

 

自分はしたくない、だからしない。

 

・・・それで良いことにしませう。

 

 

 

 

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こちら、Newsweek(2022年5月31日号)なんですが・・・

 

 

やっぱり「プーチン悪魔化」の一環ですかね。率直に言って趣味悪いと思います。

 

 

「特集:NATO vs.プーチン」でして、中身としてはこういうもの。

 

Cover Story

北欧2カ国の加盟によるNATO拡大は「誤算」だがロシアは必ずしもそれを恐れない

ロシア NATO拡大をプーチンが恐れない理由
■グラフィック 北大西洋条約機構、拡大と抑止の歴史
主張 経済版NATOの創設を急げ
トルコ ごね得を狙うエルドアンの乱
スイス 永世中立国は欧州の中心で悩む
Q&A これは民主主義と独裁の戦いだ

 

https://www.newsweekjapan.jp/magazine/388311.php

 


「Q&A 民主主義と独裁の戦いだ」の中に、こんな段落がありました。答えているのは、アナス・フォー・ラスムセンという人。2014年クリミア紛争当時のNATO事務総長でした。

 

 

 少なくとも短期的には、この世界が独裁者の陣営と民主主義の陣営に分断されるのは避けられない。しかし民主主義の陣営は、経済力でも軍事力でも優れているし、世界中の人が必ず好きになるはずの素晴らしい理想を持っている。個人の自由や、将来の目標や人生を自分で決める権利だ。これらを望む気持ちは世界共通だろう。誰だってそれを望んでいる。そして20世紀の冷戦時代と同様、それを提供できるのは私たち、つまり民主主義の陣営なのだ。

 

 

う〜ん、そうなのかなあ。

 

むしろ「まず自国のことは自分で決める、そして他国と折り合いをつける」という国家と「自国や自国民のことを含めて、国家を超えた枠組みで決めたい勢力」(国際金融資本とかグローバリストとかディープステートとか呼ばれているもの)とが戦っているような気がするのだけれども。

 

だってさ、ウクライナ支援の中心になっいる米国の今の政府が、民主主義制度に従って「個人の自由や、将来の目標や人生を自分で決める権利」の追求を理想とした政治をしているとは、どうにもこうにも思えないんだもん。