B面はいつもある・それがバシャール理論 | hermioneのブログ  かるやかな意識のグリッド(の風)にのる

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バシャーリアン。読むことで意識が変わるようなファンタジーや物語に出会ってゆきたい。

望みをかなえるには「○○しないだけでいい」

この「○○しない」

 

なんと「心配」しない。です。

ポジティブとどこが違うのか? 

ふつうは心配するエゴを撲滅し、ポジティブ一元になるのがよい、と思います。

 

 じつは違う、という岩瀬さん。「安心」を得るには、まず、「良いこと 悪いこと、すべて、なにがあってもオーケー」という中立地点に行きます。

 エゴがあってもよい。そのほかにいろいろある……煩悩即菩提。

 

そもそも「自我」は迷妄や撲滅対象ではなく(宗教・瞑想の目的はこれ、だと表面的には思われている)

自我は、悪くはないのです。たくさんいる、いろいろな機能のひとつがエゴ。でも、すべてオーケーとして、野放しに見ている状態を超えて

 

 

🌟🌟一番びっくりしたのが、ココ。めざすべきは、実はエゴやら煩悩やらある世界の裏面。つまりB面にまわりこむと、そこは巨大なほんとうの世界。

 このB面にまわりこむことができれば、裏から見たらエゴも心配もすべて極小の一部にすぎない。

 このB面という概念。なるほど!!

 

 瞑想によって目指すのは、すべてあってよし、というところで終わるのでなく、いまあるモロモロから自分がはみだし、その外側へ出てゆくこと。その外側とは「ソース」。(ソースは宇宙のどこかの高い地点にあって、そこへジャンプしようとするのではなく、すべてのバックヤード)

 

それがB面。バックヤード(舞台裏)。

それはいつも在って、そこへくるりと回りこめば、「なんの不安も心配もない」。

 

で、最後に古典的心理学者マズローの五段階発展理論が出てきます。

これで人間は完成。と思いきや、晩年にマズローはもう一段階付け加えていた。それは

 

これ、どういう神がかりな境地なのかわからなかったのですが、そこは

 

巨大なB面、人間ドラマの舞台の裏にあるバックヤード。

 

だったのです。

そこへうまくまわりこむことができるようになると、心配を回避、削除することができるようになる。

 

その場所へ行くだけ。

このバックヤードモデルはたいへん腑に落ちました。いろいろドラマがあるように見えるとき、役者や当事者をやめて、ふと舞台裏にまわりこめば、そこはゆるぎない一元的な(あたかも垂れ幕のような)ソースの世界。

 

🌟物事は空間イメージによって、まったく相好を替えます。

 遠くの星雲のようなソースから、B面ソースを目指そう。「安心な世界」に回りこめるような気がする……