政府の対策、あるいは緊急事態宣言の効果かどうかは証明しようがないのだけれども、とりあえず下降局面になっている気配の武漢肺炎。

 

少なくとも我が国においては、日々、新規感染者数よりも新規回復者々の方が上回るようになってきました。

 

https://www.worldometers.info/coronavirus/country/japan/

 

 

残念ながら、世界規模ではそういうわけでもないようですが・・・

 

https://www.worldometers.info/coronavirus/worldwide-graphs/

 

 

ということで、今回は「最新の情報」とは距離を置いて「本の森」。

 

何かと話題になっているし売れてもいるらしいカミュの『ペスト』・・・

 

 

アルジェリアのオラン市で、ある朝、医師のリウーは鼠の死体をいくつか発見する。ついで原因不明の熱病者が続出、ペストの発生である。外部と遮断された孤立状態のなかで、必死に「悪」と闘う市民たちの姿を年代記風に淡々と描くことで、人間性を蝕む「不条理」と直面した時に示される人間の諸相や、過ぎ去ったばかりの対ナチス闘争での体験を寓意的に描き込み圧倒的共感を呼んだ長編。

 

※版元ドットコム:ペスト 改版

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784102114032

 

 

・・・と行きたいところですが、正直、これは難敵です。おそらく、売れているほどには読まれてはいないでしょう。ワタクシ的にも、ちょっと齧ってこれは無理だと思ってしまったので、人様には薦められませぬ。

 

 

なので『ペスト』の次に取り上げられることが多い、石弘之さん『感染症の世界史』を引っ張ってきました。

 

 

地上最強の地位に上り詰めた人類にとって、感染症の原因である微生物は、ほぼ唯一の天敵だ。医学や公衆衛生の発達した現代においても、日本では毎冬インフルエンザが大流行し、世界ではエボラ出血熱やデング熱が人間の生命を脅かしている。人が病気と必死に闘うように、彼らもまた薬剤に対する耐性を獲得し、強い毒性を持つなど進化を遂げてきたのだ。40億年の地球環境史の視点から、人類と対峙し続ける感染症の正体を探る。

 

※版元ドットコム:感染症の世界史

https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784044003678

 

 

という内容。こちらは大変読み易くなっております。

 

【目次】はこんなです。


まえがき――「幸運な先祖」の子孫たち

 序 章 エボラ出血熱とデング熱――突発的流行の衝撃
  1.最強の感染症=エボラ出血熱との新たな戦い
  2.都心から流行がはじまったデング熱

第一部 二〇万年の地球環境史と感染症
 第一章 人類と病気の果てしない軍拡競争史
 第二章 環境変化が招いた感染症
 第三章 人類の移動と病気の拡散

第二部 人類と共存するウイルスと細菌
 第四章 ピロリ菌は敵か味方か――胃がんの原因をめぐって
 第五章 寄生虫が人を操る?――猫とトキソプラズマ原虫
 第六章 性交渉とウイルスの関係――セックスががんの原因になる?
 第七章 八種類あるヘルペスウイルス――感染者は世界で一億人
 第八章 世界で増殖するインフルエンザ――過密社会に適応したウイルス
 第九章 エイズ感染は一〇〇年前から――増えつづける日本での患者数

第三部 日本列島史と感染症の現状
 第十章 ハシカを侮る後進国・日本
 第十一章 風疹の流行を止められない日本
 第十二章 縄文人が持ち込んだ成人T細胞白血病
 第十三章 弥生人が持ち込んだ結核

 

 終 章 今後、感染症との激戦が予想される地域は?

あとがき――病気の環境史への挑戦

 

 

なかなかにソソりますね。

 

せっかくなんで「第三章 人類の移動と病気の拡散」の中から「交通の発達がもたらしたSARS」という節をまるごと引用してご紹介いたしましょう。

 

 

 今後、どんな形で新たな感染症が私たちを脅かすのだろうか。それを予感させるのが、中国を震源とする重症急性呼吸器症候群(SARS)の突発的な流行であろう。この強烈な感染力を持ったウイルスは、2002年11月に経済ブームにわく広東(カントン)省深圳(しんせん)市で最初の感染者が出た。当時、地方から多くの若者が出稼ぎのために集まってきた。

 

 広東省では、野生動物の肉、つまり「野味」を食べる習慣が根づいており、「野味市場」にはヘビ、トカゲ、サル、アザラシ、イタチ、ネズミ、センザンコウなどさまざまな生きた動物やその肉が売られている。野味市場や野味を提供する料理店で働いている出稼ぎの若者に、野生動物からウイルスが感染したと考えられる。発病すると、高熱、咳、呼吸困難などの症状を訴え、衰弱して死んでいく。

