好き嫌い!
ニュースをつけると、きなくさい世界ばかり
でも、きょうのpicoさんの「カンタン化」謎解きは、超スッキリしました。……
争いが絶えない、文句を言いたい、いがみあう、角突き合う……
それって「好き」「嫌い」の問題でしかなかった。
複雑に考えがちな、宗教戦争でも、人間関係のいがみあいでも、因数分解したら
「それ、好き嫌い、だけ。
大事なのは、「嫌い」とだれかが言ってきても、その人がそれを「嫌い」なこととと自分の幸福は関係ない!と割り切ることができるかどうか。
えー、やっぱりそれ良くないのかな、私の立ち位置は迷惑なのかな、おかしいのかな、と自分が揺らされてしまうから、ひとの「正論」「反論」「主張」が気になります。自分の世界がぐらぐらと、足の折れかけのちゃぶ台になります。
それらが「自分への攻撃」「否定」と読み替えられるから。
picoさんはここがきれいに切り離されていて、すごく真空で自由な空気の中で動いている人。
「それはあなたの意見にすぎない」といつもおなかで割り切れている人。
そういえば、数日前に見たバシャールの記事にも「ファクトと思っているものはすべてビリーフであり、オピニオンに過ぎないのだ」という宇宙人らしい看破がありました。
これが正当、こうすべき、が組織や政府やいろいろの公的な場所の権威ある意見として、ニュースで主張されています。でも、それはオピニオンのひとつにすぎない。
この時代、この場所におけるひとつの意見。
職場でも、組織改革のあれこれの方策や規定や新たな手続きの策定などが、正しくて客観的のようにどんどん増えて、増殖していき、それはみんなお上からつっこまれないための法整備だとわかっているので、なおさら疲れるのですが……まぁ、それを「嫌い」と思うのも好き好き。と、今日目が覚めました、
すべては「好き」「嫌い」で発案されているだけ。
そう見切ります!そうしたら「好き」はどれほど素敵で愛おしいものになりうるだろう……
さて。
こうありたい……