🌟最近、かばんにマスコットをぶらさげている女子高校生たち————を見ていると、なんというかそのサイズと数に、圧倒されます。
子どものこぶし大くらいのいろいろな動物のぬいぐるみが、かばん前面をおおうようにぶら下がっています。
昔から、マスコットをさりげなくつけている少女たちはいましたが、こんなに重たいほど思いきり、ぶらさげているのは、最近のトレンド……
それを見ているうち————あ、この動物たちは守護霊(マスコット)なのだ、と、思い当たりました。かわいいオマケではなく、守ってくれる頼りになる神。
🌟そんなぬいぐるみや人形たちと共に暮らしていた偉大な作家、田辺聖子さんのことを、思い出します。
告別式の会場。享年91歳。2019年没。
いろいろな小物、人形、ぬいぐるみ、手作り文具(しおりなど)をいつくしんで、写真本にもまとめられていました。そう、宝塚も大好き、古い映画も好き。推しと「カワイイ」のエッセンスを時代に先駆けて、おもいきり発信、体現されていた。
中でもクライマックス的存在は、「実物大」ではなく「人間大スヌーピー」!
↓田辺聖子さんとムスコのようなスヌー(スヌーには「おばたん」と呼ばれている)
🌟そして、思いあわせると、女子高校生たちがたくさんのマスコットをぶらさげているのは
たぶんお守り→いや、守り神だから
証拠の聖典『スヌー物語』(1982)。スヌーがその場にいない旅先でこそ、田辺さんはいつもスヌーと語り、その守護を語る。
「スヌーの首のばし」の節では、スヌーが自宅から首をのばして、望遠鏡のようなもので、ヨーロッパや台湾に出かけている「おばたん」をのぞいて、いつも見守っていることが語られています。
「もし本当に困ることがあれば、じっと心の中でスヌーを念じていれば自然に思い通りになるような気がしている。
私はヌイグルミのスヌーに神通力がある、と信じている。それゆえ、こんどの旅にもスヌーの写真を五、六葉、たずさえてきた。
写真をハンドバッグに入れておくのは、お守りである。
何かあると、心でスヌーを念じて、写真を見ているうちに(事情が好転するというのではないが)、気にいらぬことも、どうでもよくなる。またひょっとすると、(偶然か何かわからないが)自分の望んでいるような事態に変ってくることもある)p.126
🌟スヌーのほうも望遠鏡のようなもので「おばたん」をのぞいており、「危ない」と、水に落ちそうな「おばたん」の手をつかんで、ひっぱりあげてくれる(実際には異国のホテルのボーイさんの手である)。
スヌーが「からくりの糸」のようなものを何本も手足に巻いて、飛行機の翼をあげたり、脚を出したりしてくれている。「スヌーが糸をひっぱって翼を動かしているかぎり、安全である。だから私は乗り物に恐怖感を抱いたことがないのだ」
もちろんスヌーは(遠方でも、テレパシーで)「ヌハハハ」と笑ったり「おばたん」を冷やかしたり、へらず口をたたいたりして、ちょっとかしこく、ちょっと「お馬鹿」で、エラい神さまのように君臨しているわけではないのですが、でも絶対にいつも「おばたん」を真心で守っている……
🌟田辺さんのご主人(医者)やまわりの人には、スヌーはただの巨大ぬいぐるみですが、田辺さんは「スヌーが見てるから、私たちはツツガナク旅を続けられているんだ。ヒコーキも墜ちず、車も衝突しないのです」と確信。
🌟日常でも書き物がはかどらないときには、
「だいじょうぶだよ、おばたん。おばたんはできる人だよ」と、おばたんの背中を前足でたたいてくれるスヌー(ぬいぐるみの前足を田辺さんが持って動かしている)。
🌟いま思うと、スヌーは「写真」(ご真影)を持ち歩くような存在であり、こちらのことはすべてお見通し、影身に添うごとく守ってくれる……まさに「神さま」守護神でした。
ぬいぐるみのことをそう悟った田辺さんの先見の明。ぬいぐるみは「友だち」だ、とふつう思われていますが、じつは「神」だったのです。
🌟学生たちがぶらさげて「推し」と言うフィギュアやマスコット、そしてぬいぐるみの数々、それはおもちゃではなく、現代の「神」になっていて、「これを持って(連れて)歩かないと不安になる」
そういうパワー存在に、いつのまにかぬいぐるみはなっている。
(成長期の)移行存在ではなく、卒業されることもない、いまの世の永遠のぬいぐるみたち。
自分の応援団であり、守護神であるもの。
🌟思い返すと、自分も、何か動物をハンドバッグにぶらさげないと、バッグが無防備な感じがします。だからバッグを替えると、何をつけようか迷います。
だって、ないと不安です……
選ぶとき、やっぱり「スヌーピー」の満面の笑顔は強力です。あんなに運のいいものはないと思っています。
無敵の「お守りスヌーピー」を信じる心……