 

 このころ、上海(シャンハイ)と香港を経由してハノイに到着した中国系米国人のビジネスマンが、原因不明の重症の呼吸器病にかかって入院、香港の病院に移送されたものの死亡した。その後、彼が最初に入院したハノイの病院では、医師や職員ら数十人が同じ症状を示し、また緊急移送された香港の病院でも、治療にあたった医師や看護師が発病して死者が出た。

 

 一方、同じころ香港でも感染が広がっていた。広東省広州(こうしゅう)市の病院で肺炎の治療にあたっていた中国人医師が、SARSに感染していることに気づかずに香港に出かけ、市内のホテルに宿泊した。

 

 この医師は具合が悪くなり病院に運ばれたが、客室はその医師が吐いたものや排泄物が飛び散っていた。この客室を掃除したホテル従業員が、同じ器具で別室を掃除したためにウイルスが広がり、宿泊していたシンガポール人、カナダ人、ベトナム人ら16人が二次感染した。さらに、彼らがウイルスをそれぞれの国に持ち帰ったために海外へと感染が広がっていった。

 

 その中国人医師が入院した香港の病院では、あっという間に50人を超える医師や看護師が同じ症状で倒れて、病院の機能はマヒしてしまった。さらに、同じ病院に入院していた男性が弟の住む市内の高層マンションを訪ねたために、そこに住む321人が感染した。マンションの下水管の不備で、その男性の飛沫や糞沫に含まれていたウイルスが、トイレの換気扇に吸い上げられてマンション内に拡散した可能性が高い。

 

 病原体は新型のコロナウイルスであることが判明、「SARSウイルス」と命名された。強い病原性と医療関係者への感染は、世界中を恐怖に陥れた。3月12日にWHOが世界規模の警報を出したときには、流行は中国の広東省、山西省からトロント(カナダ)、シンガポール、ハノイ、香港、台湾に広がっていた。結局、収束した2003年9月までに、WHOによると、世界の30カ国・地域で8,098人の感染者、774人の死亡者が確認された。

 

 元の自然宿主は当初、野味市場で売られていたハクビシンが疑われたがこれは中間的な宿主で、コロナウイルスが分離されたキクガシラコウモリが震源とみられる。だが、既知のどのコロナウイルスとも遺伝子構造が大きく異なる新しいものだった。

 

 

こんな感じです。読み易くまとまってますでしょう?

 

 

で、思うに・・・

 

本来「広東肺炎」とでも呼ぶべき、この2002〜03年の「新型コロナウイルス感染症」に「SARS(severe acute respiratory syndrome):重症急性呼吸器症候群」なんて無機質な名称をつけた。

 

決して少なくはない死者が出たものの、たまたま発症してからの隔離で抑え込めたばっかりに、発生初期段階、当局の瑕疵・責任追及がなされることもなく、ウヤムヤの内に収束した。

 

・・・という辺りが、中国政府にとって、してやったりだったんだなあと。その「成功体験」が、今次武漢ウイルス禍をとんでもない規模に拡大させてしまったんだなあと。

 

 

ちなみに、感染症としての「COVID-19」というのは「Corona Virus Disease, 2019:コロナウイルスによる疾患、2019年」というだけの意味。

 

ウイルス名称の「SARS-CoV-2」は「Severe Acute Respiratory Syndrome Coronavirus 2:重症急性呼吸器症候群のコロナウイルス、2番目)の意味です。

 

味も素っ気もなく、色気も風情もない。何より、氏素性がさっぱり掴めません。

 


https://www.worldometers.info/coronavirus/

 

 

参考までに、SARS発生の後改定された「国際保健規則」(WHO:世界保健機関憲章 第21条に基づく国際規則)には、以下の条文があります。

 

 

第六条 通報

 

 1. 各参加国は、附録第二の決定手続に従って、自国領域内で発生した事象をアセスメ ントしなければならない。各参加国は、公衆衛生上の情報をアセスメントした後二十四時間以内に、決定手続に従い自国領域内で発生した国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態を構成するおそれのあるすべての事象及びそれら事象に対して実施される一切の保健上の措置を、IHR 国家連絡窓口を通じて、利用できる最も効率的な伝達手段により、WHO に通報しなければならない。WHO が受けた通報に国際原子力機関(IAEA)の権限事項が含まれる場合には、WHO は直ちにそれを IAEA に通報するものとする。 

 

2. 通報後、参加国は引き続き、可能な限り、通報した事象に関して入手しうる正確且 つ十分詳細な公衆衛生上の情報(症例の定義、検査結果、リスクの源泉並びに種類、症例並びに死者の数、疾病の拡大に関する状況、及び実施された保健上の措置を含む)を適宜 WHO に伝達するとともに、必要な場合には潜在的な国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態に対応するに際して直面した困難並びに必要な支援を報告しなければならない。 

 

 

第七条 予期されない又は特異な公衆衛生上の事象が発生した場合の情報の共有 

 

参加国は、その原因又は発生源にかかわらず、国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態を構成するおそれのある予期されない又は特異な公衆衛生上の事象が自国領域内で発生した証拠がある場合には、関連するすべての公衆衛生上の情報を WHO に提供しなければならない。この場合、第六条の規定が全面的に適用されるものとする。

 

※厚生労働省:世界保険規則(2005) 仮訳

https://www.mhlw.go.jp/bunya/kokusaigyomu/dl/kokusaihoken_honpen.pdf

 

 

はて、今次の武漢肺炎・武漢ウイルスについて、中国はこの規則を守った(守っている)んでしょうか?

 

 

で『感染症の世界史』「あとがき―病気の環境史への挑戦」には、こうあります。

 

 

 人は病気の流行を招きよせるような環境をつくってきたが、今後ますます流行の危険は高まるだろう。というのも、日本をはじめ世界各国が、歴史上例のない人口の集中化と高齢化の道を突っ走っているからだ。両者は感染症流行の温床である。

 

 これから感染症流行のさらなる「二次災害化」も進むと予感している。阪神・淡路大震災でも東日本大震災でも、「震災関連死」の患者が高齢者に集中した。とくに、肺炎による死者が目立った。避難所の環境や過密がその原因だ。日本の将来への不安が高まっている。末期的症状になりつつある少子高齢化のみならず、近い将来に襲来するはずの超弩級の大地震、荒々しさを増す異常気象……。凶悪な感染症の大流行もそのひとつにあげておく必要がある。

 

 

2014年、単行本発刊時の文章になるはずですが、何か、参っちゃいますね。

 

 

 

 

ともあれ、現在進行形の世界的禍を、中国にとって感染症対応第二の「成功体験」とさせる愚だけは避けたい。

 

そのためにも、国内の感染状況が落ちついてきた今、初期感染ルートの把握、感染源の特定と合わせ、中国政府による初期対応のまずさを追求しなければならないと思います。

 

我が国の官民ともども、中国政府(とその息がかかっていると思しき我が国内民間企業・民間人)による「マスク外交」にほだされてる場合じゃありませぬ。

 

 

※旧ブログ、テーマ「ぶらり図書館、映画館」記事一覧

https://blog.goo.ne.jp/kawai_yoshinori/c/bc35e3c8f575c9b7d92076040d9cf98b

 

 

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確かにケシカランことであるには違いないんだけれども、それでも・・・

 

要請を受け入れず営業を続ける店舗、感染したことを知りながら交通機関を利用して移動する、そういったことを絶対悪として糾弾する空気には、やはり怖いものを感じてしまう。

 

感染すること自体は罪じゃないから・・・早期終息のために願うこと。

 

ブラックだったりホワイトだったり・・・私の中のロールパンナちゃん。

 

不安や恐怖は人を鬼にしちゃうから、そういう「気分」さえも感染するものだから、その意味でも“Keep distannce”が必要ですよね、って思います。

 

武漢ウイルスだけが絶対的に怖いわけではないし(季節性のインフルエンザだって、高齢者にとっては十分に怖い)、絶対に感染してはいけないというものでもない(それは無理。どれほど気を付けていても感染する時はする)わけですから。

 

 

      

 

 

マスク嫌いの呟き・・・注:鼻で笑ってスルーしてください。

 

一般的なマスクの場合、自分が感染することを防ぐ効果は「しないよりはマシ」程度。なので「皆がマスクを」という呼びかけは、ひょっとして感染してるかもしれない自分が人に感染させないため、というのが大きな理由のはず。

 

そういう「気分」は解るんです。

 

でも、だったら(マスクだけで感染が防げるなら)、検査で「陽性」結果が出ても、無症状であったり、普通に動ける程度のホントに軽い症状だったりしたら、隔離の必要なんてなくて、マスクさえしてれば(それだけで人に感染させないんだから)日常生活もOKってことになるんじゃなかろうか、とも思うんですが、どうでしょう?

 

(しつこいようですが、これは「マスク嫌いの感情論」だという自覚がないでもないので、そっとしておいてください。でも「とにかくマスクしなさい」というのも、それもやっぱり感情論じゃないのかっていう疑問は感じてほしいので、言うだけ言ってみました)